ながい坂(下巻) の商品レビュー
(01) 普通には時代小説として読まれるだろう。また、文庫版の奥野健男の解説にあるようにビルドゥングスとして、また現代的にはサクセスのコツを含むビジネス小説として読まれるのかもしれない。 しかし、本書は文体論としても問題的なあり方をしており、驚きをもって読まれる。例えば、時系列あ...
(01) 普通には時代小説として読まれるだろう。また、文庫版の奥野健男の解説にあるようにビルドゥングスとして、また現代的にはサクセスのコツを含むビジネス小説として読まれるのかもしれない。 しかし、本書は文体論としても問題的なあり方をしており、驚きをもって読まれる。例えば、時系列あるいは空間系列に従うシークエンシャルな文脈の流れにあって、文脈から離れた回想や記憶の手がかりが、けっこう生々しい(*02)タイミングで突然に、普通のコンテクストからゆうとありえない角度からぶっこまれてる。こうした違和感のある文体、いってみればアバンギャルドな文体について、現代文学史の中では、川端康成の意想と比較しても面白いと思われる。 (02) 生々しさという形容から類推すれば、藩政時代の武家のエロスを会員制クラブあるいは秘密結社さながらの、魔窟な方面から描いてしまう件についても寡聞にしてちょっと知らない。戦国時代の女忍者や、中世の貴族、近世の町民や庶民(*03)といった典型ならあるあるなパターンであるが、そうではない時代と階級のエロスを描いている。主人公の夫婦関係や性愛のあり方についても異数(*04)といえるだろう。 (03) 匿名と顕名のありかたにも独特の徹底ぶりが発揮されている。つまり、名のない者が出てこないことの煩雑さのうちに物語が紡がれている。植物学の牧野富太郎が著者に範を垂れた雑木(*05)の有名性については有名なエピソードなのだろうか、本書での人名に対する偏執ぶりもかなり異様な部類に入るだろう。 この煩雑な顕名性は著者のポリフォニカルな語り口との関連で読まれてよいだろう。数章の並びの中に挟まれる断章あるいは幕間劇についても、脚本の柱のように立てられたシーンの下に繰り広げられる対話という構成は、神話的な情景すら帯びさせるにいたっている。 (04) 地の文にも面白味があって、普通の文体であれば、主人公が、云々と思った、何々と考えた、という構文なるところを、本書の場合、鉤括弧を付けない地の文で、科白のように言いかけて、やっぱり止めた、みたいな寸止め口調として現れている。科白にもなっていない、地の文にした主人公の思いでもない、宙吊りともいえるような、言いかけでやっぱり思いとどまってしまうこの寸止めな言葉については、近代私小説を解く鍵のひとつとなるだろう。 ちなみにこの寸止め感が主人公夫婦の寸止めな営みに通じることは言うまでもない。 (05) 植生を含む地勢という歴史地理の問題も含まれている。坂を呈示する標題からして地形地勢的であるが、橋、水路、山林、くぬぎの雑木を植栽した屋敷の趣味なども興味深い。エピローグとみなされる章で主人公はこれまで認識の外にあった緩い勾配に衝撃される。この一点をもってしても衝撃的な小説である。
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江戸時代の小藩の下級武士に生まれた主人公が、子供の時に遭遇した事件に憤慨し、長くつらい道を生きる決断をして成長するが、その後苦労する場面が続く。下巻では、上巻で登場した人物が、歳を重ねて登場するが、いろいろな生き方や価値観があるものだと改めて思い知らされる。この小説はとにかく重い...
江戸時代の小藩の下級武士に生まれた主人公が、子供の時に遭遇した事件に憤慨し、長くつらい道を生きる決断をして成長するが、その後苦労する場面が続く。下巻では、上巻で登場した人物が、歳を重ねて登場するが、いろいろな生き方や価値観があるものだと改めて思い知らされる。この小説はとにかく重い。
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上巻と同じ印象。つるまでが主水正に惹かれて態度が変わるなんて、現代では男のファンタジーという感想です。
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一人の男の半生を丁寧に描いた作品。娯楽の時間をとしては良かったですが、少し主人公との距離ができてしまい、深く主人公の思考に耽るようなことはなかった。
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時代がかわっても人間関係の難しさは変わらず、 人生を苦しみながら生きていく姿は、共感する。 今年イチオシの推薦本!
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最終の主水と似たような年のせいか涙無しには読了出来ない。全力で逃げ切りたいが、人生の正否は臨終の床で判断するしか無く、その日はあまりに遠いことであることを嘆息せざるを得ない。
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タイトル通り、ながい坂を重荷を背負って生きる主人公、三浦主水正。かの徳川家康もそういえば、そんなことを言っていた。人生は主にを背負うと歩くがごとし、急ぐな、みたいなこと。賛否両論あるようだが、ただただ、格好よろしい。人間には転機がある、悔しさ、これが一番の転機になるような気がする...
タイトル通り、ながい坂を重荷を背負って生きる主人公、三浦主水正。かの徳川家康もそういえば、そんなことを言っていた。人生は主にを背負うと歩くがごとし、急ぐな、みたいなこと。賛否両論あるようだが、ただただ、格好よろしい。人間には転機がある、悔しさ、これが一番の転機になるような気がする。しかし、悔しさをばねに伸びるにも限界がある。ある時点から、もはや自分との戦いになるのだろう。生きる、それも下々のものとして生きるのではなく、上のものとして正しく生きる、これがいかに難しいか。とりわけ、現代にも通じるような政治の泥に揉みくちゃになりながらも、正しく生きた主人公はエライ。しかし、ただ一つ、ある女性に同情を覚えた…それでよかったのかと。どの人間に感情移入するかで、評価は変わるかもしれない作品。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
下巻の初めは刺客から身を隠すために 新畠や長屋での生活を余儀なくされるものの、 後半はとにかく物事が良好に進む進む。 ただ、表立った危機を感じさせないのは 主人公である主水正の慎重かつ 機会を計る上手さ故であるともいえるだろう。 それ故、後半は切り合いのような物理的な戦いはなく、 政治的な駆け引きが続くばかりとなり、 スカッとする爽快感はなかった。 様々な苦労や経験をして成長していく主人公が、 親兄弟や子供に対する シビアかつドライな考え方や 昔の恩師の死に目に素直に会いに行こうとしない 潔癖さを最後まで変えないのが 不完全さを出していて却って良い。 どうせ自分に報いが返ってくるだろうから 今後も苦しみ続けてください。 滝沢兵部の最後の顛末も個人的には良かった。 目に見えた努力をしている人だけでなく、 苦しみ続けている人がどこかのタイミングで報われる、 都合の良い話かもしれないけれど、 それを話として書き起こす著者は 優しい見方ができる人だと思った。 あと、途中から半永久的に続く奥さんのデレ期が異常。
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「人間とはふしぎなものだ」と主水正が云った、「悪人と善人とに分けることができれば、そして或る人間たちのすることが、善であるか悪意から出たものであるかはっきりすれば、それに対処することはさしてむずかしくはない、だが人間は然と悪を同時にもっているものだ、善意だけの人間もないし、悪意だ...
「人間とはふしぎなものだ」と主水正が云った、「悪人と善人とに分けることができれば、そして或る人間たちのすることが、善であるか悪意から出たものであるかはっきりすれば、それに対処することはさしてむずかしくはない、だが人間は然と悪を同時にもっているものだ、善意だけの人間もないし、悪意だけの人間もない、人間は不道徳なことも考えると同時に神聖なことも考えることができる、そこにむずかしさとたのもしさがあるんだ」 「人も世間も簡単ではない、善意と悪意、潔癖と汚濁、勇気と臆病、貞節と不貞、そのほかもろもろの相反するものの総合が人間の実体なんだ、世の中はそういう人間の離合相剋によって動いてゆくのだし、眼の前にある状態だけで善悪の判断はできない。おれは江戸へ来て三年、国許では全く経験できないようなことをいろいろ経験し、国許には類のない貧困や悲惨な出来事に接して、人間には王者と罪人の区別もないことを知った、と主水正は云った。」 「小太郎、と主水正は心の中で呼びかけた。この世には、人間が苦労して生きる値打なんぞありはしない、権力の争奪や、悪徳や殺しあい、強欲や吝嗇や、病苦、貧困など、反吐のでるようないやなことばかりだ、そんな事を知らずに死んだおまえは、本当は仕合わせだったんだよ、小太郎。 筍笠を打つ雨の音と、早朝の空の、まだ明けきっていないような、少しもあたたかみのない非情な光とが、主水正の感情をいっそう暗い、絶望的なほうへと押しやるようであった。 『宗厳寺の和尚の気持がいまこそわかる』と彼は声に出して呟いた、『諸国を遍歴し、八宗の奥義を学び取って帰ると、一生なにもせず、酒に酔っては寝ころんでくらした、和尚にはわかっていたんだ、人間のすることのむなしさも、生きるということのはかなさも』 主水正はうなだれた。すると筍笠のふちに溜まっていた雨水が、しゃがんでいる彼の、眼の前へこぼれ落ちた。主水正の喉に嗚咽がこみあげてき、彼は呻きながら泣きはじめた。」
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周五郎。長編は久しぶり。 平日はなかなか時間なくて長編に手を伸ばしにくかったのだけど、 ゴールデンウィークを利用して読みました。 ストーリーの主軸はお家騒動。 武家物としてはよくある題材なんだけど、 さすがに周五郎を代表する長編の一つ。濃厚。 人生にどう向き合うのか、 何を考...
周五郎。長編は久しぶり。 平日はなかなか時間なくて長編に手を伸ばしにくかったのだけど、 ゴールデンウィークを利用して読みました。 ストーリーの主軸はお家騒動。 武家物としてはよくある題材なんだけど、 さすがに周五郎を代表する長編の一つ。濃厚。 人生にどう向き合うのか、 何を考え、どう生きるのか というようなことが周五郎小説の大きなテーマだと思うんだけど、 三浦主水正の半生、「ながい坂」を丁寧に描いているこの作品は本当に傑作。 就職直前には「天地静大」を読んだ。 社会に出て、挑戦していく若者たちの群像劇。 いま就職して4年目。このタイミングでこの本を手にとって良かった。 このながい坂は主人公の子ども時代から始まるけど、 特に下巻の中心は30代。いろいろ考えながら読みました。 人間的な成長とか、苦悩とか、人間関係の難しさとか素晴らしさとか、 あぁこれから俺もまだまだ坂を登って行くんだろうなぁ、と。 樅ノ木は残った、虚空遍歴あたりの長編も暇を見つけて読みたいな。
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