花神(上) の商品レビュー
ひょんなきっかけで再読、★評価は読了後に。 随分久方ぶりな気がする、司馬遼の小説を読むのは。 まぁまだ上巻だけですが、最高傑作では無いと思います、当方は。司馬遼節と言えば聞こえは良いですが、リズムが悪い。ちょっと人物を交錯させ過ぎかと。まぁ何度か書いたように思いますが、ストーリー...
ひょんなきっかけで再読、★評価は読了後に。 随分久方ぶりな気がする、司馬遼の小説を読むのは。 まぁまだ上巻だけですが、最高傑作では無いと思います、当方は。司馬遼節と言えば聞こえは良いですが、リズムが悪い。ちょっと人物を交錯させ過ぎかと。まぁ何度か書いたように思いますが、ストーリーを語ろうとはしてないと思うので、この作家は。だからあまり問題では無いのかも知れませぬ。 それにしても、何というか、ナショナリズムの心を微妙にくすぐるお方ですなぁ。
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大村益次郎の医師としてどう学び成長していくのかの話。彼は少々変わりものである。女性イネをまえにしても興味を持つことなく離れていく。しかし学ぶことの貪欲さは参考になる。医師の存在意義は他人のためであり患者の貴賤を問うてはいけない。これは他人第一主義としては当然だと思う。適塾、緒方洪...
大村益次郎の医師としてどう学び成長していくのかの話。彼は少々変わりものである。女性イネをまえにしても興味を持つことなく離れていく。しかし学ぶことの貪欲さは参考になる。医師の存在意義は他人のためであり患者の貴賤を問うてはいけない。これは他人第一主義としては当然だと思う。適塾、緒方洪庵、シーボルト、吉田松陰、桂小五郎、杉田玄白、勝海舟、福沢諭吉、オランダ語から英語へ、尊王攘夷、 幕末の有名人が多く出てくる。上昇志向的なエネルギーが一杯だと思う。
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長州の田舎町で町民として生まれた有能な蘭学者が、いかに江戸の身分制度に不遇になりながらも生きる場所を選択していくか、という話です。
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P470 しかし日本中が福沢のように訳知りで物分かりが良すぎてしまってはどうなるか。かえって夷人どものあなどりをまねくにちがいなく、国家にはかならずほどほどに排他偏狭の士魂というものが必要なのだ、ともおもった。
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学生時代、チリで知り合った銅鉱山の技術者から「これを読まずして日本人じゃない」とまで言われて読んだ本。 結果、司馬作品の中で最も好きな本となった。天才的な技術者・大村益次郎(村田蔵六)。 大きな船が動くことに感動した殿様に向かって「技術とはそういうものです」というくだりが一番...
学生時代、チリで知り合った銅鉱山の技術者から「これを読まずして日本人じゃない」とまで言われて読んだ本。 結果、司馬作品の中で最も好きな本となった。天才的な技術者・大村益次郎(村田蔵六)。 大きな船が動くことに感動した殿様に向かって「技術とはそういうものです」というくだりが一番のお気に入り。
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上巻読了。 司馬ファンの間で評判の良い作品のようで、楽しみにして読み始めました。 のちの大村益次郎こと、村田蔵六さんが主人公。僻村の医者だった彼がどのような運命をたどって、討幕軍の総司令官となるのか。。 コミュ障気味の蔵六さんと、 シーボルトの娘・イネさんとの関係が微妙すぎて身...
上巻読了。 司馬ファンの間で評判の良い作品のようで、楽しみにして読み始めました。 のちの大村益次郎こと、村田蔵六さんが主人公。僻村の医者だった彼がどのような運命をたどって、討幕軍の総司令官となるのか。。 コミュ障気味の蔵六さんと、 シーボルトの娘・イネさんとの関係が微妙すぎて身悶えします。(笑) 中巻へ続く。。
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※このレビューにはネタバレを含みます
司馬遼太郎の小説の中でもイチオシという評に押されて読み始めまして、上巻読了。 タイムマシンに乗って1830年代の山口県の片田舎・鋳銭司にワープし、そこから村医の息子として生まれた村田蔵六、後の大村益次郎の生涯というか生き様をリアルに体験していくことができますね。彼の眼を通して、激動の幕末が映像的に浮かんでくるような感じがします。 蔵六は、緒方洪庵の適塾に学びましたが、適塾に入塾したことこそが濃厚な人生の始まりだったのでしょう。彼は45歳で没していますが、上中下巻のうちの上巻の部分だけでもその人生は濃厚です。 適塾時代、シーボルトの娘イネとの出会い、伊予宇和島で兵法の基礎力習得期、蒸気船を手作りで開発、江戸へ出て講武所の教授になり、蕃書調所の教授方となり、私塾鳩居堂の運営、蘭書の翻訳と時代に求められた人物として多忙かつ濃厚な人生を送っています。 適塾は今の大阪大学の前身、蕃書調所は今の東京大学の前身、大阪大学を首席で卒業し、東大で教授として教鞭をとっているいう感じでしょうか。 後に高杉晋作に「火吹きだるま」と言われたのは、あのデコッパチの風貌によるのだと思いますが、見るからにあの頭の中には、脳ミソが満タンに詰まっている感じがします。 時代描写としてもとても興味深く読めますね。適塾は、今の受験戦争に通じるものがありますが、この時代の学問の風景は、ガツガツしたものがなく、大らかささえ感じますね。 ガツガツした受験戦争を勝ち抜くことだけを目的とした今の詰め込み教育と、学習資料を互いに分かち合いながら、世に貢献できる力を切磋琢磨する適塾の自立的な学問では、大きな差があるんだろうなと感じます。 蔵六の強烈な探究心・学究心、ぶっきらぼうな性格、まったくタイプの異なる適塾の後輩・福沢諭吉の生き方との対比など、すでに上巻にしてこの小説の面白さを堪能しています。
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通勤時にコツコツ読み進めてやっと読了。 久々に読書したー!って感じ。 維新前後の作品を続けてよみたくなった。
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- ネタバレ
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「しかし私は先刻、自分で名乗っております」 「それは間違っている」 と奥山静寂はいった。 「自分で名乗ったからといって、私は信用しない。私の目で人相風体を見、これならたしかに洪庵先生のいわれり村田蔵六にちがいないと推量がついたうえで当人にたしかめてみるのだ。それが物事の窮理(科学)というものである」 「お前さんも頓狂な男だな」 敬作は、蔵六の人柄が、一見したところまったくちがっていることにちかごろ気づきはじめていた。敬作は 「頓狂」 ということばがすきで、ふだんしきりにつかっている。オッチョコチョイというほどの意味だろうが、敬作の妙なところは、親に孝、君に忠という倫理綱目と同列くらいの美徳にそれをあつかっているのである。 「人間は頓狂でなくちゃいけないよ」 これが、口ぐせだった。敬作は、まじめくさった大人くさい、事なかれの常識的慎重さ(それが封建的徳目なのだが)だけで生きている連中が大きらいで、 「人間、ゆかなくちゃならないよ」 と、つねにいう。どこへゆくのか、それはわからない。敬作が、深夜三里の峠をこえて炭焼小屋の急患の元に行ってやったりするのも、頓狂の心であろう。イネのことを想うと不安と悲しみで身も世もなくなるのも頓狂の心かもしれない。常識人はけっしてそうはならないのである。 「西洋の文明を興したのも、頓狂の心だ」 と、敬作はいう。 天才とは頓狂人だが、西洋人はそういう者を愛し、それをおだて、ときには生活を援助して発明や発見をさせたりする。日本人は頓狂人をきらうから遅れたのだ、という。シーボルト先生も頓狂人だからはるばるヨーロッパにとって、未知の日本にきたのだ、という。なるほどそういえばそのようでもある、と蔵六はおもうのである。 (鳥がいる) と、おもった。しかしもう一度この啼き声がきこえたとき、それはブリッジから海をのぞきこんでいる殿さまの笑い声だとわかり、貴人というものはああいう声をたてるのかと思った。思いあわせてみると、蔵六は草深い村にそだち、百姓身分からあがって、いまは宇和島候の背後に侍立できる身分にまでになった。この重苦しい封建身分制を突破できるのは「技術」だけであり、それは孫悟空の如意棒にも似ていた。 (妙なものだ) と、蔵六はそのことを考えた。 船が、うごいている。海が背後に押しやられ、へさきに白波が湧いている。平素心鬱なばかりの家老松根図書までが子供のような燥ぎ声をあげ、 「村田、すすんでいるではないか」 と、ふりかえって叫んだ。が、蔵六は悪いくせが出た。 「進むのは、あたりまえです」 これには、松根もむっとしたらしい。物の言いざまがわからぬのか、といった。蔵六は松根からみればひどくひややかな表情で、 「あたり前のところまで持ってゆくのが技術というものです」 と、いった。この言葉をくわしくいえば、技術とはある目的を達成するための計算のことである。それを堅牢に積み重ねてゆけば、船ならばこのように進む。進むという結果におどろいてもらってはこまるのである。もし進まなければ、はじめて驚嘆すべきであろう。蔵六にいわせればそういうものが技術であった。 (ああ、ひよこの羽毛のようにやわらかそうなまつげだな) と、蔵六はぼんやりおもった。 蔵六の息が乱れている。蔵六はそれをこの期におよんでも整えようとした。かれは意志力の賛美者であり、自分を自分の意志で統御しきっていることに誇りをもち、快感をすら感じていた。同時に、人間関係における主題主義者であった。ということはたとえば、 「殿さまはえらいものです。学者は学問をすべきです。イネは弟子です。イネは一般論としては女性ではあるかもしれないが、私にとっては女性でも男性でもなく、弟子という存在です。師弟という関係以外の目でイネを考えることは、余計なことです。余計なことは自分はしません」 というような信条をもつ男で、この信条をくずさずにいままで生きてきた。一見平凡なこの男が、ひょっとすると突っ拍子もなく風変わりな男であるかもしれぬ点は、このあたりであった。
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