レキシントンの幽霊 の商品レビュー
村上春樹氏が描く、奇…
村上春樹氏が描く、奇妙な雰囲気を持った短編集。のめりこみます。
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短編集で、読みやすい…
短編集で、読みやすいです。どの作品も、深いです。不思議な気持ちになれます。
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不思議な感じの短編集…
不思議な感じの短編集。お気に入りは「トニー滝谷」。トニー滝谷の本当の名前は、本当にトニー滝谷だった。一文目でやられました。
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どれも不思議なはなし…
どれも不思議なはなしの短編集です。『レキシントンの幽霊』はアメリカが舞台であり、膨大なジャズのコレクションをもつ人とかがでてくる雰囲気が好き
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不可思議な空気
不可思議な空気をたたえた物語を集めた短編集。「あちら側」と「こちら側」とでも言おうか。現実と非現実の境目は常にあいまいであり、我々次第でいつでも境界は崩れるのだと……そんなことを思う。
abtm
短編 村上春樹さんはなんだか流れるように美しい文章を運んでくれる 「時間は僕のまわりを心地よく穏やかに過ぎ去っていった。まるでぴったりとサイズのあった ひとがた に自分を埋め込んだような心持ちだった」 「そのあとでようやく、それに気がついた。音だ。 海岸の波の音のようなざわめきー...
短編 村上春樹さんはなんだか流れるように美しい文章を運んでくれる 「時間は僕のまわりを心地よく穏やかに過ぎ去っていった。まるでぴったりとサイズのあった ひとがた に自分を埋め込んだような心持ちだった」 「そのあとでようやく、それに気がついた。音だ。 海岸の波の音のようなざわめきーその音が、僕を深い眠りから引きずり出したのだ」 どんな言葉も心を落ち着かせてくれるような そんな文章たちの一冊
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表題作と『めくらやなぎと、眠る女』だけ 「いちばん辛いのは、怖いことなんだよ。実際の痛みよりは、やってくるかもしれない痛みを想像する方がずっと嫌だし、怖いんだ。」 「誰の目にも見えることは、それほど重要なことじゃない。」
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粒揃いの短編集。 不思議な体験は、現実に起こりそうな物もあり、ファンタジー色の強い物もある。 恐怖を扱った作品は、「怖い」を楽しむ、いわば娯楽としての恐怖小説とは少し異なる気がする。 「怖い」はどこから来るのか?なぜ「怖い」という感情が湧くのか?と、いろいろ考えさせられた。 この...
粒揃いの短編集。 不思議な体験は、現実に起こりそうな物もあり、ファンタジー色の強い物もある。 恐怖を扱った作品は、「怖い」を楽しむ、いわば娯楽としての恐怖小説とは少し異なる気がする。 「怖い」はどこから来るのか?なぜ「怖い」という感情が湧くのか?と、いろいろ考えさせられた。 この作品集で描かれる恐怖は、心が受けた深い傷から滲み出るもの、怖いけれど楽しいもの?想像に過ぎないもの?、女の心の中の恐ろしさ、人間の心の奥に残った消えることのない恐れの記憶が絶望的な未来を予感させるものなどさまざまである。気が付いていないだけで、まだ他にも隠されているかもしれない。
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少し寂しくて読んだ後不思議な気持ちになる短編集 とても想像力を掻き立てられました、 個人的に「七番目の男」が好き
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「自己との切実なまでの対面」 本著は『めくらやなぎと眠る女』を除き、かの有名な『ねじまき鳥クロニクル』の後と、『ダンス・ダンス・ダンス』『TVピープル』の後に書かれた短編集である。 執筆された時期は作品毎に微妙に異なる。 だが読後に私が感じたのは、いずれの作品にも一貫として「...
「自己との切実なまでの対面」 本著は『めくらやなぎと眠る女』を除き、かの有名な『ねじまき鳥クロニクル』の後と、『ダンス・ダンス・ダンス』『TVピープル』の後に書かれた短編集である。 執筆された時期は作品毎に微妙に異なる。 だが読後に私が感じたのは、いずれの作品にも一貫として「自己との徹底的な対面がある」ということだ。 我々は自己との対面を避ける。特に内面的な事柄に関してだ。 背負った業や、現在進行系で抱えているものから目を背け、一時的な逃避に走る。 それは自己防衛に成りうると同時に、自身に重い枷を掛けることにもなる。 時には逃げることも良いだろう。臭いものには蓋をして、それを意識の外側に放置しておくのは精神の安定にも繋がる。 だがその蓋が得てして弾かれてしまったとき。そこからは深い悲しみや激情が溢れ出てくるだろう。 例えば、 納得のいかない自身の現状に目を背け、ひたすらに仕事に身を打ち込む。 人と心の通った関わりを避け、利己的な人間関係を構築する。 腹の底からやりたいことがあるのに、他者の評価や視線を気にして現状に甘んじる。 事の大小や程度が違えど、いかなる人間にもそういった経験はあるはずだ。 私はそれらから逃げるな、とは言わないし、言えない。だがいつか、嫌でも対面しなければならない時がやってくるかもしれない。 一方で、いつその時がやって来るのかは、私たちには予測ができない。 だからこそ私は、しっかりと自身の心の声を聞き、かつて損なわれた自己を省みて、日々を過ごさなければならないと感じた。 限りなくフィクションに近いノンフィクション。 読み返すときには本著が響かない、そんな人間になれれば、私にとっては御の字である。 ぜひご一読を。
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