遠い朝の本たち の商品レビュー
幻想的で読者に語り掛…
幻想的で読者に語り掛ける様な文章が印象的で今も心に残っています。
文庫OFF
某SNSで引用されていた一文に惹かれて購入。 恥ずかしながら、筆者を存じ上げなかったが、本と共に印象に残った出来事を振り返る文章がとても切なく愛おしく感じた。
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須賀さんの本、初めて読みました。 わかりやすく、すっきりとしていながら、やわらかく情景が浮かび上がってくる文章に心が震えました。 見たことのない情景が、目にも心にも浮かぶように感じました。 時を超える感覚が新鮮で、もっと他の本も読んでみたくなりました。
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文章のもつすべての次元を、ほとんど肉体の一部としてからだのなかにそのまま取り入れてしまうということと、文章が提示する意味を知的に理解することは、たぶんおなじではないのだ。 幼い時の読書が私には、ものを食べるのと似ているように思えることがある。多くの側面を理解できないままではあった...
文章のもつすべての次元を、ほとんど肉体の一部としてからだのなかにそのまま取り入れてしまうということと、文章が提示する意味を知的に理解することは、たぶんおなじではないのだ。 幼い時の読書が私には、ものを食べるのと似ているように思えることがある。多くの側面を理解できないままではあったけれど、アンの文章はあのとき私の肉体の一部になった。 いや、そういうことにならない読書は、やっぱり根本的に不毛だといっていいのかも知れない。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
何よりもまず人間。 詩と自然にひたりたかった私が、なによりもまず人間,というフランスやイタリアのことばに,さらにこれらの国々の文学にのめり込んで、はては散文を書くことにのめりこんでいったのが、ふしぎな気がする。p206 と、かいておられる。須賀敦子さんの、子ども時代学生時代を振り返る本書を貫くのは、読んだ本,作者やその登場人物、行動から本能的に,そして本質的にかぎとり、受け止めてきた、何よりもまず人間ということ。 サンテグジュペリの,人間の土地。飛行機とともに、われわれは直線を知ったという文章がある、と、須賀敦子さんは引いている。牛や羊に依存していた人たちによって作られた、くねくねと曲がった道をたどっていた時代の社会通念と、都市と都市を直線でつなげることを知った空からの視点を人間が手に入れた時代のそれとは大きく変わるはずだと言う事をこの短い文章は指し示しているが、これは宇宙飛行士の視点に通じるものに他ならないだろう。空から地球を見るようになって、と、サンテグジュペリは、書いている。私たちは、(… )宇宙的尺度で人間を判断することになったのだ。人間の歴史を(もう一度)さかのぼって読むことになったのだ。 という須賀敦子さんの文章,は、飛行機により新しい時代新しい尺度新しい人間性を大いに期待しながらも、飛行機により戦争やさまざまな,今ならCO2エミッションなどの厄災ももたらしてきた、インターネットがウェブやコンピュータの登場も当初はなんら同様の直線化による無限の可能性無限の新尺度を期待させながらも、新しき良き時代だけではなく、飛行機でもないさらにドローンなるもので人間も土地も破壊できるようになっている,そんなことを思いながらも、なによりもまず人間なのだという須賀敦子の一貫したよりどころに、救済される。 冒頭と最後の、しげちゃんのこと。くらい戦争の時代を、精一杯カラフルに生きようとし、くらさや嘘,欺瞞、偉そうな感じ,排除やきなくささに敏感になりながら自由自分らしさを求めて生きたおふたり、そこにつながるリンドバーグと一緒に飛行機で冒険したアンモロウリンドバーグの、世界を空から見る目線と,庭に咲く草花や木の芽をありのままに捉える目線。 須賀敦子さんならではの筆致,圧巻と感じるのはやはりイタリアのシエナの坂道の章,シエナの聖女カテリーナとの邂逅。
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学校の職員室に筑摩書房のおじさんが教科書の宣伝にやってこられることがありました。 「先生、これ、どうぞ。」 そういって、机上にそっと置いていただいた「国語通信」で初めて出会ったのが須賀敦子でした。 「国語通信」・「ちくま」に連載されたエッセイ集ですが、どこから読んでも、須...
学校の職員室に筑摩書房のおじさんが教科書の宣伝にやってこられることがありました。 「先生、これ、どうぞ。」 そういって、机上にそっと置いていただいた「国語通信」で初めて出会ったのが須賀敦子でした。 「国語通信」・「ちくま」に連載されたエッセイ集ですが、どこから読んでも、須賀敦子さんの青春が輝いています。 ブログにぐちゃぐちゃ書きましたが、職員室に座りながら筑摩書房のおじさんと出会ったのは30年以上も昔のことで、須賀敦子さんが亡くなって20年以上たちました。読み続けられることを願う本の一つです。 ブログはその1・その2とあれこれ書いています。こちらからどうぞ。 その1 https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202202010000/ その2 https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202202070000/
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そりゃー戦前生まれの方の読書歴だろうな……っていう この世代の方あるあるなんだろうな、この蔵書…と思ってしまう
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すごい。本を読み、それを自分の血肉していく、 「食べる」ように取り込んでいく喜び、その凄み。 「星と地球の間で」の章がよかった。 テグジュペリの「戦う操縦士」を読み 自分は今も大聖堂を建てているか?どっかりと安楽椅子に座ってはいないか?と、今立っている場所を確かめる。という。...
すごい。本を読み、それを自分の血肉していく、 「食べる」ように取り込んでいく喜び、その凄み。 「星と地球の間で」の章がよかった。 テグジュペリの「戦う操縦士」を読み 自分は今も大聖堂を建てているか?どっかりと安楽椅子に座ってはいないか?と、今立っている場所を確かめる。という。 そう読み取る。思い至れるところ。 そして実際に自問自答し続けていけるところを心から尊敬する。 「君は人生に意義をもとめているが、人生の意義とは自分自身になることだ」 「大切なのは、どこかを目指して行くことなので、到着することではないのだ、というのも、死、以外に到着というものはあり得ないのだから」 さようなら、の語源は「そうならねばならぬのなら」なのだそう。 美しい言葉だと思った。 小川洋子さんのエッセイで知った「しげちゃんの昇天」から。 「ほんとうよねえ、人生って、ただごとじゃないのよねえ、 それなのに、私たちは、あんなに大いばりで、生きてた。」 人が人を思うこと、自分以外は忘れてしまったかもしれないこと、思いを残すこと。 そしてそれをまた覚えていてくれる人がいるということ。 しげちゃんの思い出や言葉が、須賀さんに、小川さんに、そして少しでも私に残っていることのすべて。 タイトルもいいなあ。誰もが心に、遠い朝に読んだ本を抱えてる。 人生に影響を受けている。
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【読了メモ】20代の頃、コルシア書店の仲間たちがすっと入ってこなくて須賀敦子さんには苦手意識があったのだが、30代も終わりの今になって、すぅすぅと、経口補水液みたいに染むように読みました。たぶん、今年中に、一冊は須賀さんを買うと思います(2020.08.30)
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アントニオ・タブッキの作品で知った翻訳家・エッセイストの須賀敦子さん。本書は彼女が幼少期、女学生時代に出会ってきた本に纏わるエピソードを中心に、家族のことや友人達過ごした日々を綴ったエッセイ。膨大な量の本を読んでいるであろう須賀敦子さんですが、エッセイを読むとそれ以上に好奇心旺盛...
アントニオ・タブッキの作品で知った翻訳家・エッセイストの須賀敦子さん。本書は彼女が幼少期、女学生時代に出会ってきた本に纏わるエピソードを中心に、家族のことや友人達過ごした日々を綴ったエッセイ。膨大な量の本を読んでいるであろう須賀敦子さんですが、エッセイを読むとそれ以上に好奇心旺盛で冒険心に富み、内に籠ることなく、外へ外へと向かっていく姿が自由奔放で、そこに彼女の本質が表れているように思います。親友で尊敬していたしげちゃんについて言及している部分では読んでいて胸が熱くなりました。
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