ニッポンには対話がない の商品レビュー
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主題: ・異なる価値観・文化を持つ人々が共生する社会においては、自分と他者との間にある違いを前提として、互いの考え・価値観を擦り合わせていく「対話」の発想と技術が重要である。多文化共生が世界の潮流となる中で、現代の日本には対話能力が不足している(から、身につける必要がある)。 メモ: ・多文化共生社会への移行は、どの社会でも初めに必ず困難に直面する ・最初の困難を克服できる力(対話能力)を育むことが世界の教育の趨勢となっている ・真に個性的なものは、究極的には他人には理解不可能である。普段我々が個性的だと認識している個性は、実は一般性や共通性の上に成り立っている。社会的個性。 ・個性が社会に認められるためには、一般性や共通性を意識して表現する必要がある。型の重要性。 問い: ・多文化共生社会を築く意味、価値、利点とは? (漠然と良いものと思っているけど、厳密に突き詰めて考える必要がある)
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日本の教育は全くここで危惧されている通りになってきてしまっている。民主主義的な教育には、子ども側ではなく、大人の忍耐と技術が必要であるにもかかわらず、今の学校には子どもたちの試行錯誤を見取り、支援するためのゆとりがない。そのため、手っ取り早く、テストで点を取ることのできる技術を教...
日本の教育は全くここで危惧されている通りになってきてしまっている。民主主義的な教育には、子ども側ではなく、大人の忍耐と技術が必要であるにもかかわらず、今の学校には子どもたちの試行錯誤を見取り、支援するためのゆとりがない。そのため、手っ取り早く、テストで点を取ることのできる技術を教えることで精一杯である。 教育再生実行会議や文科省の示す方針は、支離滅裂である。グローバルな社会に適応し、生きていく子どもたちを育てるためには今の学習指導要領ではダメだということが本当によくわかる対談である。
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大きなショック 日本の課題=戦時体制からの脱却へ本質論で切り込む 「中央集権・画一主義・権威主義」→思考停止教育 「経済の戦時体制」が「30年に渡る平成不況」の主因 教育の最大テーマ「読解力」も「教育の権威主義」打破が本質 「教師の権威」が教育制度の欠陥 生徒不在 脱・経験...
大きなショック 日本の課題=戦時体制からの脱却へ本質論で切り込む 「中央集権・画一主義・権威主義」→思考停止教育 「経済の戦時体制」が「30年に渡る平成不況」の主因 教育の最大テーマ「読解力」も「教育の権威主義」打破が本質 「教師の権威」が教育制度の欠陥 生徒不在 脱・経験絶対主義 「考える教育」とは一律の答えが与えられないこと 多様な答えを許容する多様性が何より必要だ それが生徒の主体性・自主性を育む それ以外に一人ひとりの能力を高めていく教育は無い 生徒が主人公 日本の戦前回帰 ①鎖国体制 世界のルール変化に無関心 ②外国の柔軟さ 日本への着実な適応 平田オリザ氏の切り口は尋常ではない 「多様性」にも覚悟が必要 氏は「日本は滅びる」と腹を括っている
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準フォレスター研修中に読む。 ドイツ人フォレスターが来た際や、今回もそうだが、日本におけるいい質問は、結局、確認であり、自分の判断を担保するものであるケースが多い。 コミニュケーションの型がそのようになっているからだと思う。 コミニユテイの知的パフォーマンスを上げるためには、ど...
準フォレスター研修中に読む。 ドイツ人フォレスターが来た際や、今回もそうだが、日本におけるいい質問は、結局、確認であり、自分の判断を担保するものであるケースが多い。 コミニュケーションの型がそのようになっているからだと思う。 コミニユテイの知的パフォーマンスを上げるためには、どのようにコミニュケーションの型をデザインすればよいか、が僕の問いで仮説である。
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研究図書で昨年購入してもらっていたものを読了。 対話がなぜ必要とされるのかの本当の意味と、外国語を習う目的を知ることができた。 あと、人間の成長において、演じるということが大切だということも。
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この書と共に歩んできたといっても 過言ではないくらいとても大切な1冊。 対話(ダイアローグ)や多様な価値観 異文化におけるコミュニケーション というテーマに向き合う機会が多い方には ぜひ手元に置いておきたい1冊かと思います。 全章にわたりオススメですが、とりわけ 第三章は激しく...
この書と共に歩んできたといっても 過言ではないくらいとても大切な1冊。 対話(ダイアローグ)や多様な価値観 異文化におけるコミュニケーション というテーマに向き合う機会が多い方には ぜひ手元に置いておきたい1冊かと思います。 全章にわたりオススメですが、とりわけ 第三章は激しく共感するパート。
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演じるのだ、それが、世界。 シェイクスピアが言ったように、この世は劇場で、私たちは皆役者だ。演じるのを悪いことのように言い、「本当の自分」を探すことが至上の価値のように言われても、それはしんどすぎる。元外交官でフィンランド教材作家の北川達夫氏と、劇作家で演出家の平田オリザ氏の対...
演じるのだ、それが、世界。 シェイクスピアが言ったように、この世は劇場で、私たちは皆役者だ。演じるのを悪いことのように言い、「本当の自分」を探すことが至上の価値のように言われても、それはしんどすぎる。元外交官でフィンランド教材作家の北川達夫氏と、劇作家で演出家の平田オリザ氏の対談。刺激的な話がたくさんとあった。こういう授業を組み立てたい。共感するよりも、(だって他人の感情を自分が理解しようなんておこがましい)「もし自分だったら」と想像する、それが求められること。人は完全にわかりあえない、そこから始めて、だから、お互いの共通点を探るために対話が必要なのだ。あとは、最近ずっと気になっている、民主主義の基本、あなたの意見には賛成できないけれど、あなたがその意見を主張する権利は命をかけて守る、っていうやつ。図書館はそういう場所でありたい。
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教育の在り方についての本。心や考えは全員違うことが当たり前にも関わらず、「考え方はこうだ」という指導をする傾向にある日本の教育現場。これにより正解のない問題に取り組むのが日本人は苦手だと指摘されているところが印象に残りました。おもてなしの国、日本。相手のしぐさや会話で何を相手が求...
教育の在り方についての本。心や考えは全員違うことが当たり前にも関わらず、「考え方はこうだ」という指導をする傾向にある日本の教育現場。これにより正解のない問題に取り組むのが日本人は苦手だと指摘されているところが印象に残りました。おもてなしの国、日本。相手のしぐさや会話で何を相手が求めているのかを感じ取り、さりげなく接する。個人的なおもてなしに対するイメージですが(笑)、これはいろんな経験やコミュニケーションを通じて培われるものだと思っていたので、日本人は得意だと思っていましたが、特に若い世代は受験勉強の影響もあり、速く一つの答えを求めた者が勝つという教育を受けていて、答えがないものに取り組むことが苦手だということでした。 世の中、答えがないことの方が多いと思うのですが・・・ 本書は対話式になっていて、読みやすく、堅苦しい本でもありません。個人的には教育論に興味はないのですが、読みやすかったのでさらりと読んでしまいました(笑) ほかに、地域の関わり方が昔と違ってきているのでモンスターペアレンツが生まれているなど、人との関わり方の変化が今の社会問題につながっているなど、学校教育にとどまらない教育論が展開されています。
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北川達夫・平田オリザ『ニッポンには対話がない』三省堂、読了。本書は元外交官でフィンランド教育の紹介者・北川氏と演劇ワークショップで名高い平田氏の対談集。品格や武士道精神よりも、日本社会に必要なのは対話力。本書でふたりは「学びとコミュニケーションの再生」(副題)を縦横に論じる。 正しい意見と間違った意見を先験的に設定し正解へ誘導する日本と、考える力の習熟を目指すフィンランド。冒頭で国語の授業を対比し、リスク(対立や選択に伴う痛み)から移民社会の問題まで。教育現場のコミュニケーション概念を一新する。 「桃太郎は鬼を殺すべきだったか」。「教える立場の人間が、『教え込むことの誘惑』を抑えることができるか」等々。理由もなく人の意見を封殺する風土が根強くある日本社会と現状の不具合だらけのコミュ力を痛罵し、オプションを提案する。 平田氏あとがきが印象的。「協調性(価値観を一つにまとめる能力)がいらないとは言わないけれど、それよりも社交性(異なる価値観をそのままに、知らない人同士がうまくやっていく能力)が必要」。カントを彷彿!教育者に手にとって欲しい。
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本書は二人の著者が特定のテーマで対談したものを文字化したもの。当たりだー。 だれもが本当に考える力が必要だと思っているのだろうか。あらためて問われると迷うのではないか。自分で考えるというのは難儀であり、大きな流れに身をまかせていたほうが楽である。皆と同じように考え、皆と同じこと...
本書は二人の著者が特定のテーマで対談したものを文字化したもの。当たりだー。 だれもが本当に考える力が必要だと思っているのだろうか。あらためて問われると迷うのではないか。自分で考えるというのは難儀であり、大きな流れに身をまかせていたほうが楽である。皆と同じように考え、皆と同じことを言っていた方が世の中は渡りやすい。皆もそれを期待している。世間でよくいう「もっとよく考えろ」というのは、「自分の頭で考えろ」という場合より、むしろ「まわりの考えに合わせろ」という場合のほうが多いのではないか。 p.200 「なぜ人を殺してはいけないのか」に対して「だめなものはだめなんだ」ということに意味はないだろう。だって実際に人を殺している人がたくさんいる。普遍的な答えはなくて、共に考えていくことが必要だろうと著者はいう。大いに共感できる。けれども、目の前でいじめが起こってたら?ケンカをしていたら?それでも「ねーねー、どうしてそれっていけないのかな?」というだろうか?「だめなものはだめだ」はある程度必要な気もする。 社会変化に対応する人間を育てる教育は、従来の価値観を無批判に受け入れるのではなく、さまざまな価値観に触れながら、ひとりひとりが自ら価値判断していくような学びの場を創出するところから始まる。 p.26 問題解決型の学習は最終的にはその時点で最善のものを各人が見出して終わる。クラスでまとめる場合もあるという。ここで著者は「個人個人の内面とアウトプットが違っていてもいい(p.47)」という。そして「個人の内面のほうは、そのまま自分の中でずっと持ち続けていい(p.47)」という。これもその通りなんだけれど、それを個人がずっと磨いていくにはどうすればいいのだろうか。 印象に残ったのは次の文章たち。 ・学校というところは、意見を言うことが本質的に持っている危険性を子どもたちが経験を通して学んでいく場所です。 p.54 ・子どもたちは、発想はすばらしくても表現が未熟なことがあるので、「ああ、多分それはこういくことだよね」と話しを整理して、ほかの人にもわかりやすくしてあげたりする。それがファシリテーターの役割です。何かを教えるという役割ではない。自分の意見とか、自分の知識とか、自分の情報を生徒に伝える役割ではないんです。 p.82 ・アメリカのホテルでエレベーターに乗ったとき、無言ってことはない。(中略)じゃあアメリカ人のほうがコミュニケーションがうまい(中略)のかというとそうでもないと思うんですよね。アメリカという社会はそうせざるをえない社会だったわけでしょう。自分から相手に形やことばにして「わたしはあなたに敵意を持っていませんよ」っていうことを積極的に示さざるを得ない社会。 p.154 ・相手の見解があって自分の見解がある、それが対立する、対立するとお互いが変わってくる、まさに、その変わってくるところを楽しめるか、そこを重視できるかですよね。 p.167 (まっちー)
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