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存在と無(1) の商品レビュー

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11件のお客様レビュー

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2024/03/28

https://guides.lib.kyushu-u.ac.jp/c.php?g=774904&p=5559882

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2023/10/10

インタビューでのデリダの『存在と無』についての発言 『現代思想 特集:サルトル以後のサルトル (1987年7月号)』 https://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I2829458-00 p.64-65 「哲学的なことを話し続ける前に、この形式につ...

インタビューでのデリダの『存在と無』についての発言 『現代思想 特集:サルトル以後のサルトル (1987年7月号)』 https://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I2829458-00 p.64-65 「哲学的なことを話し続ける前に、この形式について少し話さなくてはなりません。もちろん一方でそれは沢山の問題、哲学上の反論を惹き起こします。ですが、この本を、十九から二十歳の頃、次には、二十から二十二、三歳の間に読んだような形で、作品として考えてみますと、私は大いに読んだだけでなく、学校の論文書きにも使いました。そもそもこの本は、私たちが差し向けられていた学校教育のディスクールにとって、とても便利で有用な機械だったのです。ある対談でこのことは示唆しておいたのですが、今、もっと詳しく言えるでしょう。つまり、サルトルの書き方は、私の意見では、フランスの学校、リセ、エコール・ノルマル、教授資格試験に見られるフランス哲学の修辞法と論文作成のモデルに照らし合わせると非常にはっきりします。哲学史を扱う仕方、思想を要約してそれを用いる仕方、こうしたスタイルは他のどんな国にも見つからないのではないか。サルトルの文章はこうしたフランス式の修辞構成モデルの跡を特に残していて、同時にこうした練習を続けなくてはならない若い人々にとって非常に有効なものになるのです。思い出しますが、私一人ではなく、エコール・ノルマル準備学級の仲間たちも、即自・対自の対立と即自かつ対自たる神というこの図式の中に、自分たちの作文のためのとても貴重な資源を見出していました。一方に、デカルト型の意識、ついに自分自身と一致するに至らない意識である対自があり、他方には自己自身と同一の即即自があり、そしてこれら二つの存在領域の地平には不可能な綜合の夢がある。これは立派なフランス哲学の作文でした。それらの図式を私たちは課題が何であれ繰り返し当てはめたのです。」

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2023/08/12

緒論がまるで頭に入ってこなくてどうしようかと思ったけれど、第一章に至って以降は思いのほかすんなりと読み進められた。学生時代の入門講義で聞き齧ったそれであるところのものであらぬという言いまわしの意味をようやく掴めて嬉しい。常に無に忍びこまれる対自に対してただ存在する即時の、さらには...

緒論がまるで頭に入ってこなくてどうしようかと思ったけれど、第一章に至って以降は思いのほかすんなりと読み進められた。学生時代の入門講義で聞き齧ったそれであるところのものであらぬという言いまわしの意味をようやく掴めて嬉しい。常に無に忍びこまれる対自に対してただ存在する即時の、さらにはそれで充溢した世界のすさまじさ。否定も関係なんだなと思ったり、あとは恐怖と不安の話、即自的な過去の話とかも好き、人間に気持ち悪さやそれゆえの愛憎をおぼえてしまう感覚に説明をつけられそう。第二部の最後で身体の問題から対他存在が予告されるのもかっこいい。

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2022/08/11

いやーマジで全くわからなかった。 もう文章が上滑って滑ってしょうがない… 何一つ残らなかった。 ==== ジャンル:リベラルアーツ 出版社:筑摩書房 定価:1,980円(税込) 出版日:2007年11月10日 ==== ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sart...

いやーマジで全くわからなかった。 もう文章が上滑って滑ってしょうがない… 何一つ残らなかった。 ==== ジャンル:リベラルアーツ 出版社:筑摩書房 定価:1,980円(税込) 出版日:2007年11月10日 ==== ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre) 1905-80年。パリに生まれ、高等師範学校に学び、哲学の教授資格を取得。1930年代から独自に現象学を研究し、『自我の超越性』『想像力』『情動論粗描』などを発表。その現象学的総決算が、本書『存在と無』(1943年刊)である。戦後教壇を去り、「実存主義はヒューマニズムか」と題する講演で一躍マスコミの脚光を浴び、実存主義ブームを巻き起こす。在野の知識人として、小説、文学評論、政治論文と幅広い執筆活動を行う。1964年にはノーベル文学賞を辞退。彼の葬儀には何万人という市民が参集した。著書に『嘔吐』『自由への道』『聖ジュネ』『弁証法的理性批判』など多数。 ==== flier要約 https://www.flierinc.com/summary/3088

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2020/09/25

存在と無 1 (1) (ちくま学芸文庫 サ 11-2) (和書)2009年08月21日 20:34 2007 筑摩書房 ジャン・ポール・サルトル, 松浪 信三郎 「存在と無」って難しいのか?易しいのか?よく解らない。もうちょっと続きを読んでよく考えてみたいと思います。

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2019/07/11

 第一次世界大戦後にハイデッガーの『存在と時間』が、第二次世界大戦後にサルトルのこの『存在と無』が書かれた。G.スタイナーがいみじくも指摘している通り、世界大戦後に数々の浩瀚な書物が著されたのは、歴史のリセットという観点から必然的な成り行きではあったのだろうが、これほど大部で難解...

 第一次世界大戦後にハイデッガーの『存在と時間』が、第二次世界大戦後にサルトルのこの『存在と無』が書かれた。G.スタイナーがいみじくも指摘している通り、世界大戦後に数々の浩瀚な書物が著されたのは、歴史のリセットという観点から必然的な成り行きではあったのだろうが、これほど大部で難解な哲学書が、アカデミックな評価では『存在と時間』に劣るとはいえ、これほど世界的に「売れた」例はあとにもさきにも皆無ではあるまいか。  もっとも売れることと読まれることはイコールではない。特に本書の冒頭を飾る「緒論」は『存在と無』最大の難関であるが、ここを乗り越えれば後は豊富な経験的実例を網羅しためくるめくサルトル哲学の世界が待っている。 「現象学的存在論の試み」というサブタイトルのついた本書の冒頭で、サルトルはまず観念論的な主客二元論と決別する。代わってサルトルが導入する対自存在と即自存在の両概念を裁断するのは「無」である。「無」は存在の否定形すなわち二次的な派生物に過ぎず、その「無」を世界に到来させている存在者が対自存在すなわち人間である(だから例えば本書のタイトル『存在と無』を『物質と精神』と意訳している訳者もいる)。「無」を内包している対自存在はその「無」を埋めるために未来を志向する。続くサルトルの時間論は目立たないが優れたものであると思う。  文庫化によるデメリットが全くないわけではない。例えば電車の中でも読める手軽さは、どっしりと腰を落ち着けて精読すべきこのような本においては不釣合いですらあろう。ともあれ人文書院の初版からおよそ半世紀を閲しての殿堂入りを、特に若い読者とともに素直に喜びたい。

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2019/11/23

原書名:L'Être et le néant -Essai d'ontologie phénoménologique- 緒論 存在の探求 第1部 無の問題(否定の起源;自己欺瞞) 第2部 対自存在(対自の直接的構造;時間性;超越) 著者:ジャン=ポール・サ...

原書名:L'Être et le néant -Essai d'ontologie phénoménologique- 緒論 存在の探求 第1部 無の問題(否定の起源;自己欺瞞) 第2部 対自存在(対自の直接的構造;時間性;超越) 著者:ジャン=ポール・サルトル(Sartre, Jean Paul, 1905-1980、フランス・パリ、哲学) 訳者:松浪信三郎(1913-1989、東京、哲学)

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2011/08/14
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

高校生の時に、自主ゼミは「サルトルゼミ」を選びました。 サルトルでも、それなりに、おぼろげながら解る本もありました。 存在と無は全く解りませんでした。それでも、格好付けで、持ち歩いたりしていました。 無について追求しようとする姿勢はすばらしいと思います。 もう一度、読み直して理解してみようと思っています。 サルトルは時代が乗り越えたという評価の方もお見えかもしれません。 恥ずかしながら、そういう評価ができるほど、理解していません。

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2011/07/05

「存在減圧」という言葉が印象深い。つまりサルトルは「存在」を密度=強度として考えていたということ。たとえて言うなら缶コーラ。飲む(=対自)ためにはタブ(=意識)を倒して、飲み口(=無)を開け、中の気を抜かないといけない。 『奇妙な戦争――戦中日記』と併せて読むとよりわかりやすい...

「存在減圧」という言葉が印象深い。つまりサルトルは「存在」を密度=強度として考えていたということ。たとえて言うなら缶コーラ。飲む(=対自)ためにはタブ(=意識)を倒して、飲み口(=無)を開け、中の気を抜かないといけない。 『奇妙な戦争――戦中日記』と併せて読むとよりわかりやすい。

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2010/08/17

サルトルといえば、1960年代には日本の若者たちも熱狂したようだが、サルトル・ブームはまたたくまに終わってしまった。今や誰もサルトルなんぞにふり向いたりしない。 小説家としてのサルトルはとても才能があるし、この本を読んでみて、やはり彼は純粋な哲学者というより文学者に向いている、と...

サルトルといえば、1960年代には日本の若者たちも熱狂したようだが、サルトル・ブームはまたたくまに終わってしまった。今や誰もサルトルなんぞにふり向いたりしない。 小説家としてのサルトルはとても才能があるし、この本を読んでみて、やはり彼は純粋な哲学者というより文学者に向いている、と感じた。 この哲学は、哲学としては、なんだか的を外しているように思う。 文学としてなら評価できるかもしれないが・・・。 まあ、続きを読んでみる。

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