国家(下) の商品レビュー
上巻の続きです。下巻…
上巻の続きです。下巻では、いよいよ哲人統治と哲人の教育について論じられます。理想論っぽいところもありますが、いかにもプラトンらしい作品といえます。
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有名なイデア論の『太…
有名なイデア論の『太陽の比喩』や『洞窟の比喩』が登場する巻。イデア論に関する第6巻、第7巻や国家について論じた第8巻、第9巻などの重要な議論が収められています。国家は大部なので、このあたりから読んでみるのもひとつの手かもしれません。
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この下巻の中には、プ…
この下巻の中には、プラトンの有名な詩人追放論の部分が含まれています。そこではミーメーシスの概念が用いられ、そのイデアの模倣の模倣を行う詩人達を批判する。
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すごく難しく感じた。文章は読みやすいけれど。 〈正義〉について。現在のリベラルにつながるのかな?そのエッセンスが凝縮されたような印象を受けた。その教育の形態等も、学びになる部分が多い。
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『国家』は、ソクラテスと対話相手との哲学的問答により、『正義とは何か』を主題として論を進める対話篇であり、その過程において理想の国家像とイデア論に基づく認識論が考察される。そして、正義を実現するには、善のイデアを認識した哲人による統治が必要であるとの結論に至る。(哲人が単に優れているからではなく、善のイデアを認識しない限り、そもそも正義を正しく認識すること自体が不可能であるという認識論的前提から導かれる結論である。) ここでいう哲人とは、有名な洞窟の比喩で表されるように、低い認識(洞窟に映る影を見ている状態)から真の認識(洞窟の外に出てイデアを認識する状態)へと段階的に向上し、最終的に善のイデアを観得することで、何が正義かの基準を真に理解した者である。 本書は、このイデア論に基づく認識論によって、正義と政治の絶対的基準を確定することを目的としており、現実政治の具体的な制度設計を提示するものではない。この基準の提示により、現実の政治制度や価値観を批判的に評価する視座が与えられると同時に、その成立条件の厳しさから、理想国家の実現や完全に正しい政治的判断の達成が現実において極めて困難であることが、理論の帰結として必然的に導かれる。 →次は同じ古代ギリシアの有名な悲劇である、ソポクレースのオイディプス王とアンティゴネーを読んでみようと思う。特に、アンティゴネーは神の法と人間の法の対立(=どちらも正義を主張)の話であるので、プラトンの正義と比較しながら読むと面白いのではないかと思う。
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詩歌とか演劇のようなものは偽者だから、あんなものを作る人は国から追い出せって言ってて笑った 理屈はわかるけど、僕はその類は楽しもうと思う
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哲学的問答法というのはわれわれにとって、もろもろの学問の上に、いわば最後の仕上げとなる冠石のように置かれているのであって、もはや他の学問をこれよりも上に置くことは許されず、習得すべき学問についての論究はすでにこれをもって完結したと、こう君には思われないかね?
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難しすぎる。幾何学など書いてあり、しかも図も載ってあったのだけど、文系には難しすぎるので、半分くらい読んで断念_(:3」z)_ 碁の話が出てきて、古代ギリシアにも碁があったのかと調べたんだけど、訳者の訳し方で使われてて、実際、碁はギリシアには使われてなかった。ある意味勉強...
難しすぎる。幾何学など書いてあり、しかも図も載ってあったのだけど、文系には難しすぎるので、半分くらい読んで断念_(:3」z)_ 碁の話が出てきて、古代ギリシアにも碁があったのかと調べたんだけど、訳者の訳し方で使われてて、実際、碁はギリシアには使われてなかった。ある意味勉強になった。
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教育とは 教育とは、視力を外から植えつける技術ではなくて、視力ははじめからもっているけれども、ただその向きが正しくなくて、見なければならぬ方向を見ていないから、その点を直すように工夫する技術なのだ。
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上巻とまとめての感想。流石、古典中の古典と言うに相応しい。解説にある様に、国家(ポリティアー)と言うよりは正義論と言うべきか。 ダイアローグで記載されるのでまだるっこしい所もあるが、これはプラトンの思考の過程を追っている様なものだと解釈している。トラシュマコスの正義批判も、必ずしも現実にあったこととは限らず、自分の思考を批判的に分析した上での自作自演的な言説なのかも。それとも、前半はプラトン自身の遍歴やアカデミア設立前で、沢山話し相手がいた時のものとか。いずれにせよ、後半はグラウコンたちも、おっしゃる通りです、しか言わないので、もうダイアローグでなくて良いのでは、と思ってしまうが。 プラトンは正義と善を一つのものと見なしたかったのであろう。だがソクラテスが冤罪で死刑となるような現実において、また不正に生きた方が現世的な利益が得られるような現実において、如何にそれらを一致させてゆくべきか、考えた末に哲人国家、と言う解にたどり着いたのかと思えた。 しかしながら、やはり現実世界においてそれらを一致させる事は難しい。プラトン自身、作中で最上の国家は理論的に不可能では無いが、難しいと言わざるを得なかったほどに。最終的には、現世的な利益を越えた魂の充実、そして霊魂の(イデアーの)不滅が報酬であり、それを求める以上は現世で不正を働いて得た一時の栄華等は儚いもの、と言う結論となった。これは本心だったのか、それとも善を現世に実現したいプラトンの切なる願いだったのか。 だから、こんな世であってはならない、哲学を追い求めるものが虐げられ、貧困に追いやられ、排除されることがあってはならない、と考え、それが、統治そのものが(彼の考える)善の具現化である、哲人国家のイメージに繋がったのか。もしかすると、現代からは時代背景を考慮しても異質と思えるような極端な教育論、財産共有、芸術論に至ったのは現実への反発もあったのだろうか。 自分は門外漢ながら、善と正義をそれぞれどの様に定義するか、は徳倫理学の一大テーマで有り続けているように思う。個人的には、冒頭にある様に正義とは個々の人があるべき相応しいものを受け取れること、と言うことだと思うのだが、結局、「あるべき」「相応しい」の判断にどうしても善悪の議論が入り込まざるを得ないのだな、と感じた。 それにしても、後半の国家形態の5類型の話は身につまされる。有名な「最悪の僭主政は(最良の)民主制から生じる」というテーマである。民主制自体が下から2番目の体制なのはプラトンの考える善の定義から仕方無いとしても、それが堕落して最悪の僭主政に繋がる、というのは改めて寒気を覚える。 今の世の中がこれとは違う、現代人の方が賢い、と言い切れる人はいるのだろうか。 自分としては、たとえ哲人であっても一人の人間の思想に寄りかかる体制は結果的に悪手だと思っているが、さりとて僭主政に繋がるのを食い止めるにはどうすれば良いか。 個人の意見はさておき、これについては「法律」を読んでみて改めて考えたい。
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