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なぜ私だけが苦しむのか の商品レビュー

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42件のお客様レビュー

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2009/10/04

現代のヨブ記−というサブタイトルがついている。 著者のH.S. クシュナーという人は、ユダヤ教のラビである。 作家や学者と言うわけではなく、この著書は奇病「早老症」を発病した息子の運命と、その父親である自身の運命とに対峙し、神との関係性を問い直すに至った変遷を綴ったものである。...

現代のヨブ記−というサブタイトルがついている。 著者のH.S. クシュナーという人は、ユダヤ教のラビである。 作家や学者と言うわけではなく、この著書は奇病「早老症」を発病した息子の運命と、その父親である自身の運命とに対峙し、神との関係性を問い直すに至った変遷を綴ったものである。 読んだのは岩波文庫版であるが、少々くどい。 たった二百数十ページであるけれど、もっと簡潔に書けるのではないか・・・そう思ってしまった。 だが、それは内容がツマラナイというのではない。 彼は彼なりに、自身に起こったことと、そのことによって揺れ動かざるを得なかった心情の全てを正直に余すところ無く、語り尽くしている。 彼の痛みと疑問は、「なぜ、よりによって私にこの苦難がもたらされたのか?」というものだけれど、逡巡の後、彼、クシュナーは、ユダヤ教という絶対神を拝する民族宗教のラビでありながら、神は「全知全能ではない」というところまで行き着く。 我々に降りかかる多くの不幸、災難、不運は、神が生み出したものではない、だが同時に神はそれらを取り除けない、というのだ。 それでも、息子に苦しみをもたらしたのが、神ならば礼拝できないが、苦しみを取り去れない神は礼拝できる・・・とも言う。 そして、結論としては、おおかた以下のようなことである。 「神は実在しており、宗教家たちがでっちあげた空想ではないということを、絶えず私に確信させてくれる事実は、力や希望や勇気を求め祈る人たちが、祈る前にはもちあわせていなかったそれらのものを、ほとんど例外なく得ているということなのです。」 「私は神を信じています。しかし、今の私は、神学生だったころや子供だったころと同じことを信じているわけではありません。私は神の限界を認識しています。自然の法則のために、人間の進化や人間の道徳的自由のために、神になしうることには限界があるのです。」 万物の創造主である神も、全知全能ではない。 だが、それでも神は人々に希望をあたえ、乗り越えるチカラへと導こうとする・・・ということだろうか。 ならば、我々と神は如何に関わるのか・・・どのような関係が生じるのか? 我々に降りかかる不幸、災難、不運・・・そして貧困などは、神は生み出さず、また神にそれを取り除くチカラはなく、ただただ善なるものだけを生み出し、示し、導こうとするのが神であるのか。 その道すがら、遭遇する不運は、まさしく不運なのであって、神にはそれを制御する能力は無いというのなら、その不幸、災難、不運はどこから来るのか。 何処からでもない、自然の法則による必然的偶然に、我々がこれまた偶発的に遭遇しても、神は自然の法則の前に呆然と立ち尽くす存在なのか。 そうであるならば、その神に、自然の法則を生み出したのは誰なのかと問うても仕方の無いことかも知れない。

Posted byブクログ

2009/10/04

 待望の復刊です。非常に嬉しいです。  難病の子どもを持ったユダヤ教のラビ(教師)が、「神」と「苦しみ」との関連を深く考えて著した本。聖書に深く関わった内容ではありますが、伝統的な神観とそれに基づく「苦しみ」の解釈に大きな疑問を投げかけています。神を信じているかどうかに関係なく、...

 待望の復刊です。非常に嬉しいです。  難病の子どもを持ったユダヤ教のラビ(教師)が、「神」と「苦しみ」との関連を深く考えて著した本。聖書に深く関わった内容ではありますが、伝統的な神観とそれに基づく「苦しみ」の解釈に大きな疑問を投げかけています。神を信じているかどうかに関係なく、「なぜ私だけかこんな目に…?」と一度でも問うたことのある人には一読の価値のある本だと思います。

Posted byブクログ