読書術 の商品レビュー
2021/2/13 古本屋で加藤周一が読書についての本を出しているのか!と気になって即購入。 ある学問の話をする時には前提となる作品は読んでおく必要があり(哲学の話をする時にデカルトを読んでいないとどうにもならない)、速読はそのためにある。自分にはこの土台が足りていないので、...
2021/2/13 古本屋で加藤周一が読書についての本を出しているのか!と気になって即購入。 ある学問の話をする時には前提となる作品は読んでおく必要があり(哲学の話をする時にデカルトを読んでいないとどうにもならない)、速読はそのためにある。自分にはこの土台が足りていないので、今はある程度の速読で乱読するフェーズにあると思っている。その中で精読すべき本を見つけ、生涯座右に置いて精読しようかなと。 その他、危機に瀕している時にこそ人間の本質が現れるというのは納得がいくし、読者は経験から知っていることしか本を理解できないというのもよく分かる。特に、理由は異なるが全集を読め、というのは小林秀雄に通じる。 ただほんの一部、時代錯誤感は否めない。
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ものすごい昔に父親の蔵書のカッパブックス版で読んだ。いまの時代にはちょっとどうかと思う表現もあるがそれは時代の制約として仕方なかろう。が、たとえば、本を速く読まなければならない理由として挙げられている、情報量の肥大による人間への負荷の増大という事象は今も変わらないどころかその傾向...
ものすごい昔に父親の蔵書のカッパブックス版で読んだ。いまの時代にはちょっとどうかと思う表現もあるがそれは時代の制約として仕方なかろう。が、たとえば、本を速く読まなければならない理由として挙げられている、情報量の肥大による人間への負荷の増大という事象は今も変わらないどころかその傾向のままに加速しているわけで、たとえは古くてもほとんどの洞察は現代にも適用できるものだ。読書についての”古典”として読み継がれるべきものであろうとは思う。自分のいまの読書の仕方にとても影響を与えている本だということを改めて思った。
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他の人がどのように本を読んでいるのか、ということはたまに気になるため、手に取った一冊。 この筆者、ほんとうに賢いんやろうな、というのが、読後の最初の感想。 そして、必要なものから読むのがよろしい、というのが、もっとも刺さったメッセージ。
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東大医学部卒の文芸評論家、作家であり、パリを始め様々な国を渡り歩いた「知の塊」…である加藤周一先生が、1962年に出版した読書指南書。 以前読んだ、別の読書指南書の参考文献に載っていた本書。 そこで出会わなければ、一生読む機会はなかったはず。 いまいちわからない項目もあったけ...
東大医学部卒の文芸評論家、作家であり、パリを始め様々な国を渡り歩いた「知の塊」…である加藤周一先生が、1962年に出版した読書指南書。 以前読んだ、別の読書指南書の参考文献に載っていた本書。 そこで出会わなければ、一生読む機会はなかったはず。 いまいちわからない項目もあったけれど、それはまだ、加藤先生と同じ種類の経験を自分のものにできていないだけだ。 とりあえず「読書は机を使わず楽な姿勢ですべき」という言葉に今は元気をもらった。 今の力で理解できたことを、まず実行していこう。 「ドーセバカイズム」のままでいたくない。だから、読んだふりもときにはしつつ、短い人生のなか、せっかくなら読書を愉しむ人になろうと改めて思った。 心に残った言葉 どれほどはやく本を読んでもはやすぎるということはなくて、はやく本を片づけることが、生きていくうえにほとんど不可欠なことのようにさえ思われてきます。(p65) 「ドーセバカイズム」と博覧強記主義のあいだに、本を読まざる工夫あり、読まなくても読んだふりをする工夫があってしかるべきでしょう。「どうせ私はばかですよ」と言っていたのでは、いつになっても私はばかでなくならない。読まない本を読んだふりをしているうちに、ほんとうに読む機会も増えてくるのです。(p121) 読書の愉しみは無限です。(中略)人生は短く、面白そうな本は多し。(中略)面白そうな本を読みつくすことは誰にもできないのです。(p217)
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読書の極意を明快に指南した本。 読書術は1つの手法に固執する必要はありません。目的に応じて手法を変えればいいのです。情報を収集するだけなら速読で、学びを得たり物語を楽しんだりしたいなら精読で、といった具合に。 世界にある全ての本を読むなど不可能ですから、この作家の本だけを読む...
読書の極意を明快に指南した本。 読書術は1つの手法に固執する必要はありません。目的に応じて手法を変えればいいのです。情報を収集するだけなら速読で、学びを得たり物語を楽しんだりしたいなら精読で、といった具合に。 世界にある全ての本を読むなど不可能ですから、この作家の本だけを読むといったように、読む本を決めておくのも読書の楽しみ方の一つです。 本の読み方にはそれぞれ楽しみ方があることを、本書は教えてくれます。
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p.ⅲ どういう本を読んだらよかろうか、ということは、一般的には決められません。どういう女を口説いたらよかろうか、という、だれにも通用する標準などあるはずがないのと同じことです。 p.08 読書はまた愛の行為に似ています。社会の全体から切り離されて、あなたはただひとりの相手との...
p.ⅲ どういう本を読んだらよかろうか、ということは、一般的には決められません。どういう女を口説いたらよかろうか、という、だれにも通用する標準などあるはずがないのと同じことです。 p.08 読書はまた愛の行為に似ています。社会の全体から切り離されて、あなたはただひとりの相手との関係のみに生きる。 のっけから、引き込まれた。 本を読み、得られる、一種の快感や恍惚はこれかもしれない。 受け身ではないということ。 映画では替え難い満足感を、簡潔な言葉で言い表してくれた事に感謝を述べたい。 (勿論、映画も素晴らしい表現芸術なので、好きには変わりないのだが。) 5章の「本を読まない「読書術」」の中の、 読んだふりで話をして、相手から話を引き出す話の運び方は面白かった。 これはどんなお喋りや会席の場でも通ずるし、 今まで年長者との会話の大半はこれを反射的にやっていた気がする。 相手を乗せて、喋らせて、大いに学ぶ。 博識な方ほど、どんどん流れは止まらないのだから。 それがまた本を読むことに繋がっていくというのだから、面白い。 ・知的好奇心の無制限な満足。 ・別のもう一つの世界へはいって行くこと。身のまわりの世界からの出発。 ・日本語の美しさと魅力を知るということ。 本を読む愉しさは、限りない。 あまりにも格好がよく、ウィットに富んだ 流れるように美しい珠玉の言葉の連続で、 著者の知性に酔ってしまった。 著者の別の本を読んだことがあったが、軽やかさが違う。 高校生へ向けた、からかもしれない。 これはもう、本当に、愉しんで書いたのだろうなぁと伝わってくる、本への愛情が詰まったエッセイ。 読書があまり好きでない方にも、ぜひ読んで貰いたい。 1962年の文章というのに驚き。 まったく色褪せない。 旅をするように、恋をするように。 いつも鞄には森鴎外を潜ませて。。 今日も、新たな出会いを楽しみに、本を愛でましょう。
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純文学、むずかしい本を面白く感じるにはくんれんする必要があるのではないか。ある程度のレベルに達するまで、覚悟していろんな本を読む。
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さすがに余裕を感じさせる文章で色々参考になった。古典をじっくり読むこと、どーでもいいほんはざっと読んでも構わないこと、すべての本を読まなくてよいことなど、今の自分にとってありがたいアドバイスだ。 論語に忠がないこと、新聞の見出しの付け方は立場が出ることなど、含蓄を伺わせる。
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どういう本を読んだらよかろうか、ということは、一般的には決められません。どういう女を口説いたらよかろうか、という、だれにも通用する標準などあるはずがないのと同じことです。 Pⅲ くぅーカッコいい! なにこのダンディーでカッコいいまえがき! こんなん読み進めるに決まってるよ! ...
どういう本を読んだらよかろうか、ということは、一般的には決められません。どういう女を口説いたらよかろうか、という、だれにも通用する標準などあるはずがないのと同じことです。 Pⅲ くぅーカッコいい! なにこのダンディーでカッコいいまえがき! こんなん読み進めるに決まってるよ! さらに少し読みすすめると・・・ 第二、読書はまた愛の行為に似ています。社会の全体から切り離されて、あなたはただひとりの相手との関係のみに生きる。その関係において、あなたは多かれ少なかれ接客的な役割を演じるので、けっして映画見物の場合のように、完全に受け身ではありえないでしょう。 P8 今度は読書=ベッドのちょめちょめだと!? ちょめちょめの時は受け身じゃつまらないもんね、どっちも積極的に攻めなきゃね。マグロだめ、ぜったい。ようするに読書もマグロだとだめだってこと、積極的自分からにあの手この手で攻めなければだめなよ。その方が楽しいしお互い気持ちよくなるしね? なんかこれだけの文章だと著者がダンディーエロティックおじさまになっちゃいそうだから、この辺で読書のすげーエピソード載せとくわ。 しかし、とにかく通勤電車が、そのほかのところでは容易に読めない本を読むことのできる場所であり、もし、そういうことを実行すれば、毎日二時間の規則性ゆえに、一年二年ののちには一定の知的能力を私たちに与えてくれるだろうということにまちがいはありません。 P27 片道通勤1時間だとしたら1年の間、1ヶ月は電車の中で過ごしてるという。そう考えたら恐ろしいよね。でも見たら分かるけどみーんなぽちぽちスマホいじってばかり、ほとんどの人が時間を無駄にしてる。 そんな中著者は1年間の通勤電車だけでラテン語をマスターしてしまう。 私はこの本を手に入れて、郊外の私の家から大学病院へ通う電車のなかでは、降っても、照っても、すいていようとも込んでいようとも、かならずこの本を見る、そのかわり電車の外へ一歩出たらけっしてこの本をあけて見ない、という方針を立てました。 P25 すんごい徹底ぶり、電車の中だけで勉強を完遂させちゃったよ。電車が学校代わりになるなんて! これ読むかぎり通勤電車って読書するには最適な場所なんだね。無駄にスマホいじるより、読書で知識を得たほうがはるかに有意義だ。 宣言する、俺はこれから電車でスマホを開かないZE!
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自分にも実行出来そうなことが書いてあったので、そのことを実行してみようと思います。 自分にも役に立つ本でした。
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