フラニーとゾーイー の商品レビュー
今の世の中とは一線を…
今の世の中とは一線を画している物語です。何か、読後はもちろん、最中にも温かい感じにしてくれます。
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繊細で感じやすいフラ…
繊細で感じやすいフラニーと、兄のゾーイーの2つのお話。感動どころをここと提示できないけれど、なんだか涙が出てしまいました。ゾーイーを含めた家族の行動の裏の優しさみたいなのが伝わってきます。
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サリンジャーは『ライ麦畑でつかまえて』の大成功の後、人目を避けて隠遁者のような生活に入るのだが、晩年は「グラース家」シリーズ、1961年『フラニーとズーイ』、1963年に『大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア―序章―』を発表する。1965年最後に作品の発表を止め、作家業から事実...
サリンジャーは『ライ麦畑でつかまえて』の大成功の後、人目を避けて隠遁者のような生活に入るのだが、晩年は「グラース家」シリーズ、1961年『フラニーとズーイ』、1963年に『大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア―序章―』を発表する。1965年最後に作品の発表を止め、作家業から事実上引退した。 2010年に91歳没。 内容は、彼氏が待つ駅のホームに降り立つフラニー、二人で楽しく過ごすはずだったのに...フラニーはレストランで倒れ、実家に身を寄せる。そこに5歳離れた兄ゾーイーが彼女を心配して、二人で喧々諤々とやりあうというお話。前編「フラニー」は引き込まれる。「ゾーイー」については一応内容は追えるのだが微妙かな。
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グラース家の両親は旅回り興行の一員で、七人の子供たちが生まれた。長男シーモア、次男バディ、長女ブー・ブー(ベアトリス)、双子のウォルト(ウォルター)とウォーカー、ゾーイ(ザカリー)、フラニー(フランセス)で、長男シーモアが17歳の時、末っ娘フラニーは生後11ヶ月という年齢の幅。 ...
グラース家の両親は旅回り興行の一員で、七人の子供たちが生まれた。長男シーモア、次男バディ、長女ブー・ブー(ベアトリス)、双子のウォルト(ウォルター)とウォーカー、ゾーイ(ザカリー)、フラニー(フランセス)で、長男シーモアが17歳の時、末っ娘フラニーは生後11ヶ月という年齢の幅。 このきょうだいは天才を持ち、当時人気だったラジオ番組「これは神童」に順々に出演していた。 こちらに収録の2作は、下の二人、ゾーイとフラニーの物語です。 『フラニー』 週末の駅でガールフレンドを待つ大学生たちがいる。その一人のレーンが待っているのが、グラース家の一番下の娘で女優のフラニー。 この駅での様子が、秋風、気取った大学生、待ちわびる様子と格好つけたい様子、って描写が良いです。 レーンとフラニーは数日前に手紙をやり取りしてこの週末のことを楽しみにしていた。 だがレストランに入ったフラニーの様子は神経過敏だった。レーンが論じる大学での日々が、フラニーには「なんだか特研生みたい」と言う。代行で授業を行って、いかにも気取った服装でいかにも流行りの文学批評をするような人のことだ。 フラニーは「自分はどうにも駄目みたい」と感じている。思春期(は過ぎているか?)の潔癖さ、自意識、俗っぽい世間への反発、そんな自分が自意識過剰ではないか?と悩み、演劇への道にも悩んでいるのだ。次第にフラニーの不安定は増し、店のトイレに駆け込んで泣く。レーンは、戻ってきたフラニーの持つ本について聞く。それはロシアの巡礼者の物語だった。 フラニーは「部屋で休むから」と言って、レーンは一人で出かける。 『ゾーイー』 シーモア・グラースの突然の自殺から5年、次男のバディが年の離れた弟ゾーイー(ザカリ)に手紙を書く。グラース家の下から二番目の弟ゾーイーと一番下のフラニー(フランセス)は美貌に恵まれ俳優をしている。 グラース家の七人の秀才兄妹の長男で精神的支柱だったシーモアと、すぐ下の弟バディは、続く弟妹たちの面倒を見ていた。シーモアの独特な哲学、思想、宗教観、詩作は下の弟妹たちにも影響を与えていたのだ。 この物語は『フラニー』でフラニーがレーンとの散々な週末の直後。フラニーはまだ精神不安定で母のベシーは心配してる。こんな時に母がやることは『チキンスープを飲みなさい」ってことで、それにもうんざり気味。 母に言われたゾーイーはフラニーの部屋に行く。彼らの話題はフラニーが読んでいるロシア巡礼者の祈りの本ことになる。子供の頃からの経験やシーモアの影響で、キリスト教は信じられない。だが祈りを追求して追求して本当の自分の中心にたどりつきたい。心の平和が欲しい、でも利己心は捨てられない。 グラース兄妹は、この祈りをキリスト教だけでなく禅仏教哲学にも求めているみたいですね。 グラース兄妹の中では「言葉の曲芸飛行士」であるゾーイーは「祈りを現実の代わりにしてはいけない、事実を見るんだ。祈るならちゃんとイエスに向かって祈るんだ。何もかもごちゃごちゃにした相手ではなく」とかなんとか言う。 なんかゾーイーのほうが喋ってるよ 笑。 混乱するフラニーにゾーイーは「それならバディに電話するように言うか?」(バディは電話のない山小屋に住んでいて連絡が取れない)と言うが、フラニーは「シーモアお兄ちゃんと話がしたい」と言う。 ゾーイーは、昔シーモアとバディが住んでいた部屋に入り込む。ドアにも本にも彼ららしいメモがある。 そしてバディを名乗ってフラニーに電話をかける。 まあこの偽装はすぐバレるんだけど。 ゾーイーが言ったのは、かつて自分たちが順々にラジオ番組「これは神童」に出ていた時、シーモアは「太っちょのオバサマ」のためにちゃんとするんだ、ってこと。ゾーイーは、観客に見えなくても、スポンサーに理解されなくても、でもどこにでも「太っちょのオバサマ」はいる、いや、誰もが「太っちょのオバサマ」なんだ。そしてそれこそがイエス・キリストなんだよ、そして母親のチキンスープに気が付かないなら、自分の心なんて気がつくものなのか?と言う。 受話器を切ったフラニーは、すっかり安心した。ベッドに潜り込むが、今度は夢も見ずにぐっすり眠ったのだ。
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若いってことは結構辛いよね。そう、自我の発露に嫌気がさす気持ちが蘇ってきました。自分は…、自分は…、のオンパレード。やがてその態度が自分であれ、他人であれ許せなくなって頭を抱えてしまう。もし青春時代をやり直す機会が与えられたとしても、お断りだな。
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自分の中にある怒りだったり、諦観だったり、ぶってるだけの上っ面のカスみたいなもの、自己矛盾だらけのイカサマ君。青年期にフラニーのように(こんな高尚な鬱屈ではないけれど)思い悩むのは大切なことであり、くだらないことなのかもしれない。何回でも読み直してみる。 メモ 男と女、動物と...
自分の中にある怒りだったり、諦観だったり、ぶってるだけの上っ面のカスみたいなもの、自己矛盾だらけのイカサマ君。青年期にフラニーのように(こんな高尚な鬱屈ではないけれど)思い悩むのは大切なことであり、くだらないことなのかもしれない。何回でも読み直してみる。 メモ 男と女、動物と石、昼と夜、暑さと寒さ 動物の対義語が石であること。 p115 あんたもバディも好きでない人と話をする、そのやり方をしらないのね 好きでない、というよりむしろ愛してない人とよね フラニーの煩悶、懊悩は真剣に生きようと考える青年ならば誰しもぶつかる経験 2024/10/25 ゾーイーの歳と手紙を読む時期が同じ、25歳の11月に読み返した。 恥ずかしいほど変わっていないのかもしれない、精神的に成長できいないのかもしれない。フラニーに酷く共感するとともに、ゾーイーの言葉一つ一つに諭される。分かっているんだ、常に自分との向き合い方ということは。ただ人と関わり合う中で考えれば考えるほど向き合う程に難しくなっていく。ふとっちょのオバさん、かぁ、俺にとってのふとっちょのオバさんとは。 2025/11
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
今年は海外文学を読んでいきたいので、ずっと気になっていたサリンジャーから。 大崎清夏さんのエッセイで『フラニーとズーイ』のラストが触れられていて、野崎訳で読みたかったところ、古本発見! 神経衰弱の妹フラニーと、あの言葉この言葉で慰めようと奮闘する兄ズーイのお話。 解説を読んで更に納得なんだけれど、 “どうでもいい”ようなほんのわずかな動きや言葉選びが、その人物の人格まで細かに伝わってくるように描かれていて、立体的。没入感。 海外文学独特の遠回し&ユーモアが難しく感じてしまうけれど、慣れてくるとクセになりすっごく面白い。 ラスト、ズーイが他兄弟のフリをしてフラニーに電話を掛けるシーンからは涙も出そうに…。 私は自分ごととしても落とし込める作品だと思った。(正しく解釈できているのかはわからない。。。) サリンジャー他作品も読みたい!
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『ライ麦畑でつかまえて』の主人公と同じように、偽りのない本当の自分としての人生を送ることに価値をおき、それが出来ない人達のことをインチキだとして蔑むタイプの主人公が出てきます。 『ライ麦畑でつかまえて』と違うのは、彼らが、相手を啓蒙しようとする点です。「フラニー」編では、フラ...
『ライ麦畑でつかまえて』の主人公と同じように、偽りのない本当の自分としての人生を送ることに価値をおき、それが出来ない人達のことをインチキだとして蔑むタイプの主人公が出てきます。 『ライ麦畑でつかまえて』と違うのは、彼らが、相手を啓蒙しようとする点です。「フラニー」編では、フラニーが恋人のレーンを、「ゾーイ」編ではゾーイが妹のフラニーを、それぞれ啓蒙しようとします。 ただそれは一方的な教師――蒙昧な民といった力関係ではなく、啓蒙する側も錯乱と試行錯誤の中にいる、というエクスキューズとともに描かれます。 それでも私は、なんだか、押しつけがましさを彼らに感じてしまいました。 だいたいカフェテリアの座席や、部屋の一室で、悩み会話の果てになんらか人生を変えようとするからそうなってしまっているのであって、ホールデン・コールフィールドみたいに家の外に出たらどうなんだ? って思いました。
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見栄や欲や体裁や、飾られたうわべで塗り固められた俗世で、真剣に高邁な生き方を求めることは、とても苦しく時に迷い目が曇ることもあるのだろう。 フラニーの苦悩を客観的に見つめて、導こうとするゾーイーの愛情と知恵に感服した。 言葉は、やや回りくどいけれど。 訳は、古いからか、少し読み...
見栄や欲や体裁や、飾られたうわべで塗り固められた俗世で、真剣に高邁な生き方を求めることは、とても苦しく時に迷い目が曇ることもあるのだろう。 フラニーの苦悩を客観的に見つめて、導こうとするゾーイーの愛情と知恵に感服した。 言葉は、やや回りくどいけれど。 訳は、古いからか、少し読みにくい。 ナイン・ストーリーズに収録されているお話とのリンクも興味深かった。 1999.3.7 サリンジャーの文体は技巧的でやや難解である。この本も読むのに時間がかかった。しかし、内容は実に豊かだと思う。ゾーイーのフラニーを思う心が、その会話から伝わってくる。また、フラニーの姿や言動から推し量ることのできる心の痛みもよくわかる。特に、最後のシーンで、ゾーイーがフラニーに電話で話した言葉は、私にもすごく響いた。おそらく、フラニーはこの後も悩み迷うことだろう。でも、子の家族があればきっと大丈夫だ、と思う。私はゾーイーやフラニーといった少し不器用だが一生懸命生きている人も大好きだ。でも、やはり、シーモアが気にかかる。
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服装の描写が丁寧だなと感じたフラニー ズーイーの話は長々と感じてしまって記憶が薄め、再読せねば、あるいは村上春樹訳の方が読みやすいのかしら
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