春琴抄 の商品レビュー
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鵙屋琴(春琴)と佐助の生活と生田流の琴、三弦の芸術の話である。春琴は美人で、裕福な商家(薬種商)の娘で、芸事に天稟があった。佐助は商家の丁稚で、九歳の時に失明した春琴の手曳きとなり、ひそかに三味線も始める。それがばれて主人の前で弾かされて、春琴と師弟関係となる。佐助と春琴の間には子ができるが、春琴は佐助を父とみとめず、子供は他所にもらわれていく。春琴は琴の師匠として独立し、佐助も世話でついていく。食事、厠、風呂などの世話に按摩、楽しみである鶯や雲雀の世話など、とにかく介助の人生を送る。春琴は高慢で意地悪で、弟子や同業者などから恨みをかい、三十七歳のある日、家に侵入した謎の賊に鉄瓶の湯を顔に掛けられ、醜い容貌となり、自分の顔を佐助には見てほしくないという。佐助は瞳に縫い針を射し、失明して、春琴につくす(痛みはなかったそう)。春琴の死後、佐助は検校となるが、観念上の春琴を思いながら長寿を得て死亡する。 案外、漢文のような文章だと思った。谷崎は中国にも行っているし、『麒麟』という孔子の話もかいているから当然だろう。盲の人が賢そうに見えるという観察が書いてあるが、これは文中では佐藤春夫の説となっているが、アリストテレスの『感覚と感覚されるもの』にある指摘である。鶯の世話の話など細かくておもしろかった。また、盲となった佐助にとって春琴と別れたのも、正確にはいつかとは言えないということが書いてあって、愛とはそういうものなのかも知れないと思う。
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春琴の性格、体型、癖などや佐助との関係性を第三者が語る構造だが、本筋までが長く個人的には前半は飽きていた。だが、佐助の瞼にあの頃の美しい春琴が映っている描写には泣いた
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句読点がないが、勢いに任せてテンポよく読むことができたか。心理描写がないので、春琴や佐助の気持ちは読者が考えることとなる。
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美しく才のある盲目の女とそれに連れ添う男の、複雑に絡まった愛の物語。 短めではあるが、全体を通して香しい印象があり、退屈せずに読むことができる。 読者に干渉してくる作品ではなく、手記を読むような、寝かしつけるために昔話を話してもらうような作品。 句点、句読点、改行が異様に少なく、...
美しく才のある盲目の女とそれに連れ添う男の、複雑に絡まった愛の物語。 短めではあるが、全体を通して香しい印象があり、退屈せずに読むことができる。 読者に干渉してくる作品ではなく、手記を読むような、寝かしつけるために昔話を話してもらうような作品。 句点、句読点、改行が異様に少なく、古い文体に不慣れなのもあり多少の読みづらさを感じた。 しかし、畳み掛けるような語り口は、1冊分の落語を聞いているような心地がするし、溢れんばかりの想いの描写において特に強い効果を感じた。 ページの黒さが圧巻であるし、ある種この読みづらさが面白いので、こういう本があってもいいと思う。 主従か、夫婦か、狂信か、愛としか言いようがないものを描いたこの本を、好きな人は必ずいると思った。
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反自然主義派の中でも、谷崎が、そして本書が属する耽美派は異端な存在だ。同じく耽美派に属する永井荷風が、大逆事件を気に文学に無力感を感じ、花柳界に文字通り『耽』ったように、見たくない現実から目を背け美しい想像世界に浸る、それが耽美派である。見たいものだけ見る、その特徴を最も表しているのが春琴抄という作品だと言えよう。佐助は目を潰すことで、自らが崇拝する春琴を永遠のものとし、触覚の愛欲世界を勝ち取ったのである。その姿は、当時松子というファムファタールを見出した谷崎の姿と重なり得る。これは愛ではなく、エゴの物語であると感じた。
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愛というものに翻弄された男と五体満足に生まれ、蝶よ花よと大切に育てられてきたにもかかわらず、運命に翻弄されて身体的自由を奪われていく女のお話。 人を愛することの重さをずっしりと感じる、厚みの薄い本なのに読み終えた時にはぐったりするような重い愛のお話でした。 愛した人の為にどこまで...
愛というものに翻弄された男と五体満足に生まれ、蝶よ花よと大切に育てられてきたにもかかわらず、運命に翻弄されて身体的自由を奪われていく女のお話。 人を愛することの重さをずっしりと感じる、厚みの薄い本なのに読み終えた時にはぐったりするような重い愛のお話でした。 愛した人の為にどこまでも自分を犠牲にし、どんなにキツく当たられても気持ちを変えることなく尽くしぬく不変の愛情を注いだ一生と身分の差があろうが身体を張って死ぬまで守ってくれた男がずっとそばに居てくれた一生。ある意味それは究極な幸せだったのかもしれないですね。
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本作は「痴人の愛」と違って春琴の容色が衰えた後の話もあるんですね。悲しくなっちゃったよ、佐助どんが絶対に絶対に関係性を変えることを認めなくて。現在の春琴を受け入れることを拒否していて。 佐助が目を潰して2人でおいおいと泣いたその時は春琴にとってどんなにか嬉しかったか知らない。だけ...
本作は「痴人の愛」と違って春琴の容色が衰えた後の話もあるんですね。悲しくなっちゃったよ、佐助どんが絶対に絶対に関係性を変えることを認めなくて。現在の春琴を受け入れることを拒否していて。 佐助が目を潰して2人でおいおいと泣いたその時は春琴にとってどんなにか嬉しかったか知らない。だけれどもそれは春琴を思ってのことではなく、佐助の中の美しい春琴を永遠のものとするためだった。春琴は盲目であの性格でだけど佐助だけはきっと自分のことを分かっていると考えていたのだろうがそれは違った、裏切られたような気分になったろうが佐助は最初から美しくない春琴なんか求めちゃいなかったんだ。佐助が最初からそうだったのか春琴の横暴な振る舞いが佐助を変えてしまったのか。私は後年の春琴を思うとやりきれないよ、孤独で孤独で佐助はそれを分からしめる絶対的な他人で、後悔ばかりが残ったんだろうと。 「痴人の愛」の後続けて読んだ。ナオミみたいに愛されたい自分の欲望と向き合うために。 容姿端麗であることは絶対条件ですね(この時点で無理)
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佐助は単なる被虐趣味ではなくて確かに春琴への愛があって、うんうんそうなるよねっていう納得感があってすごい
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被虐趣味という言葉で称されることが多い本ストーリーだが、今日の関係性でいえば、そこまで逸脱した関係性と思えない…というのが正直な感想だった。 どちらかというと…伝聞調で記される2人の間の出来事には、主観や心の機微が意識的に記載を避けられている。そのため、あまり直情的に訴えるものが...
被虐趣味という言葉で称されることが多い本ストーリーだが、今日の関係性でいえば、そこまで逸脱した関係性と思えない…というのが正直な感想だった。 どちらかというと…伝聞調で記される2人の間の出来事には、主観や心の機微が意識的に記載を避けられている。そのため、あまり直情的に訴えるものがないのではないか。一方で、伝聞調による行間があるからこそ、色々な経験を積んだ人には感ぜられるものが多い…甘酸っぱかったり、苦々しかったり、憧れたり…描写されていない2人の行間を人によりさまざまに味わうことができる。ここが本書の良書たる所以であり、今日に至るまで愛される作品となってる理由なのではないか。
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ページ数が少ないと言う意味では読みやすいと言えるけど、句読点が省略されている点では読みにくいと言える。自分は慣れない文章のリズムに苦戦して結構時間がかかった。 話自体は至ってシンプル。 心理描写も少なく物足りなさを感じるほど簡潔。 言われるほどの良さが分からなかったなと思い巻末...
ページ数が少ないと言う意味では読みやすいと言えるけど、句読点が省略されている点では読みにくいと言える。自分は慣れない文章のリズムに苦戦して結構時間がかかった。 話自体は至ってシンプル。 心理描写も少なく物足りなさを感じるほど簡潔。 言われるほどの良さが分からなかったなと思い巻末の解説を見ると、春琴抄のその簡潔さに究極の美を感じる人が多いよう。 「百の心理解剖だの性格描写だの会話や場面だの、そんなものがなんだとの感じが強く湧いてくる」と谷崎潤一郎は苦悩したという。 昔は(今も少し)結末を有耶無耶にして「あとは皆様のご想像にお任せします……」というような投げかけの物語が大嫌いだった。もやもやするし、意地悪に考えればそれは「逃げ」なんじゃないのと思っていた。でも今はちょっと違う。 物語の延長に読み手の考える余地を残しておいてくれることは、書き手から読み手への信頼があるんじゃないかと思っている。 全部を説明しなくても分かる、情景や心理描写に言葉を尽くさなくても感じてくれる、読み手にそんな期待を持ってくれてるのではないか。 勿論人間同士言葉を尽くさなくても理解しあえるなんていうのは傲慢な考えだけど、こと芸術においては自分の思うままを表現して、それが読み手に正しく伝わった時の心の共鳴はお互いにとって何者にも変え難い瞬間だと思う。 谷崎潤一郎の独自の文体も、敢えて省かれた心理描写も、ある種の作者と読者の信頼の形であると考えるのは慢心なのかもしれない。
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