ジャガイモの世界史 の商品レビュー
ペルーの高原地帯にその源を発っしたジャガイモが、アイルランドを襲った大飢饉、ドイツ(プロイセン)、フランス、ロシアの王政、産業革命、世界対戦からロシア崩壊を経て現在に至るまでを俯瞰する。必ずしも通史として形を成すものではないが、「ジャガイモ」という視点から世界史、日本史を様々なエ...
ペルーの高原地帯にその源を発っしたジャガイモが、アイルランドを襲った大飢饉、ドイツ(プロイセン)、フランス、ロシアの王政、産業革命、世界対戦からロシア崩壊を経て現在に至るまでを俯瞰する。必ずしも通史として形を成すものではないが、「ジャガイモ」という視点から世界史、日本史を様々なエピソードを交えつつ紹介するというのは、面白い試みだ。通常の通史を縦糸とするならば、この本はその中で様々な模様を織り描く横糸の一本と言えるだろう。
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じゃがいもの偉さがよく分かった。スペイン人がインカ帝国から持ち帰ったチューニョ(乾燥いも)がpatataとしてヨーロッパ史に参入し、痩せた土地でも育つため戦争や飢饉時、産業革命下では貧者のパンとして活躍した500年ちかい歴史を追っている。今目にするものより一層不細工で、普及当初は...
じゃがいもの偉さがよく分かった。スペイン人がインカ帝国から持ち帰ったチューニョ(乾燥いも)がpatataとしてヨーロッパ史に参入し、痩せた土地でも育つため戦争や飢饉時、産業革命下では貧者のパンとして活躍した500年ちかい歴史を追っている。今目にするものより一層不細工で、普及当初は豚の餌に供されていたこの野菜に対する根強い偏見から、人々がじゃがいもを食べ、栽培するようになるまでには工夫が必要となることが往々にしてあったらしい。プロイセンのフリードリヒ2世は「じゃがいも令」を強権発動してじゃがいもの植え付けを義務付け、兵糧を確実にして強力な軍隊をつくった。フランスではプロイセンとは対照的に、農学者のパルマンティエはわざとこっそり隠れるようにしてじゃがいもを栽培し、農民たちに覗き見をさせ、興味を誘ってじゃがいも栽培に誘導し、洒落たじゃがいも料理を工夫したり、じゃがいもの花を宮廷ファッションとして流行させるといった努力をした。ロシアでは農民たちが宗教的、文化的偏見による頑迷さからじゃがいもを育て、食べることを拒み、じゃがいもの作付け強制に反対する農民の武装闘争すら起こったため、説得によるじゃがいも栽培促進に政策を変更してその後は現在にいたるまでロシア人には欠かせない食料となっている。デカブリストの乱でシベリア流刑になった青年貴族たちが当地でじゃがいも栽培をはじめ、時代が下ってシベリアのラーゲリに抑留された日本人捕虜が飢えをしのいだのもじゃがいもであった。一方、「じゃがいも疫病」と、単作のため代替作物が無かったことがアイルランド大飢饉の原因となり、日本ではオランダ船がジャワから長崎に伝えたじゃがいもは、飢饉時や労働者などのお助け芋となったが、青年将校を5.15事件に駆り立てるきっかけのひとつともなった東北の飢饉は、じゃがいもが当地ではマイナーな存在であったため救うことができなかった。満蒙開拓団もじゃがいも栽培に力を入れて引き揚げ時、食料が欠乏していた時に地中に埋めていたじゃがいもに助けられたという。朝鮮については本書では書かれていないけれど、『朝鮮食料品史』(朴容九)によるとじゃがいも(北甘藷)は1824年ごろ「北方から豆満江を越えて入って来た」(五洲衍文長箋散稿)。甘藷が対馬経由で日本から先に入って来ていたが、じゃがいもの方が栽培方法が容易で寒冷地でもよく出来たため穀類が希少な地域では主食の役割をするまでなったという。しかし植民地朝鮮では総督府はじゃがいもではなく、サツマイモを主食を補う野菜として生産奨励し(サツマイモの方がじゃがいもよりも日本人の口に合ったからとされているが)、39年から「甘藷増産計画」5年計画で投資をして朝鮮北部のハムギョン道以外の地方で薩摩芋畑を増やし、増産率もじゃがいもより高かった。ただし別の資料によると併合から解放までの間に、だいたい155%から236%程度の間でじゃがいもも増産している。著者は足尾鉱毒事件を調べる中で鉱毒被害民がじゃがいもを栽培して命をつないでいたというところからじゃがいもが只者ではないと気に留めたと言い、広範な地域、時代をカバーしながらも要領をえていてうまくまとまった面白い本だった。
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「ジャガイモの世界史」というタイトルですが、中身はジャガイモに関する歴史エッセイで、半分くらいは日本に関することとなっています。南米のチチカカ湖付近を原産とするジャガイモは、土壌が悪くても収穫でき、栄養も豊富でまさに「貧者のパン」として救荒作物として世界を巡ります。ジャガイモが歴...
「ジャガイモの世界史」というタイトルですが、中身はジャガイモに関する歴史エッセイで、半分くらいは日本に関することとなっています。南米のチチカカ湖付近を原産とするジャガイモは、土壌が悪くても収穫でき、栄養も豊富でまさに「貧者のパン」として救荒作物として世界を巡ります。ジャガイモが歴史に関与した事例は、有名なアイルランドのジャガイモ飢饉だけでなく、1991年のソ連クーデタにも顔を出します。また桜美林大学もまたジャガイモとつながりがあるそうです。ただ、著者がのべている「ジャガイモが「お助け芋」として登場する時代は「異常な時代」」という言葉は相当に重い言葉だと思います。
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