生かされて。 の商品レビュー
ルワンダ虐殺を、狭いバスルームに押し込められながらも、希望と信仰を捨てず生き抜いた女性の話。 本人も言っているが、ルワンダ虐殺について書くというよりは自分がどのような人生を送ったのかを語るものであって、政治的なものより、家族への愛情、神との対話に焦点をあてて書かれている。 訳...
ルワンダ虐殺を、狭いバスルームに押し込められながらも、希望と信仰を捨てず生き抜いた女性の話。 本人も言っているが、ルワンダ虐殺について書くというよりは自分がどのような人生を送ったのかを語るものであって、政治的なものより、家族への愛情、神との対話に焦点をあてて書かれている。 訳の問題なのか、私の気持ちの問題なのか。 おそらくは後者なのだろうが、やはり、哀しいかな宗教は私にはわからない。 ただ、こういった本当に恐ろしい、生きていることが辛い出来事に直面したときに信仰と神、という彼女の中にある信念が彼女を生かしたのだと心から思う。 強いとか弱い、という簡単な言葉では片付けられない圧倒的な何かが彼女の中にはあったのだ。 許すという行為の難しさ、海外留学に行っていた兄以外の家族を凄惨な形で殺されたにも関わらず、この手記を書く彼女は、その殺人者たちを「可哀想な人」とし、俯瞰までできている。 私はその信仰が彼女にそういった精神力を与えていると思うが、宗教心のない私からしてみれば、言い方は悪いが、宗教というよりどころを持つことによって彼女自身が自分で得た強さだと思う。 しかしもはやそういったことをこの本に言うのはナンセンスだ。 こういったことは自分自身に置き換えて考えること自体、著者には失礼に値するだろう。これは彼女の話なのだから。 国連で働き、そして現在は愛する夫と子供に囲まれている。 彼女の今後が穏やかであることを心から願う。 私にはわからないことが多いけれど、生きる強さを、自分が死ぬより辛いことを乗り越えることを、家族を愛することを、誰かとつながることを真摯につづった一冊。
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ルワンダの虐殺を、まさに信仰の力で生き延びた女性の手記。この女性はカソリックの信者だが、3ヶ月間、いつ残虐に殺されるかもしれないという究極の状態で狭い場所に隠れて閉じこもり、名即していた様子には、水も食も睡眠も絶って洞窟で座禅を組んで修行をした高僧のようなイメージが浮かびます。ど...
ルワンダの虐殺を、まさに信仰の力で生き延びた女性の手記。この女性はカソリックの信者だが、3ヶ月間、いつ残虐に殺されるかもしれないという究極の状態で狭い場所に隠れて閉じこもり、名即していた様子には、水も食も睡眠も絶って洞窟で座禅を組んで修行をした高僧のようなイメージが浮かびます。どんな宗教でも、何か大きなものとつながっている自分を強く信じる人にはすばらしいパワーが備わるのだと感じました。
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この本は、大量虐殺というとてもつらい現実の中から生き残った女性が書いた一冊です。 1994年、ルワンダという場所で大量虐殺が起こりました。 フツ族がツチ族に襲い掛かり100日間で100万人の人々もを虐殺しました。 著者の女性は牧師の家の狭いトイレに身を隠し、迫り来る恐怖と空腹に負...
この本は、大量虐殺というとてもつらい現実の中から生き残った女性が書いた一冊です。 1994年、ルワンダという場所で大量虐殺が起こりました。 フツ族がツチ族に襲い掛かり100日間で100万人の人々もを虐殺しました。 著者の女性は牧師の家の狭いトイレに身を隠し、迫り来る恐怖と空腹に負けず、奇跡的に生き延びました。 この女性は、とてもつらい経験をしたのにも関わらず最後は虐殺者たちを許してあげました。心に響くとても感動的な一冊でした。
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1994年に起きたウガンダでの民族大虐殺を生き残った女性の手記。 ウガンダの虐殺については映画『ホテル・ルワンダ』でおおよその流れは知っていましたが、ここでは徹頭徹尾追われ虐殺されようとする側からの視点の迫力があります。3ヶ月もの間の生命の危機と隣り合わせの隠れ部屋での生活は...
1994年に起きたウガンダでの民族大虐殺を生き残った女性の手記。 ウガンダの虐殺については映画『ホテル・ルワンダ』でおおよその流れは知っていましたが、ここでは徹頭徹尾追われ虐殺されようとする側からの視点の迫力があります。3ヶ月もの間の生命の危機と隣り合わせの隠れ部屋での生活は想像することすら拒絶する凄絶さと不条理を感じさせます。そして、信仰というものについても考えさせられます。 圧巻のエピソードは隠れ部屋の中で英仏辞典を要求するところでしょうか。なんとまずは"I am Immaculee"から。信仰と強さ(信仰による強さ?)がなければできません。残念ながら自分にはないものです。 原題は"Left to tell"。おそらくは"tell"にも強い想いが込められています。憎悪の鎖を断ち切って、彼女の祖国に必要だと思う救いをもたらすために自身の経験と言葉を伝えること。 本の中でも引かれたコリントの信徒への手紙を思い出します。教会式の結婚式で牧師さんから聞く、「愛は忍耐強い。愛は情け深い。妬まない。...」というやつです。「信仰と希望と愛、この3つはいつまでも残る。その中で大いなるものは、愛である」 彼女の信仰と希望と愛についての物語と亡くなった彼女の家族への鎮魂としての物語でした。
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私は何処の宗教信者ともありゃせんが、人間の信仰心がなせる業に深い関心を抱いてしまう。イマキュレーの残酷な体験は生きる希望を失ってもおかしくないというのに・・・「生かされている」ということを感じ、希望を失わずにいられた深い信仰心・・・凄い事です。
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●091104 本書を読んだ衝撃は計り知れません。 自分が平和に暮らしていた1984年の同じ時間に、数千キロ離れたルワンダで、こんなにも悲しい出来事が起こっていただなんて。 「人間って一体何なんだろう?」と思わざるを得ない。 もう一度しっかり読んだ上で、失礼のない書評を書こう。そ...
●091104 本書を読んだ衝撃は計り知れません。 自分が平和に暮らしていた1984年の同じ時間に、数千キロ離れたルワンダで、こんなにも悲しい出来事が起こっていただなんて。 「人間って一体何なんだろう?」と思わざるを得ない。 もう一度しっかり読んだ上で、失礼のない書評を書こう。そう考えています。
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TBSのCBSドキュメントでこの本の存在を知り、読んでみました。アフリカのルワンダで怒ったフツ族によるツチ族の虐殺(三ヶ月で100万人が殺害)に会った、現在国連で働かれている方の話。 信仰心と未来への希望があったから、生き残れたという話をされていました。信仰心のない日本人はどうや...
TBSのCBSドキュメントでこの本の存在を知り、読んでみました。アフリカのルワンダで怒ったフツ族によるツチ族の虐殺(三ヶ月で100万人が殺害)に会った、現在国連で働かれている方の話。 信仰心と未来への希望があったから、生き残れたという話をされていました。信仰心のない日本人はどうやって切り抜ければいいのだろうとも思いました。家族の殺害についての記述については、非常に残酷なものがあります。
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これはルワンダで起こった大量虐殺を書いたの本です。 これを読んでいると今自分がどれだけ幸せなのかがよく分りましたし、命の大切さもとても分かります。 内容的にはショック部分も沢山ありますが、この本はできるだけ多くの人に読んでほしい本だと思いました。
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1994年、ルワンダで起こった大量虐殺で、親も兄弟も惨殺されてしまう。狭いトイレに閉じこもって奇跡的に生き延びた著者。祈りとは、ゆるしとは、信仰とは。考えさせられる。
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1994年、13年前何をしていただろう。遠いアフリカのルワンダでこんな大虐殺が起きていることはテレビや新聞で報道されていたかもしれないが、記憶にない。知らなかった。たぶんそのときも報道は政治家のつまらない失言やどこかの国のファーストレディの服装とかそんな事のほうが大きく取り上げら...
1994年、13年前何をしていただろう。遠いアフリカのルワンダでこんな大虐殺が起きていることはテレビや新聞で報道されていたかもしれないが、記憶にない。知らなかった。たぶんそのときも報道は政治家のつまらない失言やどこかの国のファーストレディの服装とかそんな事のほうが大きく取り上げられていて、こんなことはスッと流されるニュースだったのかもしれない。日本に影響の少ない国の中で起きている部族間の争い、何回も繰り返されている内乱。この女性は突然「ツチ」族というだけでそれまで仲良く暮らしていた隣近所や友人や知り合いの「ふち」族の人々に襲われる。それまでも何度もそんな歴史は繰り返されていたが、それでも特に対立していたわけでもない人々が殺人者となって襲ってきた。そして家族を殺害され教会に逃げ込む。「フチ」族の牧師は彼女を含め六人のツチの女性をトイレにかくまってくれる。3ヶ月間何度も家捜しする殺人者や反ツチの牧師の家族らの目に付かぬようにそのトイレのなかで物音を立てないようにお互いに話をすることもなく立つか座るかしか出来ないなかで隠れ続けた。100万人に及ぶツチ族とツチを擁護するフチ族の人が虐殺され、もう殺す対象さえなくなったのではと思う頃やっと救助される。狭い密室に閉じこもりお互いに知らぬ同士が音も立てないように息をつめて暮らす、暮らすと言えないか、食料も差し入れられるものも少なく日に日に衰弱していくなか、殺人者たちの来訪を間近で聞きながら隠れているとき、彼女の心の支えは神への祈りだったりやがて来る開放された日のための英語の勉強だったり。こんな時に明日への希望を見つけ出し、英語を勉強しようと思いつくあたりがすごい。そして辞書と2冊の英語で書かれた本だけで独学で英語を取得する。彼女がとても優秀な人だったことは間違いがないが、この状況でそうすることで時間を無駄にせず恐怖と戦うすべにする、並の人ではないなと思う。並の人ではない彼女と一緒にそこに隠れていたほかの女性たちはどんなことを思いながら耐えていたのだろう。精神状態を平常に保つことなど出来ないこの状況で、どうやって耐えていたのだろう。何が支えだったのだろう。イマキューレーは強い女性で優れた女性だったから救助されたあと彼女たちとは別行動になりその後が書かれていないが、おそらく普通の人だったろう彼女たちがどんな風に思いながらそこにいたか知りたいとおもった。そして周り中がそんな狂気に侵されて自分を見失いそうになるときに対立する部族でありながらかくまっていた牧師、自分の家族にも彼女たちの存在を知られないようにかくまうことはどれほどの困難だったろう。誰かに知られればフチ族であっても殺される恐怖、それが家族に及ぶかもしれない、そんななか彼女たちを隠し続けた牧師は神の使命と思っていたのか、一度匿ってしまった以上それを知られれば死が訪れる言う恐怖からか。異常な事態は様々な矛盾を人々の心に起こさせる。他にも友人のツチ族を匿いながら、周りと一緒になって他のツチ族を殺しにゆくふちの青年の話、彼は回りに飲み込まれながらも友人に対しては人種を超えた友情を持ち続けていたのか。彼はある意味人間らしい。イマキュレーのためにフチ族を殺してやろうかといいながら撤退の命令が出たとたん、フチ族の真ん中に置き去りにして去っていったフランス軍の兵隊。個人的には怒りをもち救いたいと思いながらも組織にそむくことが出来ない。でもやはりよその国の出来事という気持ちがあったのではないだろうか。彼女はその高い能力とポジティブな考え方で国連で働くようになった。彼女は神に祈りを捧げながら家族を殺し彼女を3ヶ月もの間閉じ込めた人びとを許すことにする。彼らは自分のやっていることがわからない子供、悪魔に支配され自分自身を傷つけていることがわからないおなじ神の子供なのだと思い、彼らを許すことにする。どんなに憎しみに襲われても許すことを選ぶ。それが信仰なのかもしれないが、そういう許しがなければ彼らの歴史はまた繰り返されるだけだという事を知っているのだろう。今度はツチがフチ族に復讐のための殺戮を引き起こし、今回この内乱を制圧したのが過去に国を追われたツチの避難民たちだったように、いつの日か今回外国に逃れたフチ族が帰ってきておなじことが起きるかもしれない。お互いがお互いを許しあわなければいつまでも続く復習劇。でもそれは本当に難しいこと、愛する人を何人も失っている人にとっては。このルワンダ大虐殺は「ホテルルワンダ」とか「ルワンダの涙」という映画にもなっているらしい。辛くて見ることが出来ないかもしれない。見ることが恐ろしい。でもそんな国もあるという事を私たちは知っておくべきだと思う。
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