苦海浄土 新装版 の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
2014.07―読了 「おとろしか。‥‥人間じゃなかごたる死に方したばい、さつきは。 ‥‥これが自分が産んだ娘じゃろかと思うようになりました。 犬か猫の死にぎわのごたった。ふくいく肥えた娘でしたて。‥‥」 石牟礼道子「苦海浄土」、第一章「椿の春」の一節である。 八代海の水俣付近一帯で猫の不審死が多く見られるようになったのは1955年のことだ。 翌56年には類似の発症が人においても見られるようになり、5月1日、「原因不明の中枢神経疾患の発生」が水俣保健所に報告され、この日が水俣病公式発見の日となった。 一昨年-2004年-の10月15日、最高裁第二法廷は、「チッソ水俣病関西訴訟」上告審において、 「国と県は1959年12月末の時点で、水俣病の原因物質が、有機水銀であり、排出源がチッソ水俣工場であることを認識できたのに、排水を規制せず、放置し、被害を拡大させた」と認定し、国.県に対して、原告患者37人に計7150万円-1人当り150万円~250万円-の賠償を命ずる判決を下した。 また、水俣病の病像については、二点識別感覚など中枢性大脳皮質感覚の障害を基本とした、有機水銀中毒症を認定した大阪高裁の判決を妥当と是認して、国.県からの上告を棄却し、最終的に「阪南中央病院の意見書」を元にした「水俣病々像」を認め、切り捨てと選別の「従来の水俣病認定基準」を真っ向から否定した。 最近の朝日新聞の伝えるところによれば、 1968年の公害認定以来、熊本.鹿児島両県での認定申請は延べ約2万3000人という未曽有の被害を招いたが、認定は死者を含め2265人。 95年には村山政権がまとめた救済策を約1万人の未認定患者が受け入れた。 しかし、行政の認定基準より緩やかな基準で被害救済した04年10月の関西訴訟最高裁判決以降、認定申請は約3800人に急増。このうち約1000人は原因企業チッソや国.熊本県を相手に損害賠償訴訟を起こしているが、国は「最高裁判決は認定基準を直接否定していない」との考えで「認定基準は変えない」と強調、被害者との対立が続いている、という。 最高裁の判例をもってしても、国の「認定基準」を変え得ないという一事を、どう解したらよいのか。 「直接否定していない」と強弁する国の姿勢に、50年の歳月を他者の量りえぬ苦界に生きてきた患者たちはどれほどの絶望を感じたことだろう。これがわれわれの戴く行政権力の姿であり、この国のカタチであるとすれば、われわれの明日もまたなきにひとしく暗雲に閉ざされていよう。 アジア諸国のなかで、負の遺産たる公害の先進国である日本は、後続の発生予備軍たる国々に対し、あらゆる面で範を垂れるべき重い責務があるはずであった。 この20年の中国の経済発展をみれば、やがて押し寄せる公害の嵐が、はかりしれない規模においてこの地球を襲うだろうことは必至である。いや、いまのところわれわれの眼には映っていないだけで、すでにさまざまな苦界が生れ、どんどんその腐蝕の域をひろげているにちがいない。その加速度はわれわれの予測をはるかに超えているはずなのだ。
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危機の伝え方が秀逸。ルポタージュ、資料、聞き書き風の随筆。飽きさせず、かつ、水俣病の被害者の心情に共感できる。 実際は聞き書きでないらしい。この想像力/創造力は、やはりこの不条理な不幸を世に伝えたいという熱意によるものなのか。
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某所読書会課題図書:水俣病の患者が熊本弁でうめき声をあげる.このような本では患者さんの声を聞いてそれを記述するのが一般的だが、本書はそのような手法を取っていない.著者が耳にした多くの言葉、全て熊本弁だが、それを一旦取り込んで再現する際に、あの人が心の中でこのように思っている こと...
某所読書会課題図書:水俣病の患者が熊本弁でうめき声をあげる.このような本では患者さんの声を聞いてそれを記述するのが一般的だが、本書はそのような手法を取っていない.著者が耳にした多くの言葉、全て熊本弁だが、それを一旦取り込んで再現する際に、あの人が心の中でこのように思っている ことをおもんばかって表現している.このような表現手法は他には見られないと思う.ある意味で普遍的な言葉に変換されているとも考えられる.このような本に出会えたことを嬉しく思っている.
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強烈な個々の苦しみがなまなましく描かれている。 時代とともに風化していく事件が魂魄をこめて真空パックされていて貴重。 沈痛なテーマながらも著者の表現力の豊かさにより人物の描写や散りばめられた比喩が美しく、心地よい。 資本主義とそのマイナス面が浮き彫りになっていて、現代にも通づるテ...
強烈な個々の苦しみがなまなましく描かれている。 時代とともに風化していく事件が魂魄をこめて真空パックされていて貴重。 沈痛なテーマながらも著者の表現力の豊かさにより人物の描写や散りばめられた比喩が美しく、心地よい。 資本主義とそのマイナス面が浮き彫りになっていて、現代にも通づるテーマである。
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水俣病に苦しみながらも、人間としての尊厳と美しさを失わない被害者達の視点に立った作品(と、最後の最後まで思っていた)。 湯堂部落の描写から始まり、ページを捲って初めて「湯堂、出月、月ノ浦と来て、『水俣病』多発地帯が広がり」というように、何気ない村紹介から水俣病が突如として現れてく...
水俣病に苦しみながらも、人間としての尊厳と美しさを失わない被害者達の視点に立った作品(と、最後の最後まで思っていた)。 湯堂部落の描写から始まり、ページを捲って初めて「湯堂、出月、月ノ浦と来て、『水俣病』多発地帯が広がり」というように、何気ない村紹介から水俣病が突如として現れてくる、この表現法に吸い込まれてしまった。 山中少年や仙助翁など、一人の人間にスポットを当てたかと思うと、淡々と書かれた犠牲者のカルテを付したり。マクロとミクロがふんだんに盛り込まれ、臨場感がある。 しかし、いかんせん方言が読みづらい。程よい行数ならともかく、数ページに渡ってどぎつい方言を読み解かなければならなくなる。当事者の声をそのまま、と言うのならせめて標準語訳を付けていて欲しかった。 さらに、巻末解説によれば、本書はルポではなく、石牟礼氏の私小説に該当するらしい(彼女は一度か二度かしかそれぞれの家を訪れなかったそうである)。自身が味わった極限的世界を、彼女は患者とその家族に見出した、本書の原点はそこであるとのこと。それを知った瞬間なんとも肩透かしを食らってしまった。人生は真実のみ追い求めれば良いのか、と言われれば違うが、少なくとも本書においては現地に足繁く通い、患者に寄り添った聞き書きであって欲しかった。
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これは、聞き書きではなく、私小説。。。最後の渡辺京二さんの書いた解説を読んで驚きました。 水俣の美しい暮らし以外、決して書くまいと決心して書いた、ともあり、なるほどと思いました。 本当に美しい暮らし、心も体も満たされた暮らしのありようが描かれています。 水俣がどうなったか知ってい...
これは、聞き書きではなく、私小説。。。最後の渡辺京二さんの書いた解説を読んで驚きました。 水俣の美しい暮らし以外、決して書くまいと決心して書いた、ともあり、なるほどと思いました。 本当に美しい暮らし、心も体も満たされた暮らしのありようが描かれています。 水俣がどうなったか知っていると、失われたものの大きさがますます実感されます。
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これが本当の聞き書きではないところに素晴らしさがある。そのままではなく、その人の話すことのできない被害者やその家族の思いなど、感じたことを的確な表現に変換して読者に迫ってくる。 水俣病については知ってはいたが、一人一人の生き様が生活の匂いも含めて伝わってくる。 自然の美しさ、温か...
これが本当の聞き書きではないところに素晴らしさがある。そのままではなく、その人の話すことのできない被害者やその家族の思いなど、感じたことを的確な表現に変換して読者に迫ってくる。 水俣病については知ってはいたが、一人一人の生き様が生活の匂いも含めて伝わってくる。 自然の美しさ、温かさと、工業による汚染の醜さ、行政や企業の固く冷たい姿勢とが対照的だ。被害者の中でもさまざまな軋轢があったことも見えてくる。人、自然、地域を分断し、切り刻んだ公害。許し難いこのことを、風化させてはいけない。土地の人はそっとしておいて欲しいとは言うけれど、これは繰り返してはならないことである。
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友人から、すごい本があると教えられて知った。 主題からまず息苦しさを感じ、しばらく読まずにいたが、取り組まねばならない課題のような気持ちで読み始めた。 かなり気構えて、心にある種の防御をしながら読み始めると、想像とは違う静かな表現に引き込まれ、防御が緩んだところにするりと入ってく...
友人から、すごい本があると教えられて知った。 主題からまず息苦しさを感じ、しばらく読まずにいたが、取り組まねばならない課題のような気持ちで読み始めた。 かなり気構えて、心にある種の防御をしながら読み始めると、想像とは違う静かな表現に引き込まれ、防御が緩んだところにするりと入ってくるようだった。 馴染みのない方言のはずが、何の阻害もなく、心情が雪崩れ込んでくる。語られる日常が、起きている凄まじい事態の中で、対比され、光のように感じられる。その間には、水俣病の症状等が細かく淡々と記され、またさらにその闇がより一層深くなる。 公害という近現代の社会問題や、社会構造の在り方等、語るべきはいろいろあるとは思うが、それを超えた部分で自分の中に残り続ける作品だと思う。 私たちがひとりひとりであること、人間であること、自然であること、それが当然として社会という曖昧なものより優先されねばならないことを改めて喚起させられた。 読書なんだから楽しい気持ちになるものを読みたいと思う時も多々あるが、こういった本を読むと改めさせられる。 読むことができてよかったと思う本のひとつ。
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水俣病。不知火海沿岸の貧村に突然あらわれた奇病。ネコが狂い死にひとびとは悲惨な症状に陥る。 奇病にかかった被害者や家族の悲痛な声を言葉にした石牟礼道子さんの記録。巻末の原田正純氏の解説「水俣病の五十年」は企業・国・行政・水俣市民の向き合い方を知る上で必読。本作品は、聞き書きでは無...
水俣病。不知火海沿岸の貧村に突然あらわれた奇病。ネコが狂い死にひとびとは悲惨な症状に陥る。 奇病にかかった被害者や家族の悲痛な声を言葉にした石牟礼道子さんの記録。巻末の原田正純氏の解説「水俣病の五十年」は企業・国・行政・水俣市民の向き合い方を知る上で必読。本作品は、聞き書きでは無く、作者石牟礼氏が水俣の人々に寄り添い、自由にしゃべれない被害者に成り代わってその声を文学にしたものとのこと。
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10代の頃、公害問題についての参考図書として初読。当時はノンフィクションとして捉えていたし、気の毒だなあという目線でしか捉えていなかった。これがルポではなく私小説ともいえる文学であることを後に知り、再読しなければと思っていた。公害問題だけではない・・・被爆二世である私には、特にあ...
10代の頃、公害問題についての参考図書として初読。当時はノンフィクションとして捉えていたし、気の毒だなあという目線でしか捉えていなかった。これがルポではなく私小説ともいえる文学であることを後に知り、再読しなければと思っていた。公害問題だけではない・・・被爆二世である私には、特にあまり語らなかった祖母の胸の内に思いを馳せるものでもあった。 読もう読もうと思っていた背中を押してくれた東浩紀さんに感謝(その文を初見してから既に5年くらい経過していますが・・・)『テーマパーク化する地球 (ゲンロン叢書)』 東浩紀 #ブクログ http://booklog.jp/item/1/4907188315
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