ご臨終メディア の商品レビュー
07年に森さんがゲスト講師でされた話を思い出した。 基本的に同じテーマの話が繰り返されている。 ところどころ笑えて面白い。 顔が「迷惑防止条例」違反でケンキョされてもおかしくない(笑)。 顔だけで言えば、僕たちもぎりぎりかもしれない(笑)。 とかふいた・・・
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「質問しない」「見せない」「懲罰機関化」。最近また大きな不祥事が発覚したみたいですが、このキーワードを軸にして物事を考えてみると、また違ったものが浮かび上がってくるのではなのでしょうか? あとでこちらのほうにもアップしますけれど、今僕は森達也の『A2』と『A3』を読んでいまして...
「質問しない」「見せない」「懲罰機関化」。最近また大きな不祥事が発覚したみたいですが、このキーワードを軸にして物事を考えてみると、また違ったものが浮かび上がってくるのではなのでしょうか? あとでこちらのほうにもアップしますけれど、今僕は森達也の『A2』と『A3』を読んでいましてね。結構これが長くてなかなか進まないんですが、もう少ししたら読み終わりますんで、そのときはまたよろしくお願いします。ここに記録されている対談も自身のオウム(現在はアーレフ)への取材と、それを映像・書籍化した『A』を中心としたメディア論と日本人論なんですが、ここに書かれていることのほとんどは基本的にはマスメディアにのることはないでしょう。それくらいカゲキなことを言い合っています。 彼らが忌避しているテーマばっかりですもの。でも、こういう本を読んでいると考えさせられますよね。何がタブーなのか? 規制している人たちは誰なのか?って。日頃漠然と見ていたテレビのバラエティやニュースの語り口や切り口が以下に『紋切り型』であるか、そんなこともつづられていますので、流されて生きるのがもし嫌で自分で考えるしかない、という方にはぜひ読んでいただきたいなと 思っています。 最近、また大きな不祥事が起こりましたが、この本を元に考察する、というのもなかなかオツなものです。
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世論とメディアの相互依存関係、無知とは疑問を発せられない状態を指す。わたしは情報の良い受け手であるだろうか?健全な批判精神を養いたいと思った。そして「虐待、拷問」「テロ、レジスタンス」の例に見られる、メディアの言葉に対する作為や意図の欠落、無自覚性は本当に罪だと改めて思う。言葉に...
世論とメディアの相互依存関係、無知とは疑問を発せられない状態を指す。わたしは情報の良い受け手であるだろうか?健全な批判精神を養いたいと思った。そして「虐待、拷問」「テロ、レジスタンス」の例に見られる、メディアの言葉に対する作為や意図の欠落、無自覚性は本当に罪だと改めて思う。言葉に最も敏感でなければならないはずなのに。 「まず"われわれ"と"かれら"を分けた。あとは、簡単だった」のフレーズがとても心に残っている。他者への想像力の喪失が生む暴力、という仕組みをこれほど上手く言い表した言葉をわたしは他に知らない。 森達也の主張は「戦争の世紀を超えて」で表されていたことと全く変わらない。読み物としては新鮮みを失うけど、ブレないなぁと感嘆する。 覚えておくべきだと思ったこと。 ・国際法上認められた二つの戦争がある。弱い国が攻撃されたときの集団的自衛の戦争。自国を侵略された場合のレジスタンス。テロに屈しない、はおかしい。それはテロではなくレジスタンスだから。
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オウム真理教を描いた映画『A』『A2』のドキュメンタリー作家である森氏と、博打打ち好きのジャンル横断的異色作家である森巣氏の対談をまとめたもの。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 出版から5年以上経過していますが、残念ながら現状の日本のマスメディアは、...
オウム真理教を描いた映画『A』『A2』のドキュメンタリー作家である森氏と、博打打ち好きのジャンル横断的異色作家である森巣氏の対談をまとめたもの。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 出版から5年以上経過していますが、残念ながら現状の日本のマスメディアは、本書が語る当時(2005年)の状況からほとんど変わっていないと思います。 よって下記に引用した森巣氏による発言の一部: 「質問する能力を奪い、自己の保身しか考えていない権力。質問もしない、報道もしないメディア。」 これは今でも正しいかと。 ただ、その次の部分: 「考えない、抗議しない私たち。そこを崩すためにも、メディアには多様な情報を伝える義務がある。」 に関しては変化が見え始めているのではないでしょうか。 ここで森巣氏の言う「メディア」というのはマスメディアを指していますが、いずれにせよtwitterやUSTREAM、youtube、そしてニコニコ動画などの新しいメディアを通して、マスメディアに限定されない多様な情報に私たちが接触できる機会が生まれていることは確かです。と同時に、私たちも積極的に自分たちの考えなどを情報発信することが可能です。 今年もその流れは止まらない、というかむしろ加速しそうなので、その状況を受けてマスメディアはどう変わっていくのか?そして、私たちはマスメディアをどう変えていくのか? 是非このお二人にはまた対談して頂きたいです。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
友人から薦められ、読んだ本。 自称映像作家 森達也と、 自称博打打ち 森巣博の両名による対談、という構成。 最初から最後まで、ぶーたらしゃべくってる感じです。 森達也の代表作『A』を観たひとなら、きっとこの本も 楽しく読めるかと思います。というのも、本書において 報道の不健全性の象徴としてたびたび取り上げられる オウムをめぐるメディア観は、この映画を見ていないと なかなかイメージがつかないから。 ほら僕ら、95年のことなんて、年齢的にサッパリ覚えちゃいないでしょ? いい言葉、いい指摘、いい考え方が、 権力への恐れをしらぬ(?)両名からたくさん出てきたわけなんだけども、 特にキーワードだと思ったのが「スタンピード」。 「動物などの集団がささいなことをきっかけに、どっと同じ方向に走り出すこと」的な意味のこの言葉なんだけど、この言葉で、現代日本にはびこる「思考放棄」の傾向に警鐘を鳴らしているわけ。 自戒を込めて思うのは、「世の中、他人に流されやすい人は多いんだろうなぁ」ということ。他人に流されることが魅力的に思えてしまうような、そんな世の中になりつつある、というふうにも言えると思う。こんなに情報が溢れている社会、「虎の威を借る狐」よろしく、他人のできあいの思想・言葉で表現したほうがよっぽど楽ですからね。(…ちなみにこのくだりも『日本辺境論』(内田樹=刊)からの拝借というアイロニー。でもこれは、熟慮した結果の記載って判断だということを注釈。)まぁでも、「アイデンティティなんてそんなことの繰り返しで出来上がっていくんじゃなかろうか」と思う自分もいて、そこはなかなか煮え切らぬ、線引きが難しい部分なんですが。 権力とメディア、イデオロギーによる伝わり方、メディアの本来的なあるべき姿、等々。国内メディアと外国メディアの比較などを通し、メディアに関するあれこれを割と網羅的に学べる新書ではあったかと思います。 刊行が5年前だから少し古いけど、内容から、 「いまもむかしも、メディア体制は何も変わっちゃいないんだろな」という風に感じさせる、怖い本でした。 なんか若干グダっている部分があったし、数字的な実証感は少ないので、その点がマイナス1★。 【記】しみず 【在処】自宅
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ニュースや雑誌を見ていて何となく違和感を覚えたり疑問を感じたりしていたことをあれこれ思いだしながら読んだ。森巣博という人を知らなかったけれど、興味を持ちました。この人の著書をなんか読んでみよう。
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テレビや新聞などで伝えられる情報。その裏には必ず伝えられていない情報があるということ、むしろそちらの方が重要である。 力を持っているものと思われるものを、盲信してしまっている状態がご臨終と言える。 かといって、Twitterやブログの情報を巧い利用の仕方を知らない自分、もっと勉強...
テレビや新聞などで伝えられる情報。その裏には必ず伝えられていない情報があるということ、むしろそちらの方が重要である。 力を持っているものと思われるものを、盲信してしまっている状態がご臨終と言える。 かといって、Twitterやブログの情報を巧い利用の仕方を知らない自分、もっと勉強しなければいけません。
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通常,ネットなどでは,マスコミは中国・韓国などの対日批判などにおもねり,日本人に対する否定的・自虐的なトーンでの情報垂れ流しが過ぎるとして批判されることがままある。 ところが,この本は,それとは逆に,左派系の傾向の強い著者から見たマスコミ批判の書。 テレビ放送などでなかなか...
通常,ネットなどでは,マスコミは中国・韓国などの対日批判などにおもねり,日本人に対する否定的・自虐的なトーンでの情報垂れ流しが過ぎるとして批判されることがままある。 ところが,この本は,それとは逆に,左派系の傾向の強い著者から見たマスコミ批判の書。 テレビ放送などでなかなかオンエアを許されないドキュメンタリー番組をとり続けるディレクターと,オーストトラリアに移住し,賭け事三昧の日々を送っている自称賭博士との対談という形式で展開する。 保守派として革新的に挑発的言動を繰り返す石原慎太郎を何度も引き合いに出して,極右と呼んで非難するの様子は,一昔前の「進歩的」とか「文化人」とか呼ばれて方で風を切っていた頃の左派系言論人たちを髣髴とさせる。こうした自由人的な生き方をしている人たちはどうしても反権力みたいな発想になってしまうのだろうか・・・(私個人の考えからいえば,石原慎太郎は,それ以前に,中国や韓国の愛国無罪だのといった無法行為があって,それに対抗する手段としての確信犯としてのレイシストなのだと思う。つまり言い換えれば,愛国者ではあるが故に,中国や韓国の愛国者にしっかり立場を主張するためにあえてレイシストならざるをえなくなっているのだと思っている。)まぁそれはいい。 この本を読んでみて興味深いと感じたのは,一般には「右側」の人たちがマスコミに対して感じているのとおおむね同じことを,実は彼ら「左側」の人たちも感じているということだ。 マスコミが,自分の頭で個々に判断して取捨選択することをせず,ただただ「大衆が喜びそうなもの」というのをステレオタイプに勝手に決め込んで,型に嵌まった発想を拡大再生産することのみを身上としているに過ぎない現状を批判している。 放送禁止歌や差別語なども勝手に世間や視聴者の反応を忖度して,率先して自らさまざまな自主ルール作りをすることによって,自らを優等生の枠の中に囲い込んでいくその状況に対する批判は,まさにその通りである。 たとえば,NHKの従軍慰安婦法廷を取り上げた番組改編問題というのがある。安倍・中川の両議員の圧力によりNHKが番組の編集を要求したというのである。この事案は,右寄りの人たちもよく,取り上げ,朝日が曖昧な根拠で両議員を糾弾調に報じたことを批判する。しかし彼らはそれを逆(つまり,阿倍・中川のこういをしっかり追及しない)ふがいないマスコミという視点から批判している。 同じ事件が,それぞれどちらから見ても報道姿勢に対する批判があるとしたら,そしてそれが視聴者からの批判を恐れて萎縮し自粛しまくった結果が,これだとすれば,それはもはや笑うしかない。 「右から見ても,左から見ても,ねずみを捕らないネコは怠け者のネコである-」というようなものだからだ。 話は変わるが,対談だからか,様々な言葉があまり定義なく進んでいくのもどうにもわかりにくかった。例えば,「世間」と「社会」をどう使い分けているのか,例えば「善意」という言葉をどういう定義で使っているのか・・・。走り読みしたので私が見落としたのかもしれないが,ややわかりにくかった。彼らが「善意」と名づけているのものは,わたしは日頃,「きれいごと」と表現しているものとおおむね重なるような気がする。 世間が一般に求めるであろうものを勝手に忖度してこの辺だろうと推測して掲げる,主体性のない美辞麗句を多用しながら,誰も責任をとらずにうやむやにしようとするマスコミの姿勢が,日本国民をますます覚醒のない無自覚なものへと押しやっているという認識は,おそらくこの本の著者の見解も同じであろうと感じた。
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[ 内容 ] 政治家の番組制作現場への介入、およびディレクターの製作費着服等で浮き彫りになったNHKの腐敗。 そして、日本テレビの視聴率操作問題や、過剰なまでの自主規制。堕落した大手メディアの根底には何があるのか。 本書は、「質問しない」「見せない」「懲罰機関化」という3つのキー...
[ 内容 ] 政治家の番組制作現場への介入、およびディレクターの製作費着服等で浮き彫りになったNHKの腐敗。 そして、日本テレビの視聴率操作問題や、過剰なまでの自主規制。堕落した大手メディアの根底には何があるのか。 本書は、「質問しない」「見せない」「懲罰機関化」という3つのキーワードを中心に、新聞・テレビの機能不全を網羅的に検証しながら、抗議を恐れる優等生が垂れ流す報道と、一般市民の善意による共同正犯の関係に、鋭く切り込んでいく。 不気味な「世間」に誘導されない想像力を養う、元気モリモリ画期的メディア練習帳。 [ 目次 ] プロローグ なぜ軸がずれるのか 第1章 報道番組の悲惨な現場 第2章 質問しないメディア 第3章 見せないメディア 第4章 懲罰機関化するメディア 第5章 善意の行方 エピローグ いかに軸を据えるか [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
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