議論のレッスン の商品レビュー
議論の仕方を系統立てて教わった記憶がないから、こういう書物から得られる知識は貴重です。ここでは主に、書面上における議論の仕方が説かれているけど、当然それは口頭での議論にも応用される訳で、色々な気付きがありました。主張と根拠と論拠、そこまでしっかり考えてなかったですね。議論のルール...
議論の仕方を系統立てて教わった記憶がないから、こういう書物から得られる知識は貴重です。ここでは主に、書面上における議論の仕方が説かれているけど、当然それは口頭での議論にも応用される訳で、色々な気付きがありました。主張と根拠と論拠、そこまでしっかり考えてなかったですね。議論のルールももっと意識しないとダメですね。社説などで感じる何となしの違和感も、しっかり噛み砕いていくと、モヤモヤの理由も分かってくるものですね。そういう視点で吟味する習慣を身につけていけたらと思います。姿勢を正される一冊でした。
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議論は、大なり小なり毎日行っていることでいるところだが、それが、思いつきのおしゃべりや、いわゆる雰囲気や勢いのようなものに流されることも多く、そして、それが重要な方針の決定につながったりしていることもよくあることではないか。 「フォーマルな議論」は勝ち負けを目的とするものではなく...
議論は、大なり小なり毎日行っていることでいるところだが、それが、思いつきのおしゃべりや、いわゆる雰囲気や勢いのようなものに流されることも多く、そして、それが重要な方針の決定につながったりしていることもよくあることではないか。 「フォーマルな議論」は勝ち負けを目的とするものではなく、よりよい結論を求め、その後決定された方針への参画につなげていくことを目標に置いている。しかし、これを行うにはその人のスキルと、守るべきルール、注意事項の遵守(議論の対象を絞る、など)などが必要である。そして、スキルアップのためには、この本や、野矢茂樹さんの論理トレーニングなども参考にしつつ「日々の訓練」を積み重ねていくことが求められる。
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トゥールミンモデルの概説とそれに沿った議論の分解。「この通りにしなければならない」式の指摘に違和感があるが、たしかにその通りに書いたほうがわかりやすい。大陸哲学はこういう書き方をすごく嫌うから、読んでて心臓が痛い。
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こういう本が出ているのはとてもありがたい。この本の内容に出ていることは議論に強くなるとかそういうこと以前に、思考力の型を身につけるために必須の知識だと思う。
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議論のわかりやすさのためには、一定のルールが必要という考え方から、議論は「主張・根拠・論拠」から成立するというルールを明確化し、そのそれぞれのポイントをまとめた一冊。一般的なロジカルシンキングでは、ピラミッド・ストラクチャーというようなツールを使って、主張とそれを支える根拠を階層...
議論のわかりやすさのためには、一定のルールが必要という考え方から、議論は「主張・根拠・論拠」から成立するというルールを明確化し、そのそれぞれのポイントをまとめた一冊。一般的なロジカルシンキングでは、ピラミッド・ストラクチャーというようなツールを使って、主張とそれを支える根拠を階層的に構造化することで、わかりやすく伝わりやすい主張が構築されるとされる。本書が優れているのは、主張に対して客観的な事実・データなどで根拠を構築したとしても、その両者を実は結び付けている隠れた前提たる「論拠」が共通化されなければその主張と根拠は繋がらないという点を重点的に示している点にある。例えば、1つの客観的事実があったとしても、それを眺める視点により、全く異なった主張が成立する例は数多とあるし、そもそも「論拠」という形で客観的事実に意味づけをする方向性がなければ、客観的事実の収集自体が困難になる(か、もしくはただ単に意味のない事実も含めて膨大な時間を事実収集にかけてしまうことになる)。 また、この「論拠」を語る際に、「やはり」という言葉をビッグワードとして使う人は多いが、意味合いをぼやけさせてしまうので使用に留意すべし、という意見は自分としても耳が痛かった。議論の中で何気なく「やはり~だ」というような言い方をしてしまうことが自分自身多い気がしているが、著者によれば「やはり」は主張と根拠をつなげるはずの「論拠」に自信が持てなかったりする際に、「偶然」・「無意識」・「直観」というような便利な言葉を用いるのと同じ感じでその「論拠」に妥当性を無理やり与えようとする言葉だとされる。こうした言葉に依存せずに、隠れた前提たる「論拠」を明言化し(必ずしも言葉にしなくても、きちんと言語化して表現できるレベルまで思考されているか)、考えることが重要だと感じた。 ただし、全体を通じて議論の構造がビジュアルで見えない表記になっているので、多少のわかりにくさがある。後半で、新聞記事での社説を分析し、その議論の論証を試みる場などはピラミッド・ストラクチャーなどによるビジュアル化がなされないと、わかりにくさがあり、そうした点でピラミッド・ストラクチャーのようなツールの意味合いを再確認することもできた。
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発言や議論に参加するときの、私の教科書です。 優しい事例を用いながら、発言や議論の基本である「主張」「根拠」「論拠」の重要性を述べています。 ビジネスマンの必読書だと思います。
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■大学一年次の「入門セミナー」の教材 【議論のルールとしての「トゥールミン・モデル」】p65 by イギリスの分析哲学者スティーブ・トゥールミン 「暗黙の仮定」(主張と根拠または事実を結合させる役目をする=「論拠」p75 【議論の3つの主役「主張」「根拠」「論拠」】p79 主張=「自分と異なる先行意見に対して発せられる反論」Cf. 香西秀信『反論の技術』p90 【飛躍をともなわない意見は主張ではない】p91 吟味するまでもなく意味内容が絶対に真理となるような表現内容を「トートロジー」とか「同語反復」と呼ぶ。 Ex. 「これは私のおふくろです。なぜなら、私の母だからです」 →野矢茂樹「前提から結論へのジャンプの幅があまりに小さいと、その論証は生産力を失う。他方、そのジャンプの幅があまりに大きいと、論証は説得力を失う。そのバランスをとりながら、小さなジャンプを積み重ねて距離をかせがなくてはならない。それが、論証である」(『論理トレーニング』)p92 主張の正当性:その主張がどの程度厳密な論証を積み重ねた末に導かれたか。p94 論証プロセスをつぶさに検討することで主張、結論の正否に関する判断が可能になる。 ⇒主張の正当性は論証プロセスに依存している。 【「根拠」と「経験的事実(データ)」との使い分け】p99 根拠が効果をもつのは、それが主張よりも相手に受け入れられやすい内容であり、かつ主張と同レベルのものでないときです。 経験的事実(データ):ある程度裏づけのある根拠。誰にでも確認できる対象、または事実。より実証可能な根拠。(永遠に続く議論を避けるために。「なぜそう言えるの?」p105 【議論の3つの名脇役「裏づけ」「限定語」「反証」】p111 ①議論をする際に、論拠についてはそれを支持する裏づけ(Backing)を明記すること。 ②論拠の確かさの程度を示す限定語(Qualifier)をつけること。 ③論拠の効力に関する保留条件としての反証(Rebuttal)を提示すること。by トゥールミン 【論拠がわかれば議論が分かる】 議論という思考プロセスにおいて「論拠はいつ登場するか」を問うことは、議論の核心にふれることにほかならない、と私は思っています。p129 私は「論拠とは仮定の集合である」と考えています。ですから、自分の持っている論拠に気づかないということは、自分が持っている仮定に気づかない、ということです。自分のとって「当然で、あたりまえのもの」に気づくとは、自分自身のもののとらえ方、自分のバイアスに気づくことに等しく、易しいはずはありません。論拠にはそんな性質があるのです。p130 【データの論拠依存性と論拠のデータ独立性】p133 Ex. 彼は有罪か無罪か 同じデータ:本人が自白した 論拠1: 自白は信憑性あり 論拠2: 自白は強制されたもの ⇒データに一義的な意味はなく、意味付けは論拠によって行われる。 【ロンドン市街地の爆弾とアドホックな論拠】p137 →認知心理学者トーマス・ギロビッチ「後づけならばどんな経験的事実(データ)でも最も特異な部分を見つけて、そこだけに都合のよい統計的検定を施し、自由に数値上の差を作り出せる。そして後づけで経験的事実(データ)を解釈すると偶然の要因を正しく評価できない。 ⇒無意味な経験的事実(データ)から有意味性を読みとってしまう可能性があるということ。 ↓ 経験的事実(データ)の意味は論拠依存的であり、論拠は経験的事実(データ)から独立である、ということ。 【論拠と「やはり」の潜在パワー】p142 やはり≒「恒常的原理的なもの」Cf. 板坂元『日本人の論理構造』 議論における「やはり」に使用は、私たちが事象をうまく説明できないときに「偶然」「無意識」「直感」といった便利な概念を持ちだし、それによって事象を説明した気になるのと似ています。 一見これ以上分析不可能にみえる論拠の内容も、さらなる分析は可能です。もちろん易しいことではありません。自分が夢にも思っていなかった仮定が論拠の中に潜んでいるかもしれません。これを探ることが"分かりやすい議論"のはじめの一歩なのです。p160 《実践編 議論のトレーニング》 【分析のための下準備―分析チェックリスト】p170 ①議論における論証の構造をつかむ=主張(結論)、およびそれに関連する根拠を探す。 ②根拠が経験的事実(データ)として提示されているか検討する。 ③可能な範囲で明示されていない根拠(論拠)を推定する。 ④書きかえ案を提示する場合にはパラグラフ構造を書き方の基準とする。 ⑤根拠を経験的事実として提示するための工夫を提示する。 ⑥主張はなんらかの反論の形式になっているかを検討する。
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テスト設計コンテストの審査員を4年間実施してきました。 応募作品のレベルは上がり嬉しい限りなのですが、一方で、「テスト要求分析では『テスト観点』をマインドマップを描いてたくさんあげればよい」「テストアーキテクチャ設計では見つけた『テスト観点』を意味的、あるいは、テスト対象のアー...
テスト設計コンテストの審査員を4年間実施してきました。 応募作品のレベルは上がり嬉しい限りなのですが、一方で、「テスト要求分析では『テスト観点』をマインドマップを描いてたくさんあげればよい」「テストアーキテクチャ設計では見つけた『テスト観点』を意味的、あるいは、テスト対象のアーキテクチャに沿って階層化し、段取り的に前後関係を整理すればよい」と考えているっポイ作品が増えてきてとても残念に思っています(審査員目線=上から目線ですみません)。 1年前はこの現象を「テスコンを通じてテスト開発方法論が生まれつつあるのでは!?」とむしろ喜んでいたのですが、応募作品を読み込むと、「形式的に真似っこ」しているんじゃないかという疑惑が膨らんでいます。 そもそも、テストの前工程(分析や方式設計)をしっかりしようということの意味には、〝テストの説明責任。テスト説明力の向上〟もあったはずです。 ひらたくいうと「このテストで必要十分である」という説明力の向上がテストの前工程を充実する大きな目的の一つと私は考えています。 そういう目で審査しますと、 ・この『テスト観点』で必要十分であること や ・この『テストアーキテクチャ』で良い理由 がしっかりと書いてあるものはまれです。 これでは、テスト開発方法論の進化が止まってしまいますし、張り出されたテスコンのパネルを見ても「うちでは使えない」という声が出る(実際聞いた)のも当然でしょう。 --- で、本書です。 本書では、トゥールミンモデルに基づき、主張と根拠と論拠というフレームワークで〝よい議論に必要なこと〟の解説をしています。 テストで言えば、「これらのテストに合格したらテスト対象の品質は良い」というのが主張に当たります。 よい議論をするには、その主張が正しいことの根拠をしめす必要があります。例えば、「【ISO9126の6つの品質特性に基づいたテストスイートを作り】そのテスト結果(=エビデンス)がすべて○であるから」といったものです。 根拠の前半の【……】部分が論拠(主張とデータを繋ぐ論理)で、後半のエビデンスがその証拠となるデータです。 「説明力」ってテストエンジニアが持つべきスキルだと思うんです。というのは、無限に存在する振る舞いの中から有限な(少数の)テストケースを開発して「これがパスしたらいいんだ」と言い切るのがテストエンジニアの大きな役割の一つと考えるからです。 ですので、テストエンジニアは、まずは、本書のような議論のルールを勉強すると良いと思いました。いや、かくいう私も、目からウロコの内容もあったので、反省なのですが、、、。
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議論の流儀、構造について、解説した本。 ・人はなぜ意見を述べたり、主張したりするのでしょうか。一つの答えは自分と異なる意見の人がいるから 全員が自分の意見に賛成であれば、わざわざそれを主張し、論証する必要もない。意見は先行する意見にたいする「異見」として生まれ、それが具体的な形でなくても、対立する意見に対する反論という性質をもつ。 ・主張=自分と異なる先行意見に対して発せられる反論。 すなわち必ず反論される対象となっている。 ・飛躍を伴わない論証は意味がない。飛躍の幅が大き過ぎると、説得力を失う。そのバランスをとりながら、小さなジャンプを積み重ねて距離をかせがなければならない。これが論証。
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主張、根拠、論拠、どういう論理構成になっているのか常に気をつけたい。 少々論理学に興味を抱いた。 まず主張があって、それを支える根拠がある。その根拠の適切さを問うのが論拠。
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