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故郷/阿Q正伝 の商品レビュー

3.6

43件のお客様レビュー

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2012/01/01

内田百閒の随筆のような印象を受けた どうしようもない人、出来事を淡々と描写していく。いつでも、どこでも、こんな人達はいるんだろうなーって思わされる 日本の事も書かれていて、微妙な距離感を感じた 魯迅は人中心で描くが、内田百閒は人も出来事も描く

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2011/11/22

なんか国語の教科書を読んでいるような気分だった。 その当時の中国の背景が分かればもっと理解が深まったのかも。

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2011/11/13
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

魯迅がここまで面白いとは! でもあとがき曰く、翻訳者の友人の高校教師は「この訳だったら教科書には載らない」と言ったとあったので、この面白さは新訳のおかげかもしれない。 阿Q正伝が短編だったことも知らなかった。 読まずに人生を損していた!

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2011/10/24

阿Q正伝と狂人日記のみ読了。 阿Qは本当にどうしようもない奴。当時の中国の実態を知ることができた。 魯迅は阿Qに中国を映し出したとされている。阿Qはからかわれてもまったくやり返すこともなく、「結局俺は息子に殴られたようなもの、今の世の中、間違っとるよ……」と自分で満足してしま...

阿Q正伝と狂人日記のみ読了。 阿Qは本当にどうしようもない奴。当時の中国の実態を知ることができた。 魯迅は阿Qに中国を映し出したとされている。阿Qはからかわれてもまったくやり返すこともなく、「結局俺は息子に殴られたようなもの、今の世の中、間違っとるよ……」と自分で満足してしまう。阿Qは言動が自己中心的で他人を思いやる心が欠けている。周りの空気に影響されやすいが空気は読めない。革命党に入ろうとするが何も考えていない。素直すぎて簡単にだまされてしまう。相手の考えていることなどお構いなしで自分のことしか考えず行動する。 阿Q正伝は、列強諸国にほしいままにされているにも関わらず、個々の利権にこだわるあまり、改革が意味のないものになっている中国を批判したものであることがよくわかった。現代の日本政府の体質と阿Qの共通点も見つけることができた。阿Q正伝に漂うどこか物寂しい雰囲気は、震災から復興に向かっている日本での政府や東電の腐敗を嘆く民衆の寂しさに通ずるところがある。阿Qを反面教師にして日本を見つめなおすためにも、今、阿Q正伝を学ぶ意義は十分にあるだろう。

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2011/05/29

孔乙己や阿Q、そういった人物は真剣に世界との関わっているけれども、その関わり方がズレている。そのズレが産み出す悲喜劇。 孔乙己や阿Qは、決してそのズレに気付こうとしない。この「ズレに気付かない」ことが恐ろしい。

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2011/05/18

表題作、『故郷』について。 疲弊する中国の田舎と変わり果ててしまった自分にとっての英雄が、魯迅自身の体験として語られている。 時が経つと、自分自身に様々なものが付け加わる。望もうと望むまいと。それは社会的地位だったり、名声だったりする。一見するとそれらは素晴らしいものであるが...

表題作、『故郷』について。 疲弊する中国の田舎と変わり果ててしまった自分にとっての英雄が、魯迅自身の体験として語られている。 時が経つと、自分自身に様々なものが付け加わる。望もうと望むまいと。それは社会的地位だったり、名声だったりする。一見するとそれらは素晴らしいものであるが、逆にそのようなののせいで、幼少時代に分け隔てなく接することのできた親友と疎遠になってしまうことがあるのかも知れない。大学生の自分にとっては、そういう経験をするにはまだ早いのだろうが。 魯迅の幼少時代の親友、潤土は魯迅にとって憧れの人間であった。インドア派な魯迅とは対照的に、潤土は外で遊ぶことを好んでいたため、魯迅は潤土から自然界にまつわる様々なことを教えてもらった。両親の地位こそ違えど、潤土は魯迅にとって、自分が知らない知識を授けてくれる、英雄のような存在であった。 しかし大人になり、魯迅は都会へと出ることになる。魯迅は都会で文人として、また思想家として名を成す。一方、潤土は田舎にとどまり、つつましい暮らしを続ける。 長い年月が過ぎた後、魯迅は帰郷する。そこで再開した潤土に、かつての輝きはなかった。疲弊しきった地方で暮らす潤土はみすぼらしく、卑屈であった。魯迅に対する話し方も、まるで主人に対するそれであり、よそよそしさが感じられる。 ここで魯迅は、二人の間に決定的な溝ができてしまったことを感じる。それは意図したことではないし、誰が悪いというわけでもない。身分の違いと住んでいる場所の違いから来る、不可抗力ではあるが悲しい溝である。 結局、魯迅は潤土にいくばくかの家財道具を分け与えた後、故郷を去る。そこに至って魯迅は、自分が実は潤土を軽蔑していのではないかと考え、自己嫌悪に陥る。 魯迅の深い悲しみの念が、抑えた文章から伝わってくる。自分がどんなに相手を親友だと思っていても、そのままの関係を続けることは、立場が、身分が、時の経過が、それを許さない。それは仕方のないことなのだろう。どんな形であれ、現代の我々にとってもきっと訪れることだ。 今のうちに読んでおいて欲しい。まだ遠くても、「そういう」時が来たときのために、「そういう」悲しみを知っておくことは必要だと思う。

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2020/07/15

「革命もいいな」と阿Qは考えた。「このこん畜生どもの命を革めてやるんだ、この憎たらしい、嫌な奴らの命をな!・・俺だって、革命党に降参しようじゃないか」(p.122) またもや柵の中に入ったとき、彼は深刻に悩みはしなかった。人はこの世に生まれたからには、もとより柵の出入りをさせら...

「革命もいいな」と阿Qは考えた。「このこん畜生どもの命を革めてやるんだ、この憎たらしい、嫌な奴らの命をな!・・俺だって、革命党に降参しようじゃないか」(p.122) またもや柵の中に入ったとき、彼は深刻に悩みはしなかった。人はこの世に生まれたからには、もとより柵の出入りをさせられることもあるだろう。紙に丸を書かされることもあるだろう、と彼は考えたが、丸がまん丸に描けなかったことだけは、彼の「生前の品行」における汚点である。だがまもなくこう思えば釈然とした−−孫息子ならまん丸の丸を描けるようになってるさ。こうして彼は眠りについた。(p.143)

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2010/08/25

敬遠して、読まないでいたのがもったいなかったと思う。 「阿Q正伝」にしろ、「故郷」にしろ、やはり文学史に刻まれるほどの名作であるのがわかる。訳者はなるべく、直訳に近い形で訳したそうだが、決して読みづらくはない。個人的には「あひるの喜劇」が微笑ましく、好感が持てた。 20世紀前半の...

敬遠して、読まないでいたのがもったいなかったと思う。 「阿Q正伝」にしろ、「故郷」にしろ、やはり文学史に刻まれるほどの名作であるのがわかる。訳者はなるべく、直訳に近い形で訳したそうだが、決して読みづらくはない。個人的には「あひるの喜劇」が微笑ましく、好感が持てた。 20世紀前半の中国にいた、名も無き人々の心情や鬱屈がリアルに伝わってくる。表舞台で華々しく活躍する英雄からはほど遠い、市井の人々の無力感やりきれなさに共感が持てるのは、21世紀の日本にいる自分も、それらの人々と同じだからかもしれない。

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2010/08/17

あまりに竹内好訳に慣れ過ぎていたので、特に「故郷」などは訳に多少違和感もありましたが、巻末の「訳者あとがき」を読んで納得。 随筆集「朝花夕拾」が秀逸でした。

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2010/06/29

読んだよ、読んだよ、読んだよ。だけれども今の僕に魯迅のよさを知ることができなかった。太宰治や芥川龍之介とのゆかりもあるし、中国の歴史を勉強しつつ、またの機会に読んでみよう。

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