なぜ私だけが苦しむのか の商品レビュー
因果応報というならば、なぜ平凡な一市民に悲しいことがおこるのか。そのとき本人は、まわりの人間はどうやってたち直ることができるのか。どのページを開いてもふかーい祈りに触れるような、静かなピアノが流れているような、そんな気分になる本。
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神に帰依するものとして、信仰の問い直しを投げかけられる本でした。私はどうであるか、以上に、私の周りの人間は、私が責任を持つ人たちに私はどう対したのか、色々と省みさせられる時間を持ちました。 どこかで、聖書内で神とサタンの殺した人数の比較を酔狂じみて集計しているものを見ました。聖...
神に帰依するものとして、信仰の問い直しを投げかけられる本でした。私はどうであるか、以上に、私の周りの人間は、私が責任を持つ人たちに私はどう対したのか、色々と省みさせられる時間を持ちました。 どこかで、聖書内で神とサタンの殺した人数の比較を酔狂じみて集計しているものを見ました。聖書では神は人を殺します。禍も事件も、神が認知をし、歴史のテコ入れのようにかき回します。その事実を集約して描き出したものがヨブ記と言えると思います。 現代のヨブ記とは、我々にふりかかる理不尽な災難。家族を失ったとか、事故にあったとか、職場での失敗とか、友人との関係とか。そういうものを我々がどう受け止め、どう越えていくのか。そういう中での神と人間との関係を、ゆっくりと繰り返し問いただしてくれます。 13/5/30
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およそ宗教と名のつくものに対して全く浅学非才な自分がこの本について言及してTLをひどく汚すことへ、本書に習ってツイッターの神様的な何かへ向かって赦しや救いを乞うのではなく、選択の決断と意志のみを祈り求めたい。 ユダヤ教のラビである著者が、早老症によって息子を幼くして失った自分自...
およそ宗教と名のつくものに対して全く浅学非才な自分がこの本について言及してTLをひどく汚すことへ、本書に習ってツイッターの神様的な何かへ向かって赦しや救いを乞うのではなく、選択の決断と意志のみを祈り求めたい。 ユダヤ教のラビである著者が、早老症によって息子を幼くして失った自分自身や同じように理不尽な不幸に襲われた人たちにとって題名の通り「なぜ私だけが苦しむのか」ということについてヨブ記を引用しながらその後の生き方について提言した、示唆に富んだ本だった。 理不尽な不幸によって自分が失ったり傷つけられたりした何かを他者と比較して嘆き怒り憎むことは、その何かを自分が悪の方向へ殉教者へと導くものに定義してしまうことである、と。逆にそこから生きる意味や残されたものへ心を留める寛大さを見出し、失ったものを人生に対する証としなければならない。 前提としてそもそも神様的な何かは全知全能ではなく、常に善の味方でもなく、諸行無常的にどのような人々にも大なり小なりの不幸は降り掛かってしまうものだと言っているのはとてもびっくりしたwじゃぁなぜ一見無力な神を信じ宗教に頼るのかというと、著者曰くその考え方の転換を助くる為だと。 悲しみから前を向く為に、「君がどうやってこの悲しい状況を耐えているのか分からないが、力になりたい。どうだろう、僕達に君の手助けをさせてくれないか」という、NY市民にとってのスパイダーマンのような親愛なる隣人として、神やあなたの周りの世界は存在するという考えはとても素敵だった。 幸い自分や家族にまだ大きな不幸は訪れていないけど、いずれ来るかもしれない突然の病気や911,311みたいな悲しみに対する構えをしたい僕を含む人や、もっと言うと正にリアルタイムで苦しみの渦中にいて嘆き怒り憎む人にとっても一助となる本だった。宗教は怖いのだわ…(神秘的、という意味で)
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自分が苦しんでるとは、とても言えないけれど。。。でも苦しみを主観的に表すことを禁じてしまったら、より不幸な人間が崇められるようになったら、それこそ終わりじゃないかとおもうのだ。 苦しいことを受け入れて生きてる人たちを、私は、心から尊敬する。
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悩める人のための宗教なのか,宗教に人間が合わせられてしまうのか.宗教の名において人間を侮辱,抑圧する物言いに鋭く切り込んでいる.また,悩み,苦しむ人へ寄り添い,尊厳を見出す姿勢はある種の希望だ. 宗教家はもちろんのこと,カウンセラーや医師など,ある種の極限状態にある人に接する人...
悩める人のための宗教なのか,宗教に人間が合わせられてしまうのか.宗教の名において人間を侮辱,抑圧する物言いに鋭く切り込んでいる.また,悩み,苦しむ人へ寄り添い,尊厳を見出す姿勢はある種の希望だ. 宗教家はもちろんのこと,カウンセラーや医師など,ある種の極限状態にある人に接する人は益するところが多いだろう. ・ヨブは助言より同情を必要としていた.忍耐と敬虔の模範たれと進める友よりも,怒り,泣き,叫ぶことを許してくれる友を必要としていた. ・罪意識,あるいは「私の責任だ」という感覚は,きわめて一般的なもの. ・不倫:彼は罪の意識をもっと感じるべきなのだ. ・ジャック・リーマー「リクラット・シャパット」の詩(誓願の祈り) ・祈りは結び合わせる.『宗教生活の原初形態』(デュルケーム) ・モーセの石版の喩え.自分のしていることの意味が分かれば,大抵の重荷は耐えられる. ・彼らを悪魔の証人にしてはいけない.いのちの証人にするのだ. ・答えという言葉には,説明ということと同時に応答という意味もある.
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この世の不条理を嘆き苦しむ全ての人へ。伝統的な宗教では救いきれない、あまりにも不条理な出来事に満ちているこの現実を、我々はどう捉え、どう対処していけばよいのか。一度は読んでおきたいロングセラー名著です。
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オススメの理由 「なぜ、善良な人が不幸にみまわれるのか?」という問いを起点に、神と私たちの関係や、物事の捉え方・考え方を模索する本です。 私にとって、著者のその模索の過程は、宗教という縁遠い分野への架け橋になってくれると共に、大いなる内省のきっかけにもなりました。 推薦者のペー...
オススメの理由 「なぜ、善良な人が不幸にみまわれるのか?」という問いを起点に、神と私たちの関係や、物事の捉え方・考え方を模索する本です。 私にとって、著者のその模索の過程は、宗教という縁遠い分野への架け橋になってくれると共に、大いなる内省のきっかけにもなりました。 推薦者のページ ⇒http://booklog.jp/users/mude
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事故や病気や天災などの被害にあった人が「なぜ私だけが苦しまないといけないのか?」と葛藤するシチュエーションにおいて、神の存在と信仰への疑念に対しての著者の考察がまとめられてます。 罪深い人間だから苦しみを与える神、神は乗り越えられる苦しみしか与えないといった考えや慰めの言葉は...
事故や病気や天災などの被害にあった人が「なぜ私だけが苦しまないといけないのか?」と葛藤するシチュエーションにおいて、神の存在と信仰への疑念に対しての著者の考察がまとめられてます。 罪深い人間だから苦しみを与える神、神は乗り越えられる苦しみしか与えないといった考えや慰めの言葉は確かに違和感を感じてました。そして著者の考えは論理的にはスッと入ってくるものがあります。 ただ、苦しみは神が与えているものではないという言葉は下手をすると神の不能と短絡的に結論しがちなところがあり、人にうまく説明しようとするとなかなか難しいなぁと思います。 正誤はともかく(そもそも宗教に1つの正解があるならどんだけ楽か…)、1つの考えとして読んでみて損はないです。
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善良な人は突然困難な状況に陥った時、そのような状況になぜ自分が陥ったのかという納得できる理由を求める。自分が良くない行いをしたからではないかとか、神が与えた試練とか、自分がある分野において欠けており、それを補う機会を与えられた、など。同様に慰める人もこのような理由あげる。けれども...
善良な人は突然困難な状況に陥った時、そのような状況になぜ自分が陥ったのかという納得できる理由を求める。自分が良くない行いをしたからではないかとか、神が与えた試練とか、自分がある分野において欠けており、それを補う機会を与えられた、など。同様に慰める人もこのような理由あげる。けれども、そのような試練や因果のために犠牲になった人(たとえば幼くして事故でなくなった自分の子ども、自然災害は人間の悪行が原因か)はどうなのか。選ばれた人物であるがために突然の不幸に見舞われる人は幸福なのか。 著者が言いたいのは、痛みや苦しみの体験は自分の行いから来る意味をもつものなのではなく、意味あるものか無意味なものにしてしまうか決めるのは痛みの原因ではなく、結果だということ。社会は理不尽なこと、不公平なことばかりで成り立っている。竜巻の発生なども、統計を長年続ければ続けるほど、無秩序なパターンになる。宗教では理由を神に求めるが、神は全知全能ではない。地震や事故、そして日々起こる予測不可能な不幸は神の意志とは別個の現実であり、また自分の行いが引き起こすものでもない。自分の不幸を神も共に怒ったり悲しんだりしていると考えれば楽になるのではという内容。 ↑うまく説明できないけれど、自分や周りの人の不幸への対処に役立つ勉強になる本だと思う。著者はユダヤ教のラビだけれど、宗教色に抵抗なく読める。
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理不尽な不幸に、自分や周りの人が直面したときに、どう接すればいいかが書いてある。自分は無宗教だけど、神は全能でないという著者の考えに驚いた。一読の価値あり。
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