須賀敦子全集(第2巻) の商品レビュー
イタリアから帰って間もなく、70年代前後のまだ本格的に執筆活動に入るまえの文章が目をひいた。まちがいなく須賀敦子の文章なのだが、後年のものと比べるとすこしだけ理想肌で、硬い手触り。なぜ、まだヨーロッパが遠かった時代に、ほとんどあてどもなく敢えて複数回にわたって留学し暮らしてきたの...
イタリアから帰って間もなく、70年代前後のまだ本格的に執筆活動に入るまえの文章が目をひいた。まちがいなく須賀敦子の文章なのだが、後年のものと比べるとすこしだけ理想肌で、硬い手触り。なぜ、まだヨーロッパが遠かった時代に、ほとんどあてどもなく敢えて複数回にわたって留学し暮らしてきたのかが透けて見えるような気がした。『ヴェネツィアの宿』でわかるように、お金持ちの家だから、というのも前提にあるのだけれど。また、若い時分のことを後年のエッセイのように描くまでには熟成させる時間が必要だったのだろう。 対照的なイタリア側の姻戚の貧しさも印象に残る。
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今、少しずつ須賀敦子全集を再読している。先月、全集1を読み終わって、第2巻はまたいつかと思いつつも、なんとなくこのまま私の周りに漂う須賀敦子の文章というか空気感というか、須賀敦子感を消したくないと思い、全集2の再読に突入。だいぶ時間がかかったが読み終えた。 ここに収められている...
今、少しずつ須賀敦子全集を再読している。先月、全集1を読み終わって、第2巻はまたいつかと思いつつも、なんとなくこのまま私の周りに漂う須賀敦子の文章というか空気感というか、須賀敦子感を消したくないと思い、全集2の再読に突入。だいぶ時間がかかったが読み終えた。 ここに収められているのは以下。 ・ヴェネツィアの宿 ・トリエステの坂道 ・エッセイ 1957~1992 全集1ではほとんど語られることのなかった、幼少期や戦中戦後の頃のことなど、日本を離れる前のことが淡々と語られ、その「淡々と」というのは戦争について声高に「大変だった」とかそういうことを言うのではなく、客観的に、出来事より人を中心に据えて実体験を語っている、そんな感じだった。その態度は、フランス留学での苦労や、夫の早逝についての文章にも表れている気がする。須賀敦子の幼少期の時代を知らないとはいえ、行間から漂ってくる雰囲気としては、やはり須賀敦子は決して庶民とは言えない裕福な家庭の出、ということ。その裕福さは、あの時代に長期間洋行したという須賀の父親にも表れている。須賀敦子はその父親にかなりの影響を受けていると思うのだが、その父親に反発していたことや、父親にふたつの家庭があったという事実には、「おぉ」というちょっとした驚きと、好奇心と、「著名人の人生っぽいな」という軽薄な感想を抱いてしまった。 その後には、亡き夫ペッピーノに関わる人がたくさん出てくる。その中でも、結果的にペッピーノより長くつきあうこととなる義母や義弟アルドは頻繁に登場する。全集1が「コルシア書店の仲間たち」が主だったのに比べると、この全集2ではイタリアで親戚となった人たちの話が多く、ペッピーノと義弟アルドの従姉妹の話など、まるで須賀敦子自身が従姉妹だったかのように、というか須賀敦子自身が彼女たちの人生をそばで見てきたかのように描かれており、そこまで深い親戚づきあいをしていたのかという驚きと、いやいやこれは半分くらい須賀敦子の想像で書かれたんじゃないかとの疑惑のふたつの思いが行き来した。それほど、須賀敦子がつづる彼ら(彼女ら)の半生は読んでいるこちらに迫ってくるように時代や地理的、文化的にとてもリアリティーをもって感じられた。夫となり先立ってしまったペッピーノ家族の貧しさや、家族を暗く覆う決して少なくない数の「死」に、日本ではおそらく裕福な家庭に生まれ育った須賀敦子がどのように対応していったのか。ペッピーノとその家族について、帰国後にこのような文章をすることで、やっと対応できたところもあったのではないかと思った。 全集1のレビューでも書いたような気がするが、須賀敦子がこれほどまでにペッピーノの家族、親戚のみならずイタリアの友人知人に受け入れられ、深い付き合いをしたのは時代によるものか、須賀の人格によるものか。もちろん全てが絡み合ってのことだとは思うが、やはりその語学的才能なしにはあり得なかったのではないかと思う。イタリア語、英語、フランス語に秀で、イタリア語と日本語においては双方向の翻訳ができ、書籍として出版できるほどの能力。類まれなこの才能を再度見せつけられた気がした。
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須賀さんのイタリアの家族のことがイタリアの風景とともに描かれている。様々な人となり、それぞれの人生、じわじわと心にしみるお話。
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全集の第2巻。 収められているのは、「ヴェネツィアの宿」「トリエステの坂道」「1957年から1992年までに書かれたエッセイ」。 「ヴェネツィアの宿」は、文庫本でも読んでおり、そちらに感想も書いて登録しているので、ここでは、「トリエステの坂道」を中心に書こうと思う。 須賀敦子は...
全集の第2巻。 収められているのは、「ヴェネツィアの宿」「トリエステの坂道」「1957年から1992年までに書かれたエッセイ」。 「ヴェネツィアの宿」は、文庫本でも読んでおり、そちらに感想も書いて登録しているので、ここでは、「トリエステの坂道」を中心に書こうと思う。 須賀敦子は、1929年生まれ。パリへの留学などを経て、20代の頃からイタリアに住み、1961年にイタリア人と結婚するも、相手は1967年に亡くなっている。1970年には、日本に住む実のお父様を亡くされ、ご自身も1971年に帰国される。大学勤めなどをされていたが、60歳を超えた、1991年に書かれた処女作のエッセイ「ミラノ 霧の風景」で、女流文学賞を受賞され、作家デビュー。題材は殆どがイタリアで暮らしていた時期のことであり、帰国から20年以上経過しての作品。また、残念ながら、ご本人は1998年にお亡くなりになられており、作家としての活動期間は短い。 「トリエステの坂道」で題材とされているのも、イタリアでの経験、主に亡くなられたご主人のご家族についてのもの。ご主人が亡くなられてからも、また、須賀さんが日本に帰国されてからも、ご主人のご家族とは交流が続いており、何度か日本からイタリアを訪ねられた時のことも書かれている。 須賀敦子の作品を読むときに、自分自身のことを重ね合わせて読むことがある。 私は最初の妻を病気で亡くしている。配偶者を亡くしたという意味では、須賀さんと同じ。私の結婚生活は23年続いたので、須賀さんよりは長く一緒にいられたし、2人の子供にも恵まれた。作品中、時々須賀さんがご主人を亡くした後の数年間のことを悲しく暗い時代として思い出すという感じに書かれているが、それは全く同じ。当初は茫然自失、すぐに悲しみが襲ってきて、それからしばらくは、折に触れ、悲しみに囚われてしまう感じであった。 私は再婚をしたが、再婚相手は私がタイに勤務していた時代に知り合ったタイ人。外国人と結婚したところが、須賀さんと同じである。 須賀さんは、ご主人のイタリア人家族と、ご主人が亡くなられた後も深く付き合われているし、ご主人の縁者をエッセイの題材にされていることが多い。私の場合には、結婚後ほどなくして妻と共に日本で暮らすことになったので、少しシチュエーションは違うが、私と須賀さんの文章力の違いを置いておいても、須賀さんほど、連れ合いの家族や親せきについてのエッセイは書けないであろうと思う。いくつか理由がある。 まずは語学力。私のタイ語は日常会話ならという程度のものであり、妻なら少し込み入った話でも、辞書をひきながらのブロークンタイ語の会話を我慢してくれるが、妻以外の人たちとはそうはいかない。世間話以上の会話が成り立たないということでは、相手のことを深く知ることは難しい。 次に相手への関心の深さと結果としての付き合いの深さ。私の妻のご両親は健在だし、妻には2人の兄と2人の姉がいて、全員が結婚していて、それぞれに子供がいる。全員に会ったことがあるし、今現在の消息も妻から聞いて知っている。妻の兄・姉の子供たちは、年齢の幅が広く、大学を卒業して既に働いている子供、大学生の子供、まだ小学生の子供など多種多様だ。妻の兄・姉、および、その配偶者の生活ぶりも妻から聞く限り、興味深いものがあるが、私自身は、妻から聞く以上のことを、あまり深く知ろうとしていない。須賀さんの場合、相手のことを深く知ろうとしている気がするし、実際に、そのような付き合いをされている。須賀さんは、私などと比較にならないほど、細やかな方でもあるのだろうと思う。このあたりは、人間としての感受性の深さの違いとしか言いようがないだろう。 この本も、これまでの須賀さんのエッセイと同じく、ゆっくりと味わいながら読んだ。最後の矢島翠さんの解説も素晴らしく、幸せな読書体験であった。
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須賀敦子 「ヴェネツィアの宿」「トリエステの坂道」など 河出文庫 全集2 異国の地での 留学生活、父、母、妹、夫、夫の家族との日常の一場面を 文章にした本。 「トリエステの坂道」再読 亡き夫が愛したサバ、サバが愛したトリエステ を著者が旅するエッセイ。サバを理解したくて自らト...
須賀敦子 「ヴェネツィアの宿」「トリエステの坂道」など 河出文庫 全集2 異国の地での 留学生活、父、母、妹、夫、夫の家族との日常の一場面を 文章にした本。 「トリエステの坂道」再読 亡き夫が愛したサバ、サバが愛したトリエステ を著者が旅するエッセイ。サバを理解したくて自らトリエステの坂道を歩く。ウィーンとフィレンツェの2つの文化の合流点としてのトリエステに 2つの世界を見出す。 「フィレンツェ 急がないで 歩く 街」 フィレンツェの街を 急がないで歩くことで、フィレンツェの建築を体で理解できる。本に書いてあることが 立体感を持って頭に入る
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やっぱり須賀敦子さんの文章が大好きだ。 これも秋の旅行中イタリアで読みたいと思って買って持っていったもの。適当に何編かは旅行中読んでいたが、今回は全編通して読んだ。 「ヴェネツィアの宿」も「トリエステの坂道」も本棚をちゃんと探せば既にあったと思う。大好きと言いながら、行方不明と...
やっぱり須賀敦子さんの文章が大好きだ。 これも秋の旅行中イタリアで読みたいと思って買って持っていったもの。適当に何編かは旅行中読んでいたが、今回は全編通して読んだ。 「ヴェネツィアの宿」も「トリエステの坂道」も本棚をちゃんと探せば既にあったと思う。大好きと言いながら、行方不明とは。今回の文庫はさっと取れるわかりやすいところに置いておこう。 読んでいる間中、またイタリアに行きたいという思いが襲ってきて、まいった。 須賀敦子さんを知ったのは、ひょっとしてお亡くなりになったときだったのかもしれない。そして、それを機会に出版されてたものをどんどん読んで、一番好きといってもいい作家になった。 すでに失われたものばかりが書かれている。 もう2度と戻らない日々、大切な人と過ごした時間、土地。 どんなに大事なものも、いとおしく思うものもすべて失われる。 その時には気づいてなかったのに、失われてからわかる大切な時間。 そのことが丁寧で優しく繊細に書かれているから、こんなにも惹かれるのか。 大切に大切に思うからこそ、すばらしい表現となって、こんなに心を打つのか。
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第2巻は『ヴェネツィアの宿』『トリエステの坂道』『エッセイ/1957〜1992』を収録。 偶々なのかもしれないが、全編を通して『死』『喪失』、そして『家族』が重要なテーマとなっている印象を受けた。
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何と言ったらいいか、特別の空気が、静かな時間が流れる文章だ。 一文を読み終えると、「次はどんな人のことがどんな街角の風景として語られるのだろう」と、楽しみがつながる。 ただ、後半のエッセイなる章に入ると趣きは一転して、ただ普通の随想文がでてきて面白みに欠けるところが残念。
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ヴェネツィアの宿 トリエステの坂道 トリエステの坂道を上りながら、ウンベルト・サバを追っていく様子。 熱くて、偶然訪れたトリエステの町を思い出しながら、 須賀さんがどんな感じであの町を旅したのか、、、、想像をしてみる。
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単行本「ヴェネツィアの宿」、「トリエステの坂道」の他、著者が’57から’92にかけて発表した単行本未収録エッセイを所収。
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