カラマーゾフの兄弟(中) の商品レビュー
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ここではまだ犯人は分からない。サスペンス色が濃厚かと思いきや、割合としては逆に啓示的な物語にサスペンステイストを足した感じに思える。この作品全体が総合小説と呼ばれる由縁でもある展開の多面性は必見。
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ガマンして中刊の途中まで読んだけど面白くない。口調が疲れる。「ちっとも面白くないじゃありませんか!わたくしなりにそりゃもう努力して読みましたのに!もうたくさんですわ!わたくしじゃ理解できないとおっしゃるつもりね!!・・・・!!!・・・!」
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中巻の前半はゾシマ長老の死をめぐる信仰の危機に関する問題、後半は長男ドミートリイにかけられた父殺しの嫌疑にまつわるサスペンス的展開に変わり下巻へ続く。 どちらかといえば前半の展開のほうが面白かったというか、叙情的で、俺好みだった。 作者であるドストエフスキーがちょくちょく地の文に登場するのがおもしろい。特に次の部分が印象に残った。 「あまりいつも分別くさい青年は、頼りにならないし、値打も低い――これがわたしの見解である!」
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面白過ぎてあっという間に読み終わった‼ たしか3日。 だから中巻で何があったかは全く覚えてない(笑) すぐに下巻を買いに授業抜けた(笑) とにかく物凄く面白かったのは覚えてるけど‼ 下巻に続く〜
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なぜなら今はあらゆる人間が自分の個性をもっとも際立たせようと志し、自分自身の内に人生の充実を味わおうと望んでいるからです。ところが実際には、そうしたいっさいの努力から生ずるのは、人生の充実の代わりに、完全な自殺に過ぎません。それというのも、自己の存在規定を完全なものにする代わりに...
なぜなら今はあらゆる人間が自分の個性をもっとも際立たせようと志し、自分自身の内に人生の充実を味わおうと望んでいるからです。ところが実際には、そうしたいっさいの努力から生ずるのは、人生の充実の代わりに、完全な自殺に過ぎません。それというのも、自己の存在規定を完全なものにする代わりに、完全な孤立におちこんでしまうからなのです。なぜなら、現代においては何もかもが個々の単位に分かれてしまい、あらゆる人が自分の穴蔵に閉じこもり、他の人から遠ざかって隠れ、自分の持っているものを隠そうとする、そして最後には自分から人々に背を向け、自分から人々を突き放すようになるからです。一人でこっそり富を貯えて、今や俺はこんなに有力でこんなに安定したと考えているのですが、あさはかにも、富を貯えれば貯えるほど、ますます自殺的な無力に落ち込んでゆくことを知らないのです。なぜなら、自分一人を頼ることに慣れて、一個の単位として全体から遊離し、人の助けも人間も人類も信じないように自分の心を教え込んでしまったために、自分の金や、やっと手に入れたさまざまの権利がふいになりはせぬかと、ただそればかりおそれおののく始末ですからね。 修道僧の道はまったく異なる。贖罪のための勤労とか、精進とか、祈祷などは、笑いものにさえされているが、実際はそれらの内にのみ、本当の、真の自由への道が存するのである。余分な不必要な欲求を切りすて、うぬぼれた傲慢な自己の意思を贖罪の労役によって鞭打ち鎮め、その結果、神の助けをかりて精神の自由を、さらにそれとともに精神的法悦を獲ち得るのだ!孤独な富者と、物質や習慣の横暴から開放された者と、はたしてどちらが偉大な思想を称揚し、それに奉仕する力を持っているだろうか?
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~中盤の、ゾシマ長老の告白、そして亡くなったゾシマ長老をめぐるある事件の部分はとても面白い。お話の中なのに、なにか自分に語りかけてくるような告白である。 ある事件とは、聖者としてあがめられてきた長老の遺体が、周囲の期待に反して1日も持たずに腐敗するのである。(この当時は、聖者の...
~中盤の、ゾシマ長老の告白、そして亡くなったゾシマ長老をめぐるある事件の部分はとても面白い。お話の中なのに、なにか自分に語りかけてくるような告白である。 ある事件とは、聖者としてあがめられてきた長老の遺体が、周囲の期待に反して1日も持たずに腐敗するのである。(この当時は、聖者の遺体は腐らない、というのが一般的な信仰のようだ) 一部の人間を除き、ほとんどの人々がこのような事態を好奇心を持って眺めたり、不幸を嘲笑したり、死者を批判するなど、やりたい放題。人間の浅はかさがとてもよく描かれており感心した。みんな他人の幸せより不幸や不運が好きなのである。そんななかでアリョーシャの存在、大好きな我が主人公(ドストエフスキーふうに言うと)はどう行動していくのか・・・ここまでが中盤。 そして、再度登場するのが兄と父を手玉に取る(愛人というか・・・肉体関係があるのか文面からはわからない)グルーシェニカ!この女のパトロンの爺さんは「結婚するなら金のあるカラマーゾフの父にしておけ」とかアドバイスするのに、結局は昔の男(いまは貧乏)のもとに走る!賢い女なのか馬鹿なのかよくわからない。 それを知らない兄のドミートリは、女を手に入れるため金の手配に奔走(してるつもり)、結局それも空回り。金の目処が立たない=女を自分のものにできない、ということに絶望・放心しているあたりから、、いよいよ話は例の殺人事件に向けて突き進む!ドミートリの「恋は盲目」「未来設計なしの楽天的・破滅型性格」の描き方が素晴らしい。ほんとにリアル。 なんだか、あらすじばかり書いてるけど、続きが読みたいなあ~と夜が楽しみな古典文学っていいよね!
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ふいに叫び出したくなる衝動に駆られた。 父親殺しの罪に問われたドミートリィ、彼の裸一貫の魂は人の感動を揺り動かす。不興を買うのと同じくらい、接した人々に愛されるだけの魅力が彼にはあると私は思う。
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「カラマーゾフの兄弟(中)」 19世紀中期、価値観の変動が激しく無神論が横行する混乱期のロシア社会の中でアリョーシャの精神的支柱となっていたゾシマ長老が死去する。その直後遺産相続と共通の愛人グルーシェニカをめぐる父フョードルと長兄ドミートリイとの醜悪な争いのうちに、謎のフョードル...
「カラマーゾフの兄弟(中)」 19世紀中期、価値観の変動が激しく無神論が横行する混乱期のロシア社会の中でアリョーシャの精神的支柱となっていたゾシマ長老が死去する。その直後遺産相続と共通の愛人グルーシェニカをめぐる父フョードルと長兄ドミートリイとの醜悪な争いのうちに、謎のフョードル殺害事件が発生し、ドミートリイは父親殺しの嫌疑で尋問され、容疑者として連行される。 ようやく(中)に到達しました。ここから物語が一気に加速していき、展開も深いところまでいきます。なので、ようやく難しいことばかりでは無いわかり易い楽しさを感じることが出来ます(上巻は分かり難い)。 物語の焦点は「グルーシェニカ」、「父フョードルと長兄ドミートリイ」、「死」の3つだと思いました。特に、アリョーシャが直面した死には様々な意味が込められているような感じがしました。 人間が持つ信念や理念、価値観などあらゆるものは死と直面することで必ず揺さぶられる。そしてその時にいかに自分でいられ、自分を制御しうるのかがポイントでもある、ドフトエフスキーがどんな意図を託してアリョーシャを描いていたかは分かりませんが、私はそんなことをふと思いました。まぁ難しいことは置いといて、この(中)は一言で言うと面白いということです。 アリョーシャが捉えるものは何か、そして展開の肝となる連行されたミートリイはどうなるのか・・・、その結末は下巻にあり。
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ミーチャの人として揺れ幅が大き過ぎて途中で読みづかれしてしまい1.5年ほどかけての読破w ドミートリーの気持ちわかりますよ、ええ。 アグラフェーナの最後の変わりよう実写にしたらどんな感じなんだろうと思いました。 愛称と本名の使い分けがイマイチわかりまへん。 下巻でのアリョーシ...
ミーチャの人として揺れ幅が大き過ぎて途中で読みづかれしてしまい1.5年ほどかけての読破w ドミートリーの気持ちわかりますよ、ええ。 アグラフェーナの最後の変わりよう実写にしたらどんな感じなんだろうと思いました。 愛称と本名の使い分けがイマイチわかりまへん。 下巻でのアリョーシャの活躍に期待!
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中巻ということで最終巻へのつなぎのようであるが、物語が一気に加速していく。これからどうなっていくのか楽しみであるが、相変わらず、みんなよくしゃべるなぁ
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