ローマ人の物語(26) の商品レビュー
五賢帝と言われた時代物語。内乱を収束させ、自身が高齢であることからその準備を短期間に行い、適切な後継者を選択したネルヴァ(第12代皇帝)。帝国を隅々まで飛び回り、最大版図を築いたトライアヌス。反対に、帝国内にとどまり、内政やインフラ、法体系を充実させたハドリアヌス。慈悲深い皇帝と...
五賢帝と言われた時代物語。内乱を収束させ、自身が高齢であることからその準備を短期間に行い、適切な後継者を選択したネルヴァ(第12代皇帝)。帝国を隅々まで飛び回り、最大版図を築いたトライアヌス。反対に、帝国内にとどまり、内政やインフラ、法体系を充実させたハドリアヌス。慈悲深い皇帝として市民の尊崇を集めたアントニヌス・ピウス。そして哲人皇帝と讃えられ、その著書である「自省録」が2000年後の今でも読まれているマルクス・アウレリウス。もちろんそれぞれの皇帝に闇の部分はあり、ユダヤ人国家の制服と追放が今に至る悲劇の元となっているような事件も。その上で、賢帝と言われる理由があるということ。国家の安全、市民の幸福、平等(今から考えると限定的ではあるが)、税の免除や娯楽の提供、元老院議員や貴族、兵士への対応など、リーダーとして重要な要素が随所に散りばめられている。もしかして最高のリーダー論なのではないだろうか。
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ハドリアヌス帝。なかなか興味深い皇帝だった。ただ、学生の頃に世界史で習った、五賢帝、パクスロマーナのイメージとは違った。やはり、テストのために覚えた用語集の言葉と物語、小説として描かれる当時のローマとではイメージの膨らみ方が違う。ハドリアヌスはその最たる人かなぁと思う。塩野さんは...
ハドリアヌス帝。なかなか興味深い皇帝だった。ただ、学生の頃に世界史で習った、五賢帝、パクスロマーナのイメージとは違った。やはり、テストのために覚えた用語集の言葉と物語、小説として描かれる当時のローマとではイメージの膨らみ方が違う。ハドリアヌスはその最たる人かなぁと思う。塩野さんはあまり良くは書いていないが、嫌いじゃないキャラクターだなぁと思った。五賢帝と一括りにされる意味もなんとなく分かる。1人が欠けてもローマ最大領土は得られなかったし、その維持も平和もあり得なかった。その中でのハドリアヌスの働きぶり、統治ぶりは実にハドリアヌスらしく他の皇帝ではできなかったのだろうなと思った。
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ハドリアヌス帝の治世終盤と、次のアントニヌス・ピウス帝についての巻。 印象に残ったのはローマ帝国におけるユダヤ問題だ。紀元前のポンペイウスから始まりハドリアヌス帝の治世まで、ユダヤ問題の流れがざっくりまとめられていた。ユダヤ教徒とキリスト教徒の不仲にもチラッと触れられていて、こう...
ハドリアヌス帝の治世終盤と、次のアントニヌス・ピウス帝についての巻。 印象に残ったのはローマ帝国におけるユダヤ問題だ。紀元前のポンペイウスから始まりハドリアヌス帝の治世まで、ユダヤ問題の流れがざっくりまとめられていた。ユダヤ教徒とキリスト教徒の不仲にもチラッと触れられていて、こういう歴史的背景があったのかと興味深く読んだ。
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「ローマ人の物語」は、いよいよ五賢帝の最後、マルクス•アウレリウスまで来た。 幼少期の頃から皇帝ハドリアヌスに可愛がられ、将来を嘱望されていた哲人皇帝の、満を持しての登場だ。 ハドリアヌスは、早くからマルクス•アウレリウスを後継者に決めていたが、何分若いため、彼までの繋ぎとして、...
「ローマ人の物語」は、いよいよ五賢帝の最後、マルクス•アウレリウスまで来た。 幼少期の頃から皇帝ハドリアヌスに可愛がられ、将来を嘱望されていた哲人皇帝の、満を持しての登場だ。 ハドリアヌスは、早くからマルクス•アウレリウスを後継者に決めていたが、何分若いため、彼までの繋ぎとして、凡庸なアントニウス•ピウスを中継ぎにすることにした。 その中継ぎが長生きし、帝国も安定していたことから、マルクス•アウレリウスの登板はかなり遅れる。 アントニウス•ピウスは幸せな皇帝だ。帝国に何も起こらなかったために何もせずとも良く、偶々時代が安定していたために、五賢帝の一人に数えられているのだから。 因みに、五賢帝とは、 ネルヴァ(在位3年に過ぎない) トラヤヌス ハドリアヌス アントニウス•ピウス マルクス•アウレリウス だ。 一世紀末から二世紀後期にかけて約80年のローマ帝国の安定期を指す。 この定義をもたらしたのが、「君主論」のマキャベリであるのが面白い。 それを「ローマ帝国衰亡史」のギボンが踏襲することで、定着したのだ。 何もしなかったが安定していたアントニウス•ピウスが死去し、マルクス•アウレリウスが皇帝になると、それを待っていたかのように、帝国の問題が噴出する。 五賢帝最後の皇帝の時代は、激動の時代に突入するのだ。 まるで、誂えたドラマのようだ。 マルクス•アウレリウスが戦場で記した「自省録」も同時並行で読む。
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主にハドリアヌスとアントニヌスの統治が書かれている。 「ダキアを征服することでドナウ河防衛線の強化に成功したトライアヌスと、帝国全域を視察することで帝国の再構築を行ったハドリアヌスが、「改革」を担った人であった。この二人の跡を継いだアントニヌスの責務は、「改革」ではなく、改革され...
主にハドリアヌスとアントニヌスの統治が書かれている。 「ダキアを征服することでドナウ河防衛線の強化に成功したトライアヌスと、帝国全域を視察することで帝国の再構築を行ったハドリアヌスが、「改革」を担った人であった。この二人の跡を継いだアントニヌスの責務は、「改革」ではなく、改革されたものの「定着」にあったのだ。」 「人間にとっての最重要事は安全と食の保証だが、「食」の保証は「安全」が保証されてこそ実現するものであるということを。ゆえに、「平和」が最上の価値であることを。」 「ローマ帝国は一つの大きな家であり、帝国内に住む人はこの大家族の一員であるということの確立であったのだ。」 「同じくローマ皇帝ではあっても、トライアヌスとハドリアヌスは、統治者としてその治世をまっとうしたのである。一方アントニヌスは、父親を務めることで一貫したのだった。」 アントニヌスが治世者として理想型で表現されている。
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うーん、賢帝ハドリアヌスですか。 確かに有能な皇帝であったと思うけれど、賢帝であったかというと、どうだろう。 やるべきことはきっちりやったし、自分の趣味も存分に楽しんだ。 公私の、ON-OFFの切り替えが上手い人なのだと思うけど、人としての魅力に欠けるよね。 媚びる必要はもちろんないけど、国民に愛されない皇帝はどうだろう。 その場面場面では適切な対応をしていても、どういう人物かというとつかみどころがない。 国民が親しみを感じるような単純な性格ではなかった。 そして、自分の行動の意味を説明することもなかったのだろう。 さらに年を取るにつれて、偏屈度が増しかんしゃくを起こすことも多くなった。 これ、周囲の人は大変だったろうなあと思いながら読んでいたら、案の定同時代に生きた人たちのハドリアヌス評はあまり高くない。 広大なローマ帝国を巡行して、ローマ帝国の再構築をなすという大事業を達成したのに。 でも、さらに後世の私からすると、やはり最初の基礎を築いたユリウス・カエサルやアウグストゥスに比べると、トライアヌスやハドリアヌスは一回り業績が小さい気がする。 ましてやその後を継いで現状維持をしただけのアントニヌス・ピウスはねえ…なんて思ったら、彼の評価はとても高い。 経済状態が良好な時、公務員の数は増えるのだそうだけど、アントニヌスは仕事をしないで給料を得ている者は、躊躇なく首にしたそうだ。 ”「責任を果たしていない者が報酬をもらいつづけることほど、国家にとって残酷で無駄な行為はない」” 日本の政治家に聞かせてやりたい。 維持をするって地味に大変だけれど、評価が低いのが常。 だけど、人として賢かったアントニヌス・ピウスはきっちり仕事をしたうえに、国民の支持も厚かった。 こういう人を賢帝というのではないかしら。
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自分がどこにいるのかよく分からなくなってきたな、この長さで。 まぁそれはさておき、何でこんなにまで拡大したのかね?ローマは。イタリアからエディンバラって今の感覚からすると単なる無謀な試みにさえ見えてくるんですが、今とは決定的に違う地理・空間感覚があったんでしょうな。 読んでいてふ...
自分がどこにいるのかよく分からなくなってきたな、この長さで。 まぁそれはさておき、何でこんなにまで拡大したのかね?ローマは。イタリアからエディンバラって今の感覚からすると単なる無謀な試みにさえ見えてくるんですが、今とは決定的に違う地理・空間感覚があったんでしょうな。 読んでいてふと思った次第、そしてその素朴な疑問はあまりに愚なのか、あまり相手にもしてくれなさそう、本作は。
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ハドリアヌスの晩年とアントニヌス・ピヌスの事跡。 ある意味ローマにおいてもっとも静かな時代の体現者のアントニヌス・ピヌスは、自身はパクスロマーナを謳歌したのだろうか。 本当の意味て「国家の父」を演じ切ったのではないか。
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ハドリアヌスの治世の後半から始まる今巻。 帝国内の巡察を行うハドリアヌスにユダヤの反乱の報が届き、ユダヤの鎮圧が行われる。この鎮圧以降、イェルサレムを追われたユダヤ教徒は国を失い、20世紀に至るまで流浪の種族となる。 晩年のハドリアヌスは、老人特有の頑迷さにより、周囲を困らせる人間に。元老院とも対立する。 後継者に指定したアエリウスもハドリアヌスより早逝し、一旦は不発に終わる。 最終的にアントニヌスに、ハドリアヌスが目をかけていたマルクスアウレリウスを養子に迎えることを条件に皇位を継承する。 そのアントニヌスは、ハドリアヌスが構築した平和を守ることを成し遂げる。また、人格者でもあった彼は、慈悲深い人、という意味のピウスを通称として呼ばれ、史上、アントニヌス・ピウスと呼ばれるようになる。
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五賢帝時代と言われたその時代を表した最終章。賢帝とはローマ帝国の歴史全体を通しての評価だと思いますが、当然その時代に生きた市井の人々の評判も含まれます。ハドリアヌス帝は賢帝の一人ですが、その晩年は、今までの性格を現す「一貫していないことでは一貫していた」という好評価から、ただの「...
五賢帝時代と言われたその時代を表した最終章。賢帝とはローマ帝国の歴史全体を通しての評価だと思いますが、当然その時代に生きた市井の人々の評判も含まれます。ハドリアヌス帝は賢帝の一人ですが、その晩年は、今までの性格を現す「一貫していないことでは一貫していた」という好評価から、ただの「一貫していた」という老年期の普通の人の概念で欠点とされる性向で一貫してしてしまった…ようです。その理由のひとつとして、帝国の全域にわたって長年視察、巡行を続けた結果、肉体を酷使して健康を害したせいであることがあります。更に作者は、その要因をハドリアヌスは、やらねばならないことはすべてやった、という想いに由来していた…と分析しています。気配りを欠いた言動に国民から、冷笑を浴びたりしたエピソードに、ある程度社会に影響を及ぼす立場にある人の「老害」を感じました。現代の日本においても諸外国においても、その例はすぐ頭に思い浮かびます。しかし、この逆風に於いてハドリアヌスの死後、神格化を反対していた元老院の意向に次期皇帝のアントニヌスは、必死に抵抗し、彼の帝国再構築の偉業は歴史の闇に埋もれずにすんだのでした。 そのアントニヌス・ピウスの治世は、皇帝として新しいことは何もしないという時代だったのですが、それは否定的な意味ではなく、帝国全域を平穏な秩序が支配していた「幸福な時代」と言えます。人格者で美男、その上言動にはユーモアが漂っていたというのですから、本当に稀に見る人物だったようです。ハドリアヌスとアントニヌスの二人の時代は、ローマ帝国の礎となる安全の保証が実現され、平和の価値を実感できる国になっていました。
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