ローマ人の物語(9) の商品レビュー
ポンペイウスとクラッスス、そしてカエサルを頭目としたいわゆる「三頭政治」の統治がはじまり、元老院対策を万全にしたカエサルはガリア地方の征服に向かう。ガリア戦役のはじまりである。 ゲルマン人の移動により、その生活基盤を脅かされたガリア人たちは、各地で様々な争いを起こす。早晩この...
ポンペイウスとクラッスス、そしてカエサルを頭目としたいわゆる「三頭政治」の統治がはじまり、元老院対策を万全にしたカエサルはガリア地方の征服に向かう。ガリア戦役のはじまりである。 ゲルマン人の移動により、その生活基盤を脅かされたガリア人たちは、各地で様々な争いを起こす。早晩この影響はローマにも迫り、脅威となりえるとの認識のもとにカエサルはガリア全域で次々と諸部族を征服していく。数では圧倒的に有利なガリア人たちをカエサルはどのようにして征服していったのか。 カエサルの天才的な戦術と人心掌握術の妙は見事としか言いようがない。
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三頭政治とガリア戦記が始まる。 カエサルが元老院と対抗するために ポンペイウスとクッラススを巧に利用する。 私益→他益→公益
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国外逃亡をしたり、弁護士で失敗したり、薄くなり始めた頭髪を 工夫したりと、雌伏の時を過ごしたカエサルがやっと陽のあたる 場所へ出て来る。 異例ずくめで出世街道かっしぐら。海賊一斉作戦も大成功のうちに 終えたポンペイウス。抜け目ない金儲けの才能を活かし、ローマ 随一の経済...
国外逃亡をしたり、弁護士で失敗したり、薄くなり始めた頭髪を 工夫したりと、雌伏の時を過ごしたカエサルがやっと陽のあたる 場所へ出て来る。 異例ずくめで出世街道かっしぐら。海賊一斉作戦も大成功のうちに 終えたポンペイウス。抜け目ない金儲けの才能を活かし、ローマ 随一の経済人になったクラッスス。そして、スペイン統治を成し遂げ た我らがカエサル。 この3人が手を結んだ三頭政治は、寡頭制の政治体制を維持したい 元老院派に対抗する。 そしてカエサルは、8年の年月を掛けることになるガリア戦役へと 突入する。 若い頃、途中で放り出した『ガリア戦記』も今なら通読出来るかも。 著者の上手さもあるが、どんどんとカエサルに興味が湧いてくる。 おまけ。 後の大英帝国のジェントルマンも、当時は全身を青く塗りたくった 蛮族であった。全身真っ青?アバター??笑。
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20110412読了。 カエサルのガリア攻略が始まる。 カエサルは兵をあまり失わずに、ドイツやスイス、イギリスなど広範囲の攻略を行う。 兵糧の大事さを知り、補給を大事にしながらも 大事には、拙速を尊ぶ。 個人的に好きなエピソードは カエサルがガリア人に剣を奪われてしまった話。...
20110412読了。 カエサルのガリア攻略が始まる。 カエサルは兵をあまり失わずに、ドイツやスイス、イギリスなど広範囲の攻略を行う。 兵糧の大事さを知り、補給を大事にしながらも 大事には、拙速を尊ぶ。 個人的に好きなエピソードは カエサルがガリア人に剣を奪われてしまった話。 ガリア人は戦勝の記念としてその剣を神の祠にまつった。 1年後、カエサルが再び覇者となったとき、その剣を前にして すでにこの剣はガリア人の信仰の対象となっている、としてそのままにしたという話。 文化は各人の考えるものにより、各人の自由であるため、という考え方。
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いよいよカエサルが活躍する時代に突入。著者のカエサルに対する好感もあってか、イキイキと躍動するカエサルが目に浮かび、読んでいる僕までカエサルが好きになってしまった。 また、これは下手なビジネス書よりも「ビジネス」の考え方を学ぶのには良いかも。カエサルのお金に対する考え方は、大胆か...
いよいよカエサルが活躍する時代に突入。著者のカエサルに対する好感もあってか、イキイキと躍動するカエサルが目に浮かび、読んでいる僕までカエサルが好きになってしまった。 また、これは下手なビジネス書よりも「ビジネス」の考え方を学ぶのには良いかも。カエサルのお金に対する考え方は、大胆かつ合理的という感じで非常に参考になる。 あと、長期間に渡る元老院システムの陳腐化、弱体化、既得権益にすがりつこうとする人々、長期にわたって安定したシステムだからこそ改革に消極的な人々、民衆の不満など、現代の日本も非常に似たような状況だと思う。(もしかしたらいつの時代も同じ問題を抱えているのかもしれないけど) こんな閉塞感を打破するためのヒントが隠されているのではないか、興味深い。 史実に基づいた話の良いところは、「こんなに活躍したカエサルは暗殺される」ことが読者は知っている。ではなぜそうなるのか? を追いながら読み進めていくのも一興。 さて、第十巻が楽しみです。
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カエサルのガリア遠征をメインに書いている。実際にカエサルが著したガリア戦記もそうだったらしいが、戦争の記録だけで無く当時のガリア(フランス、ドイツ、ベルギー、オランダ)の風土や民族の特徴などの描写があって面白い。前巻での若くライトな雰囲気のカエサルの面影が薄れて、頼もしい限りの指...
カエサルのガリア遠征をメインに書いている。実際にカエサルが著したガリア戦記もそうだったらしいが、戦争の記録だけで無く当時のガリア(フランス、ドイツ、ベルギー、オランダ)の風土や民族の特徴などの描写があって面白い。前巻での若くライトな雰囲気のカエサルの面影が薄れて、頼もしい限りの指揮官カエサルが描かれている。続きが楽しみである。
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ユリウス・カエサルは執政官を終え、属州の赴任先にガリアを選択する。(本当は選択できないんだけど)ということで、有名なガリア戦役が始まる。といっても僕は聞いたこともありませんでしたが・・・。
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ポンペイウスとカエサルの決定的な違いは、国をどうしたいかという野望の大きさだと思う。野望の大きさが人としての器を決めるのだろう。 ※9/5にまとめて入力
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カエサルの残した「ガリア戦記」や「内乱期」以前の物語にも章を割いているのが塩野さんのこの「ローマ人の物語」の楽しいところではないでしょうか? どちらかというとシニカルな目線を持っていらっしゃる(・・・・と KiKi は感じているのですが)塩野さんの真骨頂なのが「カエサルと金」、...
カエサルの残した「ガリア戦記」や「内乱期」以前の物語にも章を割いているのが塩野さんのこの「ローマ人の物語」の楽しいところではないでしょうか? どちらかというとシニカルな目線を持っていらっしゃる(・・・・と KiKi は感じているのですが)塩野さんの真骨頂なのが「カエサルと金」、「カエサルと女」の章だと思うんですよね。 KiKi はね、人の持っている本質的な部分っていうのはそれが「仕事」に於いても、「私生活」に於いても、「恋愛」に於いても共通して表れると思っているんだけど、そういう観点でこの2つの章を読むと「カエサルがカエサルたりえていた本質」が凝縮されているように思うんですよ。 「金」に対するスタンスは極論すれば「蓄財」に走るのか、「目的を果たすための1つの要素に過ぎない」と考えているのかという2種類の考え方のどちらに思考が向いているのか・・・・みたいなところがあると思うんだけど、それがカエサルの考える「私利私欲には走らないが、私益を公益と一致させる」という思想的な土台を形作っていて、だからこそ若い頃から「借金王」になっても平然としていられたんだと思うんですよね。 これは「マリウスの時代」「スッラの時代」を生き延びてきたカエサルだからこそ持てた発想だったように感じます。 「いつ死んでもおかしくない」という想いを抱き続けてきた人間は現世において自身では使い切れないほどの「富を残す」ことよりも、後世に「名を残す」ことや「公共物を残す」こと、「文化を残す」ことに己の「生まれてきた意義」を託したくなるのではないのかなぁ・・・・と。 「女」に対するスタンスは極論すれば「人の心理」に対するスタンスのベースにあると思うんですよ。 もちろん「ダンディなモテ男・カエサル」が「つきあったことのある女に決して恨まれない」というのは、話としては面白いけれど、KiKi 個人としてはそこにこれまた「いつ殺されるかわからない」時代を生きてきた人間ならではの、人間観察のしたたかさ、人の心理を手玉にとる(・・・・というとちょっと語弊がありすぎかもしれないけれど)逞しさの表れがあるように感じます。 そういう心理操作の達人だったからこそ、少ない兵力でも多大な兵力でも組織を自在に動かすことができたし、ガリアという敵地に乗り込んで行ってそこを平定しようとする人間たりえたんだと思うんです。 (全文はブログにて)
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カエサルのガリア戦役1~5年目。 同時に、カエサルによる、共和制ローマの解体(=元老院派の排除)への第一歩である三頭政治の確立。 (紀元前60~54年) ****** 「カエサルは、(ガリアの)沿岸諸部族を共闘に導いた首謀格のヴェネティ族には、厳しい態度で臨むことに決めた。 彼...
カエサルのガリア戦役1~5年目。 同時に、カエサルによる、共和制ローマの解体(=元老院派の排除)への第一歩である三頭政治の確立。 (紀元前60~54年) ****** 「カエサルは、(ガリアの)沿岸諸部族を共闘に導いた首謀格のヴェネティ族には、厳しい態度で臨むことに決めた。 彼はその理由を、「野蛮人どもに以後、外交関係を尊重しないことの誤りを悟らせるため」としている。 不当な拘留も誓約の破棄も、カエサルにしてみれば、異民族間の共生には不可欠なルールに反する行為なのであった。」(191項) ****** 強国が、「野蛮」に対して「外交」というルールを押し付ける構図は、 近代の列強によるアジア支配(ことに、アヘン戦争後の中国史と日本史)に通じるものがある、と。 考えると、なるほど、「カエサルは偉大」という評価は、現代にも通じるものがあるのかと。 * このあいだの某文化系トークラジオ(大忘年会)で、 リアル世界は性善説・・・最後は善人が勝つ この20年くらいの金融社会・・・1番得をするのは、ルールをつくったやつ。2番目に得をするのは、ルールを悪用した人間。徹底した性悪説の世界。 というようなことが言われてました。 近代アジア史については、「強者によるルールの押し付け」的な局面も強く、「ルールをつくったやつが勝」ったと言うこともできる。 でも、やっぱりグローバル化という世界史上の潮流の中では、 ルールに則って交わるというあり方が選択されて、いまの時代社会がある。 歴史上の誤差範囲を超えて「性悪説」の社会をつくりあげたのが、この20数年の金融社会だとするなら、それは、一昨年から何となく思われている以上に「とんでもないこと」なのじゃないかしら。 私は、あまりにも門外漢過ぎるのだけれど。
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