1,800円以上の注文で送料無料

峠 改版(下) の商品レビュー

4.2

126件のお客様レビュー

  1. 5つ

    49

  2. 4つ

    43

  3. 3つ

    18

  4. 2つ

    3

  5. 1つ

    2

レビューを投稿

賊軍となった幕府側の…

賊軍となった幕府側の小藩に過ぎない長岡藩は必死な抵抗にもかかわらず、遂に官軍に降ることになる。こんな小藩に生まれた河井も不幸だったが、こんな英傑を持ったばかりに悲惨な激戦を演じることになった長岡藩も不幸だったのかも知れない。

文庫OFF

2025/12/30

いよいよ始まる北越戦争 長岡とその周辺の地名がたくさん登場するが、現在長岡に住んでいることもあり、かなり興味深かった。 普段車で何気なく通り過ぎる場所が、150年前には激戦の地だったとは

Posted byブクログ

2025/09/21

想いの強さは大切であるが自分の考えを周りの人に伝える力もリーダーとしては必要なことである。その点ではやはり足りなかったのではないか。

Posted byブクログ

2025/06/25

戊辰戦争は西軍が優勢のまま、ついに越後にも恭順か抗戦かという決断が迫られる。その中で武装中立という、あくまで長岡藩を独立させつつ西軍と東軍の橋渡し役を担うべく奔走する河井継之助は、やがて自らの運命を悟るようになる。 題名の「峠」とは、実際の戦場となった榎峠のことを指すとともに、...

戊辰戦争は西軍が優勢のまま、ついに越後にも恭順か抗戦かという決断が迫られる。その中で武装中立という、あくまで長岡藩を独立させつつ西軍と東軍の橋渡し役を担うべく奔走する河井継之助は、やがて自らの運命を悟るようになる。 題名の「峠」とは、実際の戦場となった榎峠のことを指すとともに、幕末から維新へと向かう日本社会にとっての転換点でもあることを示している。とくに北越戦争および会津戦争は、必ずしも優勢ではなかった西軍がその後の維新へと向かうための重要な戦略的転換点であり、ここでの勝利が決定的だった。 継之助にとって不幸だったのは、西軍との交渉役が岩村精一郎だったことだろう。歴史にタラレバは禁物だが、もし戦略的思考を持つ黒田清隆や山県狂介が相手であれば、重武装の長岡藩と事を構えずに会津藩との交渉役に抜擢するといった判断もあり得ただろうし、もしかしたら戦後も生き残って維新政府で重要な役割を担ったかもしれない。 2027年の大河ドラマに小栗上野介忠順が決まったように、近年では賊軍とされてきた幕府方の英雄たちを見直す動きが広まってきている。河井継之助も長岡という地に譜代大名の家臣として生まれていなければ、もしかしたら維新志士として名を馳せていたかもしれない。そして困窮にまみれることとなった長岡では、小林虎三郎による米百俵の精神が説かれ、そこから家老の名家を受け継いだ山本五十六が出てくるといった形で、歴史は紡がれていく。

Posted byブクログ

2025/05/24

江戸を脱出してから北越戦争に投じて、激戦の中で被弾による戦傷死までを辿る。 継之助は誰よりも時代の流れを見通し、可能な限りの戦備も整えたが、歴史の皮肉はその継之助が幕藩時代の譜代大名家の士分に生まれたことだろう。全て見通しているものの、長岡藩執政という立場に全てを規定されてしま...

江戸を脱出してから北越戦争に投じて、激戦の中で被弾による戦傷死までを辿る。 継之助は誰よりも時代の流れを見通し、可能な限りの戦備も整えたが、歴史の皮肉はその継之助が幕藩時代の譜代大名家の士分に生まれたことだろう。全て見通しているものの、長岡藩執政という立場に全てを規定されてしまう。武装中立するという立場も元々無理筋ではあったが、裏で会津藩が自分側に引き入れようと策を練り(基本的に失敗続きの会津藩が自分と長岡藩が裏取引しているとの印象を官軍に抱かせる謀略だけは成功)、検察官的性格の官軍軍監岩村精一郎に塩対応をされ戦う決意を決めてしまう。 軍備もあって戦術眼もあったからこそ彼我に多くの戦死者を出す戦いとなるが、結局、戦略的には負けており、最後はそうなってしまった。藩の立場で美学を追求するとこういうことになってしまう。残るは大量の戦傷者、戦災、そして多くの住民の生命・財産の毀損である。この美学と損失の関係は後の日本軍にも通ずるところがある。 司馬遼太郎は後書きにて、侍とは何かということを考えたとあるが、陽明学に基づく美学は個人としては完結し美しいが、全体を考えて動かないといけないと思う。 非常に侍とは、美学とは、藩の枠とは、政治の役割とは、戦略眼とは、と様々考えさせられる良著だった。

Posted byブクログ

2025/05/16

継ノ助は新しい時代の視点と純粋な忠義心、そして実行力を兼ね備えていたという点で大半の薩長や公家、譜代の面々より遥かに優れた人物であったと思うものの、では何故彼の本懐が遂げられなかったのか。 あまりに周囲の人との違いが大きいため、結局のところ自分の主張が受け入れられることに慣れ過ぎ...

継ノ助は新しい時代の視点と純粋な忠義心、そして実行力を兼ね備えていたという点で大半の薩長や公家、譜代の面々より遥かに優れた人物であったと思うものの、では何故彼の本懐が遂げられなかったのか。 あまりに周囲の人との違いが大きいため、結局のところ自分の主張が受け入れられることに慣れ過ぎていたおかげで、肝心の西軍との談判を強引に進めて破れ去ったのが大きな理由の一つだったのかな。 とは言うものの、大した人物がいたものだ。

Posted byブクログ

2025/04/20

幕末の時代。 誰もが、長いものに巻かれ、右往左往していた時代に、これだけの自己規律と信念を持ち、ブレずに生きた男がいた。 そのことが衝撃だったなぁ。 思想や自己規律、信念が、ここまで生き様を描くことができる。それが人間が、他の動物とは一線を画す生き物である、ことの証左だとも思う...

幕末の時代。 誰もが、長いものに巻かれ、右往左往していた時代に、これだけの自己規律と信念を持ち、ブレずに生きた男がいた。 そのことが衝撃だったなぁ。 思想や自己規律、信念が、ここまで生き様を描くことができる。それが人間が、他の動物とは一線を画す生き物である、ことの証左だとも思う。 武士って、スゴイや。

Posted byブクログ

2025/04/08

河合継之助との長い旅が終わった。 長かったが、充実した旅であった。 継之助の真っ直ぐな生き方に感銘を受け、武士の矜恃を見せつけられた。 司馬遼太郎、流石である。

Posted byブクログ

2024/11/04

誰よりも早く洋式を取り入れた継之助。 一方、志や思考・思想は誰よりも武士だった継之助。特にこの下巻ではその色が濃くなる。 継之助は完璧主義でもなければ適当主義でもない人なのだろうと思う。あえていうなら最適主義といった人物。 複数の方が書いているが、幕末や明治維新の時代、学校の...

誰よりも早く洋式を取り入れた継之助。 一方、志や思考・思想は誰よりも武士だった継之助。特にこの下巻ではその色が濃くなる。 継之助は完璧主義でもなければ適当主義でもない人なのだろうと思う。あえていうなら最適主義といった人物。 複数の方が書いているが、幕末や明治維新の時代、学校の勉強ベースや歴史の書籍ベースだと、殆どといってよいほど、倒幕側の目線、あるいは幕府側の目線で書かれている。それがこの『峠』では長岡がとった『中立の立場』として描かれており、同じ時代でも全く違った世界を知ることが出来る。 峠の主人公である河合継之助、同じ時代を生きた坂本竜馬、うつけと言われた信長、皆若い頃は総じて周囲から『変わり者』と思われる人間だったと思う。つまり天才とはそういう者だ!

Posted byブクログ

2024/11/04

北越戦争、こんな歴史があったとは。 戊辰戦争、無血開城以降は函館までほぼ素通りしてたけど、こんな人が長岡にいたんですね。 結果的に批判されるのはやむなしとしても、その粋は美しいし、結果については運の巡り合わせにもよるのかなと思う。

Posted byブクログ