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カラマーゾフの兄弟(2) の商品レビュー

4

129件のお客様レビュー

  1. 5つ

    39

  2. 4つ

    40

  3. 3つ

    27

  4. 2つ

    4

  5. 1つ

    1

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2013/01/05

ラストの方は、今の自分に言い聞かせてやりたい言葉が並ぶ。 ごまかすと、人は、自分で自分を責めるようになるのだな…と思った。 人って、よくできている。

Posted byブクログ

2012/12/11

この巻は前巻以上に大変でした。 クリスチャンではないため作者の宗教的考えは共感できず、仏教徒の多い日本人には難しい内容かもしれません。 次は三巻ですが、しばらく別の作品を読んで息抜きをしてからチャレンジしてきます。 ああ疲れた…。

Posted byブクログ

2012/10/13

 物語が動いているような部分は臨場感もあって面白く読めるんだが、登場人物の誰かがその考え(多くは神や不死についてなどの抽象的な事柄)について語っているところは、退屈してしまって読み切るのに苦労した。  苦労した理由は単純なもので、僕がキリスト教徒でもなければ、キリスト教について...

 物語が動いているような部分は臨場感もあって面白く読めるんだが、登場人物の誰かがその考え(多くは神や不死についてなどの抽象的な事柄)について語っているところは、退屈してしまって読み切るのに苦労した。  苦労した理由は単純なもので、僕がキリスト教徒でもなければ、キリスト教についての知識がほとんどといっていいぐらいない、ということだ。キリストについて知っていることといえば、映画『パッション』で描かれた受難ぐらいのものだ。  あまりにも自分の生きる世界とはかけ離れているように思ったので、身近な問題に置き換えてみた。今の日本で、信じるもの、信じるべきものとして考えられているものはなんだろうか。  その一つとして挙げられるのは、大学進学を前提とした教育方法であり、その延長線上にある企業への就職とそこでの従事だろう。  今でこそ自由業などという言葉が生まれて久しいが、少なくとも5ー6年前までは、そういった「社会的な規範から飛び出るようなこと」は、冷たい目で見られた。むろん、それを奨励する人々もいただろうし、そういう本も沢山あっただろう。ここで着眼したいのは、親戚や家族といった、近親者からの目だ。  作中にも出てくる当時の農奴制などは、そういったいわゆる「ラットレース」のようなものの象徴だろう。そこから派生すると、人々は誰もが罪を持つ、という原罪意識へと辿り着く。  誰もが今いる場所からは逃れられない、といった考えは脅迫じみていて吐き気がするほど嫌いだが、「そこから自由になれる方法がある」というようなことを提示されるとそれが心地よくなる、という背反性をはらんでいる。  …と、頭の整理がつかないまま三巻へ突入するわけだが、個人的にはイワンがこれからどうなるのか、非常に気にかかっており、その点で、作者にまんまとやられてしまっているわけです。

Posted byブクログ

2012/08/25

現代は、何かに必死に生きるということが恥ずかしいこととされている時代のように感じるが、このカラマーゾフの世界では、みんな良くも悪くも、一生懸命で、感情的に生きている。それゆえ、滑稽に映る場面や人物もたくさんある。 だけどその滑稽さが、 僕はとっても美しいと思った。

Posted byブクログ

2012/10/14
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

巻末のガイドでロシア貨幣の価値を知ってミーチャの豪遊っぷりに驚愕。 2巻では、アリョーシャが方々へ奔走します。 果たして、イワンとの大審問官の話はどういう影響を与えるのでしょうか。

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2020/07/15

おれたちの地球にはな、まだまだ恐ろしいくらいたくさん求心力が残ってるのさ、アリョーシャ。おれは生きていたい、だからおれは、たとえ論理に逆らってでも生きるよ。世の中の秩序なんて信じちゃいないが、春に芽をだすあのねばねばした若葉がおれにはだいじなのさ。青空がだいじなのさ、いいか、時と...

おれたちの地球にはな、まだまだ恐ろしいくらいたくさん求心力が残ってるのさ、アリョーシャ。おれは生きていたい、だからおれは、たとえ論理に逆らってでも生きるよ。世の中の秩序なんて信じちゃいないが、春に芽をだすあのねばねばした若葉がおれにはだいじなのさ。青空がだいじなのさ、いいか、時としてなぜかもわからず好きになってしまう、そういう相手がだいじなのさ。(2巻ドミートリィ)(p.203) 「それに、アリョーシャ、一友人としておまえにも忠告しておくが、こんなことはぜったいに考えないほうがいいぞ。とくに、なにより神にかんすること、つまり神はあるかないかといった問題はな。こういう問題っていうのは、三次元だけの概念しか与えられずに創られた頭脳には、まったく似つかわしくないんだ。だからこそおれは神を受け入れるのさ。たんに好きこのんでというんじゃない。いやそれ以上に、おれたちが皆目わからない神の英知や、神の目的まで受け入れようっていうんだ。」(イワン)(2巻p.218) 「いま、とくにこの十九世紀になって、世界のいたるところに君臨している孤立ですよ。ですが、孤立の時代はまだ終わっていませんし、その時期も来ておりません。というのは、いまでは猫も杓子も自分をできるだけ目立たせることに夢中ですし、人生の充実を自分一人で味わいたいと願っているからです。ところが、そうしたもろもろの努力の結果生まれてくるのは、まぎれもない自己喪失なのです。それというのも、自分の存在をはっきり際立たせてくれる人生の充実のかわりに、完全な孤立におちいっているからです。なにしろこの十九世紀においては、何もかもが細かい単位に分かれてしまい、すべての人が自分の穴に閉じこもり、他人から遠ざかり、自分自身を、自分が持っているものを隠し、ついには自分から人々に背を向け、自分から人々を遠ざける結果になっているからです。 一人でこっそり富を貯えては、こう独りごちている。わたしはいまどんなに強くなったことか、どんなに安定していることか。しかし哀れにも、富を貯えれば貯えるほど、自分が自殺的ともいうべき無力さのなかに沈んでいくことに気づいていません。なぜなら、自分だけを頼みとすることになれ、一個の単位として全体から切りはなされて、人の助けとか、人間とか人類なんか信じないように自分の心を馴らして、ただただ自分のお金や、自分が勝ちえた権利がなくなってしまうのではないかとおびえているからです。 個人の顔をまことに保証するものは、個人の孤立した努力のなかにではなく、人間全体の一体性のなかにこそあるといった考えなどを、人間の知性はいまやいたるところで鼻で笑い、まともに相手にしようともしません。(2巻p.409) 欲求を増大させる権利から生まれてものとは、はたして何なのか?富める者においては孤立と精神的な自滅であり、貧しい者においては羨みと殺人である。なぜなら、権利は与えられてはいるものの、欲求を満たす手段はまだ示されていないのだから。(2巻p.436) 人間はいずれ、啓蒙や慈悲だけに喜びを見いだし、飽食、放蕩、傲慢、自慢、妬みぶかい出世争いという、今のようなむごたらしい喜びなど、見向きもしなくなる。これがはたして夢だというのか。いや、夢ではないし、その時は近いとわたしは確信している。 人は笑って、こう質問するかもしれない。では、いつその「時」とやらはやってくるんです、ほんとうに来そうな感じなんですか?しかしわたしはこう考えている。この偉大な事業を、わたしたちはキリストとともになしとげるのだ、と。そもそもこの地上の人類の歴史には、それまでの十年間ではおよそ考えられもしなかった思想が、その神秘的な時代の訪れとともににわかに出現し、全地上に広まっていった例が無数にあるではないか。(2巻p.447)

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2011/11/04
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

神を、(本能と理性の矛盾を抱えた人間という事象を偶発させた)システムに入れ替えて、読み進んでいた。大審問官とゾシマ長老の談話などは、頭だけでなく皮膚感覚にまで再現されるような話だった。大審問官の「思想(だったかな?自由?)は細分化され~」という下りに、すでにこの頃から今言われているようなポストモダンの兆しがあったのか、と驚く。

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2011/10/16

ドストエフスキーはなんだか世界文学の中で一番好きな気がする。書き方とか主人公のセリフとか好き。まあ、一番好きなのは舞城王(ry

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2011/09/18

カラマーゾフの兄弟、2巻目です。 読むと1巻はこの長大な小説の導入部だったのだなあ、と感じます。 2巻目は、リズムが出てきてストーリーが走り出し、内容が深まってずっとオモシロイですよ。 特に「大審問官」は凄いですね。 イワンの語る、物語詩、という設定ですが、非常にスリリングな部分...

カラマーゾフの兄弟、2巻目です。 読むと1巻はこの長大な小説の導入部だったのだなあ、と感じます。 2巻目は、リズムが出てきてストーリーが走り出し、内容が深まってずっとオモシロイですよ。 特に「大審問官」は凄いですね。 イワンの語る、物語詩、という設定ですが、非常にスリリングな部分の抜き書きで、なんとなく聖書の「黙示録」的な立ち位置を感じました。 この章節については書きだすと切りがないんで、一番印象に残った部分だけ書きますと、 「おまえは知らなかった。人間が奇跡をしりぞけるや、ただちに神をもしりぞけてしまうことを。なぜなら人間は神よりもむしろ奇跡を求めているからだ。そもそも人間は奇跡なしに生きることはできないから」 これですね。 そう、人は奇跡なしには生きられない。 だからこそ今は奇跡がビジネスになっている。 巨大化したスポーツ・ビジネスとか映画や音楽などのエンターテイメントビジネス、みんな奇跡の商業化だもんね。 後は1巻目の神学論争に結論が見えてきていて、それは 「神がいないなら、神を考え出さなければならない」 ということです。 でもせっかく造り上げた神も、 「俗世の学問がおおきな勢力となり、過去一世紀は聖書の尊い約束を、何もかも秤にかけてしまった」 となった結果、すべての価値観が功利主義の罠に落ちる。 全部が損得で片付くなら魂は何処に存在するのか? 魂がないなら、我々は肉で出来た、ただの算術計算機ではないのか? という深刻な疑問。 結局、この小説が現代の日本で未だ新鮮に読まれるのは、神なき時代に置いて、我々はそれを超克できるのか? という疑問へ必死の解答を差し出そうとあがく処ですよね。 ps 亀山さんが、この小説の構成は、古典派時代の交響曲の楽曲構成を意識しているのではないか、という指摘があります。 18世紀後半から19世紀前半の交響曲の第二楽章は「緩除楽章」と呼ばれ、基本的にゆったりとしたテンポの楽想が与えられる、とされています。 このご指摘、4部構成の共通という点では非常に腑に落ちるのですが、この巻が緩除である、とは思えなかったな。 でも私はシンフォニーでには何故か第二楽章、好きなんです。 甘い感じの旋律が多いですよね。 今後、読み進めないと結論は出ませんが、2楽章贔屓という点では、不思議な一致となるかもしれません。

Posted byブクログ

2011/09/11

第2部に入り、この本の主題もようやく見えかけてきた。 イワンの無神論等当時のいろいろな思想や風潮が散りばめられて、問題提議をしてくる。 巻末の時代背景等の説明が、小説の理解を助けてくれる。 裏に宗教の問題が色濃くあるのは確かだ。

Posted byブクログ