街場の教育論 の商品レビュー
多角的に見る内田さんの視点。最低限あらゆることは多角的に見られないと、根本的なお話にならないと思う。
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この本を読んで最初に思ったのは、今年大学に入った長男が、どのように「学び」と向き合うのか(あるいは向き合わないのか)、ひとつ興味深く見守っていこうということだった。 こないだ内緒でカバンの中を見てみたら、簿記やら心理学の教科書があった。いずれも私は体系的に学んだことがないから、こ...
この本を読んで最初に思ったのは、今年大学に入った長男が、どのように「学び」と向き合うのか(あるいは向き合わないのか)、ひとつ興味深く見守っていこうということだった。 こないだ内緒でカバンの中を見てみたら、簿記やら心理学の教科書があった。いずれも私は体系的に学んだことがないから、これから息子と話をするのが楽しみだ。 閑話休題。 内田老師のブログは更新されるたびに読んでいるのだが、この本からも同じ思想の「底流」を感じた。 大人の言っていることが「同じことを繰りかえし何度も言っている」ようにしか聞こえなくなったら、「成熟」したということなので、つまり「ウチダ思想」(っていうかウチダ流思考回路)に関しては、私も「成熟」の域に達してきたのかも。 この本のテーマである教育問題に関して、内田老師は「評論家の言うような簡単な解決策などない」という。 だが私は文科省(の初等中等教育局)をなくするのがまずは早道だと信じている。明日そうなっても学校現場はたぶんまったく影響を受けない。 県や市の教育委員会レベルが一時的に混乱するだろうが、そこから立ち直る(権限移譲)段階でいろんなことが整理されるのではないかと思う。 それからとても面白かったのが、受験対策と同じ考え方でで就職活動をして結局失敗してしまう学生達のことが書いてある箇所だ。企業の採用担当者が「採用すべき人は会って5秒でわかる」という、その秘密も解き明かされている。就職活動に行き詰まっている人は必読では。
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久ぶりに内田先生の待場シリーズを読みました。 やっぱり内田先生の講義からできている本は 読んでいて楽しい。教師だけではなく会社における 人とのコミュニケーションやマネージメントに 非常にためになる内容だったと思います。 いつも思うのですが、この人の流れるような ちょっと音楽のよう...
久ぶりに内田先生の待場シリーズを読みました。 やっぱり内田先生の講義からできている本は 読んでいて楽しい。教師だけではなく会社における 人とのコミュニケーションやマネージメントに 非常にためになる内容だったと思います。 いつも思うのですが、この人の流れるような ちょっと音楽のような文体は、なんでこんな文書が 書けるのかいつも感動します。特にこの待場シリーズでは。。
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・教育の根本的改革は不可能である・・・現場を否定し、すべてストップし、新しいことをやることはできない。故障している車を運転したまま修理することと同じ。 ・教育はビジネスではない。・・・これも正論。 ・競争を強化しても学力は上がらない。 ・現場のキャリア教育に危機感。大学は就職予備...
・教育の根本的改革は不可能である・・・現場を否定し、すべてストップし、新しいことをやることはできない。故障している車を運転したまま修理することと同じ。 ・教育はビジネスではない。・・・これも正論。 ・競争を強化しても学力は上がらない。 ・現場のキャリア教育に危機感。大学は就職予備校ではない。・・・正論だが、やはり理想論か。 全体に「内田さんが考えている教育論」であり、一般論ではないと思ったほうがいい。
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教育が子どもを守る為にできた歴史的経緯に敬意を表する。先人の功績を伝えることをもしできるなら、畏れ多く思うけど、自分の務めと・・ ミシマ社もなんだか忘れがたい・・ありがとう
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著者の意見には賛同できない。 「教育はビジネスと違って、簡単に改革できるものではないから、現状維持を基本に現場に任せて少しずつ変えていくしかない。」といっているが、教育界(先生方を含め)は、本当に我が国の教育を良くしようと努力しているように見えない。わたしには、ビジネス界の方が...
著者の意見には賛同できない。 「教育はビジネスと違って、簡単に改革できるものではないから、現状維持を基本に現場に任せて少しずつ変えていくしかない。」といっているが、教育界(先生方を含め)は、本当に我が国の教育を良くしようと努力しているように見えない。わたしには、ビジネス界の方が、ずっと厳しく血の滲むような努力をしていると思うけど。教育は、改革が難しいのではなくて、教員方が現状にしがみついて改革をしたくないだけではないのか。教育界も既得権益を守る官僚と同じに映る。先生方を勇気づけたいと言ってるけど、結局は「慰め合い」になるだけで、教育界に進歩は望めないと思う。いくら先生方が一生懸命やっていると言ったって、教育界自体の方向性が誤っていれば、結局はGMと同じで、倒産させるしかなくなるというのが自然な考えではないか。改革が難しいのは何処だって同じ。教育界だけが特別じゃないんだ。甘えは許されないと思う。
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面白い。 流れるように頭に入ってきて、ストンとおちる。見事に。 特に、この本は大学院での講義録を編集したものだから話し言葉そのままで、流れにまったくよどみがない。 本当にクセになる、内田さんの本は。 第 1講 教育論の落とし穴 第 2講 教育はビジネスではない ...
面白い。 流れるように頭に入ってきて、ストンとおちる。見事に。 特に、この本は大学院での講義録を編集したものだから話し言葉そのままで、流れにまったくよどみがない。 本当にクセになる、内田さんの本は。 第 1講 教育論の落とし穴 第 2講 教育はビジネスではない 第 3講 キャンパスとメンター 第 4講 「学位工場」とアクレディテーション 第 5講 コミュニケーションの教育 第 6講 葛藤させる人 第 7講 踊れ、踊り続けよ 第 8講 「いじめ」の構造 第 9講 反キャリア教育論 第10講 国語教育はどうあるべきか 第11講 宗教教育は可能か 「義務教育とは、子どもは学校に通う義務がある、ということではない。義務があるのは親。」というのは、試合前の計量。 「教養教育とは、コミュニケーションの訓練。専門教育とは、内輪のパーティ。」「使える専門家というのは、自分は何ができないのかをきちんと理解している人。」あたりのジャブをくらい、「教師は言うことなすことが首尾一貫していてはいけない。」は右ストレート! ふらふらになったところで「学びの扉を開く合言葉は『先生、教えてください。』」で最初のダウン。「もっとやりがいのある仕事を、と言って退職する若者が求めるのはモジュール化された仕事。非正規雇用とは、まさにモジュール化された仕事。」で二度目のダウン。 そして、三度目、TKOとなったのが、第8講の以下の箇所。 子どもたちは、まず集団を形成することの楽しさを知る。 小さな子どもたちを放っておくと、いつのまにか近づいて、 同じ遊具を、相手の身体に触れて遊び始めるのがその例。 彼らはこうして集団のメカニズムを理解するようになる。 ところが、今の教育現場では、子どもたちに「集団の形成」 の術を学ぶと同時に(あるいはそれより早く)「個性の発現」 が課せられている。本来なら、集団を形成して、ひとつの 共生態を作り出すことに専念すべきときに「集団を作るな。 個別化せよ。自分の受け取るべき報酬を他人と分かち 合うな。」というルールが子どもたちに浴びせかけられて いる。 ここで、子どもたちはどうしていいか分からなくなる。 なんとこの部分、先日読んだ『「痴呆老人」は何を見ているか』のレビューで取り上げたことと限りなく近い! http://mixi.jp/view_item.pl?id=977758 子どもたちが成熟する前にダブルスタンダードを提示してしまって、子どもたちが混乱するという図式はまったく同じもの。 やっぱり大人がしっかりしないとダメなんだ、という認識を改めて持って、マットにはいつくばった。
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教育学を、ちょっと変わった視点から語る良書。 理系の人間にはない語り口でとっても魅かれるし、頭の中の知識の見え方がぐっと変わってくる。
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内田先生本も8冊目くらいになり、だいぶ慣れてきた。教育はビジネスではない、や、国語教育での音楽との関連性からの論考は特に面白かった。再読してじっくりと考えたくなるような本であり、読んでよかった。
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・教育は惰性の強い制度である:差し出したものとは別のたちのものが、別の時間に、別のところで戻ってくるシステム ・学びは商品購入ではない ・使える専門家とは、自分が何ができないのかを理解、説明できる人。そのためには、自分ができない仕事を学ぶ必要がある。 ・子どもの成熟は、葛藤を経由...
・教育は惰性の強い制度である:差し出したものとは別のたちのものが、別の時間に、別のところで戻ってくるシステム ・学びは商品購入ではない ・使える専門家とは、自分が何ができないのかを理解、説明できる人。そのためには、自分ができない仕事を学ぶ必要がある。 ・子どもの成熟は、葛藤を経由して生まれる。葛藤とは、大人たちの言うことが首尾一貫していないことを経験して、しかし実はそれが同一であることが検出できるレベルを探りあてることである。 2月4日 町並みまちづくり物語 まちづくりには、住民・行政の両輪が必要。
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