伊豆の踊子 の商品レビュー
繊細な瑞々しさ 哀しみの裏の逞しさ 乙女のような憧れ 冷徹で利己的 感情よりもうひとつ上の段階にある 言葉に言い表せないような何か すぐに答えが出るものではなく 何十年もかかってふとこの事かと 分かるような不思議な感覚 筋を追って単純に内容を理解して 良かった悪かった 楽しか...
繊細な瑞々しさ 哀しみの裏の逞しさ 乙女のような憧れ 冷徹で利己的 感情よりもうひとつ上の段階にある 言葉に言い表せないような何か すぐに答えが出るものではなく 何十年もかかってふとこの事かと 分かるような不思議な感覚 筋を追って単純に内容を理解して 良かった悪かった 楽しかったつまらなかった ...などというレベルを超えてる作品を 描く人なんだな...とようやく分かった ブックオフにて購入
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一人旅のお供にぴったりの内容かと思いきや伊豆の踊子以外にも短編が収録されていた。内容はやはり純文学なだけあり、古風な表現もあいまってよく分からないというのが本音。でもこのよく分からないけどなぜか少しいいかも、と感じることが芸術鑑賞も第一歩だと思うし、そのような感覚が得られる瞬間を...
一人旅のお供にぴったりの内容かと思いきや伊豆の踊子以外にも短編が収録されていた。内容はやはり純文学なだけあり、古風な表現もあいまってよく分からないというのが本音。でもこのよく分からないけどなぜか少しいいかも、と感じることが芸術鑑賞も第一歩だと思うし、そのような感覚が得られる瞬間を追い求めていきたい。
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慥か大学生の時分に購入し、その時は「キモい」という感想しかわかなかった作品。 三十路をすぎて岩波文庫版で再購入。読んでみたら大学時代に読んだ時と印象がちがって面白かった。 「大学在籍中に岩波の文庫を読み漁れば人生豊かになる」という誰かのありがたい格言をいつかどこかで読んだが、こう...
慥か大学生の時分に購入し、その時は「キモい」という感想しかわかなかった作品。 三十路をすぎて岩波文庫版で再購入。読んでみたら大学時代に読んだ時と印象がちがって面白かった。 「大学在籍中に岩波の文庫を読み漁れば人生豊かになる」という誰かのありがたい格言をいつかどこかで読んだが、こういうことがあるから、大学時代に岩波文庫全冊読破したとしても恐らく人生豊かにはならなかっただろうと自信をもっていえる。
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ストーリーに起伏がなく特に面白いとは思わない。文章は流石に綺麗 正直に面白くない、と言いづらい作品なのかもしれない。
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「伊豆の踊子」 清潔感を感じる文章で、言葉が美しい。 だが当時の感覚と令和の感覚での齟齬があるのか、 いまいち内容そのものには趣を感じられなかった。 言ってること、この作品が好きだという人たちの感情は理解できるのだが、自分には響かなかった。 雪国も同じ気持ちになったので、近い時代を過ごしておらず想像力と感受性が豊かでない自分のような人間には、昭和の文豪たちの作品は難しいのかもしれない。 「抒情歌」 短編4本の中で、この話が一番内容がわかりやすく、楽しく読めた。 あくまでも「私」の一方的な独り言のような文章なので、「あなた」が本当に放った言葉が実際に載っていたら、私たち読者の「あなた」という存在の受け取り方がまた変わったのかなあと思う。 「私」を通してみる「あなた」にはフィルターがかかりすぎているように感じ、実際の「あなた」はどんなふうだったのか想像を巡らせると楽しい。
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最近の文学だけではなく、幅広く文学を…と思い手に取った本作。 日本で最初にノーベル文学賞を取った川端康成さんの作品、コレで日本人3人の代表作は読んだかな(´∀`) うーーーむ、ちょっと自分にはイマイチ良さが分からなかったかなぁ… ベースの部分で「20歳・男」→「14歳・女」の...
最近の文学だけではなく、幅広く文学を…と思い手に取った本作。 日本で最初にノーベル文学賞を取った川端康成さんの作品、コレで日本人3人の代表作は読んだかな(´∀`) うーーーむ、ちょっと自分にはイマイチ良さが分からなかったかなぁ… ベースの部分で「20歳・男」→「14歳・女」の恋愛ものっていうロリ設定なんですが、それでいて「純愛モノ」ってのがなんだかなぁと…イマイチすんなり入ってこなかったですねー、そこらへんは時代背景もあるのかもですが… どうせ読むなら、谷崎潤一郎さんみたいな潔く?エロにぶっ飛んでる作品の方が、圧倒的に読んでて面白いかなぁと思いました。 過去の名作と言われる小説をいくつか読みましたが、やっぱり読んでて面白いなと感じるのは現代の作品の方が多いですね。 今の小説は、過去の作品からブラッシュアップされているし、時代の背景、雰囲気も分かって共感を得やすく、その分の強みがあるのかなと。 こんなこと言うと「分かって無ぇ奴だな」ってなるのは百も承知なんですが…まあ自分が素直に感じたことを残しておこうかと… 当時はこの新しさが良かったのかもしれませんね、「新感覚派」って付くぐらいだからそういうことなのかなと納得。 <印象に残った言葉> ・仄暗い湯殿の奥から、突然裸の女が走り出して来たかと思うと、脱衣場の突鼻に川岸へ飛び下りそうな格好で立ち、両手を一ぱいにして伸ばして何かを叫んでいる。 手拭もない真裸だ。それが踊子だった。若桐のように足のよく伸びた白い裸身を眺めて、私は心に清水を感じ、ほうっと深い息を吐いてから、ことこと笑った。子供なんだ。私達を見つけた喜びで真裸のまま日の光の中に飛び出し、爪先で背一ぱいに伸び上がる程に子供なんだ。私は朗らかな喜びでことことと笑い続けた。頭が拭われたように澄んで来た。微笑がいつまでもとまらなかった。(P20) ・「いいえ、今人に別れて来たんです」私は非常に素直に言った。泣いているのを見られても平気だった。私は何も考えていなかった。ただ清々しい満足の中に静かに眠っているようだった。(P45) <内容(「BOOK」データベースより)> 旧制高校生である主人公が孤独に悩み、伊豆へのひとり旅に出かける。途中、旅芸人の一団と出会い、そのなかの踊子に、心をひかれてゆく。清純無垢な踊子への想いをつのらせ、孤児意識の強い主人公の心がほぐれるさまは、清冽さが漂う美しい青春の一瞬……。ほかに『禽獣』など3編を収録。巻末の三島由紀夫による「解説」は、川端文学の主題と本質についてするどく論じている。
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『伊豆の踊子』『温泉宿』『禽獣』に見られるように、処女性に対しての筆者の表現の模索が多く描かれている。 『伊豆の踊り子』はほんとに旅情溢れる趣深い作品だった。 『抒情歌』はかなり複雑で難解だが筆者の死生観を反映し、このような作品でこそ文学的に自身の思想を落とし込むことの本領が発揮されている。 面白かった。
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再読。 作者20代後半から30代前半の、比較的若い頃の作品4編。 再々読するときには、文化の違いをキーワードにせよ>未来の自分へ。 生まれ育ちがポストモダン的視点で、頑張ってもせいぜいWWⅡ以後が想像の範疇だが、本作はちょうどWWⅠとWWⅡの狭間の出来事なのだ。 「伊豆の踊子」 1926年。作者19歳当時なので1918年くらいの習俗。 「子供なんだ。私たちを見つけた喜びで真裸のまま日の光の中に飛び出し、爪先きで背一ぱいに伸び上る程に子供なんだ」という嬉しさ。無垢を寿ぎたいが、穢したいという欲望のあり方が、40手前になってわからないでもない、が、約100年前の二十歳がそこまで処女性みたいなものに対して素直に喜んでいたというのは、さすがに文化の違いを思わざるをえない。 また、孤児根性云々については、作者の来歴を踏まえなければならない、やはりハードルの高い作品だと思う。 唐突に帰京を言い渡す末尾、結局はよそ者、という自意識のあり方も、なかなかに中年っぽい自意識。 たとえば沢田研二やエレファントカシマシ宮本浩次やRCサクセション「よそ者」みたいな。 帰る船で、偶然会話を交わした少年にのマントに潜り込む辺りは、「少年」から遡って関連作と見做す視点(約5年前に伊藤初代との婚約破断事件と同時期に 「湯ヶ島での思ひ出」を書き、約20年後に「少年」を書く)がなければ、いかにも唐突。 で、無垢に触れて、ぽろぽろ泣いて、空虚になって、スッキリする、その身勝手さは、さすが100年前のインテリゲンチャ! と笑ってしまうが、ポストモダンを何十年も後にした中年がそう思うだけで、発表当時やその後数十年は批判的視点なく名作と見做されていたと想像すると、そんな社会が怖い。 「温泉宿」 1930年。 地域二番手の温泉宿の手伝いと、その近くの曖昧宿に勤めるおおよそ10名の女性たちの、群像劇。 名前も境遇も似ているのでやや判別しづらいが、お滝、お雪、お清、お咲、の4人くらいに集中すればよさそう。 他作品でギョッとする冷酷な男性性みたいなものが本作には見えづらいが、地の文そのものが冷酷。 「抒情歌」 1932年。 wikipediaにいわく、 「幼少時から霊感の強かった川端は[26][27]、1919年(大正8年)に知り合った今東光の父親から聞いた神智学に興味を持ち、カミーユ・フラマリオンやオリバー・ロッジなどを愛読した[3]。」 また、ヘンリー・ジェイムズ(「ねじの回転」)は1843-1916,アーサー・コナン・ドイルは1859-1930、ジグムント・フロイトは1856-1939。そんな時代でもあるのだ。 しかし現代小説として読み直すなら、わたしーあなたー綾子さんの三角関係が、そういう磁場を発生させた、と。 でもこれって紫式部「源氏物語」で夢の形を借りて現れた嫉妬と呪詛と、似ている。 こわ……。 「禽獣」 1933年。 冷酷の極み。マジでイヤな作品だし作者自身も嫌悪していると言うが、だからこそ本質的なんだと思う。 作者が嫌悪の果てを探った挙句、誰にも理解できないものが生まれたのではなく、誰にもどこかしら共鳴し、なおかつ共鳴したことに眼を背けたくなるものが生まれてしまった……いい意味でも悪い意味でも奇蹟的な文章だと思う。 だいたい、「虚無のありがたさ」って、ナニ!? そんな文章表現、どこにあったの!? いまもあるの!? 今後あってもいいの!? イヤでイイ小説。
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伊豆の踊子 『道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃ー』の始まりから昔教科書やテストで触れていた事を鮮明に思い出した。 傷心の青年が伊豆への一人旅において出会った旅芸人の中の踊子と知り合い心が解かれていく様が切なく、表現が美しい。巻末の年譜では、19歳の川端康成...
伊豆の踊子 『道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃ー』の始まりから昔教科書やテストで触れていた事を鮮明に思い出した。 傷心の青年が伊豆への一人旅において出会った旅芸人の中の踊子と知り合い心が解かれていく様が切なく、表現が美しい。巻末の年譜では、19歳の川端康成自身が伊豆に旅行して旅芸人一行と道づれとなる、となっているからその記憶や感情により生まれた作品なのでしょう。 同収録の『抒情歌』は女性の語り口で元恋人の死を悼むものとなっているが、著者の死生観といったものが伺えて、その強い思いに圧倒される気がする。 巻末の解説が三島由紀夫によるものである事もこの文庫の読み応えあるところ。
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伊豆旅行の前に読んでみようと、初・川端康成。 (高校時代に読んだ雪国は最初の一節しか覚えてないからノーカン笑) …読み進まない。 旅の合間合間にもトライしたが、どうにもこうにも。 帰ってから伊豆を懐かしみながら、気合を入れてなんとか表題作のみ読了。 …MOYAMOYAが止まら...
伊豆旅行の前に読んでみようと、初・川端康成。 (高校時代に読んだ雪国は最初の一節しか覚えてないからノーカン笑) …読み進まない。 旅の合間合間にもトライしたが、どうにもこうにも。 帰ってから伊豆を懐かしみながら、気合を入れてなんとか表題作のみ読了。 …MOYAMOYAが止まらない。 なるほど、描写力はすごい。 どの言葉もエピソードも、過不足がなく、正確に作品のピースを構成していている。 伊豆の山景色や太鼓の音の風情、良かった。 孤児根性を拗らせたという孤独な若者が、踊り子というあどけなく美しい娘に心救われる、という大筋もまあ理解はできる。 でもねぇ。 主人公の一人相撲っぷりに引いてしまうのは自分だけですかね? エリートぼんぼん学生が。 病気のじいさん見て大金ポンと渡したり、2階からお金を放ったり、それは誰が稼いだお金なの? ていうかお金を投げるなお金を。 その制服着ているだけで一目置かれて当然なんだから、流しの芸人たちに自分は差別などしない、フラットだというのならまず当時の平民らしい服を着て旅に出たらどうなのさ。 踊り子が下駄の緒かなにかを屈んで直してくれるのを、素直に好意として受け止めているけど、自分には踊り子が少しへり下っているように読めましたよ。 最初17~18歳だと勘違いして性的妄想に翻弄されていたのが実は目覚める前の13歳、清らかな想いに洗われた、というのはまだご愛嬌だとしても。 13歳にもなって全裸を異性に晒すことに何の抵抗もない状態にハラハラが止まらない。 あどけないですねえ、無垢ですねえ、クツクツクツ、じゃ済まないでしょう。 性教育という概念がない時代ってこんなんだったんだ。 で、孤児根性という初めて見る四字熟語が唐突に出てきて、主人公の旅の目的が初めて明らかになるんだけど、いや、孤児根性とか知らないし。 これで分かるよね?みたいな体で進められても。 活動を見に行けなくなってしまった踊り子は本当にかわいそうだったけれど、1人ではダメと言った女性の気持ちが分かる。 なぜ1人ではダメなのか、とキョトンとしている主人公、何を純粋ぶっているのですか。最初に性的な目で見てたでしょうが。 ラストも引くほど泣いて、同席の少年の厚意に少しは遠慮しなよと言いたくなるくらい甘えまくって、なんだかなあ、と。孤児根性で、以前は人の厚意を受けることに鬱屈した思いがあったけど、踊り子とのことでそれらが清められた、今なら何でも素直に受け取れる、というのがまた極端なんだよね。 こんな感じでつっこみが止まらない。 どうしましょう、世界の文豪相手に。
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