灯台守の話 の商品レビュー
人はひとりで生きている。誰しも、しかも闇の中で。気づかないでいるか、あるいは気づかないふりをしているだけのその事実を、この物語に出会った者は突きつけられる。 3月31日。長らく親しんだ住まいを引き払い、それまで8年がかりでゼロから築いた事業所の全てを処分し、元の空の貸事務...
人はひとりで生きている。誰しも、しかも闇の中で。気づかないでいるか、あるいは気づかないふりをしているだけのその事実を、この物語に出会った者は突きつけられる。 3月31日。長らく親しんだ住まいを引き払い、それまで8年がかりでゼロから築いた事業所の全てを処分し、元の空の貸事務所にすっかり返して、私は上りの新幹線に飛び乗った。 東京駅に近づいたのは暗くなってからだった。街は、まるで初めて目にする異国の夜景のように瞬いている。JFケネディー空港に深夜に降り立ったとき、あるいは返還前の九龍に着陸する間際に見たあの夜景、あの時とまるでおなじ感覚だ。 そんな時あのひと言にであってしまった。 「私は、自分の人生の異邦人だったのだ」 夜景が一層煌いた。 人生の闇で人が頼るのも暗い海で船乗りが頼りにするのも、ともに時折現れる「灯」だけだ。闇の海岸線に点々と続く灯台のごとく、導きの灯は時折現れるだけで点と点の間も、その先もその前も闇が限りなく続く。時折しか自分が自分でいることができない人生も、どこから来てどこへ向かうのか闇の中でしかない人生も、闇の中の航海と全く同じだろう。暗闇と灯と語り、この物語を終始貫くのはそれらのイメージである。 訳がとてもよい。そのことはタイトルに集約されている。原題は「Lighthousekeeping」。直訳すればただの「灯台守」だ。この物語は、盲目の燈台守がみなしごの少女に語り聞かせる話が中心に据えられている。また、伝説の灯台守から始まって何人もの燈台守がその時々の主人公として登場する。だから灯台守についてのお話という意味で、「燈台守の話」なのだ。同時に、灯台守自信が滔滔と語る物語でもある。文字も読めず、したがって海図も読めぬ船乗り達は、ひとつひとつの灯台にまつわる長く深いストーリーを語り継ぐことで脳裏に刻み込んだ。それらはすべて灯台と灯台守にまつわる話であり、また、灯台守自信が語る話であったのだ。その物語こそが闇をさ迷う者たちを導く「灯」であったのだ。 そういった全てを、「の」という一点の日本語で照らしている。見事な一条の「灯」といってよい名人芸のごとき訳ではないかと思う。 表紙の絵もよい。「愛している(I love you)。この世で最も難しい三つの単語」という何度も出てくる台詞も効いている。それらの全てが、丁寧に読み込んだ者にだけ与えられるご褒美ででもあるかのように密かに仕込まれているのも憎い。 そもそもこの本、カリスマ書店員の田口久美子さんが週刊ブックレビューで「昨年下半期でベストの翻訳小説」と絶賛していたので読む気になったもの。 おおげさに言えば、私が街を歩くときの灯台は書店であり、人生を歩くときの導きの「灯」は書物である。今はジュンク堂池袋店で翻訳小説のコーナーを担当する田口さんが、お薦めの本を書棚に並べてることにメッセージを込めて迷える読書フリークを導いていることは、闇に射す「灯」に他ならない。彼女もまた灯台守のひとりなのだといえる。 彼女に導かれてこの物語を読んだ。そしてレビューを今語ってしまった。 見知らぬ誰かの「灯」になりえるかどうかは、自信ないですが。
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するっと読めた。子どもでも読める気もする。どこかで読んだことあるような要素が多い気がするけれど、どこでも読んだことがない。海と、灯台と化石と子どもと金持ちと貧乏人。物語とは何かを考えさせられもする。
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両親をなくして灯台守のピューのもとで修行(というかお手伝い?)をする シルバーという女の子のお話。 灯台守として必要な「お話をする」修行のためにピューがシルバーに聞かせるお話は 船乗り相手のお話とあって、大人の物語でした。 描写が細かくて、場面ごとに想像しながらゆっくり読みたい1...
両親をなくして灯台守のピューのもとで修行(というかお手伝い?)をする シルバーという女の子のお話。 灯台守として必要な「お話をする」修行のためにピューがシルバーに聞かせるお話は 船乗り相手のお話とあって、大人の物語でした。 描写が細かくて、場面ごとに想像しながらゆっくり読みたい1冊でした。 昔は灯台の灯を守る人がいて、こういう生活をしていたのかな・・・
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2009.11. P.53「暗闇のなかの確かな点」まで。2度目の挫折。決しておもしろくないわけじゃないんだろうけど、世界に入り込めずに挫折してしまう。出だし、おもしろいもんね。またチャレンジしよう。 2008. 読みかけて、途中で挫折。
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物語を語り続ける、ことが灯台守の大事な仕事の一つ。 本当は物語には始まりも終わりもなく、流れの一部分を切り取っただけ。 始まる前から物語は続いていたし、終わってからも続きがある。 そして、それは縦だけではなく横にもつながり、そこでもまた別の物語がある。 シルバーとバベルの物語が...
物語を語り続ける、ことが灯台守の大事な仕事の一つ。 本当は物語には始まりも終わりもなく、流れの一部分を切り取っただけ。 始まる前から物語は続いていたし、終わってからも続きがある。 そして、それは縦だけではなく横にもつながり、そこでもまた別の物語がある。 シルバーとバベルの物語が交差したり並行して進んでいくのはそういう事を表している。 場所も時間も踏み倒して呼び寄せる事も出来るし、次の瞬間には追い出している。 難破船で物語を語り続けて生き延びた男がシルバーにも重なるし、もしかすると私自身にも重なるのかもしれない。
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シルバーとピュー 人間、何があっても愛する相手を疑っちゃならん。 自分が相手に真実でいること。 他人の真実になることは誰にもできないが、自分は自分の真実でいられるからな。
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物語というものの本質を突いた作品。どこまでも終わりはなく、語ることで世界は続く。解説で作者が自身の作品を評価したことで周囲の不評を買った…みたいな話がありましたが、作者自身が楽しく紡いだ作品が、読み手の自分の好みに合うなら、親近感が持てて私は嬉しいです。
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「わたしはわたしが上手にできるたった一つのことをする。 あなたに、お話をしてあげること。」 物語ることによって救われる。
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また岸本佐知子読みである。今度はあの「オレンジだけが果物じゃない」のジャネット・ウィンターソン。そういえばしばらく振りのウィンターソンじゃないのと思いながらの「灯台守の話」は、当然のことのように(だが本当に当然か?)「オレンジ」を思い起こさせる。相変わらずちょっと難解。でも構わず...
また岸本佐知子読みである。今度はあの「オレンジだけが果物じゃない」のジャネット・ウィンターソン。そういえばしばらく振りのウィンターソンじゃないのと思いながらの「灯台守の話」は、当然のことのように(だが本当に当然か?)「オレンジ」を思い起こさせる。相変わらずちょっと難解。でも構わずにズンズン読む。「灯台守」も「オレンジ」同様に自伝的な語り口だけれど、そのことだけで似ていると言っているわけじゃあない。それ以上に、語らなくてはいられない、語りつづけていなければどうにかなってしまうというような作家の切迫した悲鳴のようなものが透けて見えるところが、似ているんじゃないかなあと思うのだ。 もちろん違いはたくさんあって、例えば「オレンジ」が常にアクセルを踏みつづけていくような物語の展開、視点がどんどん先へ進んでいくような印象に残る話であったのに対して、「灯台守」は波間に漂う船を照らしつづけているものの存在による落ち着き、定点性のような印象が残るという点はかなりはっきりとした違い。でもどちらの本でも、物語は人と伴に移動し、人と伴に変化しつづける。「灯台守」では、それがより鮮明だ。ダーウィンが来ては去り、スチーヴンソンが来てはやはり去る。ミス・ピンチは遠くにある灯台の回転する灯りのように時に主人公であるシルバーを照らし、すぐにそっぽを向く。ダークが来て、ルクスが来る。時代は自由に移ろい、物語の始まりと終わりは繋がり、そればかりか始めと終わりの間にあるものたちとも奇妙に絡み合う。それらは波間に見えたかと思うと消えていく船影のようである。目を閉じるとその姿がはっきりと見えるという船影のようなものたち。 水辺の物語、などというジャンルは無いだろうけれど、このウィンターソンの「灯台守」はどこかでグレアム・スウィフトの「ウォーターランド」と呼応するようにも思う。両者に共通するのは、幾つもの物語がその場所を淡々と流れていくように見えてどこかで繋がっているというような感覚、そのゆったりとした神話のような物語の進行である。観察者はじっとしているのに、物語は常に限りなくゆったりと流れていく。その通過していくものものを眺める態度は、ひょっとしてイギリスの低傾斜の地形が生み出しそこに住むものに染み込ませた特有のリズムによるものなのだろうか。「灯台守」を読みながらそんなことを思いつく。ただし、じりじりと錯綜する物語を読み進めることになる「ウォーターランド」からは、歴史はそれを生き抜く人自身のもの、という思いを強くした記憶があるが、はっきりとしたランドマークのないその低地帯を巡る物語に対して、しっかりとした定点のある「灯台守」では、物語は登場人物のものではなくそれを語る人のもの、という印象が残る。読み進めていた時には類似性を意識したものの、読後はまったく逆の印象。 ウィンターソンが語り得たもの、そして語り得なかったもの、それは無意識のうちに語り手の紡ぐ物語の中に溶け込んで、灯台の側を通り過ぎる船々のようイメージを読者の前に立ち上がらせる。それがソルツという架空のイギリスの海岸街に投影された歴史の事実であろうとなかろうと、そして物語の語り手であるウィンターソンにとっての現実を映したものであろうとなかろうと、やっぱり物語は流れていく。そのことが強く深く心の岸に打ち寄せてくる。そして岸本佐知子の訳もまた、とり憑かれたもの語り口となり、ウィンターソンの物語を伝え聞くものとして語っているのだと思う。
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冒頭の文章にしびれました。 おとぎ話をどこか読んでいるような気持ちで読み進めていくと後半、舞台が変わっていくところで 幾筋もの時間の流れが交わって、その一端が読んでいる自分の時間とも重なるのを感じる。 それは不思議な感覚でした。灯台で、語られる言葉の美しさ。 闇の色がみえてくるみ...
冒頭の文章にしびれました。 おとぎ話をどこか読んでいるような気持ちで読み進めていくと後半、舞台が変わっていくところで 幾筋もの時間の流れが交わって、その一端が読んでいる自分の時間とも重なるのを感じる。 それは不思議な感覚でした。灯台で、語られる言葉の美しさ。 闇の色がみえてくるみたいな。
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