翔ぶが如く 新装版(四) の商品レビュー
大久保利通のことが理由ナシに大嫌いな江藤新平は佐賀の乱を起こして大爆発。怒った大久保さんはナ、ナ なんと江藤さんを処刑したあげく晒し首にー?!!大久保さん…やりすぎです。 相変わらず鹿児島に引っ込んでブスブス燻っている西郷隆盛は薩摩ハヤトら「薩摩固有の元気」を維持するために私学校...
大久保利通のことが理由ナシに大嫌いな江藤新平は佐賀の乱を起こして大爆発。怒った大久保さんはナ、ナ なんと江藤さんを処刑したあげく晒し首にー?!!大久保さん…やりすぎです。 相変わらず鹿児島に引っ込んでブスブス燻っている西郷隆盛は薩摩ハヤトら「薩摩固有の元気」を維持するために私学校を興す。鹿児島県令・大山格之助綱良の許可を得て監督者は陸軍少将・篠原国幹。場所と人は変わって洋行帰りの村田新八はいとこの高橋新吉と語らって、自分は官職を投げ出し西郷のもとへ奔ることを告げる。まさに薩摩ハヤトの蛮性だなあ!そして副島外務卿は米国のアモイ領事リ・ゼンドルのすすめで台湾出兵を主張する。大久保卿も征韓論で下野した西郷のためとかを思ってそれに賛同するけど木戸さんは怒って下野しちゃう。西郷従道が計画を進める。そういえば大隈重信が自らの対外政策の思想書「海外出師之義」を太政官に提出した、とあったが、「兵は兇器であり、戦は危事であり、…」という内容を見ると、これは山田顕義が洋行のあと書いた「理事官山田顕義建白書」のような気がする。一時大隈の手に渡ったことは聞いていたが、まさか台湾出兵のときに引っ張り出されるとは。
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もはや、時代は誰かの手で止められるものではなくなっている。 明治維新後の政府というのは、幕末の志士を代表してはいるが、その実態はいわゆる武士ばかりで、政府向きの者はいなかった。 西郷隆盛を中心に回るこの書だが、中心に回っているはずの西郷が、実際には何も実施していない、というのが...
もはや、時代は誰かの手で止められるものではなくなっている。 明治維新後の政府というのは、幕末の志士を代表してはいるが、その実態はいわゆる武士ばかりで、政府向きの者はいなかった。 西郷隆盛を中心に回るこの書だが、中心に回っているはずの西郷が、実際には何も実施していない、というのが滑稽だ。 周りからおされ、回りには怯えられている西郷と言う人というのを大いにあらわしている。 こういうの読んでて思うのは、私は実務家なのか?と言う点。 こんな一流の武士や政治家や実務家と比べて劣っているのはともかく、今の立場なら、実務家として成果を挙げるべきじゃないだろうか? 建白書、ではないが、自分の将来に対する企画書でも作ってみようか。 テーマは、そうだなぁ、日本における実務教育論とか?
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大久保利通の推進する新政府に折り合いをつけられない西郷どんは、辞職して薩摩に帰ってしまいます。そして、江藤新平は佐賀の乱、そして処刑されます。幕末から続く政治的変革期はまだ落ち着きを見せません。さて、どういう国家をつくればよいのか…。
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この本を読んで初めて知ったのですが、明治政府へ不満を抱く人達と、明治政府を支えようとする人達。二方の考え方の人達が明治初期という時代を作っていたんだと分かりました。又、幕末では官軍のトップだった西郷隆盛という人物がどれ程大きな存在であったかという事も改めて教えてくれる巻となってい...
この本を読んで初めて知ったのですが、明治政府へ不満を抱く人達と、明治政府を支えようとする人達。二方の考え方の人達が明治初期という時代を作っていたんだと分かりました。又、幕末では官軍のトップだった西郷隆盛という人物がどれ程大きな存在であったかという事も改めて教えてくれる巻となっています。
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どこかで西郷が、若い者に問われた。その若い者が、自分は何事かをしようと思うが、どう心掛ければよいか、と質問した。 「そいは、思ウテ一ナレバ敵ナシ、ちゅう事でごわすが、そいで遣んなさればよか」 と、西郷はいった。かれは「思ウテ一」というのは、ちょうどメンドリが卵を抱いているような心...
どこかで西郷が、若い者に問われた。その若い者が、自分は何事かをしようと思うが、どう心掛ければよいか、と質問した。 「そいは、思ウテ一ナレバ敵ナシ、ちゅう事でごわすが、そいで遣んなさればよか」 と、西郷はいった。かれは「思ウテ一」というのは、ちょうどメンドリが卵を抱いているような心境だ、という。メンドリが卵を抱いているとき、どんなにうまそうな餌を近づけても、またおどしても、メンドリは見むきもしなければまた逃げもしない、そういう意味だ、という。 西郷は倒幕運動のころにそのことを体験した。そのただ一つの目的のために思いをこらし、怖れもせず、わき見もしなかった。(p.12) 江藤は、敗れてもなお西郷を相手に議論をしていた。西郷からいえば敗れればもうしまいであって、あとはどう死ぬかでしかない。しかし江藤は自殺を考えていそうになかった。(p.61) 大久保が佐賀で江藤を殺してしまったのは、江藤の東京における論陣をおそれたからであり、さらには内閣のたれもが江藤の死刑に賛成すまいと思ったからである。 大久保の凄味は、右のような大方の動向も無視し、また常識的慣習も無視して、権力をもって江藤の首を打ち落としたことである。(p.86)
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