こんな夜更けにバナナかよ の商品レビュー
内容(「MARC」データベースより) 人工呼吸器を着けながらも自由を貫いた重度身体障害者と、生きる手ごたえを求めて介助に通う主婦や学生ボランティア。02年8月死亡した筋ジス患者・鹿野氏と24時間体制で自立生活を支えたボランティア達の心の葛藤を描く 在宅自立生活を送る筋ジス...
内容(「MARC」データベースより) 人工呼吸器を着けながらも自由を貫いた重度身体障害者と、生きる手ごたえを求めて介助に通う主婦や学生ボランティア。02年8月死亡した筋ジス患者・鹿野氏と24時間体制で自立生活を支えたボランティア達の心の葛藤を描く 在宅自立生活を送る筋ジス患者・鹿野靖明さんと、24時間体制で支える介助ボランティアとの交流や葛藤を描いたノンフィクション。 まず、これだけの人数のボランティアがよく集まったなぁと驚きました。それから鹿野さんのパワーにも... それだけ鹿野さんは何か惹きつけるモノがあったのだろうなぁと感じました。 鹿野さんがやっていた事はちゃんと今に繋がっていると思います。 出来ればこの出来上がった本を読んで欲しかったなぁと思いました。
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映画名:「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」 監督:前田 哲 主演:大泉 洋、高畑 充希、三浦 春馬 北海道の医学生・田中はボランティアとして、体が不自由な鹿野と知り合います。夜中に突然「バナナが食べたい!」と言い出すなど、いつも王様のような我儘ぶりでしたが、自分自身に素...
映画名:「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」 監督:前田 哲 主演:大泉 洋、高畑 充希、三浦 春馬 北海道の医学生・田中はボランティアとして、体が不自由な鹿野と知り合います。夜中に突然「バナナが食べたい!」と言い出すなど、いつも王様のような我儘ぶりでしたが、自分自身に素直に生きる鹿野は、どこか憎めない愛される存在でした。ある日、鹿野は新人ボランティアの美咲に惚れ、彼女へのラブレターの代筆を田中に依頼。しかし、実は彼女は田中と付き合っていて…。
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生きるということ、生きるという意味を考えずには居られなくなる好適なノンフィクションですね♪ 重篤な筋ジストロフィーながらも過去になかった自立生活を志向した鹿野さんと支え続けた多数のボランティア達を取材開始から2年4ヵ月かけて出版された本書、私達に 世間に 行政に 国に 問いかけて...
生きるということ、生きるという意味を考えずには居られなくなる好適なノンフィクションですね♪ 重篤な筋ジストロフィーながらも過去になかった自立生活を志向した鹿野さんと支え続けた多数のボランティア達を取材開始から2年4ヵ月かけて出版された本書、私達に 世間に 行政に 国に 問いかけてくるものは多くて大きくて重い! 以前からタイトルだけは知っていたけど、中身は読んで初めて知りました。変に映画化されたものなど見なくて良かったー と思ってます♪ まさにタイトルがすべてを表していますね。ナイスなノンフィクションです。
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健常者たる自分は、どう生きるべきか。普段考えない事を考えさせられる。あと、生き生きと生きたいと思わせてくれた。こんなボラ体験した人やこの本の読者は、他を殺める事件起こしたりしないだろう。本って凄い!
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「筋ジストロフィー」の病名から、鹿野さんのイメージを「自分一人では身体を動かせない、とてもかわいそうな人」と固定して読むとかなり面食らう。そして、面食らってしまうということ自体が、いかに健常者が障害者を美化・聖化し、「かわいそうな人たち」というイメージを持っているか、の現れなのか...
「筋ジストロフィー」の病名から、鹿野さんのイメージを「自分一人では身体を動かせない、とてもかわいそうな人」と固定して読むとかなり面食らう。そして、面食らってしまうということ自体が、いかに健常者が障害者を美化・聖化し、「かわいそうな人たち」というイメージを持っているか、の現れなのかもしれないとも思った。 この本で描かれているのは、聖者でも何でもなく、あっけらかんと堂々とわがままに生きている一人の人間の姿である。「かけていい迷惑をかけていくのもオレたちの仕事なんだよ」という台詞は、とても示唆に富んでいる。 考えてみれば当たり前のことだが、障害者も健常者も同じ人間であることに違いはない。鹿野さんと「鹿ボラたち」のように、同じ人間同士として時には激しくぶつかり合い、傷つけ合いながら関係を築いていくのが、本当の意味での障害者理解なのかもしれない、と思った。 障害者を美化・聖化し、「不幸・かわいそう・奉仕・献身」という意識を勝手に持つのも立派な差別である、という考えが日本ではもっと広まるべき。 また、この本のもう一つの柱として、「ボランティアをやる動機」についても大きく扱われていた。 「一人の不幸な人間は、もう一人の不幸な人間を見つけて幸せになる」という言葉はとても重い。確かに「ボランティアは生きる手応えを与えてくれる」という動機でやっている人も多い気がする。 鹿ボラたちの中には「自分はなぜここに来るのかよくわからない」と言う人たちがたくさんいたが、案外そんなものなのかもしれない。 そして、筋ジスは遺伝性の疾患である(例外もあって未解明な部分が多いらしいが)こともこの本を読んで初めて知った。意外に知らなかった。母親の罪悪感・自責感は相当なものなんだろうな、と思った。 それにしても、タイトルの元になったバナナのエピソードは、この本の内容やテーマをこれ以上なく言い表している。このエピソードに尽きる、と言ってもいい。インパクトもあって素晴らしいタイトル。
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障害者,ボランティアの在り方,福祉行政などいろいろ考えさせられた.何より命の期限を限られた障害者でありながら,生きることに執着した鹿野靖明氏に感銘を受けた.普通に生きること,自然な対人関係の在り方などのヒントが介助ノートにたくさん載っている.今,映画化されているので,見に行きたい...
障害者,ボランティアの在り方,福祉行政などいろいろ考えさせられた.何より命の期限を限られた障害者でありながら,生きることに執着した鹿野靖明氏に感銘を受けた.普通に生きること,自然な対人関係の在り方などのヒントが介助ノートにたくさん載っている.今,映画化されているので,見に行きたいです.
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なによりストンと響く七五調のタイトルがいい(「千と千尋の神隠し」とか「十五少年漂流記」とか)。夜更けにバナナをどうするんだ? もちろん食べる。嘆いているのは誰? バナナを食べさせるボランティア。80年代初頭から十数年くらい前までの、障害福祉が今よりもっと手探りだった時代、各地のボ...
なによりストンと響く七五調のタイトルがいい(「千と千尋の神隠し」とか「十五少年漂流記」とか)。夜更けにバナナをどうするんだ? もちろん食べる。嘆いているのは誰? バナナを食べさせるボランティア。80年代初頭から十数年くらい前までの、障害福祉が今よりもっと手探りだった時代、各地のボランティアが地域で暮らす障害者の生活を支えていた頃の一人の青年の実話だ。他人(5百人以上のボランティア)との関わりを通して自らを生かしていく姿は、災害を経験した我々の、他人に迷惑をかけたりかけられたりで構わないんだという見方に重なる。
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図書館で。映画化されたんですってねぇ。どういう感じになっているんだろう。 当たり前の事なんだけれども障害者だって一人の「人」であり、その人の生き方や考え方が全障害者を代表するわけでもない。でもなんとなく、一人の事例が全障害者を代表しているように捉えてしまうのはまだまだ身近に活躍...
図書館で。映画化されたんですってねぇ。どういう感じになっているんだろう。 当たり前の事なんだけれども障害者だって一人の「人」であり、その人の生き方や考え方が全障害者を代表するわけでもない。でもなんとなく、一人の事例が全障害者を代表しているように捉えてしまうのはまだまだ身近に活躍している障害者が少ないからなのだろうなぁなんて思いました。 そしてボランティアって言うのもすごい曖昧な存在だなぁと思いました。特に使う方も使われる方も仕事なら割り切れる事が、好意で行われることに対する対価?というのはどういうものなのだろうかと。対価を求めない行動なのかもしれないけれどもその裏には感謝されたいとか、褒められたいなどの承認欲求が潜んでいるのかもしれないし、使う方だってボランティアに気を使っていたら何のための自立生活だってなるだろうし。その辺り、宗教的な無償の奉仕みたいなものが根付いていない土壌では難しい問題だなぁなんて思いました。 普通の人が当然出来る事が出来ないという事のストレスはいかほどのものかと思うけれども、読んでいくうちに別にそんな事を悩んだところで本心から彼の心の葛藤を理解することは出来ないのだから出来る事をボランティアとしてすればいいんだ、という言葉にそうだよなぁなんて思いました。求められている事を求めに応じて行う。障害者に引きずられない。そういう人の方が安定した介助が出来るんだろうな。だからこそ介護の現場でも、近親者よりも他人の方が線引きがしやすいから良いと言われるのはそこなのかな、と思ったり。 そして脳性麻痺の子供を殺した母親の減刑を、脳性麻痺の障害者団体が反対したという事に目から鱗が落ちました。確かに、脳性麻痺の人間なら殺しても良いのか、という問題に繋がって行く…という考えは自分では思いつかなかった。やっぱり他人の立場で物を考えるのは難しい。だからこそ、他人の意見を聞くことは大事なんだろうなぁと改めて思いました。 というわけでとても興味深かったのですが、作者の美談にしたいのかなぁという思惑と、実際そんな良い話では終わらないよねという現実と、でもボランティアを体験したことによって人はやっぱり変わったんじゃない?みたいにまとめたいような感じがちょっと違うかなぁと。 障害者であれ、健常者であれ、他人と付き合う事で否応なく変わる事もあり、変わらない事もある。それが本来の人と人の交わりなんじゃないかな、と思いました。障害者だからと大仰に構えるのでなく。それが本来の意味でのノーマライゼーションなのかな、とも思ったりしました。が。やっぱりボランティアは優しい人が多いなぁ。自分だと衝突してダメそうだ。我が強いから…
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重度障害者の鹿野靖明氏と自立生活を支えるボランティアとの生活を綴ったノンフィクション。 プロローグ 今夜もシカノは眠れない 第一章 ワガママなのも私の生き方 この家は、確かに「戦場」だった 第二章 介助する学生たち ボランティアには何があるのか?...
重度障害者の鹿野靖明氏と自立生活を支えるボランティアとの生活を綴ったノンフィクション。 プロローグ 今夜もシカノは眠れない 第一章 ワガママなのも私の生き方 この家は、確かに「戦場」だった 第二章 介助する学生たち ボランティアには何があるのか? 第三章 私の障害、私の利害 「自立生活」と「障害者運動」 第四章 鎖につながれた犬じゃない 呼吸器をつけた自立生活への挑戦 第五章 人工呼吸器はわれなり 筋ジス医療と人工呼吸器療法の最前線 第六章 介助する女性たち ボランティアには何があるのか? 第七章 夜明け前の介助 人が人と生きることの喜びと悲しみ エピローグ 燃え尽きたあとに残るもの あとがき 重度な障害者がボランティアの助けを受けてこんなに頑張ってます!的な美談ではない。 人間同士のぶつかり合い、身体的、精神的な本当のコミュニケーションの生々しい記録と、表面的なノーマライゼーションの概念を払拭する鹿野の考え方。 医療福祉に携わる人なら、一度は読んでみて欲しい一冊。
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【生きるって?】 エナジーを出すこと。 人間は一人では生きていけない。 食べ物を作る、電気を作る、お金を流通させる… 他人に頼って生きている。 障がいがあるひとだって同じように一人で生きていけない。 ただそれだけ。 大辞泉によると『わがまま』とは 「自分の思いどおりに振る舞...
【生きるって?】 エナジーを出すこと。 人間は一人では生きていけない。 食べ物を作る、電気を作る、お金を流通させる… 他人に頼って生きている。 障がいがあるひとだって同じように一人で生きていけない。 ただそれだけ。 大辞泉によると『わがまま』とは 「自分の思いどおりに振る舞うこと。また、そのさま。気まま。ほしいまま。自分勝手。」 どちらかというとネガティブな印象の言葉とされている。 なぜ自分の思い通りに生きることが「自分勝手」なのか。 考えさせられます。 不自由な身体になってまで生きたくない、延命治療は絶対嫌だと思っていた。経管栄養とか、人工呼吸器で生きるなんて自分らしく生きられない…そう考えていました。 考えに迷いが出ました。 「人の手を借りなければ生きられない人のことを考えているか?」 意識さえあればエナジーを発することができる。 だから生きる価値がある。 「我がまま」として生きていけるだ。
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