嘔吐 の商品レビュー
難しかった、、 何にも定義されず、過去にも未来にも影響されないイマココにただあること、が実存、ってことが言いたいのかな
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おそらく”よくわからない”小説なのだろうという先入観のもと 開高健が度重なる再読をしたのを宛にしてなんとか読み終える。 「なるほど、こういう感じによくわからないのか」という程度の理解になるが、書の持つ滋味の深さのようなものは確かに感じられたのでいずれ再読を。
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220ページくらいまで星4つ。ああ、これは、と思ったのだけど。 終盤のアニーと独学者のくだりが残念に思えた。独学者の分かりにくい。なぜ。それと性的描写を入れられると大方の場合、違和感があって、好めない。 実存について。最後の最後で分からなくなった(と言うのか、アニーのところで...
220ページくらいまで星4つ。ああ、これは、と思ったのだけど。 終盤のアニーと独学者のくだりが残念に思えた。独学者の分かりにくい。なぜ。それと性的描写を入れられると大方の場合、違和感があって、好めない。 実存について。最後の最後で分からなくなった(と言うのか、アニーのところで落ちたと思って、その後復活したかと思えそうになったら「自然」と描写されるものが出てきてげんなりし、さらに追い討ちで独学者でがっかりして読む気力が無くなったせいか)。 理解が追いついていないためかと思われるが(あの「自然」の意味するものは何だったのか。描写が呼び起こすビジュアルがそれこそ吐気のするもので考えたくない)、また後年になって読んだら違うのか。
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哲学書、サルトル、と思って読み始めたけれど、想像を超えて読みやすい。 翻訳がとても好み。 柔らかい文章で、さすがモテる男と思わされた。
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ただでさえ遅読なので、この本と向き合う時間が取れない。全貌を知りたいのでページをめくるも、それこそ吐き気がする。
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実存主義の現代の評価はともかく、現在の思想と行動に対しての真摯な対峙を忘れてはいけない事は確信した。
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クレパスによる習作といった趣なのに、それでも難解で再読が必要。 やっぱりたまにはこういったストーリー性のない抽象的なものを読むのもいい。 宇宙の果てのことを考えると気分が悪くなる理由の一端を示してくれたような気がする。
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読むのにすげえ時間かかった_(:3 」∠)_いつ盛大に嘔吐するのかワクワクしながら読んだのだけど、割と序盤でやってたのね(記憶が曖昧)
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読み始めて最初に湧きあがったのは「人は、氷が溶けるように、突然に変化するんだな。」という気持ち。 -10度から1度ずつ温度を上げても、氷はまったく変化しない。 しかし、その温度が0度を超えた瞬間、突然に水に変わる。 0度を超えるまでは気がつかない。 ようはその氷は変わらないよう...
読み始めて最初に湧きあがったのは「人は、氷が溶けるように、突然に変化するんだな。」という気持ち。 -10度から1度ずつ温度を上げても、氷はまったく変化しない。 しかし、その温度が0度を超えた瞬間、突然に水に変わる。 0度を超えるまでは気がつかない。 ようはその氷は変わらないように見えて、じつは温度を上げるたびに変化の準備をしていた。 ドラマティックな事件やショックだけが人を変えるのではなく、当たり前のようにあったことが突然に違和感に変わり、それがキッカケで溶け始める。 つまりは無意識に積み重なったものが0度を超えた瞬間、人が変わる時なんだろうなって・・・。 哲学者でもあるサルトルが自分の説く実存主義を読みやすく?解説するために書かれた小説とも聞いている。 友人から「統合失調症とは、こういうものなのかなって思えるんだよ。」と、すすめられたのがキッカケに手に取った本。 まぁ、僕のような浅学の者には決して簡単に読み進められるものじゃなかった。 幾分の自己陶酔的な要素も感じるけど、日記形式で書かれたこの本の主人公ロカンタンは、つまりは本の中ではずっと独白を続けることになるけど、独白ってのはだいたいが自己陶酔的になるんじゃないかなって思うので不快感はない。 しかし、とにかく「けだるい文章」だ。空気が淀んでいくような、まどろみに入ってしまう。 でも、後半からは次第に彼を取り巻く世界が崩れ始める。つまりは時に文章自体が崩れはじめる部分がある、そこにはなぜか引きつけられた。 この時期にこの嘔吐を手に取ったのも、なんとなく意味や縁を感じてしまう。 まぁ、サルトルのいう実存は、そんな「運命」などの否定かもしれないけどね(笑)。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
嘔吐と書いて「はきけ」と読むらしい。全体的にグロテスクな表現、重い雰囲気、カフカ的なやり過ぎとも思える「変身」的表現があった。 海辺で小石を拾った時、「吐き気」に教われる。物が人に触れるはずはない、生きてないから・・・なのにそれが私に触れる事が耐え難い・・小石が「私」になった。恐れていた事が起きてしまった。これ以降、あらゆる場面で「吐き気」を催す。 私がこの「嘔吐」を読んで感じた実存はこの世にたまたま生まれて人間の「本質」は無く(無)過去も未来もない、唯「在る」。生きている意味は存在しない。 これは自由であると同時に私の思考は私でありその責任は負わねばならない。のであるが、いささか私は、「ほんとうに自由なのか」と疑っているし私が思考する以前に私に降り掛かる事象は私が意志した事とは関係なく必然に受け取らねばならない。この世に神の存在有無に関係なくそれは「起る」それは不条理で「私」の責任に関係なく耐えられないものもある。これは自由ではない。 と頭に過ったがこれは「実存」の事とは関係がないね。多分。 独学者との食事の時、ロカンタンは口を滑らせた「存在することにはいかなる理由もない、まったくなにもない」独学者は理解しようとしつつも「ひとつの目的があります。ひとつの目的が・・・人間がいるのです。」独学者はさらに捕虜だった頃の事を語り、社会主義者であることを語り、「愛さなければなりません、愛さなければ・・・」この辺の話はロカンタンでなくとも私でさえ胃がムカムカするグロテスクな話だ。何故か、これに正面きって抵抗することは人間ならば許されないような圧迫感があるからだ。神なら人間を無条件で愛せるだろう。なぜなら神が存在するのであれば神が人間を創ったのだから。作品なのだから。だが、人間無条件に愛すると言う事はあり得るのか?これは「私は神の子」と強烈な信仰と犠牲心がないと不可能だ。 話を戻してロカンタンは冷静に言う。「あなたは象徴を愛しているのです。人間の青春、男と女の愛、人間の声に感動を覚えているのです。」と。「そしてそれらは存在しない」と言う。 実存は概念ではないと思うから。 実存と言う言葉は概念だと思うが。 現代でもヒューマニストの数は圧倒的多数である。私はそれに隠れてひっそり生きている。生きていて「意味が無い」とは堂々と言えないし、「気晴らしです」(パスカル)とも言えないだろう。私は踏み絵を平気で踏んで生きている。 そしてアニーに会う。 ロカンタンを一つの基準としてアニー本人がどれだけ自分が変わったかを確認するために。「完璧な瞬間」が終わったと言う。 「死んだ情熱に囲まれて生きている」らしい。 「特権的状態」についてアニーは語る。そしてその特権的状態「死」「愛」それをそれはそうあらねばならない状態、態度、言葉をもって「完璧な瞬間」をつくらねばならなかった事。 だが、それは「父の死」や「ロカンタンとの抱擁」の時、完璧な瞬間を作る事ができなかった。 アニーは特権的状態、憎悪とか愛とか死とかは形として在ると思い、その時状況に応じてそれは降りてくるような感覚がそれは「ない」ということ悟った事。 彼女は絶望し、「生き延びている」と言う。 読み終わって「読んだ」という感覚より「ようやく終わった」とずっと重く暗く晴れない天気のような小説だったが、多分、あまり理解できてないだろうし、また再読したいと思う。
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