原稿零枚日記 の商品レビュー
現実と非現実が入り混じる世界。私たちの身の回りも実は非現実が入り込んできているのかもしれない。 一人で生きる女性の寂しさのようなものがにじみ出てきているように感じた。
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タイトルから、てっきり小川さんのエッセイ本だと思っていたのですが、よんでみたら・・・、 びっくりでした。 あぁ、でもやっぱり面白いなぁ。 本当にあるようでいて絶対にありえない。 そんなあれやこれらで出来上がった不思議な日記風小説です。 中でも母親のよそいきの靴をみたて...
タイトルから、てっきり小川さんのエッセイ本だと思っていたのですが、よんでみたら・・・、 びっくりでした。 あぁ、でもやっぱり面白いなぁ。 本当にあるようでいて絶対にありえない。 そんなあれやこれらで出来上がった不思議な日記風小説です。 中でも母親のよそいきの靴をみたてに、百貨店へ行くくだりが実に哀しくてよかった。 あと測られた粉ミルクの、スプーンの上での完璧な平面ぶりに驚愕する部分。 こんなところに着目する、小川さんの目線のピンポイントぶりにこちらが驚愕ですよ! あと時間厳守のガイドさんの徹底ぶりや(時間に遅れると・・・大変なことになります)、盆栽の下のチャボの愛らしさ、祖母とわこさんとネネさんとの完全な調和。 見どころ満載な一冊です。 ラストもほんのり怖くて、絶妙な終わり方をしています。 こういうところ、小川さんならではだなぁ。 あぁ、私もローカルニュース「わかば」を見ながら晩ご飯の支度をしてみたいものです。
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原稿が進まない作家の「私」。苔むす宿の奇妙な体験、盗作のニュースに心騒ぎ、子泣き相撲に出かけていく…。夢か現か妄想か? 人間の営みの美しさと面白さを描く日記体長編小説。 これまでに読んだ小川洋子の作品から彼女がタダモノではないことは知っていたが、本作でその創造力・想像力・妄想力に...
原稿が進まない作家の「私」。苔むす宿の奇妙な体験、盗作のニュースに心騒ぎ、子泣き相撲に出かけていく…。夢か現か妄想か? 人間の営みの美しさと面白さを描く日記体長編小説。 これまでに読んだ小川洋子の作品から彼女がタダモノではないことは知っていたが、本作でその創造力・想像力・妄想力に改めて感心した。虚実(あるいは虚虚?)入り乱れた話の展開は退屈しない。女性らしさをそこかしこに感じさせるのも魅力。 (B)
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小説が全くはかどらない女流作家による日記形式をとった小説。 冒頭の苔料理からどんどんこの歪んだ不思議な世界に突き落と されてしまう。 主人公はちょっと変わった優秀な人なのか、 大人しく狂っている人なのか、それがわからない。 こんな人が隣で静かに息をひそめて暮らしていると思うと 身...
小説が全くはかどらない女流作家による日記形式をとった小説。 冒頭の苔料理からどんどんこの歪んだ不思議な世界に突き落と されてしまう。 主人公はちょっと変わった優秀な人なのか、 大人しく狂っている人なのか、それがわからない。 こんな人が隣で静かに息をひそめて暮らしていると思うと 身ぶるいしてしまう。 面白い一冊だった。
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これは日記だ。小説なのだが、日記だ。原稿が書けずに、日々の暮らしの中で右往左往している作家の日記だ。 いろいろなエピソードが書かれていて、何か共通するものを見つけようと頑張ったが見つけられたのは、同じ人物が書いた日記だということだけ。 様々な「荒らし」にしろ、苔料理専門店にしろ...
これは日記だ。小説なのだが、日記だ。原稿が書けずに、日々の暮らしの中で右往左往している作家の日記だ。 いろいろなエピソードが書かれていて、何か共通するものを見つけようと頑張ったが見つけられたのは、同じ人物が書いた日記だということだけ。 様々な「荒らし」にしろ、苔料理専門店にしろ、盆栽フェスティバルにしろ、現代アートツアーにしろ、母親のくだりにしろ、そこから見つけられるのは、困惑とともに日々を過ごす作家の姿だけだ。これは小川洋子さん自身ではないのか?と思えてしまうのは私だけではないと思う。 小川洋子さんの独特の世界観には、うまく浸れるときとそうでないときがある。今回は「そうでないとき」だったかも。
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『しかし子供たちは皆一生懸命だ。両腕と太ももを惜しげもなく露出しながら、疑問をはさまず、目的にとらわれず、決められたとおりに動いてゆく。ラジオ体操考案者が秘かに仕込んだ信号を、宇宙に向かって発信するかのごとく、自らの未熟な体を差し出して奉仕する』-『十月のある日(日)隣町のL小学...
『しかし子供たちは皆一生懸命だ。両腕と太ももを惜しげもなく露出しながら、疑問をはさまず、目的にとらわれず、決められたとおりに動いてゆく。ラジオ体操考案者が秘かに仕込んだ信号を、宇宙に向かって発信するかのごとく、自らの未熟な体を差し出して奉仕する』-『十月のある日(日)隣町のL小学校の運動会の見学に…』 「博士の愛した数式」や「猫を抱いて象と泳ぐ」にも、それはうっすらと、例えば部屋の壁に漆喰の材料に溶かして混ぜたように潜んでいると感じるけれども、やはり「密やかな結晶」や「夜明けの縁をさまよう人々」からもっとはっきりと、むっとするほどに漂ってくるもの、それが自分にとっての小川洋子の魅力である。そして「原稿零枚日記」は、タイトルこそひょっとしてユーモラスなエッセイかと思わせられたりもするけれど、実はその魅力に満ち満ちた作品で、あるいはこれは小川洋子版「夢十夜」かとも思う。夏目漱石のその作品にも同じように満ちていると思う小川洋子の魅力の源、それは、不穏、という言葉で表すのが適切であるように思う。 時にそれは手術台の上に女性の体が一糸まとわず横たわっているという状況から感じるようなものに似ている。恐怖とエロチシズムという二つの感情が絡み合う。その二つの背中合わせの感情に、あるいは背中合わせという状況にすっかり支配され、その支配されてしまったという思いをたちまちのうちに立ちあがらせ、そうしておいて読む者の感情を縛り付ける。うっかりその乳房に手を触れようものなら、手術台の向こう側に立つ術衣姿の女医の握るメスによって、きっと緩やかにしかし容赦なく力強く一直線に切りつけられてしまうだろうことまで解っているのに、どうしようもない気配の不穏さ。 時にそれは自らの意志ではどうすることもできない世の中の仕組みが突如として自分自身を飲み込もうと襲い掛かってくる直前に感じる気配にも似ている。世の中の仕組みと書いてしまうと政治的なニュアンスが強く響いてしまうけれど、そこにあるのは何か自分の理解が及ばないものによる支配あるいは差配のようなもののイメージであり、例えば夢十夜の第三夜に出てくる盲(めしい)の子供を背負って歩く田圃道の話の中にあらわれる輪廻のようなもの。今まで黒幕の裏側が草葉の陰かに隠れていたものが急に表に出てこようとする一瞬前の気配の中にある不穏さ。 小川洋子の小説に登場する異界の人々や現実の世界の中でぽっかりと口を開けている別世界の入り口(あるいは出口)などから、その不穏さは確かに漂い出てくるのだが、しかし何と言ってもその不穏さを真に不穏たらしめているのは、表情一つ変えずにその不穏さを何事もなかったかのように捌いていく一人称の存在だ。そしてどうしてもそこに小川洋子のあの涼しげな顔を張り付けたくなる誘惑に負けてしまうのである。そして小川洋子の顔をした登場人物があんなことやこんなことをしてしまうことによって、また新たな不穏さを生み出すという蟻地獄。 もしこんな人たちばかりで世の中が一杯になったらさぞや恐ろしいことだろう、と思う。しかし思った途端に、実はもう既に世の中はそんな人たちで一杯になってしまっているのだろう、と思い直し背筋が寒くなる。そう思い直すだろうことまで、小川洋子に見透かされていたような、そんな思いに囚われると、また、あの涼しげな顔が、少しだけにたりと笑ったような思いに絡め捕られてしまうのである。
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<内容>ある作家の奇妙でいとしい日常。長編日記体小説 原稿が進まない作家の私。苔むす宿での奇妙な体験、盗作のニュースに心騒ぎ、子なき相撲に出かけていく。ある作家の奇想天外な日々を通じ、人間の営みの美しさと面白さが浮かび上がる新境地長編。
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小川さんの作品から立ち上る雰囲気は、川上さん的不思議さ、誰的だろう生真面目さ、誰的だろう緻密さを感じる。「誰的」のところ、どなたが当てはまるか。
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自分の知らない世界に連れて行ってくれました。その世界は身近にあるのかもしれませんが、気が付きませんでした。
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書店でパラパラッと立ち読みして、エッセイだと思い込んで購入したのですが、最初の話から何だか様子がおかしい。 苔専門の料理店って……。 小説だと気づくのが遅すぎました(笑)。 日記の体裁をとっているのに、何気ない日常の中にいつの間にか不思議な世界が混ざり込んでくる。 筆者を思わせる...
書店でパラパラッと立ち読みして、エッセイだと思い込んで購入したのですが、最初の話から何だか様子がおかしい。 苔専門の料理店って……。 小説だと気づくのが遅すぎました(笑)。 日記の体裁をとっているのに、何気ない日常の中にいつの間にか不思議な世界が混ざり込んでくる。 筆者を思わせる女性作家の日常に少しずつ狂気が入り込んでくるような、奇妙な感覚の小説でした。
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