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イン・ザ・ペニー・アーケード の商品レビュー

4

25件のお客様レビュー

  1. 5つ

    8

  2. 4つ

    8

  3. 3つ

    7

  4. 2つ

    1

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2022/12/12
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

『描写フェチが描き出す幻想世界と栄枯盛衰』 3部構成の中・短編集。 各部、趣の異なる作品が集められ、作者の多彩な才能が垣間見れる。特に第3部の幻想的で不思議な雰囲気の作品(短編3作品)は、独特の世界観に惹き込まれます! 他の作品も読んでみたくなる作家さんでした。

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2022/07/07

素敵な現代アメリカ文学 アメリカン・ノスタルジーも取り混ぜた 以下7編の中短編小説集 アウグスト・エッシェンブルク 太陽に抗議する 橇滑りパーティー 湖畔の一日 雪人間 イン・ザ・ペニー・アーケード 東方の国 スノウマンが雪だるまじゃなくて、雪人間になっちゃうような翻訳なので...

素敵な現代アメリカ文学 アメリカン・ノスタルジーも取り混ぜた 以下7編の中短編小説集 アウグスト・エッシェンブルク 太陽に抗議する 橇滑りパーティー 湖畔の一日 雪人間 イン・ザ・ペニー・アーケード 東方の国 スノウマンが雪だるまじゃなくて、雪人間になっちゃうような翻訳なので小説の面白みは半減以下になっていると思う

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2018/10/17
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

「ペニーアーケード」は所謂ゲームセンター。ピンボールとか。 コレから日本の「100均」って思いついたのかなあ。どうでもいいですが。

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2014/06/15

スティーブンミルハウザー「インザペニーアーケード」読んだ http://www.openisbn.com/isbn/4560071233/ … 「ナイフ投げ師」ではあまり好きな作家じゃないなという印象だったのに、先日読んだ柴田元幸選の短編集で「雪人間」を読んで、あれもしかしてすご...

スティーブンミルハウザー「インザペニーアーケード」読んだ http://www.openisbn.com/isbn/4560071233/ … 「ナイフ投げ師」ではあまり好きな作家じゃないなという印象だったのに、先日読んだ柴田元幸選の短編集で「雪人間」を読んで、あれもしかしてすごく好きな作家かも、に変わった(つづく アメリカ人作家だけれどヨーロッパを舞台にした話を読んでいるような感じがする。光と影なら絶対に影だしセンチメンタルで退廃感がある。表現が美しくて文字の連なりから情景が立ち上がってくる。情景は瑞々しくて心に沁みる。こんな作家だったとは。「ナイフ投げ師」を読み返してみなくては(おわり

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2014/05/18

「ナイフ投げ師」から読んだので、もっと幻想的な世界を想像していた。いい意味でちょっと違った。 第二部の3作は、女性が主人公。ちょっとした出来事から思春期の瑞々しさが描かれていたり、「湖畔の一日」では、主人公の心の不安定さが夜の闇の中にリアルに書かれていた。

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2013/12/10

イマジネーションの魔術師ミルハウザーの短編集。 素晴らしい想像力と圧倒的な緻密な描写で 物語を描けてしまう作家さんだと思います。 それは今作も同じ。 「雪人間」と「湖畔の一日」も好きですが やはり一番は天才自動人形職人の栄光と挫折をえがいた 中編の「アウグスト・エッシェンベル...

イマジネーションの魔術師ミルハウザーの短編集。 素晴らしい想像力と圧倒的な緻密な描写で 物語を描けてしまう作家さんだと思います。 それは今作も同じ。 「雪人間」と「湖畔の一日」も好きですが やはり一番は天才自動人形職人の栄光と挫折をえがいた 中編の「アウグスト・エッシェンベルグ」 現代的な芸術がその美しさの裏側に持つのは 常に時代遅れとなる可能性なのかな。

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2013/09/15

第一部は「アウグスト・エッシェンブルク」 テントでの魔術ショーとか、「イン・ザ・ペニー・アーケード」もそうだけど、子供の目にうつる日常から断絶されたような空間とか、その瞬間のイノセントな着想みたいなものを描くのがどうも好きらしい。けど視点は常に大人のそれで、むしろイノセントな世界...

第一部は「アウグスト・エッシェンブルク」 テントでの魔術ショーとか、「イン・ザ・ペニー・アーケード」もそうだけど、子供の目にうつる日常から断絶されたような空間とか、その瞬間のイノセントな着想みたいなものを描くのがどうも好きらしい。けど視点は常に大人のそれで、むしろイノセントな世界から弾かれて、もう踏み入ることができないエデンの園として描いているというか、その墜落感が好きなんだろうけど。 自動人形は既に失われたものなのに、そこに芸術家の情熱を一身に注ぐアウグストと、むしろ人々の堕落を冷めた視線で見つめる嘲笑的なハウゼンシュタイン。やはりハウゼンシュタインのほうが生き生きと描かれている気がする。 第二部は、なんでもない退屈な、あるいは幸福な時に、脈絡がありそうでないような突然の激情、みたいな。 筆が冷めてる、あるいは醒めてるという感じ。感情的に描かれてはいても、その感情はまるで静物のようなのだ。 第三部の「東方の国」が一番好き。 詩的であり幻想的であり。あんまり人を描くのうまくないんじゃ、と思った。

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2013/03/10

ポオに『メルツェルの将棋指し』という一文がある。人間相手にチェスを指す機械仕掛けの人形のからくりを、得意の推理で暴いていく小品だが、怪奇と幻想の詩人ポオが、その反面徹底した合理主義者であったことを納得させられる身も蓋もない結論で終わっている。つまり、中には人間が隠れていたのだと。...

ポオに『メルツェルの将棋指し』という一文がある。人間相手にチェスを指す機械仕掛けの人形のからくりを、得意の推理で暴いていく小品だが、怪奇と幻想の詩人ポオが、その反面徹底した合理主義者であったことを納得させられる身も蓋もない結論で終わっている。つまり、中には人間が隠れていたのだと。およそ、自動人形の類はこのように胡散臭い出自を持っている。場末の見世物小屋あたりに置いておけば、それなりの関心を買うだろうが、白日の下に晒されたらひとたまりもない。 人型ロボットの相継ぐ開発に湧く日本とはちがって、西欧では、あえてロボットに人間の姿を与えようとはしない。それは、自分に似せて人間を創り出した神に対する冒涜だと考えられているからだ。限りなく人に近い人形を造ろうという行為は背徳的なものであり、「フランケンシュタインの怪物」を持ち出すまでもなく、その行為に携わる者には必ず罰が下る。しかし、禁じられているからこそ魅惑的な主題となりうる。19世紀後半のヨーロッパでは、絡繰り仕掛けの自動人形の一大ブームが起きた。メルツェルの自動人形もその一つである。 短編集『イン・ザ・ペニー・アーケード』は、三部構成で第一部が、自動人形作りにのめり込む若者の姿を描いた「アウグスト・エッシェンブルク」。第二部は、作者にはめずらしい現代女性の一日をスケッチした小品三作。そして第三部には表題作を含むいかにもミルハウザーらしい意匠を凝らした小品三編が配されている。 「アウグスト・エッシェンブルク」の主人公アウグストは、後に描かれ、ピューリッツア賞を受賞することになる『マーティン・ドレスラーの夢』の原型的人物である。葉巻商人と時計職人のちがいはあれ、父親の店舗に自分の作品を展示したところを見出され、より大きい世界に導かれ、自分の天職に目ざめてゆくところも、眠る間も惜しんで制作に没頭し、初めは飛躍的な成功を収めるものの、やがて飽きられ、挫折するところも同じだ。自分の希求するものと世間一般が求めるものとの差異を知りながら、自分の夢に殉じるしかない男の世間知らずな生き方が共感を込めて描かれている。自己憐憫に耽ることなく、再起を予感させられる結びまで酷似している。 これだけよく似たストーリーを繰り返し、繰り返し使いながら、読者に飽きられもせず、賞まで取ってしまうミルハウザーの秘密はいったい何だろうか。ひとつは、フロイトならコンプレックスと呼ぶにちがいない原風景への絶対的な固執がある。他の作家には書けない自分だけの世界を持っている強さだ。しかもそれは、極めて個人的なものでありながら、ユングの言う「原型」に近い普遍性を持っている。予め喪われているからこそ甘美な、思春期という「夢」の揺籃期を背景に描かれるミルハウザー的世界には、抗しきれない魅力がある。 小説が言葉で書かれる以上、プロットやストーリーがいくら卓抜であったとしても、その提示のされ方がお粗末であったら、誰も見向きもしない。反対に、同じメニュウであっても、料理の仕方のちがいで、うまい店もあれば、まずい店もある。ミルハウザーの提供する素材は限られている。いわば専門店だ。読者は、初めからシェフの腕に期待して扉を開けるのだ。同工異曲であっても、これでもか、これでもかと供される物尽くしめく選び抜かれた素材の配列の妙に客は堪能させられるのである。

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2013/02/17
  • ネタバレ

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愛には五十四の段階があり、その五番目は渇望である。渇望には十七の等級があり、恋する男はそのすべてを経過しなければ六番目の段階に達することはできない。六番目の段階は焦燥である。 興奮のあまり、一度本を閉じて、更にまたゆっくりと開いてしまった一節。

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2012/09/14
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

極端なことを言えば、ここまで書ける人は「書けなくなっても」書けるだろうな、と思う。 文学側からの指名とか、生まれる前からの使命とか、そういうの無くても、書けてしまうだろう。 戸惑った。私はどちらかと言えばはっきりと「出てくるべきして出てきた」とわかる作品が好きだからだ。だからと言ってお呼びじゃないよ、とあしらうには……書くことが出来過ぎている。 相性が悪いのだと思う。そう思うことにする。こういう書き方があることを私は肝に銘じよう。 最終的には和解したけれど、途中では、男性の強すぎる感情は人形たちに整理させることで男性の純粋さや威厳を保たせ、女性の感情はけっこうエネルギーが放たれっぱなしになっていて、無意識だから抑えられなかったのであろう偏見を書き方に感じた。 あと、どうして才能のある・なしが、人格の優劣と対応するかのような印象で終わってしまったか『アウグスト・エッシェンブルグ』 文学側からの指名というのは、そういう無意識の不平等を最終的なところでは起こさせない。たとえば差別的表現を使って書かれた文章があっても、作家本人が差別主義者で有名であったとしても、それさえも、作品内ではそれは飾りに過ぎないものに変化させる文脈へ導いていく力がある。それが指名、使命というものの力だ。 神様に美しい牙をむいた作家だと思おう。 技術のないところに神は降りない、と言う。でも技術だけあっても神が降りないことがある。それに対する美しい抵抗。降りなかった神様への、あまりに美しい、人間に出来うる限りの、最高の抗議。 この作家で読んだのこれだけだから、また読んだら変わるだろう可能性を感じつつとりいそぎ感想まで。

Posted byブクログ