読書術 の商品レビュー
この本を読んで改めて思うのは、読書はアメーバのようなもので、自分に必要な知識なり愉しみなりをその触手で摂取して増殖していくものではないかということです。しかし、昔読んだ本のことは、かなり一生懸命取り組んだ本を除き、よほどでない限り忘れてしまっている人も多いのではないでしょうか。つ...
この本を読んで改めて思うのは、読書はアメーバのようなもので、自分に必要な知識なり愉しみなりをその触手で摂取して増殖していくものではないかということです。しかし、昔読んだ本のことは、かなり一生懸命取り組んだ本を除き、よほどでない限り忘れてしまっている人も多いのではないでしょうか。つまり「自分アメーバ」の触手自体が衰退したり、何か別の方向の触手に置き換えられたりしていくものなのであって、けっして積み木のように積み上げられるものではないのではないかということです。 もともと読書をするための時間(とくに好適な時間)は限られています。(今のところ考える読書は午前中、愉しむ読書は午後から夜間が多いと思います。)また、いくら読んでもその分量には限界があります。(ダイジェストは人のフィルターを通しているため、本当の読書とは言えません。) 読書は、自分を発見するためのもの。人は読書を通じて自分を見出す。だから、読書はひとぞれぞれであり、「何を読むべきか」は人によって異なり、「全部読んでやろう」では、本来の読書の意味から外れてしまうことになります。 だからこそ、触手に引っかかった本に愚直に取り組んだり愉しんだりするしかないのが読書ではないでしょうか。蓄積ではなく愉しみとして。
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旅で本を読むのは、ただ乗りもののなかでひまな時間が多いからというだけではありません。読むことと旅をすることとのあいだには、いかにも深い因縁があります。旅は私たちを、いつも見慣れた風景や、知人の顔や、生活や、またある程度までは、いつも経験している心配ごとや、希望からさえも、多かれ少なかれ切り離して、見慣れないもう一つの世界へ連れて行きます。同じように、本を読むということは、活字を通していくらかの想像力を働かせ、私たちの身のまわりの世界から、多かれ少なかれ違う別のもう一つの世界へはいって行くことです。(pp.17-18) 同じ北海道に行っても、同じ九州に行っても、行った人によってその印象は違うでしょう。見た人それぞれの性格が、その旅先での印象にはっきり出ているからです。どこへ行っても、人は自分を発見します。同じように、どんな本を読んでも、人はみな自分をその中に発見するのです。読む側であらかじめ切実な問題を自分自身のなかに持っていて、しかも、その問題が同時に、読む本の問題であるという場合でなければ、そもそも書物をほんとうに理解することができるかどうか疑わしい。(p.52) とにかく読み通せば、その本の著者との何時間かのつきあいになるし、一日に一度、もう一人の人格との何時間かのつきあいは、私の人生に変化を与え、刺激を与え、たのしみを与えてくれます。しかもその相手の人格たるや、そこらの解説者とは違って、親鸞その人であり、マルクスその人なのです。(p.92) 「ドーセバカリズム」と博覧強記主義のあいだに、本を読まざる工夫あり、読まなくても読んだふりをする工夫があってしかるべきでしょう。「どうせ私はばかですよ」と言っていたのでは、いつになっても私はばかでなくならない。読まない本を読んだふりをしているうちに、ほんとうに読む機会も増えてくるのです。(p.121) もし共通の愉しみがあるとすれば、それは知的好奇心のほとんど無制限な満足ということになるかもしれません。どういう対象についても本は沢山あり、いもづる式に、一冊また一冊といくらでも多くのことを知ることができます。世の中には好奇心を刺戟する対象が数限りなくあるでしょうから、対象を移して、好奇心の満足を拡げていくこともできるでしょう。読書の楽しみは無限です。時間をもて余してすることがない、といっている人の心理ほどわかりにくいものはありません。人生は短く、面白そうな本は多し。一日に一冊読んでも年に365冊。そんなことを何十年もつづけることは不可能で、一生に一万冊読むのもむずかしいでしょう。それは、たとえば東京都立中央図書館の蔵書150万冊以上の1%にも足りないということです。面白そうな本を読みつくすことは誰にもできないのです。(p.217)
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基本的な「読書法」をカバーしているので、読んでみたかった一冊。「古典は遅く読む」「入門書はていねいに読む」「洋書と邦訳を同時進行で読む」「専門用語、概念は意味を抑えれば読みやすい」など、多くの読書で役立つ技術に間違いなし。現在、多読が叫ばれるなか「遅く読むことが、速読につながる」...
基本的な「読書法」をカバーしているので、読んでみたかった一冊。「古典は遅く読む」「入門書はていねいに読む」「洋書と邦訳を同時進行で読む」「専門用語、概念は意味を抑えれば読みやすい」など、多くの読書で役立つ技術に間違いなし。現在、多読が叫ばれるなか「遅く読むことが、速読につながる」と説いてるとこに自信をもらえた。あるジャンルの本を読み続ける場合。読むのが遅くとも、じっくり学んだ知識を足掛かりに、足りない知識だけ補う読み方ができれば速読・多読に発展する。遅読→速読という見方はユニーク。
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【読んだきっかけ】前から気になってはいたが手をとらなかった本。やっと読む気になった。 【内容】戦後日本の碩学のひとり、加藤周一が読書について語った本。 【感想】口述なのでとても読みやすい。本好きなおじさんが読書の愉しみを語りかけてくる、そんな感じがする。 2000年発行のわりに語...
【読んだきっかけ】前から気になってはいたが手をとらなかった本。やっと読む気になった。 【内容】戦後日本の碩学のひとり、加藤周一が読書について語った本。 【感想】口述なのでとても読みやすい。本好きなおじさんが読書の愉しみを語りかけてくる、そんな感じがする。 2000年発行のわりに語られる事例が古いな、と思ったら1962年に書かれたものの改訂版だった。もっとも、筆者もあとがきで述べているとおり、本の主題は決して古びていない。 筆者は「本はできるだけ楽な姿勢で読むもの」「わからない本は読まない」などの見解を、体験からくる説得的な言葉で説明する。思わず笑みがこぼれ、本に対する気負いがなくなる。 読書は愉しむもの、という当たり前のことに気づかせてくれる良書。
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今は亡き「知の巨人」加藤周一が読書を愉しむ技術を高校生向けに著したもの。1962年出版のベストセラー。 文章自体は平易なのだが、中身は相当広範囲な読書経験、知識経験がある読者でないと腹落ちしていかないような気がする。 多少、テクニカルなところもあるが、術というよりは、「心構え」が...
今は亡き「知の巨人」加藤周一が読書を愉しむ技術を高校生向けに著したもの。1962年出版のベストセラー。 文章自体は平易なのだが、中身は相当広範囲な読書経験、知識経験がある読者でないと腹落ちしていかないような気がする。 多少、テクニカルなところもあるが、術というよりは、「心構え」が整理されている。 特に難解な本や、外国語の本をどのような「心構え」で接するのか? 成る程、と思う箇所は少なくない。 以下引用~ ・「おそく読め」というのは、「古典を読め」というのと同じことになり、また逆に、「古典を読め」というのは、「おそく読め」というのと同じことになるでしょう。 ・小林秀雄さんの「鉄斎」は万人に向けられたものではなく、「鉄斎」を見たことのある人、あるいは、少なくとも小林さんが「鉄斎」を見た時の経験とおなじような種類の経験を、ほかの画家を通じて持ったことのある人だけに向けて書かれたものです。 ・要するに、私にとってむずかしい本は、その本が悪い本であるか、不必要な本であるか、どちらかです。 私にとって必要であり、よく書かれた本であれば、それがむずかしいということは本来ないはずであろうと思われます。 「むずかしい本をよくわかる法」は、ないかもしれません。私たちにとって、「必要なすべての本をよくわかる法」だけがあるのです。
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色んな人の読書術や”オススメ本に関する書籍には目がないオレですw 本屋にいって特に気になる本が見つからなかったときなどはいつも誰かの読書術に関する本の中で紹介されている本を買ったりします。 数ある読書術の本の中でも加藤周一さんの『読書術』は永久保存版でしょう。オレが言うまでも...
色んな人の読書術や”オススメ本に関する書籍には目がないオレですw 本屋にいって特に気になる本が見つからなかったときなどはいつも誰かの読書術に関する本の中で紹介されている本を買ったりします。 数ある読書術の本の中でも加藤周一さんの『読書術』は永久保存版でしょう。オレが言うまでもないことですがw 持っておいて損はないと思います。 ・おそく読む「精読術」 ・はやく読む「速読術」 ・本を読まない「読書術」 ・外国語の本を読む「解読術」 ・新聞・雑誌を読む「看破術」 ・むずかしい本を読む「読破術」 読書の技術としては以上の6つに分けて解説されています。 どのジャンルの本を読むにしてもこれらのうちどれかを参考にできる形になっています。 中でも、 ・本を読まない「読書術」 これがおもしろいです。 オレも知り合いから、「一流の教養人になるには、読んでいない本でも読んだことがあるかのように内容を語るスキルが必要だ。」と言われたことを思い出しました。 まあそうなるためには多読した経験という素地が必要なのでしょうが。 とりあえず巷の読書術本と違ってずっと本棚に置いておき、たまに参考にしたくなるような本です。
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1962年に光文社より出版された本。本の読み方の本。所々、背景が分からず理解できないたとえ有り。 この本を元に書かれたのであろう本を読んだことがある。
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速読や遅読、古典との付き合い方、難しい本がなぜ難しいか、など様々な視点から「読書」のあり方を説く。 一貫して語られる「難しい本は読まなくてよい」「必要な本であれば自ずから理解できる」という論調には、救われた思いもした。
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日本を代表する知性の読書術。40年程前に書かれた本であり、引用される本は古典が多いのですが、今読んでも十分に共感することができました。速読術、遅く読む精読術、外書を読む解読術、新聞雑誌を読む看破術、また難しい本を読む読破術。読破術とはとにかく読まないことだそうです。自ら求めていない本であって、本も自分もどちらが悪いわけでもない、という言葉は加藤氏でもそういうことがあるのか、と思います。確かに読書は過去の知識の集約に立っているとすれば、また出会いの時期があるのだと思うことにしたいものです。
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文字通り本の読み方を教えてくれる本。多くの本が具体的に方法論としてどのように本を読むかということについて説明しているのに対し、この本ではいかに効率よく本から得られるものを吸収していくかということに重きがおかれている。ときには読まないという選択肢をとることの必要性や、早く読む本・遅...
文字通り本の読み方を教えてくれる本。多くの本が具体的に方法論としてどのように本を読むかということについて説明しているのに対し、この本ではいかに効率よく本から得られるものを吸収していくかということに重きがおかれている。ときには読まないという選択肢をとることの必要性や、早く読む本・遅く読むべき本の解釈の仕方まで教えてくれる。 また、偏見が含まれるかもしれないが、岩波文庫という権威ある文庫から出版されている本からすると意外なことだが、場合によっては自分が読めない本は迷わず読まないことにせよという内容さえ含まれる。 少し欲しい内容とは外れていたものの、読書に対する生きた知恵の詰まった本であると感じた。
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