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約束された場所で の商品レビュー

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120件のお客様レビュー

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2018/09/12

なんだか怖くなってしまった。 オウムで出家する人なんて変な人で、私なんて割と普通だから出家なんて絶対しないだろうなと思っていたが、この本を読むと、オウムに入信する人、出家する人は特段変な人じゃなくて、それこそ割と普通の人が、すこーしだけ人生や社会に疑問を持っているときに、すこーし...

なんだか怖くなってしまった。 オウムで出家する人なんて変な人で、私なんて割と普通だから出家なんて絶対しないだろうなと思っていたが、この本を読むと、オウムに入信する人、出家する人は特段変な人じゃなくて、それこそ割と普通の人が、すこーしだけ人生や社会に疑問を持っているときに、すこーしオウムに触れただけで出家しちゃうんだなと思って、もしもそんなタイミングが私にもあったら(これまでだけではなく、これからも、そんなタイミングがあったら)、私だってふと入信しちゃいそうだなと思って、怖くなった。 みんな純粋で、自分を高めることに一生懸命で、その組織全体としては間違いなく方向性が間違っているとしても、個人としては全然間違っていないんじゃないか、と思う。(もちろん犯罪を起こした上層部は個人レベルでも悪い) こう書いていてもっと怖いのは、そもそも、間違っている・間違っていないってなんだろうって疑問に思えてしまう。何が正しくて何が正しくないかなんて、どこから見るかによる。 普通、普通じゃない、悪い、正しい、って、全部相対的だから、立ち位置が不安定になるとあっという間に分からなくなっちゃう。ということがふっと分かって、この本、こわーー。というかリスクを知れたという意味で、読んでおいてよかったということだ。。

Posted byブクログ

2018/09/01

「こういう考えかたあってもいいじゃない」が許容される世界がオウムにしか無かった。 村上 「ファクトよりも真実を取りたい。世界は、その人が見た景色で成り立っている」 ストーリーとしての、オウム。 冷静構造の崩壊で「悪」がなくなったときに、 新しいストーリーの軸を持ってきた。 そ...

「こういう考えかたあってもいいじゃない」が許容される世界がオウムにしか無かった。 村上 「ファクトよりも真実を取りたい。世界は、その人が見た景色で成り立っている」 ストーリーとしての、オウム。 冷静構造の崩壊で「悪」がなくなったときに、 新しいストーリーの軸を持ってきた。 そしてそのストーリーそのものが、麻原を超えて暴走した。 自分の作ったストーリーの犠牲になるという構造。 既存の物語を飲み込む、新しい物語。 善悪ではなく、スケールとして。 組織は、悪を内在化する必要がある。 いわゆる「はけ口」がないと、その集約店の圧力が高まって爆発する。 外に向けて発散しようとする。ナチズム然り。 オウムと満州国の類似性。 テクノクラークを飲み込みうる「理想郷」。 本質的に欠如していたものとしての、「正しく立体的な歴史認識」「言葉と行為の同一性」。

Posted byブクログ

2018/07/31
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

 『アンダーグラウンド』を読んでやるせない気持ちになった。そこでやはり湧き上がるのは、著者と同じく「オウムとは一体何だったのか」という疑問だ。  この本には、オウム真理教信者および元信者のインタビューが収録されている。もちろん事件に直接関わった人たちではなく、単純に宗教としてのオウムに救いを見出し、入信した者ばかりだ。オウム=加害者と十把一絡げにできるわけではない。しかし、あの事件を引き起こした人々のそばにいた信者たちが、どのような光景を目にし、どのような感情を持っているのかを知ることで、事件がなぜ起きてしまったのかを知る手立てになる。  『アンダーグラウンド』を読んだときに、被害に遭った方々は現行の社会システムにうまく馴染み、生きる目的を(盲目であるにせよ何となくであるにせよ)持たれている方ばかりだと感じた。だからこそ、あんな事態に陥っても会社に行こうという強い意志を持っていたのだと思う。一方でオウム真理教信者たちは、矛盾と欠陥を抱えた社会システムに馴染めなかった人ばかり。誰にも理解されない思いと孤独を長年抱え、やっと出会ったのがオウム真理教だった、筋の通った(?)論理に納得して入信したという方が多かった。  彼らの気持ちは、何となく理解できる。この世は不平等だし、矛盾に満ちている。資本主義の在り方に疑問を覚え、会社人間として生きられなかった私には何となくだけど理解できてしまった。特にバブルとその崩壊を目の当たりにして、何を信じていいのかわからなくなっても不思議ではない。むしろ、あんな事件に巻き込まれてもなお会社に行くことのほうが理解しにくいかもしれない。  そう考えると、オウム的なるものとそうでないものの境界は非常に曖昧なのかもしれない。彼らはたまたまそれに出会い、生きる意味を見出せた、ただそれだけのことだ。事件を起こした幹部たちも、最初は同じような入り口に立っていたのではないかと思う。  不幸にも純粋すぎた彼らに必要だったのは、「悪を自分の中に抱える」「煩悩を抱きしめていく力」だという河合隼雄氏の考えにはうなずける。  事件から20数年経ったが、現代の社会にはそのような生きづらい人々の受け皿はあるのだろうか。インターネットが普及し、人々はリアル以外でも繋がれるようになった。多様化が叫ばれるようになったけれど、“こうあるべき”という社会の圧は依然としてある。オウム的なるものの種は、まだまだこの世に潜んでいる気がする。

Posted byブクログ

2018/07/16

2018年35冊目。 地下鉄サリン事件以降、村上春樹さんがオウム真理教(元)信者に対して行ったインタビュー集。 被害者側へのインタビューをまとめた『アンダーグラウンド』の続編という位置づけだが、手元にあったのでこちらを先に読んだ。 いま読もうと思ったきっかけはやはり、地下鉄サリ...

2018年35冊目。 地下鉄サリン事件以降、村上春樹さんがオウム真理教(元)信者に対して行ったインタビュー集。 被害者側へのインタビューをまとめた『アンダーグラウンド』の続編という位置づけだが、手元にあったのでこちらを先に読んだ。 いま読もうと思ったきっかけはやはり、地下鉄サリン事件首謀者たちの死刑執行のニュースだった。 「過去の事件」では片づけられない。 村上春樹さんの言葉を借りるなら、オウムやあの事件そのものだけではなく、「オウム的なるもの」を考える必要があり、その危険性は、おそらく社会の中にまだまだたくさんある(増えている可能性だってある)。 相似的に、大なり小なり同類のことは今後も起こるであろうことを考えると、いわゆる「加害者」の側に属していた人たちの声を知る、ということの価値はとても高いと思う(もちろん、彼らが直接の実行犯であるわけではない、という前提を踏まえた上で)。 たった8人へのインタビューであることを考えれば、簡単に普遍性を見出していいわけではない、という大前提を持ちつつ、それでも入信する人たちのいくつかの共通点がうかがえたと思う。 ●現世への失望感、物足りなさ、生きづらさを感じている。 ●精神的達成や内面の開発に勤しむ。 ●生真面目で完璧主義な人である場合が多く、自分なりの理論が通らないことには納得しない、逆に通ってしまえば傾倒する。 そんな人たちに対して、オウム真理教(他のカルトといわれるものもそうかもしれない)は、精神的向上の場を設けていたし、明解な答えをぱっと提供できる教義とグルが存在し、受け皿として機能した、と読めた。 「煩悩を抱く現世の人々を、私たちが引き上げてあげる」という選民思想感も、信者を繋ぎとめるものとして機能していたと思うし、そしてそれは恐ろしい殺人を正当化することにも繋がってしまったのだと思う。 教義に対して疑問を抱くことは自身の穢れやカルマのせい。よいことが起きればグルのおかげ。 そういう極端な思考に走ることで、徹底的に煩悩を取り除こうとして、同時に自己も失っていく。 空っぽになってしまったところに、教えが満たされ、狂信的になっていく。 一概に言ってしまうのもよくないけど、そんな流れを感じる。 巻末の河合隼雄さんとの対談では、生きずさらさを感じる人たちに対する受け皿が社会に用意されておらず、オウムが掲げる物語がその代替手段となってしまった、ということが語られている。 大きな社会の中で居場所を失った人たちが、小さな箱の中の単純明快な論理に吸い込まれていく。 対抗手段として、ネガティブな物語をも包み込む、もっと大きな物語を社会に準備することが挙げられていた。 そしてそれは、「完全に良い物語」なのではなく、「煩悩や悪を内包できる物語」であるのだと感じた。 「良い」の定義が「悪や煩悩の徹底的排除」になってしまえば、やはり善意に基づいた狂信的な悲劇を起こすことに繋がってしまうと思う。 許容可能な形で、どう煩悩と共存するか。 それを思うと、去年知った「ネガティブ・ケイパビリティ=性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」という概念は重要だと心底感じた。 「自分の可能性を考える」と言ったとき、そこには二つの可能性があるべきだと思う。 一つは、「きっと自分にもこんなことができるはずだ」というポジティブな可能性。 もう一つは、「状況によっては自分もこうなってしまう恐れがあるのではないか」というネガティブな可能性。 「悪い」と言われる側を一方的に断罪するのはとても簡単だけど、やはりそこにネガティブ・ケイパビリティを持って一呼吸置いて、加害者側の論理や正義に耳を傾けてみる余地は必要だと思う。 直接被害に遭われた方や遺族の方々にまでそんな風に言い切ることは難しいけど、少なくとも第三者的に見れる立場にある人たちにとっては。 早急な答えを求めないこと。煩悩と許容可能な形で共存すること。破壊的なものに吸い込まれる代わりとなる受け皿があること。 どれも簡単なことではないけど、大事なことが見える一冊だった。

Posted byブクログ

2018/03/26

地下鉄サリン事件から23年。23年経ったが、本書で村上春樹氏が本書で指摘した問題、つまりこの現実に馴染めきれない人をどうやって救うかということ、は解決するどころかますます深刻になってはいまいか? そんなことを考えさせられました。

Posted byブクログ

2022/01/22

これはカウンセリングのようだなあ、と思って一巻から読んでいたら、後半河合隼雄先生が登場して腑に落ちた。テーマはとても哲学的。

Posted byブクログ

2017/08/13

村上春樹さんだから手に取ってみたんですが、 「彼の小説が読みたい」という気分で、 「まだ読んでない本読みたい。」と思い、 この本がオウム関係のインタビュー集だということはうっすらどこかで知っていたのだけど、読んだことない彼の本があんまりない本屋で見つけた読んだことのない彼の本で...

村上春樹さんだから手に取ってみたんですが、 「彼の小説が読みたい」という気分で、 「まだ読んでない本読みたい。」と思い、 この本がオウム関係のインタビュー集だということはうっすらどこかで知っていたのだけど、読んだことない彼の本があんまりない本屋で見つけた読んだことのない彼の本でして、 そのうっすらした記憶を抹殺して買ってしまった次第です。 やはりインタビューは気分ではなかったのだけど、 私は常日頃、 「自分が正しいと思っていることが、人の何かを損なってしまうほどのマイナスに働くことがある」と思ってはいるのだけれど、そんな大事なことを人は(少なくとも私は)すぐ忘れてしまう。でもその忘れていられる間だけが、「幸せ」を感じていられるんじゃないか、とも思う。 「幸せとは何か」なんて言ったら、きりがないのだけども、他者を顧みない、時に利己的にも見える「自分だけにまっすぐ心のベクトルが向いているとき」に、その「幸せ」ってやつは、感じられるんだと思う。 「あなたの幸せは、私の幸せ」、「人の幸福を願える幸せ」それですら、「私が幸せを感じる」ことに対しては、まっすぐ自分自身に向かう感情なわけで。 それが、客観的、社会的に見たら、「悪」に見えるとか、そういうのは、ちょっと別の次元の話なんだよなって、ことなのよね。うまく折り合いをつけていくのが、「人」なんだけれども、極論を言ってしまえば、そういうことなんじゃないかしらと、思う。 その「利己的な行動」の、客観的で、社会的な良し悪しが、この一連の出来事を生んだ。これは、もしかしたら、時代とか、国とか、場所とか、そういったものがちょっとズレただけで、全く違った印象のものになっていたかもしれない。そう思うと、本当に、怖くなります。決して、信者さんを肯定する発言ではありません。しかしながら、誤解を恐れずに言えば、「自分にまっすぐに向かう感情」に、正直にいたいとする自分自身の行動が、客観的かどうかを主観で判断する脆さや危うさを伴っていることに、我々は自覚的であるだろうかと、思ってしまったりもするのです。

Posted byブクログ

2017/05/01

オウムの信者に、少し触れることができた思いがした。 もちろん、これが全てではないだろう。 事件当時、思春期だった私は、テレビの画面を見つめながら複雑な違和感を覚えていた。その感覚を思い出した。 オウム信者の、社会から断絶しようとしているかのような、壁をはっているかのような空気に対...

オウムの信者に、少し触れることができた思いがした。 もちろん、これが全てではないだろう。 事件当時、思春期だった私は、テレビの画面を見つめながら複雑な違和感を覚えていた。その感覚を思い出した。 オウム信者の、社会から断絶しようとしているかのような、壁をはっているかのような空気に対する違和感。 一方的にオウムを悪者にして、突き上げようとする報道・大人の様子への違和感。 どちらに対しても違和感があった。 「でも、本来、オウムの人って、正しい道を望んで宗教に入ったんじゃないの?」と大人に問うてみたときの、あの苦々し気な戸惑いを含んだまなざし。 私が恐ろしいことを言い出したかのような、拒絶する空気。 どっちもどっちだ、おかしい。と、思春期の私は痛切に感じた。 もう、すっかりおばさんになってしまった今の私には、自分たちが必死で築き上げて、守ろうとしている生活を脅かすものに対する恐怖心は、痛いほどわかる。だから、いつの時代でも、犯罪や悪は徹底的に攻撃され、つるされる。 ただ、ちょっとでいいから、「でも、もしかしたら・・・」と、保留できるだけのスペースを、頭の中に作っておきたい、と思う。 全否定をしない、ほんのちょっとの可能性を、自分の心に、開けておきたい。 おばさんになった私は、そう思う。

Posted byブクログ

2016/10/09
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※このレビューにはネタバレを含みます

2016.10.09 読了 オウム真理教信者、元信者へのインタビュー。 ある意味前作「Underground」よりも興味をもって 読んだと思う。 というのも、凶悪犯罪をおかすような人も (本作にでてくるインタビュイーのみなさんは犯罪者ではないけれど) 過去は純粋な子どもだったはずなのに、怨恨などを理由にした一対一などの殺人は動機があるので理解の枠を越えない にしても、少年Aやこのオウム真理教などの事件は とてもじゃないけど理解の枠を大幅に飛び出てしまう。 これはいったいどういうことなんだろうということを これまでは「考えても仕方がない。人間の根本からして普通ではない人たちなのだ」として逃げる他なかったが、 それを考える一助になったように思う。 また、子どもを加害者にさせてしまうことが 何より恐ろしいといってよいかと思うけれど、そうさせない ためのヒントも得られたように思う。 悪とは何か、本当に難しい。 (メモ) 家庭を含む組織は悪を内包することが必要。 でないと組織安泰のために外に悪を作るようになってしまう。

Posted byブクログ

2016/09/11
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

正直、じわりとした、それでいてどこか、膜を1枚隔てたような、そんな恐さがありました。 何かがずれてしまえば、私も有り得るかも知れない。可能性の問題かも知れませんが。 私は、潔癖ですが。 気付かれないように、バランスを取る作業をしていました。 丁度二十歳前後の事です。 自分でもバランスを取っているんだなぁと解っていたので、白と黒のように、振り子のように、同じ分だけ割合や役割を保っていた。 その中でも、真ん中にはブラさない軸があって、それは絶対に手放さなかった。手放しちゃいけない事も解っていた。 そこを、他者へ預けてしまったのだと思う。彼らは。 多分、そこが、大きな渦へ繋がり、引き込まれ、何かに負けてしまった要因なのだと思う。 物凄いエネルギーが要ると思います。 彼ら、彼女らが、オウムで信じていたものを解体させ、自らで再構築していくのは。 憔悴するだろうな。 きっと、張本人にしか、苦しさや震えは分からないんじゃないかな…。 考え続けるしかないんじゃないかな。 白と黒の間の、グレーの中で。 自分の事のようで、少しぴりぴりして、小石のような重さが心にのこりました。

Posted byブクログ