使ってもらえる広告 の商品レビュー
「明日の広告」のシリーズのような内容。平易な文体で気軽に読める。uniqlock,mixi年賀状,ファイブミニ・キャンペーンなどCGMを中心とした実用的なブログパーツ展開やサービスなどを核に据えて“実用的に使ってもらえてナンボ”のマーケティング論を展開する。
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表現としての広告vsサービスとしての広告 表現による広告への疑問 広告表現というものに限界が来ているのではないか? 広告クリエイターたちは、いかに素晴らしい、あるいは説得力のある表現を生み出せるかを必死で追求してきた。 いまや人々はどこかの"族"に属するとい...
表現としての広告vsサービスとしての広告 表現による広告への疑問 広告表現というものに限界が来ているのではないか? 広告クリエイターたちは、いかに素晴らしい、あるいは説得力のある表現を生み出せるかを必死で追求してきた。 いまや人々はどこかの"族"に属するというよりも、自分の中に"属"する複数の嗜好(属性)をフラットな状態で同居させながら日々を過ごしている ユーザーはさまざまな「タグ」を抱えている ユーザーが所有する個々のタグがいかなるものであろうとそれを乗り越えてコンタクトできるような方法。それが「使ってもらえる」というアプローチ。ヒントは、YouTubeやMixiのようなあらゆるタグを包括するサービスインフラを構築すること 「メディアは変わる、人間は変わらない」 大衆から分衆へ、そして個々のユーザーへと生活者像は変わりつつあるが、人間そのものの本質が変わったわけではない 人間に向き合うこと いまの広告=(ウェブ+PR)×テレビ gooでの検索数を伸ばしてほしいという依頼に対して、「gooで検索してくださーい」という表現の訴求をしていない もはやユーザーは広告に表現、つまり業界で言うところの繰りエイティブを求めてないんじゃないか? 表現は結局、それを楽しみたい人にしか届かない ユーザーに商品のことを「どう伝えるか」を考える前に、条件反射的に「どう表現するか」を考えてしまっているのではないか。本来手段であるはずのクリエイティブが「目的」になってしまっているような気がする みんなメンドくさいからウェブ使うじゃん。なのに、ウェブの中にまたメンドくさいコンテンツがあってどうするんだ 広告はそれが出ていく似姿になる 新聞=ジャーナリスティックな広告、TV=映像エンタテインメントメディア WEB=サービスのようなコミュニケーション 電車の乗り換え案内に芸術的なデザインや印象的な映像、泣けるオチのあるコンテなんかが果たして必要だろうか? cf. Google検索のシンプルさ モノが売れない時代なんだから"モノを動かす仕組み(サービス)"そのものを広告的な発想で開発すればいい ex. Mixi年賀状、トリンプおねだり機能(コンバージョン率80%以上) だれもが忙しく、自分に関係のない情報、見たくない情報につきあっているヒマなどない昨今のような情報下で、商品を「利用して欲しい」といくら広告表現で訴求しても「利用する必然」は発生しない。しかし、人は自分の役に立つサービスのためなら、忙しい中でも積極的に時間を割く。「商品を利用してもらいやすくするサービス」を開発すれば、その「必然」をクリエイトすることができる ユーザーに愛される5つの極意 ①つっこまれクリエイティブ つっこみやすことで、ユーザー発信を刺激できる。つまり、伝播しやすくなる 「なに、それー」「そうキタ?」「うわ、スゲー」と言いたくなるような仕上げのつっこみどころを3つ用意する ②ルールクリエイティブ ユーザーが参加しやすいシンプルなルールを「ひとつ」だけつくるべし ex. ニコニコ動画「ひとこと動画」 ③コンテンツ消費からコンテクスト消費へ コンテンツ群を発生させる"場"そのものをコンテクストと呼ぶ。場によってウケ方は違う ④仮説検証から仮説探索へ 永遠のβ版、ユーザーの反応に合わせそのつど軌道修正していく ⑤全員シロートの時代 自分から行動して勉強する姿勢と、だれに聴けばわかるかを探り当てる勘と。それでもわからないところは大胆にお任せする割り切りと、その際の人選を間違えない嗅覚 使ってもらえる広告の先にあるもの +「ストーリー」 あらゆるコミュニティの核には、必ずストーリーがある。ストーリーの働きとは、人を集めてコミュニティを形成すること 。そしてストーリーはすべて、その時代の要請に応えて現れる(富野由悠季) ネットによって国籍から解放された文化籍、興味族という新しい民の出現
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誰もが忙しくなって、自分に興味がない情報や見たくない表現に つきあっているヒマがない状況下で インターネットでのコミュニケーションがキーになってきてます。 いくらよいCMを制作して消費者が興味をもっても、ネットでみて、 みんなの声を聞いたら「そうでもないじゃん」みたいな状況で ...
誰もが忙しくなって、自分に興味がない情報や見たくない表現に つきあっているヒマがない状況下で インターネットでのコミュニケーションがキーになってきてます。 いくらよいCMを制作して消費者が興味をもっても、ネットでみて、 みんなの声を聞いたら「そうでもないじゃん」みたいな状況で ほんとうに今までの「表現によるメッセージ訴求」でよいのか? という疑問から筆者なりの答えを導きだした本。 TVCMなどのマス媒体と違い、インターネットは消費者の反応が ダイレクトに届く。接触の仕方が非常に能動的である。 そんな中でインターネットの広告は 「表現としての広告」ではなく「サービスとしての広告」 でなければならない つまり「使ってもらえる広告」でなければというわけだ それは、我々が普段ウェブを使うシーンを思い出してもそうだが お店の情報を得たり、乗り換え案内を使用したりと 自分の目的を瞬時に解決するためのツールとしての割合がウェブには多いのでそこにクリエィティブなどあまり関係ないということ。 (全てがそうではないよ~) ならばウェブでのコミュニケーションは「乗り換え案内」的な 人に使ってもらえるような広告を作ればいいじゃん! みたいな発想で筆者が開発したサービス「ミクシィ年賀状」などを紹介。 ただ、ウェブの世界ではマスの接触人数と比べると断然少ない。 なのでどんないいサービスを開発しても知ってもらわなければ 広告としてはなりたたないため、うまく広告する方程式として (ウェブ+PR)×テレビ と表現しています。 これはとても共感を得た部分。 つまり、ウェブのコミュニケーションをPRの力でパワーアップして テレビの力で爆発させるという方程式。 ここを踏まえた上で「使ってもらえる広告」というコミュニケーションの開発はほんとに強いとかんじます。 最後に書かれていた広告制作の5大ハードル 「新しいか?」「見たことないか?」「わかるか?」 「企画や商品のシズルがあるか?」「荷が動くか?」 ほんと身を削る作業ですが、肝に命じたいです。
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広告って必要ないんじゃね?そんな自分の中での疑問や、社内からの視線を受けながら毎日宣伝業務に勤しむ自分。 本書に書かれている内容は、そんな自分の実感とシンクロしまくり。「使ってもらえる広告」というのを僕の感覚て言い換えれば、「広告それ自体も良質のコンテンツである必要がある。」とい...
広告って必要ないんじゃね?そんな自分の中での疑問や、社内からの視線を受けながら毎日宣伝業務に勤しむ自分。 本書に書かれている内容は、そんな自分の実感とシンクロしまくり。「使ってもらえる広告」というのを僕の感覚て言い換えれば、「広告それ自体も良質のコンテンツである必要がある。」ということ。 忙しくて見てもらえない時代に、広告はわざわざ接触する価値のあるものでなければいけない。それには広告そのものがユーザーに価値のあるものでなければいけない!喜んでもらえるものでなければいけない! ユーザーは「デジタル当たり前」「わざわざ広告に教えてもらわなくたって知っている」「関係ない情報はスルー」というスタンスで広告に接触していることを忘れないようにしないと。
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多くの人が、もう欲しいものはたいてい持っている。 あるいは持っていなくてもWebを通じて情報は知っている。 自分も周りの人間も、今やTVよりもWebに接する時間の方が長い。 そうした状況で効く広告というのは何か。 筆者は「ミクシィ年賀状」や「UNIQLOCK」などに代表される、...
多くの人が、もう欲しいものはたいてい持っている。 あるいは持っていなくてもWebを通じて情報は知っている。 自分も周りの人間も、今やTVよりもWebに接する時間の方が長い。 そうした状況で効く広告というのは何か。 筆者は「ミクシィ年賀状」や「UNIQLOCK」などに代表される、 「使ってもらえる広告」に可能性を見出した。 もう「表現」の優劣で購買意欲に向かわせる事は難しく、 「サービス」こそが広告を成立させるという。 納得はできる。 が、次々に生み出されるサービスをどんどん消費していく 我々現代人の限りない欲望にも一抹の不安を覚える。 ところで、 江戸時代に、歌舞伎役者が幕間に歯磨き粉の宣伝をしている様を 描いた浮世絵が残っている。 人々が歌舞伎を観たがった時代は歌舞伎で宣伝をし、 新聞を読んだ時代は新聞で、 TVに熱中した時代はTVで宣伝をする。 そして今、Webを使いこなす時代はWebで宣伝をする。 広告はいつも「浮き世」とともにある。 という一文が印象に残る。 「センセーショナルにTVCMは終わった!これからはWebだ!」 という論調が一時多かったが、つまるところこういうことだろう。 今やTVCMも、さまざまな広告の一部でしかなく、 TVCMだけで「大衆」すべてを包括する事は難しい。 しかし、そうなるとメディアコストの問題が出てくる。 今やWeb上のバナー広告もかなりの高額になっているので TVCM もWebも屋外広告も....というわけにはいかない。 各企業が大幅に広告費を削減している現在、 おそらくメディアコストは大幅に引き下げられるはずだ。 広告代理店やメディア企業のありかたが問われてくるだろう。
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『使ってもらえる広告』 =消費者にとって利用価値のあるサービスや商品のこと。 今後の広告は「使ってもらえる」ものでなくてはならない、 というシンプルな結論が、しっくりとくる。 常に相手視点で考えることを再認識されてくれる本。 表紙が単純なのが気がかりだけれども… *** ...
『使ってもらえる広告』 =消費者にとって利用価値のあるサービスや商品のこと。 今後の広告は「使ってもらえる」ものでなくてはならない、 というシンプルな結論が、しっくりとくる。 常に相手視点で考えることを再認識されてくれる本。 表紙が単純なのが気がかりだけれども… *** 「使ってもらえる広告」とは、ようするに 人びとが商品を買ってくれやすくなるような、便利なサービスや仕組みのことだ。 それを広告会社で開発して提供するのである →自分がblogを書く時も、消費者(=見てくれる人)にとって利用価値のある(学びがある、楽しい)内容にしないといけない、ということを強く学べた。 ウェブを使っているユーザーは、 テレビを見ているユーザーよりも行動が積極的 →モバイルの状況を鑑みるに、「モバイル>ウェブ>テレビ」という順になる。 行動の積極性を基準にした場合。
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