A3 の商品レビュー
限りなく真実に近づこうと、真摯な態度を貫く著者の姿勢には非常に感心される。 表面をなぞっただけで知った気になって断罪など決してしてはいけない。 連載の加筆収録であるために、繰り返しの内容だったりと少々長い一冊ではあったが、結論を求めながら逡巡する著者の心持が、そこに現れている...
限りなく真実に近づこうと、真摯な態度を貫く著者の姿勢には非常に感心される。 表面をなぞっただけで知った気になって断罪など決してしてはいけない。 連載の加筆収録であるために、繰り返しの内容だったりと少々長い一冊ではあったが、結論を求めながら逡巡する著者の心持が、そこに現れているのだろう。
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オウム報道を振り返り、報道の歪みや群衆の残酷さ、司法の腐敗を再発見する。 市場原理に流されたメディアは、剥き出しの民意を誇張し、ファシズムを生み出す。冷静な意見は罵倒され、感情的な意見が世に蔓延した。原発問題、STAP細胞など、現在のソーシャルメディア上に映し出される群衆の姿は...
オウム報道を振り返り、報道の歪みや群衆の残酷さ、司法の腐敗を再発見する。 市場原理に流されたメディアは、剥き出しの民意を誇張し、ファシズムを生み出す。冷静な意見は罵倒され、感情的な意見が世に蔓延した。原発問題、STAP細胞など、現在のソーシャルメディア上に映し出される群衆の姿は魔女狩りそのもの。 TVリモコンの登場により、番組編成は視聴者の刹那的欲求を満たす方向へ一層傾斜したそうだが、インターネットの普及はその病巣をより一層深刻なものにしたように思える。
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著者の作風と、連載物という縛りもあってか、やたらと思わせぶりな堂々巡り感が少しばかり気になるが、本書はかなり重要な指摘を世に問うている。 あれだけ世間を震撼させた事件であるにもかかわらず、その後語られるのはひどく簡単明瞭な、あらすじのような「真相」か大風呂敷をひろげた陰謀論ばかりで、他の事件なら「法廷で真実を明らかに」と主張する世間やメディアも麻原の処遇については蛇蝎のごとく「どうでもいいから早く視界から消せ」と考えているように見える。 評者は、法廷は法的な事実認定を行う場であり、必ずしも背景事情等を含めた真実を全て明らかにする場だとは考えていないが(そもそもそんなことは不可能だし)、本書の主張する「麻原の精神鑑定および必要な治療」について、「詐病であり必要ない」と両断する世論の感覚は前近代的なもの、法治国家以前のものだと感じている。 絶対のカリスマである麻原の狂気の結果なのか、それとも側近幹部による忖度が暴走したのか。最低限、戦後最大のカルト犯罪、組織犯罪を引き起こした構図だけでも明らかにしなければ、というのは決して青臭い正論ではないだろう。
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メディアとポピュリズムの恐ろしさに対して最近感じることが多い中で、本当に象徴的な作品だった。 私自身は、作者の森さんに対してすべて共感できるわけではない。 だが、これだけ多くの信者や関係者と会い、できる限り論理的に整理した内容は、読後に様々な思いを持たせられた。 約15~20年...
メディアとポピュリズムの恐ろしさに対して最近感じることが多い中で、本当に象徴的な作品だった。 私自身は、作者の森さんに対してすべて共感できるわけではない。 だが、これだけ多くの信者や関係者と会い、できる限り論理的に整理した内容は、読後に様々な思いを持たせられた。 約15~20年前の私のオウムに対する印象を振り返ってみる。 「宗教の顔をしたテロ集団」「冷酷無比でマインドコントロールされた気持ち悪い信者」。 まさにメディアが連日報道していた通りのイメージである。 教祖である麻原は確実に死刑だと思ったし、それが当たり前だと感じていた。 麻原の弁護団がなかなか控訴しなかったり、本人と接見できないといった主張を繰り広げていた報道。 「麻原の死刑判決を引き延ばすための戦略」と私は思ったし、メディアもそういった口調で伝えていたと感じる。 しかし、A3を通して知った事実は、「廃人となって精神が崩壊してしまった麻原」の存在だ。 反省の色が見られないといった報道はよくされていたが、反省できない状態で基本的な人権も守られないまま、死刑が確定した。 詐病の可能性は捨てきれないが、あくまでこの本から読みとれたことは、その可能性は低い、ということだ。 作者はそれに対して「治療を行い、訴訟能力を取り返してから裁判を行うべきだ」といった主張をしている。 彼が述べている状況がすべて正しいとした場合、 憲法に則り、ロジカルに言えばそうすべきだが、ここで「ポピュリズム」の問題が出てくると思う。 囚人の治療は民間ではなく税金から賄われるわけで、その分の時間と金がかかり、かつ、麻原の場合は、たとえ治療をしても死刑となることはほぼ免れない。 そして、治療をしたところで、彼がペラペラと真実を話したり、改心する可能性は極めて低い。 つまり、「投資対効果」が悪すぎるのだ。 メディアに散々「テロ集団の悪の教祖」として取り上げられてきた麻原への治療の投資を一般人が許すと思えない。 国の世論に対して変容する姿勢が本の中でも出てきていたが、圧倒的な反対にあう方向に国は動かないだろう。 そして、何よりも破防法やオウム新法などの法律を作りたかった国が、そういったイメージの礎を作ってきているのだ。 ここに、本当の恐ろしさを感じる。 誰かの犯罪や生死にかかわる判断ですら、世の中にありふれたメディア発信のストーリーは、誰かの「利害」を通して作られているという現実である。 しかし、一方で「シンプル」にしなければ、情報はうまく伝えられない。 多くの情報を受け取る視聴者側は、よほど強い関心がない限り、細かい情報を受け取りきれない。 ただ、そぎ落とされた情報の中に、実は事実として捨ててはいけないものが入っていたり、そのそぎ落とす部分が誰かの利害によって決まっていたりする。 その歪んだ世界を、私たちはどうやって見極めていけばよいのだろうか。 インターネットが急速に普及する中で、情報の種類は増えていき、テレビで報道できないような情報も簡単に発信できるようになってきている。 こういったコンテキストをしっかりと整理し、多面的な観点で事実を見据え、さらに要約する。 キュレーション的な動き方が、今後はさらに必要とされていくのかもしれない、と感じた。
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ハンナ・アーレントがアイヒマン裁判で考え、提起したことと、オウムをめぐる一連のことが重なる。オウムがやったことを許す必要は全くないと思うけれど、なぜあの事件がおきたのかを冷静に検証し直すことが大切なのだと思った。森達也さんのフィルターから見ていくと、彼らは、決して「極悪人」でも「...
ハンナ・アーレントがアイヒマン裁判で考え、提起したことと、オウムをめぐる一連のことが重なる。オウムがやったことを許す必要は全くないと思うけれど、なぜあの事件がおきたのかを冷静に検証し直すことが大切なのだと思った。森達也さんのフィルターから見ていくと、彼らは、決して「極悪人」でも「非道」な人たちではなかったのだ。むしろ「やさしい」人たちばかり。そんな人たちが、なぜあのような事件をおこしてしまったのか。それはきっと自分の頭で考えることをやめてしまったことも一因なのだ。自分たちとはちがうと排除してしまっては、本当の問題の本質は見えてこないのだろう。時が過ぎたからこそ、考えられることがあるように思った。
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日本の犯罪史上最凶最悪と言われる地下鉄サリン事件。それを実行した殺人集団オウム真理教とその首領麻原彰晃。そんなオウムと麻原を巡る裁判の経過と内容を様々な視点から描き出した一冊。 本書で作者は、裁判の目的を謎の究明に当てようとしている。オウム信者は実は結構いい人ばかり。なのに、そんな善人の集まりが凶悪事件を起こしてしまった。それは何故なのか?とか。そして、裁判当時の麻原は精神疾患がある状態だ。なので一度裁判を停めて治療して、意思疎通が図れる状態になったら裁判を再開しよう、と言っている。 この辺の目的はとても明確で、理にかなっていると思う。けれど、そんな理屈も麻原裁判では通じない。一日も早く、死刑判決を確定させろの大合唱。その辺の不合理というか、なんかおかしくねぇか?という切り口で話を進めていく。 麻原裁判については、そりゃある程度の経過は知っていた。でも私の持っていた知識は、弁護団は麻原を無罪にするために無用に裁判を長引かせる戦術を取り、結果公訴棄却となり、一審判決である死刑が確定してしまった。という程度の内容だった。この内容について、まず「本当それ?」という考えはまず浮かばなかった。そしてその前提には麻原みたいな極悪人を弁護ってwあんなの死刑に決まってんだろ!という如何にも在りがちな思考停止があったと思う。 アメリカが裁判なしでビン・ラディンとかミサイルでぶっ殺して、その報せに大喜びでテレビカメラに向かって「U!S!A! U!S!A!」と叫ぶアメ公共を観ていると、アメリカという国の自分勝手さや適当さや、法治国家が聞いて呆れるなぁとか、アメリカ人って本当にバカだなぁ民意低いなぁと思ったりしたけれど、日本だってそれと同じかそれ以下だなぁとか思った。 しかし、麻原の子供たちが中学や高校大学に入学しようとすると尽く断られた件に、普段は人権とか言ってる人がこれかよ!とか言ってるところがあったけど、まぁそりゃそうだよなぁとそこは思った。自分と自分の帰属する集団の安寧を望むのは当然のことで、問題はあれど拒否反応は至極まっとうな反応だと思うけどなぁ。 色々キレイ事を口にして思考停止するのはイカンよね、とか思ったりする一冊でした。さて下巻読もう。
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作者なりの,オウム事件の真相を探る過程を描いた作品だと思う。 私はその点にはほとんど興味がないのだが,現在の日本社会についての考察の部分は,大いに共感を持って読んだ。 【特に啓発された点】 宗教と殺人の親和性 殺人集団だからオウムは宗教ではない,というのは浅薄な見方 善良で純粋だからこそ人を殺すこともある。 日本社会の変質は,オウム事件から始まったのではないか。 例外を許していると,例外は前例となる。 オウム事件の捜査でとられた異常な捜査手法は,今ではほかの事件にも使われるようになった。 【再確認した点】 メディアは事実を伝えないことがある。 麻原彰晃氏への人権侵害に関しては,いわゆる人権派もほとんど無視している。
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麻原が精神崩壊していて、訴訟続行能力が無いのではないかという告発が著者の発したいメッセージとしては大きい。しかし、様々なオウム信者や周辺の人からのインタビューの方が面白かった。 法治国家として、麻原死刑の強引さと、それを良しとする社会の無関心へのやるせなさを、磔刑に処されたイエス...
麻原が精神崩壊していて、訴訟続行能力が無いのではないかという告発が著者の発したいメッセージとしては大きい。しかし、様々なオウム信者や周辺の人からのインタビューの方が面白かった。 法治国家として、麻原死刑の強引さと、それを良しとする社会の無関心へのやるせなさを、磔刑に処されたイエス・キリストの「父よ。彼らをお許しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」という言葉を引いて語っている。 でも、マスメディアもアンケートで集められる大衆の世論も、複雑なものを複雑なまま正しく扱えるようには出来ていない。そうでしょう? ポアのロジックがよく分かった。 ・「例えば、ここに悪業をなしている人がいたとしよう。そうするとこの人は生き続けることによって、どうだ、善行をなすと思うか、悪業をなすと思うか。そして、この人がもし悪業をなし続けるとしたら、この人の転生はいい転生をすると思うか、悪い転生をすると思うか。だとしたらここで、彼の生命をトランスフォームさせてあげること、それによって彼はいったん苦しみの世界に生まれ変わるかもしれないけど、その苦しみの世界が彼にとってはプラスになるかマイナスになるか。プラスになるよね、当然。これがタントラの教えなんだよ。 …ただ、これは深遠で難しい。どうしても心の弱さが出ると、そこまで断定的に判断することはできないと。ただ君たちがだよ、今生で最終解脱を考えているのだったら、最も強い心の働きを持ちなさいと。だまして教化できる範囲っていうのは決まってるんだね。相手が真理と、それから真理じゃない中間状態にある場合は、だまして真理へ連れてくることができると。しかし完璧に悪業をなしていて、もう全く真理との縁がないと。この人はトランスフォームした方がいいんだ、本当は。 そういうとある人はこう考えるかもしれないと。いや、それは完全に排他的な心の現れじゃないかと。でもそうではないんだね。排他的な心の現れではなくて、それは相手に対する愛なんだよ。」 →悪業をなしている人をポアして輪廻転生させる事が出来るのだとして、それを外的要因で当人の気付きなく行って本当に救いになるのか?と思う。 だまして真理に連れてくる=嘘も方便、も同じ。小乗(真実に近い悟りだけれど難しい)→大乗(難しいことが分からない人に、分かりやすい方便を使って、行いだけ正しい事をさせる。地獄or極楽で脅すのも宗派によっては方便と捉える。)→金剛乗(あまりに悪業に染まっている人は殺した方が悪業を続けない)、という訳だけれど、救われたいと思っていない人を何故救わなければならないのか?救われた方が楽だから?それが正しいから? もし正しいからだと言うなら、何にとって正しいのか。世界の成り立ちから見て正しいのなら、悪業と縁を持てない真理自体の正しさを疑うべきではないか。覚者である人から見て正しいなら、それはその覚者を救うであろうけれど、他の人から見ても正しいと何故言えるのか。 そもそも殺生が悪なのは、その生きているものの道を奪うからではないのか。悪業から救うために殺生が許されるならそもそも殺生自体を悪とする論理が崩れるのではないか。殺生が悪でないなら、他人の行いの何がそれ程重い悪業だと言えるのだろうか。 必要悪という言葉があるけど、それが成り立つのはその殺生でそれ以上の命が救える、一の悪で多の悪を止められる時だけ。それだって、是としない人はいるんだから。 他人を救いたい、真理を知ってほしい、悟って欲しい、全部愛だね。でも、その自分だけが持っている愛と欲望はどう違うのだろう。僕はその欲望、知りたい、知ってほしい、触れたい、触れてほしいという欲望が二人の人の間で一致する、稀有な偶然を「愛」と呼ぶんだと思う。 多分どの真理も、宗教も、神も、そう。全人類に、世界に当てはまると考えた時、では何故悪が、苦しみが存在するのかという矛盾とぶつかる。それはきっと、一つの真実では解決する事ができない。
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奇しくもオウム事件によって、人生を変えられてしまった 森達也の因縁のライフワーク、「A」の連作の第3弾。 タイトルにこだわりがなかった「A」「A2」と異なり、 「A3」の「A」は麻原彰晃のAだと明言して始まる。 人を殺めるのは宗教ではない、という見解に対し、 そもそも宗教と殺人は相性がよい、と言う。死の恐怖から 解放するというのが宗教のリーゾンデートルだとして、 死を恐れないことが“ポア”の発想につながってしまった。 (だから多くの宗教は自殺を禁止している) なにより、国家規模での恣意的な忘却が是とされた結果の 麻原死刑でトーゼン説。対になる見解のない アンバランスの歪さをあぶりだす、という目的は A3で十分達せられたと思う。“結局、無関心でいくんでしょ?” という森の世論に対する「ケンカ腰」が胸を打つ。
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第33回講談社ノンフィクション賞受賞作。 A5版500頁超の大作ドキュメントである。 32もの章たてがされている内容は最初から最後まで一貫している。 オウム真理教の引き起こした地下鉄サリン事件はとても有名な事件だ。 しかし、私たちは麻原彰晃のことをよく知らない。 彼が何を考え...
第33回講談社ノンフィクション賞受賞作。 A5版500頁超の大作ドキュメントである。 32もの章たてがされている内容は最初から最後まで一貫している。 オウム真理教の引き起こした地下鉄サリン事件はとても有名な事件だ。 しかし、私たちは麻原彰晃のことをよく知らない。 彼が何を考え、なぜこんな事件を起こしたのかを、知らない。 凶悪な事件であればあるほど、その「動機」は必須条件となる。 しかし、それを私たちは知らされていない。 なぜか。 それは、彼を裁くべき裁判がきちんと機能しないまま終焉を迎えてしまったからだ、という。 本書を読むまで私はその部分に疑問を感じることもなかった。 麻原はあの、よく法廷画家が描く似顔絵の印象のままで、うっすらと笑みをたたえ、黙っているイメージがすべてだ。死刑判決が下されたときも、「当たり前だろう」と思った。 あんなにたくさんのひとを、無差別に苦しめた宗教団体のトップなのだから、と。 しかし、著者は言う 「狂暴な集団だから凶悪な事件を起こしたと考えるほうが確かに楽だ。でも現実は違う」 「世界を豊かにするのが人の善意や優しさなら、世界を壊すのもまた、人の善意や優しさなのだ。」と。 なかなか理解に苦しむ文章かもしれない。 「麻原に対しての刑の免除や減刑をすべきと主張するつもりはない。ただし治療すべきと主張する。」 つまり、麻原の裁判に対して異議申し立てをしているのだ。 訴訟能力のない麻原を裁判に出し続ける異議とは何か、真実とは何か。 これが著者の最初から最後まで提示された主張だ。 麻原が絞首台で何を思うかはわからないが、社会が何を思うかはわかる。 それは「圧倒的な無関心」だ、と著者は結ぶ。 確かに、異例なことというのは手続きが明確化されないケースが多い。 しかし、異例だからこそ、きちんとした法律で裁かれないと、今後の裁判も無法地帯になってしまう。 最高裁の判決が「なんとなく」では、守れるものも守られなくなってしまう。 自分は大丈夫と思っていても、いつどこで、罪を犯してしまうかは誰にも解らない。 その時に困るのは自分だ。 他人事ではない、と思った。 無関心でいていいわけがない。 だからこその「なぜ」を、私たちも放ってはいけない。 本書の中で私が一番着目したのは、麻原の娘たちのことである。 麻原の子どもだから、という理由で合格した大学側から入学を拒否されたり、「宇宙の外に出て行け」と建物に落書きをされたり。 遺族の方からしたら、麻原に、幹部にぶつけられないのであれば彼の身近な人物に、となってしまう構図はよくわかる。 しかし、姉妹もまた被害者なのだ、という主張もわかる。 あくまでもオウム、麻原、というのは一例に過ぎず、こうした究明されなかった真実というのはあるはずだ。 そのときに、何を考えるかが大事なのだと思った。
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