無銭優雅 の商品レビュー
「恋愛小説」を見直した。 帯に「何万部突破!」とか「泣ける!」といった常套句が踊る、感動の押売りみたいな小説には興ざめしてしまう。 そういう類の小説は苦手だ。 それを読んで喜んでいる人も。 「だって、感動的な恋愛小説って、だいたいどっちか死ぬだろ?」 とは主人公の恋人「栄」...
「恋愛小説」を見直した。 帯に「何万部突破!」とか「泣ける!」といった常套句が踊る、感動の押売りみたいな小説には興ざめしてしまう。 そういう類の小説は苦手だ。 それを読んで喜んでいる人も。 「だって、感動的な恋愛小説って、だいたいどっちか死ぬだろ?」 とは主人公の恋人「栄」の言葉。 でもこれは私が今挙げたような感動の押売り小説を揶揄しているのではない、伝統的な恋愛小説に対する敬意を払っての台詞なのだ。 さすが、予備校講師。 物語の合間には古今東西の様々な(恋愛)小説の引用が挟まれている。 (その存在さえ知らかった小説が大半で、自分の読書量の半端さを改めて実感した次第ですが…。) 死の気配にいろどられた小説たち。 作者の「恋愛」や「恋愛小説」に対する敬意が静かに伝わってきて心地よい。 ああ、これが、ほんとの「恋愛小説」なんだな。 と、「恋愛小説」を見直した訳です。
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無銭優雅。タイトルが気に入って読みました。 大人の恋愛。軽そうで奥が深いなー。 驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。 祇園精舎に絡ませ春から夏、秋、二人の世界に笑ってしまった。 ラビット病の大人版ぽいところが面白い。 1番気に入っているのは、61ページ 川のほとりを散歩...
無銭優雅。タイトルが気に入って読みました。 大人の恋愛。軽そうで奥が深いなー。 驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。 祇園精舎に絡ませ春から夏、秋、二人の世界に笑ってしまった。 ラビット病の大人版ぽいところが面白い。 1番気に入っているのは、61ページ 川のほとりを散歩した。から62ページまでの二人だけの世界に憧れさえ感じます。この場面は、付箋紙貼って何回か読み直してます。 いくつになっても恋愛できるっていいな。と思う。 男と女しかいないんだから…。
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40代になったら衣久子の言うオトコイができるようになるんだと思ってた。 相手に振り回されたりしないで、余裕の笑みをかましてるんだろうって。 時間はもうちょっとあるけど、多分無理だな~。 でも慈雨と栄みたいにバカなことばっかり言って毎日過ごしていけるならそれもいいかな。 40にも...
40代になったら衣久子の言うオトコイができるようになるんだと思ってた。 相手に振り回されたりしないで、余裕の笑みをかましてるんだろうって。 時間はもうちょっとあるけど、多分無理だな~。 でも慈雨と栄みたいにバカなことばっかり言って毎日過ごしていけるならそれもいいかな。 40にもなれば身近な人の死を経験してるだろうし、自分の最期もそろそろ意識するようになるんだろうけど、その重さを外には見せずに生きていけるなら、それもいいかもしれない。
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それほど恋愛小説には興味がないけれど、山田詠美さんの本ということで。中年男女のふんわりとした恋を描くストーリーに、冒頭はのめり入り込めないでいたけれど、途中からその紡がれる言葉の美しさにのめり込む。軽いけど詩的な文体。再読するかも。
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ひさしぶりに山田詠美の本を読んだ。 彼女の本の中でも、わりとちゃんと文学っぽくて割とあっさりめ??? な感じ。 なぜか最近読む女性作家の作品はどれも自分の年に近い年齢の人の本が多い。いつの間にか自分の人生と照らし合わせて考えたりしてるのかも。 友だちと花屋をやりながらいい...
ひさしぶりに山田詠美の本を読んだ。 彼女の本の中でも、わりとちゃんと文学っぽくて割とあっさりめ??? な感じ。 なぜか最近読む女性作家の作品はどれも自分の年に近い年齢の人の本が多い。いつの間にか自分の人生と照らし合わせて考えたりしてるのかも。 友だちと花屋をやりながらいい年して実家暮らしでのほほんとしている女と、電車に乗れず住んでいるところからチャリで行けるところまでしか移動できない、大学の講師の男、幼さを捨てきれない2人の恋の話。 人間は、家族を持ってやっと大人になれる。だから、どんな年になっても未婚だと、子どもが抜け切れなくなる。 人間は何かの役を演じているいうちにそういう性格になるもので、誰かのお母さんというだけで、世間からしっかりとした人に見られようとする役、子どもに悪いところを見せてはダメな役、子育てのために規則正しく生活する役、をやらなければならない。 無理やりにでもそれをやって長く続けていくうちに、それがそのときの自分の本質になって、社会的にきちんとした人になる。 世間でいう大人になる。 あ、本筋からずれちゃった。 結構な年のカップルが、まるで学生みたいな付き合い方をするこの2人に、若き日のKと私の関係性を見たような気がする。そして、この本から自分の恋愛観みたいなのにちょっと気づけた。 「すっげえ、慈雨ちゃん、てんさーい、などと喜ぶ。、そして、私は図に乗る。そうさせてくれる彼に感謝する。だから、私も彼を図に乗らせてやることに余念がない。この楽しみ、二人だけのもの。周囲なんて見えない。社会性の欠片もなし。私たちは、傲慢な日陰者である。」 このあたりなど、まさに私とKだ。そして、私は、自分を図に乗らせてくれる人じゃないとダメなんだってことに気づいた。 あとこれ。 「私が寂しいと本当に感じるのは、にこやかに、通じない言葉で人と関わり合うことだ。最大公約数みたいな語彙で、周囲と意思の疎通を図らなくてはいけない場面に遭遇すると、そこはかとなく惨めな気持ちになってしまうのだ。」 あーーーこれなんてほんとよくわかる。 最大公約数みたいな語彙 これで話さなければならないのって超疲れる。 なんかこの2つの文章が拾えただけでもいい本でした。
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大人の恋愛小説。 何が大人か、と言うと主人公の年齢が、ということではなくて、 語り手としての主人公の「軽やかさ」が大人なのである。 歳を経て、経験を重ね、己を知り、恋を知り、人生を知り得たからこその、達観したかのようなこの「軽やかさ」。 そこに、「大人の余裕」を感じるのである。 ...
大人の恋愛小説。 何が大人か、と言うと主人公の年齢が、ということではなくて、 語り手としての主人公の「軽やかさ」が大人なのである。 歳を経て、経験を重ね、己を知り、恋を知り、人生を知り得たからこその、達観したかのようなこの「軽やかさ」。 そこに、「大人の余裕」を感じるのである。 「だって、感動的な恋愛小説って、大体どっちか死ぬだろ?」 「感動的な恋愛小説って、たとえば、この間、映画になったみたいなの?」 凡百の恋愛小説へのアンチテーゼみたいなこの台詞こそが、この小説の行先を暗示して、その方向へと読者を力強く牽引していることは言うまでもない。 けれどその途中に差し挟まれる幾つもの引用句が、軽やかなリズムをあえて乱して読む手を止まらせる。しかもその引用句は、次第に「死」の雰囲気を帯びていく。 解説によれば、それらは全て物語の陰で慈雨が読んだ恋愛小説たち(一部除く)であり、そのすべてに「死」という装置が組み込まれているのだという。 これは凡百の恋愛小説へのアンチテーゼと読むべきなのか。 それとも、全ての恋愛小説へのオマージュと読むべきなのか。 いずれにせよこの小説は、この世に幾百、幾千、幾万とある恋愛小説とはちょっと違う。 数多の小説たちとは居並ぼうともせず、それらを遥か高みから見下ろしている。 そんな小説である。
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読友のお一人の推薦本。吉祥寺、荻窪と中央線沿線を舞台に繰り広げられる、42歳の予備校講師、栄と同じく42歳のフローリストというよりは、花屋のおばさん(それはちょっと違うけれど)慈雨の恋の物語―こんな風にいうと、随分とチープな恋に見えそうだ。だけど、なかなかに軽やかで「優雅」(ただ...
読友のお一人の推薦本。吉祥寺、荻窪と中央線沿線を舞台に繰り広げられる、42歳の予備校講師、栄と同じく42歳のフローリストというよりは、花屋のおばさん(それはちょっと違うけれど)慈雨の恋の物語―こんな風にいうと、随分とチープな恋に見えそうだ。だけど、なかなかに軽やかで「優雅」(ただし中央線風優雅)な恋のお話。主人公の慈雨の行動原理はまさしく「軽み」にある。それは、「軽い」とは違って芭蕉風の「軽み」だ。『ベッドタイムアイズ』の情熱から『無銭優雅』の「軽み」へ。山田詠美の変遷を楽しもう。
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四十代の男女の恋愛。簡潔でぶつ切りのような言葉だが、最後にはそれが心地よい。女性の相手に求めることが自分と酷似していて親近感がわいた
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中年になって、「現実に噛み付かれないたたずまいを保つ」には技術はいるだろう。が、この2人のは技術なのか?素じゃないのか?年をとり損ねるにもいろいろある。この2人のは失敗例。 題名に反して無銭でもない。男は西荻に遺産の庭付き一軒家暮らし、女はパラサイトで親の退職金で店の開業資金を調...
中年になって、「現実に噛み付かれないたたずまいを保つ」には技術はいるだろう。が、この2人のは技術なのか?素じゃないのか?年をとり損ねるにもいろいろある。この2人のは失敗例。 題名に反して無銭でもない。男は西荻に遺産の庭付き一軒家暮らし、女はパラサイトで親の退職金で店の開業資金を調達。アラフォーが大人だとは思わないが、この2人はヒドイ。特に男の方が。まず、しゃべり方が気持ち悪い。世捨て人的な予備校の国語教師って設定はよいのだが、それにしちゃあ会話に教養を感じない。で、幼少時に娘を事故死させてしまい、現在バツイチで大学生の子供が居るという人物の深みを全く感じない。何かしらの影みたいなものがあってしかるべきだろう。まるで中学生で、道化を演じるというより道化そのもの。子の死や妻に男が出来て離婚等々で人間が壊れたと考えるしかない。女の方はこういう人間はいない事もないような気もするが、いい年してこんな男に惹かれるのもどうかしてる。それまでの男がよっぽど酷かったんだろうが。 当時流行った、若者の片方が死ぬ系の恋愛物語へのアンチテーゼとして書いたようだが、それが大人になれないバカ中年のイチャイチャ話じゃどうしようもない。
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通勤中の電車の中で読了。 所謂世間で言う「恋愛小説」とは似て非なるものがあって興味深かったこの書ではあるが、心に残った部分は少なかった。 ということで、ここであまり引用しておきたい箇所も無い。 恐らく自身の恋愛経験が乏しいことが主な原因であると思うので、 もう少し歳を重ねて再度...
通勤中の電車の中で読了。 所謂世間で言う「恋愛小説」とは似て非なるものがあって興味深かったこの書ではあるが、心に残った部分は少なかった。 ということで、ここであまり引用しておきたい箇所も無い。 恐らく自身の恋愛経験が乏しいことが主な原因であると思うので、 もう少し歳を重ねて再度読んで見ると今とは異なる感動があるかもしれない。 そう願うと言ったほうが正しいか。
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