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ローマ人の物語(36) の商品レビュー

3.8

38件のお客様レビュー

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2017/10/26

ディオクレティアヌスの死とともに四頭制は瓦解。 六皇帝が乱立するが、勝ち残ったのはコンスタンティヌス。 キリスト教が公認される。 文化的には劣化が進み、中世的色彩が強くなっていく。 本の内容も、だんだん面白味がなくなってきた。

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2017/05/20

ローマらしさとは何か。それがどうして失われたのか。グローバルになるとは、その国の本来のらしさがなくなることなのか…

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2015/05/08

紀元305年、ディオクレティアヌスが帝位から退き、新たに指名された四人の皇帝による第二次四頭政がはじまる。しかし、その後六人もの皇帝が乱立。その争いは内乱の様相を呈する。激しい政治闘争と三度の内戦ののちに勝ち残ったのは、東の正帝リキニウスと、のちに大帝と呼ばれることになる西のコン...

紀元305年、ディオクレティアヌスが帝位から退き、新たに指名された四人の皇帝による第二次四頭政がはじまる。しかし、その後六人もの皇帝が乱立。その争いは内乱の様相を呈する。激しい政治闘争と三度の内戦ののちに勝ち残ったのは、東の正帝リキニウスと、のちに大帝と呼ばれることになる西のコンスタンティヌス。二人は共同で「ミラノ勅令」を発布し、、一神教であるキリスト教を公認した。こうしてローマの良き伝統は跡形もなく崩れ去った。

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2014/08/17

 ディオクレティアヌス帝の退位後の内戦を経て,コンスタンティヌス帝がただ一人の皇帝としての地位を確立するまでの話です。この時期の話を読んでいると,カエサルなどの紀元前一世紀や紀元後一,二世紀と違って,史料が残っていないのがとても残念という気持ちになります。  結果としては,コンス...

 ディオクレティアヌス帝の退位後の内戦を経て,コンスタンティヌス帝がただ一人の皇帝としての地位を確立するまでの話です。この時期の話を読んでいると,カエサルなどの紀元前一世紀や紀元後一,二世紀と違って,史料が残っていないのがとても残念という気持ちになります。  結果としては,コンスタンティヌス帝がただ一人の勝利者となり,その後のローマを牽引していくことになるのですが,そのプロセスをより詳しく知れば,いろいろと考える材料にもなると思います。  一つ,私も実物を目にして同様の感想を抱いたことは,コンスタンティヌス帝の凱旋門の表現力が,ローマの盛期よりも中世に近くなっているということです。国の力というのは,政治面や経済面に限らず,教育面や表現面など,多方面に及ぶことの一例になっていると考えます。

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2014/04/13

四頭政(でも皇帝は6人!)が破綻し、ついにはコンスタンティヌスになるまでを描く。 311年のガリレウスによる勅令とは、「帝国の法に反しない限りにおいて」という一文のない313年のミラノ勅令による信仰の自由保障。画期的ではあるが、ローマ社会のこれまでの概念を断ち切るほどのものであ...

四頭政(でも皇帝は6人!)が破綻し、ついにはコンスタンティヌスになるまでを描く。 311年のガリレウスによる勅令とは、「帝国の法に反しない限りにおいて」という一文のない313年のミラノ勅令による信仰の自由保障。画期的ではあるが、ローマ社会のこれまでの概念を断ち切るほどのものであった。レス・プブリカ(共同体)が共同体であるために必要な輪を捨てたことになる。 にしても、寛容をもってキリスト教に臨んだローマ伝統の考え方は、ついに、一神教のキリスト教の前にひれ伏すのか。 この巻は珍しく写真図版が多い。 コンスタンティヌスの凱旋門が実はかつてのハドリアヌス帝の凱旋門にあちこち古い建築物から持ってきて飾り立て。。。見ていても技術的な劣化がよくわかる。

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2013/12/19
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※このレビューにはネタバレを含みます

ディオクレティアヌスが帝位を退いた後、あっという間にディオクレティアヌスが確信をもって実施した政策が破綻する。四頭政も崩壊。本人も、あれほど権力を集中させたのに、なんの影響力もなくなる。娘と妻も救うことができず、処刑され、エーデ海に投げ込まれる。 そして、一頭になった、コンスタンティヌス帝。 とうとう、キリスト教を公認した「ミラノ勅令」が発布される。まだ、この時は公認されただけ。でも、「ローマの宗教」という輪が外されてしまった。。。 コンスタンティヌスもなかなか実力派だと思うが、なんとなく爽快感がなくて、魅力も感じないなあ・・・まあ、塩野七生が魅力を感じることなく書いているからだろうけど。

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2013/06/23

「船頭多くして船山に登る」とはよく言ったもので、ディオクレティアヌス帝が築いた「四頭政」はあっけなくバランスを崩し、内戦を繰り返す。権力闘争は昔も今も変わらないですね。そんな中で、一神教であるキリスト教を公認する「ミラノ勅令」がリキニウスとコンスタンティヌスより発布される。ヨーロ...

「船頭多くして船山に登る」とはよく言ったもので、ディオクレティアヌス帝が築いた「四頭政」はあっけなくバランスを崩し、内戦を繰り返す。権力闘争は昔も今も変わらないですね。そんな中で、一神教であるキリスト教を公認する「ミラノ勅令」がリキニウスとコンスタンティヌスより発布される。ヨーロッパ中世へ繋がる階段へ足をかけたとも言えると同時に、宗教のウイルス性を感じる。

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2013/05/21

第二次四頭政、スタートの1年後に崩壊、皇帝は6人に。そして、ローマ人同士の戦いへ。以後の歴史が変わってしまう戦闘でありながら、戦史にとりあげられる栄誉に浴していない「ミルヴィウス橋の戦闘」。リキニウスとコンスタンティヌスが勝ち残る。ローマ人が千年以上にもわたって持ち続けてきた宗教...

第二次四頭政、スタートの1年後に崩壊、皇帝は6人に。そして、ローマ人同士の戦いへ。以後の歴史が変わってしまう戦闘でありながら、戦史にとりあげられる栄誉に浴していない「ミルヴィウス橋の戦闘」。リキニウスとコンスタンティヌスが勝ち残る。ローマ人が千年以上にもわたって持ち続けてきた宗教に対する伝統的な概念を断ち切る「ミラノ勅令」。

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2013/05/16
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ディオクレティアヌス帝が混乱を収め、軌道修正の施策を実施して突然の引退を表明。その後、四頭政が崩壊し最終的にコンスタンティヌス帝が国内をまとめていく過程の巻。蛮族や周辺国との戦争に続き、ローマ人同士が戦う内戦に突入する。 ローマ人らしさが失われつつある時代にあって、なおもローマを維持しようとする皇帝だが、その施策にもローマ人らしさがなくなっていく。 コンスタンティヌス帝の凱旋門の写真があったが、それを見て衰退の一歩にあるのが見て取れた。

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2013/03/27
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

コンスタンティヌスの権力掌握までの過程を書いている。コンスタンティヌスはセルビア・モンテネグロ出身で百人隊長と居酒屋の娘(ヘレナ)の間の子である。東西正帝引退後、西方正帝コンスタンティウス(コンスタンティヌスの父)・副帝セヴェルス、東方正帝ガレリウス、副帝マクシミヌス・ダイアがたつ。ほどなくコンスタンティウスが病死する。父は正帝となったことでヘレナを離縁、コンスタンティヌスは18歳から30歳まではディオクレティアヌスのもとで軍務を経験した。父の死の前年に父の元にはせ参じ、将兵を掌握していたこともあって、空位となった正帝に推されるが、引退していた前皇帝らの会議で副帝に格下げされる。しかし、前皇帝マクシミアヌスの息子が父と組んでローマを掌握、このため、セヴェルスが討伐に向かうが敗れた。空位にはセヴェルスの雪辱戦を行ったガレリウスの友リキニウスが立つ。リキニウスはコンスタンティヌスと共闘する。西方に来ていた前皇帝マクシミアヌスは蛮族撃退の軍団が出払ったすきに決起したが、コンスタンティヌスがいち早く引き返し、マクシミアヌスを自死に追い込む。つづいて、息子マクセンティウスを「ミルヴィウス橋の戦闘」で破り、西方を統一した。リキニウスに異母妹を嫁がせると、東方副帝マクシムス・ダイアがリキニウスの管轄区に侵入、リキニウスはこれを撃退、抹殺に成功した。これで「二頭制」にもどり、313年コンスタンティヌス・リキニウスの連名で「ミラノ勅令」を発し、信教の自由とキリスト教の公認を行った。その後、不祥事を起こした親族の引き渡しをリキニウスが拒んだため戦闘になり、マケドニア付近で両雄の戦闘となったが、コンスタンティヌスが勝利、東方へ封じこめることに成功、その後7年ほどゴート族との戦闘に追われるが、満を持してリキニウスとビザンチウムで戦闘し、これを撃破、助命のかわりに引退させるが、ゴート族と陰謀を図ったとして抹殺した。

Posted byブクログ