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シミュレーショニズム の商品レビュー

4.1

11件のお客様レビュー

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70年代後半から80…

70年代後半から80年代にかけてアートシーンに台頭してきた(そしてすぐに飽きられた)シミュレーションアートについての論評。ジェフ・クーンズ、リチャード・プリンス、マイク・ピドロ、シンディ・シャーマン、福田美蘭、明和電機などの作家や、ハウスミュージック。サンプリング、カットアップ、...

70年代後半から80年代にかけてアートシーンに台頭してきた(そしてすぐに飽きられた)シミュレーションアートについての論評。ジェフ・クーンズ、リチャード・プリンス、マイク・ピドロ、シンディ・シャーマン、福田美蘭、明和電機などの作家や、ハウスミュージック。サンプリング、カットアップ、リミックス。挑発的な文章で我々読者を刺激してくるが、15年以上前に書かれた著書であることを忘れてはならない。

文庫OFF

2024/05/10
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

 『最後の音楽』で話題に出ててオモシロそうだったで読んだ。正直ところどころかなり難しい内容で目が滑ることが多いながらも何となく読み終えることができた。それは音楽やアートがテーマになっているからだと思う。もとは1991年にリリースされたものだが今読んでも刺激的で新鮮な論点がたくさん載っており勉強になった。  主題となるのはサンプリング/カットアップ/リミックス。前半はアート、後半はハウスミュージックに対して主題からアプローチしていく。アートのチャプターでは美術館の説明書きを読んでいるかのよう。知らない単語が頻出しつつ具体的な作品に対する論考が多い。なので読みにくいもののネットでググりながらだと比較的理解が進んだ。その中でサンプリングに関する記述で納得したのは以下のラインだった。巷ではサンプリングとパクリの違いが議論となるが下記のラインですべて説明される気がする。特に後半の「ブロウ・アップ」がキーワードだ。 *サンプリングのアーティストたちは、ある対象に徴候的に潜在するものの、当の対象にあっては非本質的な少数性でしかないものを異化変形してブロウ・アップしてみせるということだ。*  ハウスミュージックのチャプターでは音楽における主題が果たす役割について論考が展開されている。ハウスが新しい音楽として紹介されていることに時代を感じつつ、相対的に権威主義としてのロックが失墜している話が興味深かった。元々ライブがバンドを教会のように崇めるようにみるのとは対照的にクラブでのハウスミュージックは崇める対象が不在である。(DJはいるけど)脱中心化についてつぶさに考察されていた。またブライアン・イーノをめぐるアンビエントに対する話も知らないことばかりで勉強になった。  最後にまとめのチャプターが用意されており、そこでは上記2つに収まらない議論がそこかしこで転がっている。正直追いきれていない議論が多いものの、白人によるロックのアプロプリエーションからヒップホップの勃興という流れの議論は新鮮だった。またエコノミーからエコロジーへという話は最近のSDGsにも通ずるものであり、ファッションのようにこの手の話も数十年単位で繰り返すのだなと改めて認識した。ここまでのレビューを読んでいただいてわかるように正直全貌がまったく掴めていないのでタイミングで繰り返し読まないといけない本だった。

Posted byブクログ

2022/10/29

simulationやappropriation =音楽でいうsamplingやremix 戦後のアメリカ美術 minimalism、land art、conceptual art 精度にすぎない絵画や彫刻といった制度 →80年代 歴史的展開の必然性を無視neo expres...

simulationやappropriation =音楽でいうsamplingやremix 戦後のアメリカ美術 minimalism、land art、conceptual art 精度にすぎない絵画や彫刻といった制度 →80年代 歴史的展開の必然性を無視neo expression ジュリアン・シュナーベル、デヴィッド・サーレ、キース・ヘリング、ジャン・ミシェル・バスキア サンドロ・キア、エンツォ・クッキ、フランチェスコ・クレメンテ ゲオルグ・バゼリッツ、A・R・ペンク 日本 ニューペインティング neo gioからneo pop ネオイズム 理論的背景を付与することによって、流通可能にするsimulationism レーガンによる新古典派経済政策、投資の規制緩和 106 133ボードリヤール 138 …「表現の自由」などという戯れの前に猶予される動物的痴呆性を前にして、批評の攻撃性と闘争性が放棄されてはならない。 167 176 フェミニズム理論 249 引用は肥大、samplingは霧散 引用は収奪、samplingは没収 305 スプラッター 332 ブラック・ロック 黒人が白人のために演奏する白人よりもうまい白人音楽 349 simulation artにおけるシミュラクール 362 ウクライナ・ポストモダン 386 冷戦構造の崩壊とともに敗北したのはアメリカ美術であった →フランス中心のワールドアート体制 「大地の魔術師」展

Posted byブクログ

2022/02/11
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

美術手帖の編集に携わる著者の講義を書籍化したもの、ぽい。読みたかったハウスに関しては200ページぐらいから始まるためにまあまあ長い道のりではあるけど、美術史におけるサンプリングなどの盗用芸術視点で絵画、彫刻、写真等に触れていて、音楽と同様にサンプリングが用いられている様が説明されていて興味深い。 90'sに音楽業界がhiphopを無視できなかったように、美術手帖に携わるいわゆる本職の人もサンプリングの異常な面白さは無視できない存在なんだろうな。 “サンプリングしてる側 ”からの視点で読んだけど、色々な側面から的確に分析してると思う。ただ、使われている言葉が美術用語なのか馴染みのないものが多くてすんなり入ってこない部分があるのと、芸術側からみたサンプリングと実際にサンプリングする側とのギャップが少しある印象。 しかしハウスの成り立ちや黎明期の混沌に対しての洞察はさすがで最終的に面白いと感じる一冊。 これはver.1.03だけど、最新のverが出版されてる模様。

Posted byブクログ

2021/05/09

サンプリング、カットアップ、リミックス。それらをハウス、ヒップホップ、シンディ・シャーマンらのアート、バロウズらの文学に至るまでの広い領域で分析された内容。自分が体感してきたものが、これ程明晰に整理してあることに感謝。名著です。

Posted byブクログ

2018/01/03

・デヴィット・ヴァイナロヴィッチ ・言われてみれば、私たちはしばしば、歴史的に重要とされる出来事でも、たった一枚の写真からしか知っていないということがあります。だから実は、そのとき実際にどのようなことが起きたかということは、もう永遠にわからないわけですね。もしかしたらそれはひじ...

・デヴィット・ヴァイナロヴィッチ ・言われてみれば、私たちはしばしば、歴史的に重要とされる出来事でも、たった一枚の写真からしか知っていないということがあります。だから実は、そのとき実際にどのようなことが起きたかということは、もう永遠にわからないわけですね。もしかしたらそれはひじょうにいい加減な、冗談のようなたぐいのものだったかもしれない。けれども、ひとたびそれが言説をともなって、写真という固定されたイメージのなかに回収されて、一種の絶対性を獲得してしまえば、それはもう容易には覆すことができない。ところが、ビドロのようにたとえそれが偽物であっても、同じパフォーマンスをそっくり再現することによって、その怪しさ、いかがわしさをあらためて浮かびあがらせるくらいのことはできる。つまり、偽物だからつまらないのではなく、そもそも失われた本物自体がさしておもしろいものではなかったのではないか、というような疑惑を生みだすことは可能なわけです。 そのとき、偽物はすでに偽物だ絵はない。ビドロが行った<これはイヴ・クラインのパフォーマンスではない>はすでに、「イヴ・クラインのパフォーマンスではな」くはなくなっているのです。 ・クリスチャン・マークレー「レコーズ」1981~1989 ・ひとはどのようにして分裂病になるのか?H・ランドルトの仮説によると、それは病前の脳波異常が強制された正常化を起こすときだという。すなわち分裂病の発生は正常から異常への移行ではなく、異常が強制的に正常化される瞬間なのである。 ・ブライアン・イーノ ・「今年の一月、私は事故にあった。たいした怪我ではなかったが、私はほとんど身動きできない状態でベッドに寝かしつけられていた。そこへある日、友人のジュディ・ナイロンが、18世紀のハープ曲のレコードを持って見舞いに来てくれた。彼女が帰ったあと、私はかなり苦労してレコードをかけた。横になってから、アンプが非常に低いレヴェルにセットされてあり、ステレオの一方のチャンネルから全然音が出ていないのに気付いたが、起き上がってちゃんとする元気もなかったので、レコードはほとんど聞こえないほどの音でかかり始めた。このことが私に、音楽の新しい聞き方を教えてくれたーーーそれは光の色や雨の音が環境の一部であるように、音楽もまわりの環境の一部として聞くことだった」 ・「海は多様であり、動いており、しかも緊密に結合している。海の多様性とはその波のことである。波が海を構成しているのである。波は無数にある。航海者は波によって完全に囲まれているのである。波の動きの同質性はその大きさの差異を妨げない。波が完全に静止することはありえない。波の外部から吹いてくる風は波の運動を決定する。波は風の命ずるままに、この方向、あるいはあの方向へと打ちよせる。波の緊密は結合は、群衆のあにいる人間たちがよく知っているあるものである。すなわち、それは、あたかも他の波が自分自身であり、自分自身と他の波とのあいだにどんな厳重な隔壁も存在しないかのように、他の波に従うことである。この従順さからの脱出はありえず、したがって、その結集としての力の勢いと感じは、波全体が一緒になって引き起こしたものである」

Posted byブクログ

2015/07/18

キーワードは「サンプリング/カットアップ/リミックス」。80年代に広まった美術運動、シミュレーショニズムの考えをポピュラー音楽に援用していくその切り口はウィルス的感染力を感じさせる。本編は20代の頃に執筆されたが故のレトリック過多な部分も目につくが、増補において加えられた最初の講...

キーワードは「サンプリング/カットアップ/リミックス」。80年代に広まった美術運動、シミュレーショニズムの考えをポピュラー音楽に援用していくその切り口はウィルス的感染力を感じさせる。本編は20代の頃に執筆されたが故のレトリック過多な部分も目につくが、増補において加えられた最初の講義編が導入として優れており現代アート入門としても機能している。「盗め!」という発売当時のメッセージは現代において「コピれ!」と言い換えるのが相応しいだろう。IT技術の発達で世界はこんなにもコピー&ペーストで満ち溢れているのだから。

Posted byブクログ

2013/06/15

「サンプリング、カットアップ、リミックスはこのように、われわれの時代の最悪の部分のエッセンスともいうべき性質のものである。したがってそれは、エイズ・ウィルスに対するさして有効なワクチンが発見されていない現在までのところ、おそらくは最強の認識論的体制であり、われわれの生体とその認識...

「サンプリング、カットアップ、リミックスはこのように、われわれの時代の最悪の部分のエッセンスともいうべき性質のものである。したがってそれは、エイズ・ウィルスに対するさして有効なワクチンが発見されていない現在までのところ、おそらくは最強の認識論的体制であり、われわれの生体とその認識機構そのものを変化させる強度を携える「デジャ=ヴュとしての前衛」のためのソニック・ボムなのだといってよい」 ー 258-259ページ 東浩紀のデータベース論は概ね本書で述べられているポップ・カルチャーとシミュレーショニズムの範囲のことを述べていると僕は理解しているが、シミュレーショニズムがあちらの論壇であまり話題にならないのは単純にフィールド上の違いの問題なのだろうか。 もっとも、東浩紀のデータベース論自体はともかく、そこで挙げられている例は、宇野の指摘するように極めて限定的である。本書の区分けでいえばポップ・カルチャーにあたるものばかりであって、それはサンプリングやカットアップといったシミュレーショニズムを多くは含んでいない(と記憶している)。 シミュレーショニズムは自覚に基づくデータベースの切断と結合でありカウンターカルチャーとしての側面を持つものとされているので、確かに現代日本全体の雰囲気を述べるうえでは資本主義下にあることに無自覚なポップのほうばかり取り上げたのは正しいのかもしれない。 ただ、データベースの時代の可能性を述べていくうえで、現在では多少古臭くなったようにも思われるサンプリングやリミックス、カットアップといった表現形態にも、もう少し積極的に注目する必要があるのではないかと思わなくもない、というか思うわけなのだ。

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2012/02/18

samplingやquotation、怪しさ、いかがわしさ、シミュレーションによる虚構の露呈/暴露、等々、矢張り浅田彰「逃走論」の潮流がバブル終焉の時代、最後に放ったあだ花ということ。その後の「逃走=闘争」は村上隆的な、いわばアートとして売れたものがアート、という(きわめて中庸で...

samplingやquotation、怪しさ、いかがわしさ、シミュレーションによる虚構の露呈/暴露、等々、矢張り浅田彰「逃走論」の潮流がバブル終焉の時代、最後に放ったあだ花ということ。その後の「逃走=闘争」は村上隆的な、いわばアートとして売れたものがアート、という(きわめて中庸でフェアーな)価値のみを残しポストモダンは動物化するということだろう。パフォーマンスに於けるなさけなさの露呈などと格好よくいうが、上方には「わやく」や「おちょくり」といった言葉があることを思えば、「そう、たいそうに…」という思いが頻り。歴史のcheap化が現在のcheap化しかもたらさないことを知ってか知らずか、現代アートは一種の歴史主義的ニヒリズムの裡に実際には「安らかに遊んでいる」ようにも見えてしまう。ゲリラ戦と言おうが何と言おうが、いわゆる「ダッコウ」理論を持って極めて「真面目に」遊んでいるということだ。「真剣に」遊んでいる者が、いつも新たなアートを生み出してきたのだろうが、いづれにせよ現代アート論というものは、いつも言葉のラグに強度を吸い取られていくということだ。 パンク論は面白く読んだ。

Posted byブクログ

2011/04/12

現代まで続くコンテクストのうち、自分の生きる時代に繋がっていくまでの部分がまとめられた書。現代を語る時のモヤモヤしている前提がすっきりしました。

Posted byブクログ