夏草の賦 新装版(下) の商品レビュー
「男は、夢のあるうちが花だな」悲運に見舞われた戦いで信親を失い、夢破れた男の一言に哀愁を感じる。元親は脅威となっていた信長が斃れたにも関わらず、情勢を見抜く事が出来ずに機会を逃し、新たな脅威となった秀吉の戦力と度量に領土も心までも呑まれてしまった。一領具足制度は農民の気持ちを奮い...
「男は、夢のあるうちが花だな」悲運に見舞われた戦いで信親を失い、夢破れた男の一言に哀愁を感じる。元親は脅威となっていた信長が斃れたにも関わらず、情勢を見抜く事が出来ずに機会を逃し、新たな脅威となった秀吉の戦力と度量に領土も心までも呑まれてしまった。一領具足制度は農民の気持ちを奮い立たし四国全土へと領土を拡大していったが20年もの間戦いに明け暮れ国土が疲弊してしまった。でも無駄ではなかったのだろう。天下を目指した、長曾我部武士のその情熱と誇りが幕末での土佐の郷士たちの風雲に繋がったのではないだろうか。
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政治は土佐。長曾我部式目。検地。一領具足による参政権層の拡大。これが坂本龍馬、自由民権運動の長い礎であったとするならは、歴史とは重い。思想、文化の醸成にはどれ程の時間のかかる事か。逆に一つの尊い、生き様がその後の時に与える意味、価値の大きさを思い、長宗我部元親の晩年の無念を弔う。...
政治は土佐。長曾我部式目。検地。一領具足による参政権層の拡大。これが坂本龍馬、自由民権運動の長い礎であったとするならは、歴史とは重い。思想、文化の醸成にはどれ程の時間のかかる事か。逆に一つの尊い、生き様がその後の時に与える意味、価値の大きさを思い、長宗我部元親の晩年の無念を弔う。 長曾我部信親、匂やかな若武者。 斎藤内蔵助妹、飛騨からの輿入れ。 信長抗戦宣言と本能寺の時代符牒。
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上巻に続き下巻も。 天下を目指し、20年かけて土佐の片田舎からついには四国を平定したのに、終盤に向かって痛ましい…。 元親自身何度も、自分が東海道に生まれていれば天下をとっていた、と地の運がなかったことに言及しているけれど…、ドラマチックな時代だ。 時代、人の一生、家の興りと...
上巻に続き下巻も。 天下を目指し、20年かけて土佐の片田舎からついには四国を平定したのに、終盤に向かって痛ましい…。 元親自身何度も、自分が東海道に生まれていれば天下をとっていた、と地の運がなかったことに言及しているけれど…、ドラマチックな時代だ。 時代、人の一生、家の興りと衰退、そういうものを書ききっている司馬遼太郎は凄い、と思った。
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本能寺の変 明智光秀の死 羽柴秀吉に 羽柴秀吉から九州征伐に参加させられ 仙谷権兵衛・十河存保・長宗我部元親・ 長宗我部弥三郎(弟) 仙谷は、逃走する。 十河は、戦死、弥三郎は、自害。 (戸次川の戦い)
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嫡子・長宗我部信親が戦死する戸次川の戦いで幕を閉じる。 いろんな意味で、終止符が打たれてしまったのだなあ。 秀吉の遠征軍に敗北を喫するあたりから、 英雄が情熱を失った姿が描かれていて、とても痛ましい。
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いい意味で普通の人だったのではないかなと思った。 だからこそ精神的な弱さによって我が身を滅ぼしてしまったんじゃないだろうか。 身内の死はこの時代にあっても当然哀しいことだったろうし懇ろに供養しただろうが、それによって人生への情熱をすっぽり失ってしまった人はあまり聞かない。 もう5...
いい意味で普通の人だったのではないかなと思った。 だからこそ精神的な弱さによって我が身を滅ぼしてしまったんじゃないだろうか。 身内の死はこの時代にあっても当然哀しいことだったろうし懇ろに供養しただろうが、それによって人生への情熱をすっぽり失ってしまった人はあまり聞かない。 もう50年後に生まれていれば江戸の泰平な世の中で家族や教養を大事にしながら暢気に人生を全うできたんだろうに、そう思うと気の毒な人でもある。 ただ、四国平定に乗り出してから大阪夏の陣までのわずか3代で跡形もなく滅んだというのは・・・そういう家が当時いくらでもあったのかもしれないが、さすがに読んでいて虚しくなった。 その300年後には土佐から出てきた志士たちが幕府を潰すのだから皮肉なものだ。
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ラストに向かっての展開には胸が締め付けられ、更に歯痒いものがあります。 天下を本気で我がものにしようと猛進した男に大運が無かったこと、そしてそれが故に時代の波にのまれ押し流されてゆくその末は、あまりにも哀れでなりませんでした。
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「ながい歳月、ご苦労さまに存じあげ奉りまする」 「言うな」 「申しあげる言葉もございませぬ」 「おれの生涯はむだであった」 元親は、あおむけざまにころんだ。なんのための二十年であったであろう。 「死者二万」 すさまじい数である。この岡豊から身をおこして以来、元親のために死んだ者は...
「ながい歳月、ご苦労さまに存じあげ奉りまする」 「言うな」 「申しあげる言葉もございませぬ」 「おれの生涯はむだであった」 元親は、あおむけざまにころんだ。なんのための二十年であったであろう。 「死者二万」 すさまじい数である。この岡豊から身をおこして以来、元親のために死んだ者は二万前後というおびただしい数にのぼっている。かれらの骨は四国の山野でむなしく枯れ朽ちてゆくだろう。 「おれが酒に痴れ、女に痴れるようなただそれだけの男にうまれておれば」と、元親はつぶやいた。 「土佐のものは幸いだったろう。人は死なず、それほどの苦労もせずにすんだ。いささかの志を持ったがために、かれらの死屍はるいるいと野に満ちている」 「天運でございますよ」 「おれに運がなかったというのか。おれは身をおこして以来、百戦百勝した」 (しかし最後の一戦で力が尽きられた) と菜々はおもった。小運にはめぐまれたが、ついに大運がなかったのであろう。(p.132) 元親はかねて上方の文化にあこがれ、かれが土佐を手におさめるや、京から、 読書、弓馬、謡、笛、鞠、連歌、鉄砲、囲碁、 などの武芸や学芸の師匠たちをふんだんによび、一門子弟にそれをならわせた。しかし、元親自身が上方にのぼることがなかった。 (のぼるときは征服するときだ) と、この男ははげしくそれを自分に言いきかせ、ひと目でも上方の文物をこの目でみたいという衝動に堪えてきた。 が、いまは降伏して上方へのぼる。このみじめな姿を元親はかつて夢にもおもったことがない。 「わしはな」 と、元親は低い声でいった。 「京をおさえるつもりでいた。正気で、それをおもっていた。笑うか」 「いえいえ」 藤四郎ははげしく首をふった。 「笑うな」 「め、めっそうもございませぬ」 「そのわしがいま弓をすて、軍門にくだり、その会釈をすべく上方にのぼってきた。見物をする気がおこるかどうか」 「殿様・・」 と、叫び、絶句し、藤四郎は泣きだした。志の薄い者はこの元親の悲痛さを滑稽とみてわらうであろう。しかし悲痛と滑稽のない者は英雄とはいえない、と藤四郎は泣きながら何度も心中でおもった。(p.139) 「殿、お元気を出されませ」 と声を大きくして励ましたが、元親は苦笑してうなずき、 「無理さ」 と、小声でいった。もともと四国制覇が秀吉の進出によってむなしくやぶれたことが元親をして落胆させ、世を捨てたおもいにさせたのであったが、その心の傾斜が、信親の死によっていっそう大きくなったらしい。 「男は、夢のあるうちが花だな」 「左様な」 ことはございませぬ、と谷忠兵衛はなにか言おうとしたが、元親はかぶりをふり、 「その時期だけが、男であるらしい。それ以後はただの飯をくう道具さ」 といった。年少のころから激しく生きすぎただけに、それだけにいったんの頓挫で人並以上に気落ちをしてしまうのであろう。(p.309)
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爽やかな上巻とはうって変わって、終始鬱な展開です。 否応なしに外の世界と向き合わなくてはいけなくなった元親たちが、信長や秀吉の中央勢力に翻弄されて、やがて衰退していきます。 ページが進むごとに胃が痛くなる展開で、特に戸次川の戦いでの信親の辺りは、読み進めるのをためらうくらい辛い...
爽やかな上巻とはうって変わって、終始鬱な展開です。 否応なしに外の世界と向き合わなくてはいけなくなった元親たちが、信長や秀吉の中央勢力に翻弄されて、やがて衰退していきます。 ページが進むごとに胃が痛くなる展開で、特に戸次川の戦いでの信親の辺りは、読み進めるのをためらうくらい辛い… 正直読了感は非常に悪いです。切なすぎる。 ですが、この痛みが幕末での時代を動かす力になったんだと想うと、ちょっと報われるかも。 これを読んだら、盛親の話『戦雲の夢』もぜひ。
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徳川家康は、関が原の合戦で功をなした掛川城主山内一豊に土佐への国替えを命じました。しかし、その時の土佐は長曾我部一族の支配下でありました。一豊は、山内家の家臣たちを「上士」、土佐の原住士族を「下士」とし差別をすることで国を治めました。 この物語は、その下士になってしまった長曾我部...
徳川家康は、関が原の合戦で功をなした掛川城主山内一豊に土佐への国替えを命じました。しかし、その時の土佐は長曾我部一族の支配下でありました。一豊は、山内家の家臣たちを「上士」、土佐の原住士族を「下士」とし差別をすることで国を治めました。 この物語は、その下士になってしまった長曾我部氏の物語です。 戦国時代、本州から遠く離れた四国においても、こんな人間ドラマがあったのです。 小さな者がどのようにして大きな者に対していくのか。この物語で学びたいですね。
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