滝山コミューン一九七四 の商品レビュー
とても近い場所、近い時代の、 小学生だったこともあり、 大変興味深く読みました...。 勿論、 ここまでのことはありませんでしたが...。
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タイトルと装丁に魅かれたのと「文科系トークラジオLife」で紹介されていたのを微かに記憶しており、読んでみた。 読んでみて、タイトルから想像したほどの大仰な集団が組織されたわけではないし、その集団が社会に強烈な影響を与えたというような物語があったわけでもなかったので、少し拍子抜...
タイトルと装丁に魅かれたのと「文科系トークラジオLife」で紹介されていたのを微かに記憶しており、読んでみた。 読んでみて、タイトルから想像したほどの大仰な集団が組織されたわけではないし、その集団が社会に強烈な影響を与えたというような物語があったわけでもなかったので、少し拍子抜けした。ただ当時の全生研が推し進めた「学級集団づくり」が排除の倫理に基づく危険な思想をベースに実践されていたことには素直に驚いた。また「追求」と称して体制に反する者に自己批判を要求する行為を小学生が自発的に行っていた事実は、イデオロギーを強制的に押し付ける教育の怖ろしさを痛感した。 「学級集団づくり」の一つの要素であった「班競争」は現在流行しているゲーミフィケーションの問題点も提起していると思う。滝山コミューンの行った集団主義教育に対して批判的な立場で書かれた本ではあるが、その全てを否定するものではなく現在の教育がまた別の危険な思想を根底に持っている可能性があることも考えさせられる。 教育関係者には現在の教育の位置を確認するためにも、ぜひ一度手にとってもらいたい一冊。
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自分かと思うくらいに似たような体験が綴られていて一気に読んでしまった。 著者は団地という特殊性をコミューン形成に結びつけていたようだが、 実際には全生研の影響を受けた教師が牛耳る学校はどこも同じような状況があったのではないかと思う。
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著者が生まれ育った東京都東久留米市にある滝山団地にあった、東久留米市立第七小学校(通称「七小」)を舞台に、当時の日本の社会や政治の時代の空気に反映された、著者が「味わった」出来事を綴った本である。 当時の七小は団地に住む大人や当時の時流だった民主主義的教育を実践する教員たちの...
著者が生まれ育った東京都東久留米市にある滝山団地にあった、東久留米市立第七小学校(通称「七小」)を舞台に、当時の日本の社会や政治の時代の空気に反映された、著者が「味わった」出来事を綴った本である。 当時の七小は団地に住む大人や当時の時流だった民主主義的教育を実践する教員たちの思想が如実に児童たちの行動様式に反映されていた。著者曰く、最も民主主義的な学校社会が形成されていた「滝山コミューン」であった。特に全国生活指導研究協議会の「学級集団づくり」による学級(学校)の運営が、団地という言わば閉鎖的なコミュニティと相まって、見事なまでに浸透し、「教育」と呼ばれる思想伝播が個人から集団へ、また学校全体へと波及していく様子が、学校での授業や学校行事を通じて見えてくる。 そこで見られるのが、当時のある教員から波及した「民主主義的教育」と呼ばれうる〈全体主義〉が生徒に浸透し、著者がその息苦しさに苦しむ様であった。学校の中の社会も、当然ながら学校外の社会状況や社会思想から影響を受けている。著者の個人的な体験からの主観論の部分は確かにあるけれども、学校での〈全体主義〉の浸透で、その鏡ともいえる社会でどのような思想構造があったのかも時代背景を交えて記録されている。特に公立学校は、教育基本法や学校教育法、学習指導要領、自治体の教育目標を踏まえて学校目標が設定されているが故に、教育内容も当時の社会状況とは切っても切り離せない。この点は踏まえるべきだろう。
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てっきりJ.G.バラードの『ハイ-ライズ』みたいな小説かと思ったられっきとしたルポルタージュだった。まだ序盤だけどかなりおもしろい。殊に自分は西武池袋沿線でこの本の舞台となっているひばりヶ丘もまったく無縁な土地ということもないので、興味深く読んでいる。
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中学生の時に体験した悪夢の一端が書かれている本。。時代はだいぶズレてるし、地域も違うんだけど、こういう強烈な集団主義教育の根底にどのような思想があったのかを知ることができた。「ボロ班」とかあったよなあ・・・。
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動員された専業主婦って怖いなあ… 郊外論として、ともておもしろく読める。 作者の鉄道愛も端々で感じる。本文の流れではいらないけどw。
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小学生という、無垢の子たちだからこそ、全体主義に組織化され、自分という主語ではなく、みんなという主語を持った時起こる出来事。 それは歳など関係なく、ある意味の恐怖を抱かずにいられない。 そして、それを正しい事だと組織化しようとする大人。 その矛盾に気づく幼少時代の筆者。 小学校...
小学生という、無垢の子たちだからこそ、全体主義に組織化され、自分という主語ではなく、みんなという主語を持った時起こる出来事。 それは歳など関係なく、ある意味の恐怖を抱かずにいられない。 そして、それを正しい事だと組織化しようとする大人。 その矛盾に気づく幼少時代の筆者。 小学校の中心的な児童にとっては、筆者はつれないやつと思われただろう。 筆者にとっては、中心的な児童は踊らされて躍起になっている馬鹿なやつ。 そんな両方の認識は今の子ども達にも通ずるとこもある。 どちらにも考えがあり、間違ってはいないと。 団地、集団主義。自分の育った環境にはあまりなかった言葉たち。 前半に比重がおかれている団地にまつわる都市論としても楽しめた。
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やはり、政治学者になるくらいの人は、小学生の頃から出来が違う。自分の小学校高学年時代を振り返っても、教師や親に言われるままに生活していた。単純に勉強が嫌だ、学校に行くのが嫌だということはあったが、特定の教師や活動に自分の考えとは違うから嫌だという考えは当時は持ちあわせていなかった...
やはり、政治学者になるくらいの人は、小学生の頃から出来が違う。自分の小学校高学年時代を振り返っても、教師や親に言われるままに生活していた。単純に勉強が嫌だ、学校に行くのが嫌だということはあったが、特定の教師や活動に自分の考えとは違うから嫌だという考えは当時は持ちあわせていなかったと思う。著者がいうような「七小」の異常さがあって感じるものなのか。卒業後開いた同窓会で著者と他一名以外は当時も、その時点でも著者と同じような感覚を持っていなかったということからも、著者独特の感性、知識レベルに負うところが大きいと思う。
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著者の2年年長で、同じ東久留米市(当時は北多摩郡久留米町)の小学校に入学した者として興味深く読んだ。とはいえ、当時、新興の滝山団地ではなく旧市街であったが。その微妙な場所と年次の差か、あるいは学校や担当教員の考えの違いか、はたまた3年生終了時に転校したために、まだ理解できていなか...
著者の2年年長で、同じ東久留米市(当時は北多摩郡久留米町)の小学校に入学した者として興味深く読んだ。とはいえ、当時、新興の滝山団地ではなく旧市街であったが。その微妙な場所と年次の差か、あるいは学校や担当教員の考えの違いか、はたまた3年生終了時に転校したために、まだ理解できていなかったのか、はわからないが、著書にあるような日教組の「洗脳」なかったように思う。 それにしても著者の記憶の良さと子供ながらの観察眼には感服する。 この時代までの公立学校に侵入してきある種の思想とそうした思想から正反対にある中学受験という行為が縦横の糸となって時代を活写している。
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