職業としての政治 の商品レビュー
ヴェーバーの有名な著書ですが、長く読んでいませんでした。全般的に舌鋒鋭いですが、後半の問題提起に強烈な迫力があります。
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一読しただけでは理解できず線を引き引き読み返した。背景であるドイツ革命も知らなかった。自分なりにまとめると「政治は暴力をともなう点が特殊なので職業政治家たるもの単に貴い理想を掲げるだけではダメで悪魔の力を駆使した上で政治の結果に責任を持つことが責務である」。なるほどそうだと思う。...
一読しただけでは理解できず線を引き引き読み返した。背景であるドイツ革命も知らなかった。自分なりにまとめると「政治は暴力をともなう点が特殊なので職業政治家たるもの単に貴い理想を掲げるだけではダメで悪魔の力を駆使した上で政治の結果に責任を持つことが責務である」。なるほどそうだと思う。ただし政治家そのものは簡単に退場させられるので、むしろ政党やより中長期的には国民にもこの「責任倫理」が必要と思った。 全体を通して大阪の橋下さんのイメージがわく。 「弁護士が重要な意味をもったのは決して偶然ではない」 「本気で腐敗を退治しようとする場合、人民投票で選ばれ、自分の役所を自主的に編成する権限をもった強力な市長が出てくる」
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「政治学」を学びたくて手にとって見た。最初翻訳のせいで読みにくいのかと思いきや、あとがきにあるようにこれはウェーバーが行った講義をまとめたもので、話の纏まりに欠けて非常に理解しにくい。要は話が飛び飛びなのである。 書物として描き上げるための内容ではないため、話が飛び飛びで読みづら...
「政治学」を学びたくて手にとって見た。最初翻訳のせいで読みにくいのかと思いきや、あとがきにあるようにこれはウェーバーが行った講義をまとめたもので、話の纏まりに欠けて非常に理解しにくい。要は話が飛び飛びなのである。 書物として描き上げるための内容ではないため、話が飛び飛びで読みづらく、別の本でウェーバーの政治思想を理解しようと思う。むしろあとがきにある内容の方がためにはなった。
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冒頭で権力の分配関係に影響を及ぼす行為として、政治を定義し、 次に、兼業であることを前提に、職業としての政治家に向いている職業(本業)を考察し、 最後に、政治家に求められる資質、心構えを説いています。 政治家に向いている職業として、弁護士と政党職員を挙げています。金銭的に余裕が...
冒頭で権力の分配関係に影響を及ぼす行為として、政治を定義し、 次に、兼業であることを前提に、職業としての政治家に向いている職業(本業)を考察し、 最後に、政治家に求められる資質、心構えを説いています。 政治家に向いている職業として、弁護士と政党職員を挙げています。金銭的に余裕があると思われるビジネスマンは、逆にビジネスが忙しく政治家には向かないことを指摘しています。 これは、現代の日本でもその通り当てはまるように思え、面白く感じました。 資質、心構えは、主に倫理と対比して、政治を説いています。 むろん政治家には倫理が必要ですが、その倫理とは、偉大な聖人たち(キリストや聖フランチェスコやブッダ)が実践した非暴力によるものではなく、暴力(権力の行使)を伴う、結果に責任を持つという意味での倫理が必要と説いています。 つまり、国土が荒廃して、犯罪が行われていれても「俺は正しい行いをした。」と言い張って、自己満足するような人は政治を行うべきではなく、犯罪者を懲役にしたり、対外的には戦争を指導しても、結果に責任を持つ者が政治家になるべきだ、と説いている、と僕は理解しました。 倫理は、過去を考察し、糾弾するが、将来に責任を持たない。政治家は、そうではなく(権力を用いることも含めて)現状をよりよくする手法を考え、結果に責任を持つべし、と説いています。 今でも大衆の人気取りの政治家は、結果について言及せず、口汚く政敵を罵って「自分に正義有り。」と悦に入っているように思えますが、 成熟した民主主義社会に生きる僕たちは、もうこんな「倫理に拘泥して、結果を考えない」主張に喜ぶのでなく、ヴェーバー先生が政治家に求めた資質を、僕たち庶民が身に付けるべき。と心得て、せめて選挙の時には、棄権せず「結果に責任をもった政治家は誰かな?」と選ぶべき。と思いました。
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政治行動とは権力であり、権力は暴力に裏付けされる。政治は政治であって倫理ではない云えに、職業的政治家には情熱と責任感、判断力とともに、高い倫理性が求められる。 本書が記されたのは丁度ドイツ革命の最中の1919年。第一大戦が終わり、丁度社会が民主主義と社会主義へ舵を切り始めた時代...
政治行動とは権力であり、権力は暴力に裏付けされる。政治は政治であって倫理ではない云えに、職業的政治家には情熱と責任感、判断力とともに、高い倫理性が求められる。 本書が記されたのは丁度ドイツ革命の最中の1919年。第一大戦が終わり、丁度社会が民主主義と社会主義へ舵を切り始めた時代だ。マキャヴェリの「君主論」は現代にも通ずる思想だが、中世と現代を繋ぐ変遷にヴェーバーが位置づけられよう。 本書を読めば100年以上政治の本質は変わっていないことがわかる。政治家を志すものは一度は本書を読んでいるはずであろうが、権力への陶酔型政治家が蔓延している様をみると、やはり権力の魔力は人間では抗することは出来ぬのかもしれない。従って本書のような古典を読み客観的に自己を律する姿勢が政治家には求められるのであろう。
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『立花隆の書棚』の中で、本書を読んだ人と読んでいない人とでは圧倒的な差があるといったようなことが書かれていたため、それならばと読んでみることにした。(対象は政治家だったかな) 私のレベルでは差を出せるほどの読み込みは到底不可能であることは読み始めてすぐに悟ったが、それでも印象的な...
『立花隆の書棚』の中で、本書を読んだ人と読んでいない人とでは圧倒的な差があるといったようなことが書かれていたため、それならばと読んでみることにした。(対象は政治家だったかな) 私のレベルでは差を出せるほどの読み込みは到底不可能であることは読み始めてすぐに悟ったが、それでも印象的な箇所はいくつかあった。 特に、心情倫理と責任倫理の記述を読み、昨今は、いかに結果に対する責任などそっちのけで、心情倫理に基づいて声高に叫んでいる人のなんと多いことか!と妙に納得した。
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大学院のゼミで輪読したはずなのだが、今読んでみてもわからない。。。訳のまずさもあるのかもしれないですけど、歴史の話も難しい気がします。 ただ、随所に散りばめられた、政治家や官僚にとって必要なことといった記述は現代にも通じるものがあると思うので、改めて読んでみてよかったとは思う次...
大学院のゼミで輪読したはずなのだが、今読んでみてもわからない。。。訳のまずさもあるのかもしれないですけど、歴史の話も難しい気がします。 ただ、随所に散りばめられた、政治家や官僚にとって必要なことといった記述は現代にも通じるものがあると思うので、改めて読んでみてよかったとは思う次第。
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特に、「政治と倫理」について述べた最後の部分が印象的であった。現在の日本の政治家でこの著作を読んだことのある人は、はたして何人いるだろうか。
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○職業政治家とは: 権力(暴力)という特性、その誕生からの(担い手の)変遷について ○求められる資質: 情熱と判断力 ○判断力、及び、政治と倫理を巡って: 心情倫理と責任倫理、目的と手段の緊張関係 といったあたりがキーワードか。 『職業としての学問』に比べると、文章の構成(話の...
○職業政治家とは: 権力(暴力)という特性、その誕生からの(担い手の)変遷について ○求められる資質: 情熱と判断力 ○判断力、及び、政治と倫理を巡って: 心情倫理と責任倫理、目的と手段の緊張関係 といったあたりがキーワードか。 『職業としての学問』に比べると、文章の構成(話の流れ)がきちんとしていなかったと思う。 またヴェーバーの文体はいずれにしろ「難しすぎる(まわりくどい)」。翻訳だからというのもあるのだろうけど、それ以上に、「厳密になろうとするあまり」一言一言に「慎重すぎる」。その結果として「あまりにも正しい」分、少し息苦しさを与えているのだと思う。
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(2014.12.12読了)(2013.01.24購入) 衆議院が解散し、総選挙期間中なので、「政治」について考えてみようと、読んでみました。 残念ながらよくわかりませんでした。マックス・ヴェーバーが1919年1月に行った講演をまとめたものということです。 政治とは何であるかにつ...
(2014.12.12読了)(2013.01.24購入) 衆議院が解散し、総選挙期間中なので、「政治」について考えてみようと、読んでみました。 残念ながらよくわかりませんでした。マックス・ヴェーバーが1919年1月に行った講演をまとめたものということです。 政治とは何であるかについて「あとがき」から引用しておきましょう。 「ヴェーバーによれば、政治の本質的属性は権力であり、政治とは「国家相互の間であれ、国家内部においてであれ、権力の分け前にあずかり、権力の配分関係に影響を及ぼそうとする努力である」。政治を行うものは、権力それ自体のためであれ、他の目的のための手段としてであれ、権力を追求せざるをえない。政治はどこまでも政治であって「倫理」ではない。その意味で政治一般に対するセンチメンタルで無差別的な道徳的批判は、百害あって一利もない。」(118頁) 【目次】 職業としての政治 訳注 あとがき 脇圭平 ●国家(9頁) 国家とは、ある一定の領域の内部で―この「領域」という点が特徴なのだが―正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である ●権力(10頁) 政治をおこなう者は権力を求める。その場合、権力を別の目的(高邁な目的又は利己的な目的)のための手段として追及するか、それとも権力を「それ自体のために」、つまり権力自体がもたらす優越感を満喫するために追究するか、そのどちらかである。 ●ジャーナリスト(43頁) ジャーナリストの責任のほうが学者よりはるかに大きく、責任感の点でも、誠実なジャーナリストになると、平均的に見て学者にいささかも劣るものではなく、―戦争の経験からも分かるように―勝ってさえいるということ、この点もほとんど完全に無視されている。 ●政治家(76頁) 資産状態からいって、政治「によって」生きることを余儀なくされた人の場合、恐らく今後も次のようなコースが選択の対象となるであろう。典型的な直線コースとしてはジャーナリズムか政党職員のポスト。そうでなければ、労働組合・商業会議所・農業会議所・手工業会議所・労働会議所・使用者団体といった利益代表のポスト、あるいは地方自治体の適当な地位。 ●資質(77頁) 政治家にとっては、情熱・責任感・判断力の三つの資質が特に重要であるといえよう。 ●政治行為の結果(81頁) 政治行為の最終結果が、往々にして、いや決まって、当初の意図とひどく喰い違い、しばしば正反対なものになる、というのは全く事実で一切の歴史の根本的事実である。 ●暴力行使(97頁) 人間団体に、正当な暴力行使という特殊な手段が握られているという事実、これが政治に関するすべての倫理問題をまさに特殊なものたらしめた条件なのである。 ●偉大な達人(100頁) 無差別の人間愛と慈悲の心に溢れた偉大な達人たちは、ナザレの生まれであれ(キリスト)、アッシジの生まれ(聖フランチェスコ)、インドの王城の出であれ(仏陀)、暴力という政治の手段は用いはしなかった。 ●政治(105頁) 政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である。 ☆関連図書(既読) 「日本改造計画」小沢一郎著、講談社、1993.05.20 「総理の資質とは何か」佐伯啓思著、小学館文庫、2002.06.01 「美しい国へ」安倍晋三著、文春新書、2006.07.20 「大臣 増補版」菅直人著、岩波新書、2009.12.18 「あなたが総理になって、いったい日本の何が変わるの」菅伸子著、幻冬舎新書、2010.07.20 「職業としての学問」ウェーバー著・尾高邦雄訳、岩波文庫、1936.07.15 (2014年12月13日・記) (「BOOK」データベースより)amazon あらゆる政治行動の原動力は権力(暴力)である。政治は政治であって倫理ではない。そうである以上、この事実は政治の実践者に対して特別な倫理的要求をつきつけずにはいない。では政治に身を投ずる者のそなうべき資格と覚悟とは何か。ヴェーバー(1864‐1920)のこの痛烈な問題提起は、時代をこえて今なおあまりに生々しく深刻である。
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