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嵐が丘(訳:阿部知二)(下) の商品レビュー

4.1

53件のお客様レビュー

  1. 5つ

    19

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  3. 3つ

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2023/09/22

めちゃくちゃ濃い。 無駄な一節はひとつもない。 いっきに読めてしまう傑作。 エミリーブロンテ、夭折しなければ他にどんな傑作が書けたのだろう。

Posted byブクログ

2023/02/11

これから私は、草にそよ吹くかすかな風に耳をすます時を思うだろう、静かな大地に休む者達よ安らかであれ…と

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2021/05/31

復讐が遂げられたかに思えたところから、一転、幸福の歯車が回り始める。 キャサリン2世がアーンショーを肯定するところが肝か。それも文字の学習で肯定する。 教育によって格付けされた社会が、教育によって相手を認めるようになる。一方は背伸びし、一方は膝を曲げる。 出自も分からないヒース...

復讐が遂げられたかに思えたところから、一転、幸福の歯車が回り始める。 キャサリン2世がアーンショーを肯定するところが肝か。それも文字の学習で肯定する。 教育によって格付けされた社会が、教育によって相手を認めるようになる。一方は背伸びし、一方は膝を曲げる。 出自も分からないヒースクリフを認めてくれたのは、始めは旦那様。次にキャサリン1世。そのキャサリンを育んだのは、旦那様とヒンドリー。切れ目のない肯定の輪がある。そこに借家人と召使いも組み込まれている。 生きている間だけではなく、死んでからともに埋葬されるというのは一種の天国だ。それもキャサリンと最終的に結ばれてしまった、その夫を排除することなく。 これは社会のあり方だ。

Posted byブクログ

2018/02/11

ヒースクリフの最期は全く想像していなかった 負の感情だけでここまで面白くなる小説は稀有 バッドエンドかと言われると全然そんなことはないから後味も良い 何もかも面白かった

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2016/12/07
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

この小説の素晴らしいところをわたしなりに3つあげてみよう。 ひとつ、設定が優れてよい。物語の舞台となるのは、ヒースクリフ咲く丘の一件の屋敷。その丘は遮るものがなにもないために、一年中強い強い風が吹く。ゆえに「嵐が丘」とあだ名される。荒涼とした大地と空。それでも秩序よく暮らす領主一族のもとに、ある日ひとりの少年がひきとられることとなる。「ヒースクリフ」と名付けられた少年と領主の娘。彼らは強く惹かれあうが、互いを愛すれば愛するほどに憎しみが増す。憎むことでしか愛を表現できない悲しい恋は、やがてこの一族を破滅へと導く。嵐のような愛。 またひとつ、作者の語り手の人選がよい。この物語をわたしたちにきかせてくれるのは、もちろん複数人いるわけだが、おもにこの屋敷に使えるばあやが語る。このばあやがなんともよい仕事をしている。ばあやは、基本的に冷静につとめて客観的に事態のいきさつを話すが、ときどきばあやの主観がポロリと漏れることがある。「おいおいばあや、心の中とはいえそんなこといってよいのかい」とツッコミたくなったり、彼女が一枚噛むことによって物語がより重層的になる。筋を追うだけの生真面目な作業を読者にさせないのである。 くわえて、たとえばばあやでなくて、ヒースクリフなり屋敷の娘キャサリンなり、どちらかの視点、あるいはどちらもの視点でこの物語を紡いだ場合、今日までも版を重ねるほどのスーパーベストセラーにはならなかったのではないかとわたしは考える。というのも、ばあやが語るのは、この史的稀にみる不器用なふたりの愛憎劇だけでなく、その背景となる嵐が丘全体の物語であり、近しい第三者が証言するからこその(作品上の)リアリティーが物語を壮大にさせる。もし主人公たちの視点で書かれていたならば、おそらくはこうはならず、恋愛に関することを超えたメッセージを発することはできなかったのではなかろうか。 さいごにひとつ、物語の構成が妙である。長編小説は、長いがゆえに中だるみが生じたり(正直こんなに紙を使う必要があるのかと疑問が湧く作品も多数)、おわりに向かって作者都合になったり、そもそもはじまりがどんなものだったのか忘れてしまうぐらい読者を疲弊させる場合がある。わたし個人は、正直なところ長編小説は苦手であり、上下巻などあるものは相当におもしろくないかぎり読みきれる自信がないくらいだ。『嵐が丘』の場合、先に述べた懸念は不要である。はじまりはたしかに謎が多過ぎて、読み進めようかいったん積読にまわそうか迷った。しかし、はじまりが霧に満ちているからこそ先に進みたくなる。おわりを読まずにはいられない。『嵐が丘』は、他の優れた作品と同じように、物語が循環する。はじまりからおわりまでの直線ではなく、はじまりがおわりであり、おわりがはじまりなのである。興醒めな作品の場合、起点から広がる小宇宙がおわりにむかってしぼんでしまう。おわらせようとする作者の意識が邪魔だてをするのである。しかし、『嵐が丘』は違う。小宇宙はしぼまず、着地点に到達したつぎの瞬間に言葉のひとつひとつがつながりひとつの有機体をつくる。そして起点にもどるのである。はじまりの時点でおわりを書いている。作者の手から離れて、ヒースクリフとキャサリンが駆けた風荒ぶ丘は、読者の頭のなかにたしかな重みをもってあらわれるのである。 以上がわたしの考える『嵐が丘』の素晴らしいところである。あとにもさきにも、これほど先を急いで読んだ小説はない。古典ではなく、わたしには生きた物語である。

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2016/09/28

陰気くさいメロドラマとしか言いようがない。 訳者にこだわったので、読みやすかったのが幸い。名作だとは思う。

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2016/04/29

第2部は、第1部にも増して、登場人物らの強烈な言動で読者を戦慄させながらも、悲劇的結末と未来への希望を残す終盤へ、物語は無窮動的に進んでいきます。まさに名作。

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2016/01/10

流石に最後の、ヒースクリフがなにものかにとりつかれたような死を遂げるシーンは圧巻。彼の一生は本当に孤独だったんだろうなぁ、と今回、しみじみ彼に同情しました。 他者から傷つけられた痛みや、キャサリンとの失恋を、外で別の方法で癒やすことができていたら、彼の人生も変わっていたんだろう...

流石に最後の、ヒースクリフがなにものかにとりつかれたような死を遂げるシーンは圧巻。彼の一生は本当に孤独だったんだろうなぁ、と今回、しみじみ彼に同情しました。 他者から傷つけられた痛みや、キャサリンとの失恋を、外で別の方法で癒やすことができていたら、彼の人生も変わっていたんだろうなぁ、と思います。 でも、それだけキャサリンの存在が彼にとっては大きかったんだろうな。 決して幸せではないけど、不幸せでもない死に方だったのでは。 読んでいて切なくなりました。

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2016/01/03

『嵐が丘』で年末年始を過ごした。 ああ、ヒースクリフ。悪魔的と形容された文章をみかけたけれど、わたしにはとっても人間的にみえた。哀れだと思う。でも、彼は幻のキャサリンと出会えて歓喜の後に最期を迎えたんだと思ったから、ちょっとは救われたのかな。とはいえ、生きているときに結ばれてほし...

『嵐が丘』で年末年始を過ごした。 ああ、ヒースクリフ。悪魔的と形容された文章をみかけたけれど、わたしにはとっても人間的にみえた。哀れだと思う。でも、彼は幻のキャサリンと出会えて歓喜の後に最期を迎えたんだと思ったから、ちょっとは救われたのかな。とはいえ、生きているときに結ばれてほしかった。お互い好き同士だったんだからさ。 リントンはどうしたらいいのってくだい腹立たしいな!まったく! あと、冒頭のロックウッドの滑稽さ。笑。

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2015/11/03

 登録からかなり時間をおいて、また上巻を読み終えてからもかなり時間が過ぎて、やっと下巻の読了となった。現代小説はプロットで読ませるが、古典の名作は人物と心理描写で読ませる。結論が先に分かろうがその味わいには一切の衰えは感じない。これが古典というものではないか、と勝手に考えている。...

 登録からかなり時間をおいて、また上巻を読み終えてからもかなり時間が過ぎて、やっと下巻の読了となった。現代小説はプロットで読ませるが、古典の名作は人物と心理描写で読ませる。結論が先に分かろうがその味わいには一切の衰えは感じない。これが古典というものではないか、と勝手に考えている。読み終わらなくても十分に考えさせる。私は読みながらふと立ち止まり、ぱたんと本を閉じ、考えることが多い。そしてそのままもう一度本を開かなくなってしまうことも少なくない。その一冊、ということ笑  復讐と文学ということを少し考えていた。作中のヒースクリフはまさに復讐の人生であったが、眉をしかめるような復讐劇の方が芸術に向いている。芸術とは人間に対する芸術であるので、それが人間らしさということになるのだろうか。理想がどうであるか、ということはおいておいても、結局私たちの心にはそれが正直ということになるのだろう。 15.11.1  

Posted byブクログ