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火宅の人(上巻) の商品レビュー

3.7

41件のお客様レビュー

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  2. 4つ

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2012/05/03
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

昔、酒に溺れてた頃の自分自身を思い出しつつ読んだ。 悪酔いすると、人は馬鹿げた行動をとるもの。 しかし、才能がある人は どんな言動をとっても、許されるものなのだと思った。

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2011/10/06

中学時代太宰治ファンだった私(恥)としては面白くないわけがない! 大人な太宰というかんじですか?(素人発言ですみません) なぜ今まで檀一雄を読んでいなかったのか。

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2010/07/11

リツ子さんが亡くなってからの壇一雄の放浪記。長男一郎、日本脳炎で寝たきりの次郎、弥太、フミ子、サト子、妻ヨリ子との新しい生活を置いて、劇団員の恵子や欧州旅行で知り合った葉子、行きづりの女たち、酒。 こんなすごい生活が淡々と語られていくんだよね。でもこれを書きおわってから3ヶ月後...

リツ子さんが亡くなってからの壇一雄の放浪記。長男一郎、日本脳炎で寝たきりの次郎、弥太、フミ子、サト子、妻ヨリ子との新しい生活を置いて、劇団員の恵子や欧州旅行で知り合った葉子、行きづりの女たち、酒。 こんなすごい生活が淡々と語られていくんだよね。でもこれを書きおわってから3ヶ月後に亡くなってしまったそう。次郎くんとの触れ合いだけがほのぼの。

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2010/02/11

このようにして、私たち男女は、生きて、愛して、死ぬのだろう。 そのとめどなさも、おかしさも、めでたさも、何を咎めだてすることができるだろう。だとすれば、まず涙を拭え。

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2010/01/12

ガンの激しい痛みの中で、最後の気力をふりしぼって完成させた長編。人々に大きい感銘を与えた。 『火宅の人』の生き方は、現代の管理社会の優等生的生き方と全く反対である。彼は社会のあらゆる約束事、既成の道徳、立身出世、家庭の幸福などを無視し、反逆的に生きとおした。 もちろん今日でも秩序...

ガンの激しい痛みの中で、最後の気力をふりしぼって完成させた長編。人々に大きい感銘を与えた。 『火宅の人』の生き方は、現代の管理社会の優等生的生き方と全く反対である。彼は社会のあらゆる約束事、既成の道徳、立身出世、家庭の幸福などを無視し、反逆的に生きとおした。 もちろん今日でも秩序への反逆を試みる者も脱出を企てる者もいるが、その多くが陥るようなみじめな落後者、ひねくれたすね者の生き方とは、檀一雄は全く異なっていた。今日の退嬰化、矮小化、規格化した精神からは絶対に生まれないおおらかさ、本質的な自由奔放さがあった。どんな逆境にもめげない、いや逆境とか不遇とかを受け付けない強さがあった。天然の詩情や旅情のおもむくままに生き、その瞬間瞬間の真実に忠実であろうとした。それがたとえ破滅に、背徳に向かう道であろうともちゅうちょするところがなかった。

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2009/10/04

檀を読んで興味を持ったので読んでみた。 檀を読んだから、だいたいのストーリー、流れはわかってたけど。 読めば読むほど、あーーこんな人って・・・。 どーしよーもないな、この人。イライラ・・・。 って思った。 もっと深く読むべき一冊なのかも知れないけど、 奥さん、関わる女性、そし...

檀を読んで興味を持ったので読んでみた。 檀を読んだから、だいたいのストーリー、流れはわかってたけど。 読めば読むほど、あーーこんな人って・・・。 どーしよーもないな、この人。イライラ・・・。 って思った。 もっと深く読むべき一冊なのかも知れないけど、 奥さん、関わる女性、そして何より彼自身に淋しさを感じた。

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2009/10/04

THE・私小説。この本を、或る人に貸したら、 「どんなにユーメイで金持ちでも、好き勝手やってたら、孤独で終わってしまうんだな。俺はそんなの嫌だと思った。」 と言っていた。その、ストレートな感想の方が、心に残っている。

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2009/10/04

沢木耕太郎の『檀』に触発されて読んだ。檀のヨーロッパ旅行のところが長かった。読みつかれる。 18.Apr.08

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2009/10/04

ヨーロッパ放浪中に読んでいました。訪れる街々が小説の中とリンクしていて、さも自分が小説の中をほっつき歩いているような不思議さがありました。

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2009/10/04

「火宅の人」を読み終えて、なんとも言えず悲しく、寂しい気持ちになってしまいました。自分の生きたいように生き、好きな女と暮らし、天然の旅情に身を任せて、あてどのない放浪を繰り返す。こんなに幸せな生き方ってないだろうと思う。だけど、主人公の桂一雄は、どこか一貫して寂しさや悲しさをはら...

「火宅の人」を読み終えて、なんとも言えず悲しく、寂しい気持ちになってしまいました。自分の生きたいように生き、好きな女と暮らし、天然の旅情に身を任せて、あてどのない放浪を繰り返す。こんなに幸せな生き方ってないだろうと思う。だけど、主人公の桂一雄は、どこか一貫して寂しさや悲しさをはらんでいて、そして物語が終章にさしかかるにつれてその悲しさはいよいよ深くなっていくように見える。かつて檀一雄の盟友だった太宰治は「斜陽」で滅んでゆく主人公たち(あるいは滅んでゆく"古きものたち")を描いたけれども、この「火宅の人」もある種そういった「滅びの物語」なのではないかという気がする。豪放な生き様、自分の道を突き進む男、彼は人一倍頑強で生命力にあふれているけれど、ふと気づけば、女たちは去り、ぬくもりは遠くに消え、愛する息子までもが死んでいく。生命力を持て余した主人公だけが後にポツンと残される。やっぱり、これは、悲しいよ。 もしかしたら、私は、檀一雄氏がほとんど「死と引き換えにして」遺したというこの本の、そのバックグラウンドに絡め取られ、私の頭の中にフィルターがかかってしまっているのかもしれない。この物語に「滅び」を感じるのは、「死を前にして完結された長編」という事実に動かされているんじゃないか?と問われれば、否定できないかもしれない。わからない。だけど、私にはこの主人公の悲しさに、人間の本来の姿を見るような気がして、この大きな物語は、滅んでゆく桂一雄というよりも、滅んでゆくすべての現在・過去・未来の人間たちの ―滅びゆくことがわかっていながらも、一瞬の愛や光を手にしようともがく人間たちの― 姿を描いているような気がしてならない。 ……なんて、私はちょっとセンチメンタルになりすぎでしょうか?

Posted byブクログ