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辺境・近境 の商品レビュー

3.9

120件のお客様レビュー

  1. 5つ

    24

  2. 4つ

    42

  3. 3つ

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2012/10/19

シニカルにコミカルで笑い声を押し殺すのに必死になる文章と鎮静剤のように心が鎮まる文章。旅行記になのに、心情的に大きな効果を引き起こす。そこに行ってみたいとは思わない。けれど、村上春樹には旅行とその文章を書いてほしいな。 メキシコとアメリカ、香川、カラス島が可笑しい。ノモンハンと...

シニカルにコミカルで笑い声を押し殺すのに必死になる文章と鎮静剤のように心が鎮まる文章。旅行記になのに、心情的に大きな効果を引き起こす。そこに行ってみたいとは思わない。けれど、村上春樹には旅行とその文章を書いてほしいな。 メキシコとアメリカ、香川、カラス島が可笑しい。ノモンハンと神戸は沈静。 メキシコインディアンの青年の話が印象的。「こんにちは」でごはんを出してくれる土地と、ここでは誰も言葉の響きというものを理解しないのだ、という土地。

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2012/10/11

もう何度目だろうかわからないけれども、とにかく自分がこれまで読んできた旅行記のなかで圧倒的に素晴らしい作品だと思う。それは何度読んでも変わらないし、読むたびに何か自分なりに発見がある。「辺境」においては、どこか冷静に淡々とした記述で書かれているが、近境においては(「神戸を歩く」を...

もう何度目だろうかわからないけれども、とにかく自分がこれまで読んできた旅行記のなかで圧倒的に素晴らしい作品だと思う。それは何度読んでも変わらないし、読むたびに何か自分なりに発見がある。「辺境」においては、どこか冷静に淡々とした記述で書かれているが、近境においては(「神戸を歩く」を除いての話だが)とてもとてもテンション高く思えるような文体になっている。これがとても楽しい。

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2012/09/17

飛行機の中の冊子の旅行記みたく、ささっと気楽に読める。謙虚で、ええカッコしいじゃない文章がイイ感じ。

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2012/08/05

さらさらっと読もうとしたら、文章の節々にはっとするような言葉がつまりすぎてた。 旅行について定義されていた。今までにない新感覚の旅行記。やっぱり村上春樹さん好きだな。

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2012/05/26

読んだのは12年以上前。 村上春樹が、とっても地味に讃岐うどんの食べ歩きをしているのが可笑しくて、それまでのイメージをいい意味で塗り替えた一冊。 それから10年後に実際に自分がうどん(と金毘羅様)のために行くことになるとは当時は思いもしなかった。

Posted byブクログ

2012/05/07

読みやすい。ノモンハンとか草原に行ってみたいが、実際行ってみると大量の虫がいたり想像とは違って相当過酷なんだろうなと再認識した。

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2012/04/22

私は京都フリークだ。だが、へそ曲がりの性質なので素直な世間の人たちみたいに、「京都はいいねえ」とかいう具合に一直線に行き着いたのではない。日本一の観光地として定評のあるその町に対して、若かった頃はむしろ背を向けていた。だから凄く遠回りをしてその魅力に気がついたといえる。京都には、...

私は京都フリークだ。だが、へそ曲がりの性質なので素直な世間の人たちみたいに、「京都はいいねえ」とかいう具合に一直線に行き着いたのではない。日本一の観光地として定評のあるその町に対して、若かった頃はむしろ背を向けていた。だから凄く遠回りをしてその魅力に気がついたといえる。京都には、高校時代甲子園に同行したときを皮切りに、大阪出張のついでとかで数えれば十数回も宿泊した。にもかかわらず、つい数年前まで京都観光そのものを目的にして訪れたことがなかった。 近頃相次いで村上春樹の作品を手にした。短編の『蛍』とエッセイ集の『辺境・近境』とである。これが、正直に白状するが凄くいいと思った。だが、食わず嫌いの私は、代表作といえる『ノルウェイの森』も『1Q84』も他の長編もまだ読んでいない。 『蛍』には、今の日本の小説が失ってしまったと思えるなにか真っ当で、ものの哀れを感じさせる切なさと、なにより物語の造りと言葉とに唸るほどの「上手さ」を感じた。 『辺境・近境』でも、この作家の「上手さ」と「真っ当さ」を痛感した。 たとえば、「無人島・からす島の秘密」の編では「ライカは海に落とす、手は切る、虫に襲われる、夜は眠れない、良いことはひとつもない」という無人島での悲惨な体験を、するすると読ませてくれる。それでいて、自分たちがじゃぶじゃぶ上陸した砂浜が、戦時中には日本軍の上陸訓練に利用されたことなどがさりげなく挿入されているところなぞ、本当に「真っ当(=教養人としての良心を感じさせる)」だし「上手い」と感じる。さらには、鳥に占領された無人島に一本残された若山牧水の歌碑が、お礼に日本軍の手で建立されたものだ、などという下りは見事な「オチ」になっている。 「讃岐・超ディープうどん紀行」の編も、この地のうどんの本当の「味」を知る者同士には通じてしまう「あんたもそう思った!」という共感の嵐だった。 もうひとつ、「真っ当さ(=教養人の良心=しかも絶対に嫌味にならないやり方での良心の示し方)」を感じたのは、「ノモンハン鉄の墓場」の編だ。その中で彼は、自身ではどうしてなのかわからない理由でノモンハンにとり憑かれたといいながら、ノモンハンでの悲惨な敗戦が日本人の「あまりにも日本的であり、日本人的であった」故の失敗と断じる。そして太平洋戦争の巨大なスケールでの悲劇の象徴的な意味での縮図がこの惨敗の中にあると喝破する。これは実は、司馬遼太郎の膨大な歴史小説群を貫く根本史観と、ある意味で重なり合っている。司馬が自分でそう告白したかどうかは知らないが、初年兵としてノモンハンの戦いに従軍し部隊の殆どが無謀な作戦のために戦死するのを目の当たりにしたのが、≪大戦時の日本の軍部・政治の上層総部は徹底的に無能だった。明治維新以来の日本は政治家も軍人もあんなに素晴らしかったのに、日露の戦勝を境に、日本は堕落しつくした≫という司馬史観の出発点だったのだ。そのあたりのことは、司馬自身でなく、関川夏央など後世の評論家が語っている。 村上春樹の読者。遠藤周作のような純文学の読者。司馬遼太郎の歴史読み物の読者。たぶん三者は、互いに軽蔑しあい、同じ読書人なのに相容れることが少ないだろうと思われる。だが、遠藤周作が自身の歴史小説の手本に司馬作品を置いていたこと、私生活上も深い交流があったことを近頃知って、へえ~と思った。今度は村上春樹の中に司馬史観に通底するといってよいセンスを見出し、再びへえ~な感じがする。三者に貫かれているのは、やはりある種の「真っ当さ」であると私は思うし、今日の日本の小説が見失っているもののひとつだとも強く思う(浅田次郎みたいに嫌味を承知でぎとぎとに押し出している小説はないわけではないですが)。 京都の魅力を簡単に伝える方法はなかなかない。だが、遠回りをしてこの町にたどり着いた私に言わせると、それは「真っ当」で、遠回りしていた間探し求めていたものが「なんだ、もともとここにあったのか」というような、正統な魅力のことだと思う。 下賀茂神社の御手洗池のほとりに「みたらし茶屋」が今もある。数年前ここで初めて本物のみたらし団子を食した。問答無用に旨かった。それは、山形の郷里の餅屋で食う旨い「みたらし団子」や関東のどこかで食ったそれなりに旨い「甘辛だんご」とか、その派生品と思しき信州や三河の「五平もち」とかの≪旨さ≫がそれぞれに追求していたお手本というか、それらの諸点が集約的に目指す中心たる一点はこの下賀茂神社の茶店なのだと納得させる正統な旨さなのである。 今私はさんざん遠回りをした挙句、村上春樹に到達した。 春樹は実に旨い。

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2012/04/08

村上春樹著「辺境・近境」新潮文庫(2002) *旅行記を書く。これは今では誰でもどこにでも行けるようになって、辺境というところがなくなったし、冒険の質も変わってきている。しかし、旅行をするという行為が大なり小なり旅行する人に意識の変革を迫るものであれば、旅行を描く作業もその動きを...

村上春樹著「辺境・近境」新潮文庫(2002) *旅行記を書く。これは今では誰でもどこにでも行けるようになって、辺境というところがなくなったし、冒険の質も変わってきている。しかし、旅行をするという行為が大なり小なり旅行する人に意識の変革を迫るものであれば、旅行を描く作業もその動きを反映しなければなりません。その本質はいつの時代になってもかわりません。一番大事な事は、このように辺境の消滅した時代であっても、自分という人間の中にはまだ辺境を創り出せる場所があると信じる事です。

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2012/03/01

村上春樹はエッセイもかなり好きです。 独特の比喩が効いた飄々とした文章は読んでい気持ちがいいですね。

Posted byブクログ

2012/02/21

卒業旅行が移動の多いツアーだったので、その移動中に読み、帰りの飛行機で読了。旅行中に旅行記を読む、というのもなかなか乙であると思ったとか、思わなかったとか。

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