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スローターハウス5 の商品レビュー

4

153件のお客様レビュー

  1. 5つ

    49

  2. 4つ

    52

  3. 3つ

    33

  4. 2つ

    5

  5. 1つ

    1

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2017/08/03

映画もよかった。小説では時空がころころ変わるところがちょっと追いづらかったけど、映画ではカットががらっと切り替わった瞬間、時間あるいは場面が変わったと自然に認識できるので時空の混乱が少ない。そういう媒体による違いも面白い。

Posted byブクログ

2013/06/28

カート・ヴォネガット・ジュニア。 高校生のころから名前は知っていたけど、実は読んだことなかった。こんなシュールでナンセンスでハイブリッドでイカれた作品を書く人だとは。 きっと、高校生のころに読んでいたら、ずっぽり嵌まっていたと思う。でも、人生42年も過ぎると、現実の方が小説より奇...

カート・ヴォネガット・ジュニア。 高校生のころから名前は知っていたけど、実は読んだことなかった。こんなシュールでナンセンスでハイブリッドでイカれた作品を書く人だとは。 きっと、高校生のころに読んでいたら、ずっぽり嵌まっていたと思う。でも、人生42年も過ぎると、現実の方が小説より奇だったりして、大抵のことには驚かなくなってしまう。感受性が鈍りきっている証拠だ。 そういう自分を自覚するためだけにも、定期的にカート・ヴォネガット・ジュニアの作品を読むのはいいかもしれない。

Posted byブクログ

2013/05/26

元々この本を知ったのは、名作美少女ゲームの「おとボク」でサウンドテストに使われていた「幸福の瞬間だけに心を集中し 不幸な瞬間は無視するように 美しいものだけ見つめて過ごすように そう教わりました」という台詞からだけど… 実際その台詞を主人公が発するまでには諦念や哀切の感情もたく...

元々この本を知ったのは、名作美少女ゲームの「おとボク」でサウンドテストに使われていた「幸福の瞬間だけに心を集中し 不幸な瞬間は無視するように 美しいものだけ見つめて過ごすように そう教わりました」という台詞からだけど… 実際その台詞を主人公が発するまでには諦念や哀切の感情もたくさんあったことが、作中度々繰り返される「そういうものだ(So it goes.)」という文からもよく伝わった。 人間観というか、悲しいことが多い人生の中での個人的幸福論で、読後とても感傷的になった。本編とは関係ないが、主人公がオフィスに飾っていた有名な「ニーバーの祈り」という文が衝撃的でとても心に響いた。仕事とかリアルの交友とは別に、自分の生き方として目指すべき価値があると思う。

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2021/06/26
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

Kurt Vonnegut の代表作(個人的には奇作『タイタンの妖女』の方が好き)にして、20世紀米国文学を代表する作品の一つに数えられる傑作だが、この歳になってようやく初読。それも Kindle でセールをやっていたお陰で。 当時、あまり知られていなかったドレスデン大空襲(一説によれば、その規模は東京大空襲を遥かに上回ると言う)をメイン・モチーフに据えて、フィクションとノン・フィクションが時代を越えつつ複雑に入り混じる著者の半自伝的小説。 翻訳は、当時 英米 SF の翻訳と言えばこの人という伊藤典夫。訳者解説は単なる解説を通り越して Vonnegut の優れた評論となっており、これを読むためだけにでも本を購入する価値がある。1973年に出版されたときの邦題は「屠殺場5号」。直訳とは言え名訳なのに、5年後に文庫入りした際には屠殺に関わる言葉狩りの影響を受けてか「スローターハウス5」に改題してしまっている。So it goes.

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2013/04/23

半分ジャケ買いみたいな感じで、いやドレスデン爆撃に関する話とはもちろん知った上だけれども、表紙のイラストと片仮名のタイトルからなんとなく抱いたイメージでもって読み始めたら、エライ面食らった。 改題前の「屠殺場5号」だったら絶対読んでないよ。 んーでも面食らったんだけど、読み終わっ...

半分ジャケ買いみたいな感じで、いやドレスデン爆撃に関する話とはもちろん知った上だけれども、表紙のイラストと片仮名のタイトルからなんとなく抱いたイメージでもって読み始めたら、エライ面食らった。 改題前の「屠殺場5号」だったら絶対読んでないよ。 んーでも面食らったんだけど、読み終わって表紙見ても違和感はない。主人公の時間旅行に合わせて、なんかフワフワして縛られない感じが心地良い小説でした。

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2013/04/17

たんたんと続く物語。SFとしての面白さはわからなかったが、時間、人、死ぬことについて書いたのだと思う。「そういうものだ。」

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2013/03/26
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

 SFとは「すこし不思議」という説も個人的には支持できるけど、一般的には「サイエンスフィクション」なのだ。  SFはフィクションなので、本当の話ではない。SFには、「すこし不思議」を提唱(?)した藤子先生の『ドラえもん』みたいに、夢があって、本当の話だったらいいのになあ、と思えるタイプのフィクションと、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』のように、本当の話じゃなくてよかったなあ、と思うタイプのフィクションとがある(ただし前者は夢のような道具を手にしてつい調子に乗ってしまい、失敗する話が多いし、後者は現実がその虚構に追いつこうとしていることを警告するものだったりするのだけど)。  さて『スローターハウス5』は、SFではあるけれど、まったくのフィクションではない。主人公ビリー・ピルグリムは、捕虜としてドレスデンの大空襲を経験したヴォネガットの分身で、SFでありながら半自伝的であるという、だいぶ変わった作品だ。  ビリーは時間旅行をするようになる。しかし、のび太君の机の引き出しの中にあるタイムマシンのように、好きなときに好きな時代にいけるわけではなく、突然発作的に時間旅行をしてしまうという、やっかいな時間旅行者になってしまうのだ。(これを「けいれん的時間旅行者」と呼んでいる)  その中でビリーは何度も自分の誕生や死を経験したり、トラルファマドール星人というすべての時間を見ることができる宇宙人に出会ったりする、ざっくり言うとそんなお話。全体的な雰囲気としては、シニカルでおかしな作品だ。  トラルファマドール星人にとって、死は悲しくない。戦争もべつに悲しくない。好きな時間を見ることができるので、楽しくて平和な時間だけを永遠に見続けていればいいからだ。見ることはできるが、過去や未来を変えることはできない。なぜって「そういうものだ」からだ。彼らの考え方では死も戦争も宇宙の滅亡さえも、すべてそれでカタがつく。  そういうものだ、そういうものだ、そういうものだ。作中、誰かの死に出会うたび、執拗に繰り返される言葉だ。  だけど、本当に「そういうものだ」ろうか。この物語は、フィクションだ。わたしたちはやっぱりどうしたって、死んだ人には二度と会えない。いまもどこかで起こっている戦争に目を瞑って、平和な世界ばかりをみているわけにはいかないんじゃないかと思わされる。『スローターハウス5』は、シリアスな作品ではないけれど、ある意味ではそういった作品よりも、訴えてかけてくるものが大きい作品だ。  それにしても、本当に「そういうもの」だったら、楽なのにな。  何しろフィクションだからなあ。 原題:Slaughterhouse-Five

Posted byブクログ

2013/04/12
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

引き込まれて仕事と育児の合間をぬって3日で読んでしまった。何がなんだかわからない箇所もあり、面白いんだかよくわからないけれどインパクトは絶大。「 そういものだ」という言葉を聞くたび、この本を思い出すような気がする。 伝えたいことを直接書かないことで、逆に強く読者に訴えかける手法。「そういものだ」に込められた思いを私は受け止められたかな。

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2013/01/31

ああ、カート・ヴォネガット・ジュニアはこういうことが書きたいんだな、ということがようやく腑に落ちました。 「そういうものだ(So it goes)」について。 私は病気をして「そういうものだ」と思いました。 ヴォネガットは、"So it goes."と書いて...

ああ、カート・ヴォネガット・ジュニアはこういうことが書きたいんだな、ということがようやく腑に落ちました。 「そういうものだ(So it goes)」について。 私は病気をして「そういうものだ」と思いました。 ヴォネガットは、"So it goes."と書いています。 そういうものなんだと思います。

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2012/12/27

すべてのページにあるんじゃないかって勢いで、「そういうものだ」(So it goes)を繰り返すビリー・ピルグリム。けいれん的時間旅行者である彼が主人公だが、医者として過ごした次には第二次世界大戦の現場にいたり、異星人の動物園にいる。 半自伝的小説とあるように、作者の経験そのまま...

すべてのページにあるんじゃないかって勢いで、「そういうものだ」(So it goes)を繰り返すビリー・ピルグリム。けいれん的時間旅行者である彼が主人公だが、医者として過ごした次には第二次世界大戦の現場にいたり、異星人の動物園にいる。 半自伝的小説とあるように、作者の経験そのままのような物語が第二次世界大戦のパートでは語られている。 理不尽なんて言葉では言い表せないような境遇の主人公なのに、読み終わってから感情があったかどうか思い出せないほどの無個性っぷり。それはあらゆる理不尽や悲惨な光景を、「そういうものだ」の一言だけでスルーしてしまうから。 溢れる感情を抑えながら語るのではなく、ほんとうに、ただ「そういうものだ」とだけ淡々と思っているみたい。作者にとってはこの小説を書くために必要な適応であり、作中の主人公にとっては生きる上での必然なのか。 思い出したのは古川日出男の『馬たちよ、それでも光は無垢で』。作者自身の震災関連の経験を、あえて小説の形にしたものだったけど、こちらも試みとして少し似ている。 トラルファマドール星の動物園のパートの意味がよくわからないので考えたい。

Posted byブクログ