「甘え」の構造 増補普及版 の商品レビュー
「甘ったれ」ではなく正しく「甘え」られるような、本物の愛が内在化された存在になるためにはどうすればいいんだろうね。 家族を出発点として周囲に発露していくべきものが、家族の形の変化によって成り立たなくなっているということなのか。 大人と子どもの境目がなくなってるって、この本が書か...
「甘ったれ」ではなく正しく「甘え」られるような、本物の愛が内在化された存在になるためにはどうすればいいんだろうね。 家族を出発点として周囲に発露していくべきものが、家族の形の変化によって成り立たなくなっているということなのか。 大人と子どもの境目がなくなってるって、この本が書かれた昭和の時代から言われていて、どんどんエスカレートしている現代が恐ろしく感じた。
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高橋俊介さんのセミナーで1年前に課題図書として出されたものを今頃読んだ。 著者の土居さんは精神医学の権威だったようだ。 日本人の特性、日本語にはあっても外国にない概念など、興味深かった。 たとえば、「気」という言葉は非常に多くの意味をもつのにもかかわらず、「気」で表現できてしま...
高橋俊介さんのセミナーで1年前に課題図書として出されたものを今頃読んだ。 著者の土居さんは精神医学の権威だったようだ。 日本人の特性、日本語にはあっても外国にない概念など、興味深かった。 たとえば、「気」という言葉は非常に多くの意味をもつのにもかかわらず、「気」で表現できてしまうのはあらためてすごいことだと思う。英訳には苦労するかもしれない。 「甘え」は「恥」の文化にも繋がる部分なので、いいか悪いかは別として、やはり他の国の人とは異なることを再認識した。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
内容的にはかなり難しいかと。 日本の国内では甘えという要素が何かと 絡んでいるということ。 当たり前だからこそ、気づくのは難しいのかも。 悔やむという言葉に甘えが入ったり いわゆる学生運動にも甘えが入ったり… すごく理解しがたい要素かもしれないです。 うん、とっつきづらいかな、文章が。 なんとなくわかりそうで、わかりづらい…
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本書は昭和46年に初版が刊行されたというから、38年前の本である。その後も重版を重ねながら、現代まで読み告がれている事実は、本書で論じている内容が時を経ても普遍的なものであることを物語っているであろう。社会心理学の名著であり、また、比較文化論、日本人論の名著でもある。 そもそも...
本書は昭和46年に初版が刊行されたというから、38年前の本である。その後も重版を重ねながら、現代まで読み告がれている事実は、本書で論じている内容が時を経ても普遍的なものであることを物語っているであろう。社会心理学の名著であり、また、比較文化論、日本人論の名著でもある。 そもそも、甘えとの定義は、書中のいたるところで表現を変えながらも出てくるが、概して、他人との一体でありたいという欲求ということであろう。幼児は、母親と密着し一体感を感じることで甘えるように、それは大人になっても、社会の中で色々な形で現れる。 甘えは日本人特有に見られる感情であるという。その理由は、日本人は依存的な人間関係が社会規範の中に取り入れられていることにようるものだという。そして、欧米社会ではそれが締め出されているために、甘えというものがあまり見られないということだ。甘えに相当する言葉は、英語ではないらしい。著者も、欧米において甘えの感情は存在することは認めている。しかし、言葉として存在しないということは概念としても存在しないということであり、それが日本人と欧米人の行動や考え方の違いに大きな影響をおよぼしているのである。 現代人が感じる疎外感 こうした感情は、母親に置き去りにされるこどもが生命的不安を感じるのと同様に、社会の変化のスピードの速さに対して覚える不安であり、甘えである。既に38年前にも感じられていたということが驚きである。ましてや、21世紀の現在では、グローバル化が進み、インターネットを通じてより多くの人とのかかわりをもつことができる世の中であるが、実態としては、そのスピードの速さにより、疎外感はこれまで以上に感じられている感情であろう。
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難しかったし、理解できたとは言えない。同性愛については、古い時代の考え方のままで書かれているなぁと思った。
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自分の周りのこと 自分自身のこと について、読み終わった後に非常に腑落ちすることが多い内容でした。 とはいえ、抽象度が高い内容で、全て理解した自信はありません。タイトルの「甘え」について、バシっと何処かで定義してから、議論を進めて貰えるともっと読み進めやすかったのですが、本書の...
自分の周りのこと 自分自身のこと について、読み終わった後に非常に腑落ちすることが多い内容でした。 とはいえ、抽象度が高い内容で、全て理解した自信はありません。タイトルの「甘え」について、バシっと何処かで定義してから、議論を進めて貰えるともっと読み進めやすかったのですが、本書の構成が「甘え」というものの正体を徐々に浮き彫りにしていくといった形になっています。私が精一杯理解したところでは、 「甘え」とは、自他の精神的分離を否定し、他者に依存すること でしょうか。つまり、自我が目覚める前の幼児が、自分と他人の区別がつかなく、周囲に依存している状態を、自我の形成後も意識的/無意識的に行なっていることだと理解しています。本書は、この「甘え」の内部構造と「甘え」によって影響を受けている日本社会の構造について、述べられてます。 「甘え」というものの善悪は横に置いておくとして、確かに、家族であれ、企業であれ、日本人によって構成された組織やチームはこの「甘え」を前提とした関係性の上に成り立っていると言えます。例えば本書で、 「日本人は甘えを理想化し、甘えの支配する世界を以って真に人間的な世界と考えたのであり、それを制度化したものこそ天皇制であったということができる。(p.92)」 と書かれていますが、以前勤めていた企業で社長と対談した際、社長が「昔、私が君くらい(20代)の頃の社長という存在は、天皇陛下のようなもので、こんな風に話すことなど考えられなかった」と仰っており、「天皇」という比喩が出たのは、ある種必然だったのかな、と妙に納得しました。つまり、伝統的な日本企業においても、「甘え」が制度化され、それを前提として組織が構成されているのだと思います。そう考えると、日本企業の生産性の低さにも関係しており、サービス残業を許容/強要していること、ハイコンテクスト過ぎるコミュニケーションが常態化していること、過度なセクショナリズムに陥っていること、必要不可欠なタイミングで人員を整理できないこと等もこの「甘え」が一因なのかもと思いながら本書を読んでいました。海外にいると自分も含めた日本人を非常に幼く感じることがありますが、それは我々が常日頃から、「甘え」を前提とした関係性の中にどっぷり浸かっていることと無縁ではない気がします。 また、本書では触れられなかったのですが、よく言われる「自分に甘える」とはどういうことなのかも、読んでいて非常に気になりました。「甘え」の定義が、自他の精神的分離を否定し、他者に依存することなのであれば、自分の中でそれが完結する状態とは一体どのようなものでしょうか。思うに、「自分が理想とする自分」と「自分が律するべき自分」の二面性を自らの中に持ち、自分の主体を前者としながらも、前者と後者の境界が曖昧であり、前者が後者に依存している状態を言うのだと思います。私自身に置き換えると、先ず「自分が理想とする自分」と「自分が律するべき自分」を分けるところから始めないとと思い、自らを省みる良い機会にもなりました。
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現代で「甘え」というとなんだかネガティブな印象を受けてしまうけど、これは昭和46年(1971年)出版された日本人論の本です。 甘えという単語を主軸に、その言葉の生まれた意味を日本の文化や伝統と絡めて理解していくことで「甘え」という言葉そのものの意味が優しく和らいで、なんということ...
現代で「甘え」というとなんだかネガティブな印象を受けてしまうけど、これは昭和46年(1971年)出版された日本人論の本です。 甘えという単語を主軸に、その言葉の生まれた意味を日本の文化や伝統と絡めて理解していくことで「甘え」という言葉そのものの意味が優しく和らいで、なんということはないただの感情表現としてイメージできるようになりました。
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読んでいて、感情を表す言葉は、すべて「甘え」を絡めて説明できるんじゃないかと思った。何でもかんでも甘えに絡めてしまっているような気もするが。 どちらにせよ、甘えというものの奥深さに驚いた。誰でも「こう考えるのは自分の甘えだ」と悩むことがあると思うが、甘えはそれだけでなく大事なも...
読んでいて、感情を表す言葉は、すべて「甘え」を絡めて説明できるんじゃないかと思った。何でもかんでも甘えに絡めてしまっているような気もするが。 どちらにせよ、甘えというものの奥深さに驚いた。誰でも「こう考えるのは自分の甘えだ」と悩むことがあると思うが、甘えはそれだけでなく大事なものだと思えるようになる。 『「甘え」という言葉がなければ、その感情を認識できない。』という説明があった。甘えに限らず、言葉で考えを表せると、自分がそれを受け入れる第一歩になる気がする。最近、心理学の本を読んでいてそう思う。言葉のおかげで、漠然とした感情がはっきりしたものになる。漠然とした、モヤモヤした、状態が一番しんどい。
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齋藤孝さんとの対談を読んで、元の本も読んでおかないと、と思い購入しました。しばらく寝かせていたのですが、昨日、読む予定だった本が取り上げられた(図書館で延長を申し出たら予約をしていた人がいた。最近刊行された「共感」という本)ため、じゃあ、ということで一気に読みました。実はその「共...
齋藤孝さんとの対談を読んで、元の本も読んでおかないと、と思い購入しました。しばらく寝かせていたのですが、昨日、読む予定だった本が取り上げられた(図書館で延長を申し出たら予約をしていた人がいた。最近刊行された「共感」という本)ため、じゃあ、ということで一気に読みました。実はその「共感」の始めに、幼い頃、甘えさせてもらえなかった子どもたち(チンパンジーでの実験と孤児院の様子から)が将来的にどうなっていくのかが語られていました。本書ではこの「甘え」という言葉が日本語にしかなく、そういう考え方自体が独特であるというふうに議論が展開されます。何でもかんでも「甘え」に結び付けているような感じがしないわけでもないですが、一つの切り口としておもしろく読みました。甘えることができるとか恥ずかしいという感覚がうすれるというのは本当に身近な存在に対してですが、旅の恥はかきすてなどというように、全く知り合いがいないような場では恥ずかしいことを平気でできたりもします。満員電車の中では見ず知らずの人と身体を密着できるというのも同じようなことかもしれません。くっつくことのできる人は誰?ということを考えると不思議です。「気」という言葉の使われ方についてもかなりの紙幅がさかれていますが、先日、結婚式のスピーチでこんなことを感じました。とてもよく気がまわる夫妻なのですが、私はスピーチで「気を使う」という表現をしました。「気が利く」とか「よく気が付く」とか「お気遣い」などというと良いイメージがあるのですが、「気を使い過ぎ」となると否定的な感じがします。「家庭でもそんなに気を使っていると疲れるから気楽にね」というメッセージだったのですが、どんなふうに聞こえたことでしょう。けれど、よく考えると、私も結構、パートナーに気を使ったりしているから、まあ、うまく回っていくための良いさじ加減を覚えないといけないのでしょう。もっと甘えてくれればいいのになあ、なんて思うこともときどきあります。
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大学時代以来の再読。もちろん古臭く感じられる部分もあるが、総体としては今読んでも身につまされてしまう。幼児期の母親に対する依存関係を理想形として同心円状に形成される「ウチ」と「ソト」の概念などは、最近でも日本人の精神構造モデルとしてあちこちで引用されているのを見かける。しかしこの...
大学時代以来の再読。もちろん古臭く感じられる部分もあるが、総体としては今読んでも身につまされてしまう。幼児期の母親に対する依存関係を理想形として同心円状に形成される「ウチ」と「ソト」の概念などは、最近でも日本人の精神構造モデルとしてあちこちで引用されているのを見かける。しかしこの頃の文章って、ストイックで読み易いなあ。
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