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ローマ人の物語(36) の商品レビュー

3.8

38件のお客様レビュー

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2012/03/08

キリスト教を容認したローマ。 この事がどのようにローマ全体に影響を与えたのか?が非常に気になるところ。

Posted byブクログ

2012/02/18
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

いつの間にか読み終わていた。四頭政が崩壊し、皇帝が六人となって、最後はコンスタンティヌスが勝ち残るという過程。これまでのローマ人の物語で感じたような、わくわく感はあまり無く、淡々と進んでいった印象。恐らく著者の情熱がそこまで入ってはいないためではないか。浮き彫りの時代変遷を比較させ、四世紀のものを、稚拙であろう、と両断することにも表れている。なぜ造形の能力は退化するのか、国力の影響を受けるためであろうという指摘。 医学を担う人材というのは、時代の中である程度知的なエリートに属する集団から賄われると考える。画像診断技術の発達は、科学技術が時代が進むとともに、進歩する一方、診察技術、病歴聴取技術などよりprimitiveであり、それだけに職人的技能を求めら得る領域の退化が避けられないと考えてきた。しかし、国力の衰退に伴う人材の劣化という問題が背景にあるとしたら・・・。日本における医学自体の衰退、科学論文投稿数などの減少などに表れているとしたら・・・。 身の回りに起きていることと、終焉に向かうローマを重ね合わせることには、pesimisticな嫌いがあるが、時代を考えるヒントがこのローマ人の物語には含まれている。

Posted byブクログ

2011/12/13
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

前巻でディオクレティアヌス帝が退位。テトラルキアの存続が今回の巻の焦点であったが、歴史上の転換期でもあるキリスト教にフォーカス。それは塩野七生氏の望む所ではないだろうが、望む方向に向かわないのが歴史の常なのだから、歴史を覘くものもまたその常なる流れを体感する。キリスト教の勃興から、このコンスタンティアヌス帝にいたるまで、その伝播はEPIDEMIC、PANDEMICの様相。キリスト教の善悪ではなく、その伝播は神の見えざる手に導かれるように巨大な広がりを見せている。皮肉なことに2000年後にキリスト教はその敬虔さに内包している資本主義が萌芽したことにより、危機的状況にさらされている。ロジスティクスではなく、アルスがローマ軍の基軸であったという記述は印象深い。

Posted byブクログ

2011/12/10

ディオクレティアヌスの引退から四頭政の崩壊、そしてコンスタンティヌスの専制開始まで書かれていますが、何よりもディオクレティアヌスがこの事態を一体どういう気持ちで見ていたのかが一番気になるところです。 国のためにと心血を注いで作り上げたシステムがいとも簡単に壊され、自分が指名した後...

ディオクレティアヌスの引退から四頭政の崩壊、そしてコンスタンティヌスの専制開始まで書かれていますが、何よりもディオクレティアヌスがこの事態を一体どういう気持ちで見ていたのかが一番気になるところです。 国のためにと心血を注いで作り上げたシステムがいとも簡単に壊され、自分が指名した後継者達は権力争いに明け暮れ、妻と娘は自分が引き上げてやった皇帝達に迫害され殺されてしまう。 しかし権力を持たない自分のことなど誰も何とも思わない。何とも気の毒としか言いようのない事態です。やっぱり引退なんかしなきゃ良かったと思ったのでしょうか、それとも意外に「まあ世の中こんなもの」とでも思っていたのでしょうか。

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2011/10/11

ディオクレティアヌスの四頭政が崩壊。あれほど賢かったディオクレティアヌスさんも、権力者という人間への洞察が甘かったのかな?妻と娘が可愛そうな最後を迎え、さぞかしブルーだったことと、、、。権力には無縁に限る。

Posted byブクログ

2017/08/16

4頭政を始めたディオクレティアヌスが、ローマ皇帝として初めての 「引退」を表明し皇帝の地位から退いても体制はそのまま残った。 しかし、4人の皇帝のうち絶対権力を保持していたディオクレティア ヌスの引退は4頭政の崩壊の引き金になる。4人どころか、同時に 6人の皇帝が並立し、...

4頭政を始めたディオクレティアヌスが、ローマ皇帝として初めての 「引退」を表明し皇帝の地位から退いても体制はそのまま残った。 しかし、4人の皇帝のうち絶対権力を保持していたディオクレティア ヌスの引退は4頭政の崩壊の引き金になる。4人どころか、同時に 6人の皇帝が並立し、お約束のように権力闘争の内乱である。 最終的にコンスタンティヌス帝が権力闘争を勝ち抜き、絶対君主と して君臨する。後の「ミラノ勅令」によりキリスト教徒から「大帝」と 呼ばれることになることから分かるように、キリスト教を容認したこと からローマ帝国が長年侵攻して来た多神教を捨てるきっかけを作った 人である。 どうも読むのが辛くなってきた。ディオクレティアヌスの治世から、 ローマは既にローマでなくなり、首都さえも省みられなくなっている。 そして、敗者の神どころか、自分たちの皇帝までも死後には神格化して、 30万とも言われる神々を持った国が、不寛容な一神教の国に変わって しまうのだ。 また、法治国家だったローマ帝国は確実にその基盤が崩れて行く。 著者も書いているが、これはもう「中世」である。ただ、同じ中世でも 「まずはヴェネツィア市民、次いでキリスト教徒」のヴェネツィアのように 変われば、ローマ帝国はまだ面白かったのかも知れぬ。 そんな大帝、コンスタンティヌスであるが、彼の凱旋門が歴代皇帝の 時代の装飾を組み合わせたパッチワークなのが興味深い。この凱旋門に 関しては図版も豊富に収録されているので、装飾の技術の違いを見比べ られる。 滅びるして滅んだ帝国だが、あまりの変わりようにページをめくる手も 鈍るぜ。

Posted byブクログ

2011/05/06

11/5/6 ディオクレティアヌス帝が退いた後、6人の皇帝の中からコンスタンティヌス帝が内乱を勝ち上がり唯一の皇帝となる。313年、コンスタンティヌス帝とリキニウス帝が共同でミラノ勅令を出しキリスト教を容認する。何故コンスタンティヌス帝はミラノ勅令を出したのだろう。どんな思惑があ...

11/5/6 ディオクレティアヌス帝が退いた後、6人の皇帝の中からコンスタンティヌス帝が内乱を勝ち上がり唯一の皇帝となる。313年、コンスタンティヌス帝とリキニウス帝が共同でミラノ勅令を出しキリスト教を容認する。何故コンスタンティヌス帝はミラノ勅令を出したのだろう。どんな思惑があったのか。これによってより一層ローマがローマじゃなくなってしまったように感じる。

Posted byブクログ

2011/04/02

本巻は、ディオクレティアヌス帝が退位したあとの四頭政(テトラルキア)について書かれている。四頭政といっても、最大で6人にも達する皇帝達の権力闘争の様相を帯びている。 前巻(上巻)でディオクレティアヌス帝に対するイメージが変わったように、本巻ではコンスタンティヌス帝に対するイメージ...

本巻は、ディオクレティアヌス帝が退位したあとの四頭政(テトラルキア)について書かれている。四頭政といっても、最大で6人にも達する皇帝達の権力闘争の様相を帯びている。 前巻(上巻)でディオクレティアヌス帝に対するイメージが変わったように、本巻ではコンスタンティヌス帝に対するイメージが変わった。ミラノ勅令でキリスト教を公認したことから得られたであろう、キリスト教徒からの高い評価による歴史観を持っていたためだろうと思われる。 コンスタンティヌス帝は、戦闘をすれば、必ずしも鮮やかな、というわけではないが、勝利はおさめる。また、この時代のその他の皇帝に比べて、兵站を重視する姿勢なども見られ、機を逃さず、戦略にも長けていたのだろう。 ただ、帝国も末期であるということを知っている後世の人間からすれば、権力闘争をしている場合じゃないだろう、という気がしてしまう。もちろん、歴史の最中にあれば、自分がどの局面にあるのか、そんなことは知る由もないが。そしてそれは、現代の日本にも言えることなんだろうと思う。 コンスタンティヌス帝の政治の全容については、次巻(下巻)を読めば明らかになるだろう。 なお、本書の中で、コンスタンティヌスの凱旋門について紹介がされている。図と写真合わせて23ページ使っているのはシリーズを通してもなかなか無いように思う。この凱旋門は旅行でローマに行ったときに実際に見ているが、本書を読んでから見たかった。この凱旋門を見ただけでも、帝国の技術水準の推移がわかるのである。 最後に、60歳で引退し、その後68歳まで生きたディオクレティアヌス帝だが、帝国の推移をどの様に感じたのか、非常に興味深い。この辺りのエピソードも本巻に含まれており、ちょっと切なくなる。。

Posted byブクログ

2011/02/27

四頭政の崩壊。コンスタンティヌス帝によるミラノ勅令によるキリスト教の公認。 2011/02/27読了

Posted byブクログ

2010/12/24

ディオクレティアヌス退位から次第に崩れゆく四頭政治。そして皇帝たちの勢力争いのなかから頭角を現したのはコンスタンティヌスであった。313年のミラノ勅令でキリスト教公認したことでのちのキリスト教徒からは大帝と評される。コンスタンティヌスの凱旋門は各時代の寄せ集めながら、美しいフォル...

ディオクレティアヌス退位から次第に崩れゆく四頭政治。そして皇帝たちの勢力争いのなかから頭角を現したのはコンスタンティヌスであった。313年のミラノ勅令でキリスト教公認したことでのちのキリスト教徒からは大帝と評される。コンスタンティヌスの凱旋門は各時代の寄せ集めながら、美しいフォルムを見せるそうだ。トライアヌス時代ものものからコンスタンティヌス時代の技術力の変遷がうかがえるが、もうそこに中世が近付いていることを予感させるレリーフだそうな。

Posted byブクログ