商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 法政大学出版局 |
| 発売年月日 | 2025/03/18 |
| JAN | 9784588460265 |
- 書籍
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仮面の奇人 三木清
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仮面の奇人 三木清
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1. 二度の海外留学: 一度目 (ドイツ): 大正11年(1922年)に岩波茂雄の援助を受けドイツへ留学。ハイデルベルクに滞在し、約1年半後にシュトゥットガルトに移ったと考えられる。留学の理由は明確ではないが、岩波が哲学を重視し、将来有望な若者の著作活動による新たな読者層の開拓...
1. 二度の海外留学: 一度目 (ドイツ): 大正11年(1922年)に岩波茂雄の援助を受けドイツへ留学。ハイデルベルクに滞在し、約1年半後にシュトゥットガルトに移ったと考えられる。留学の理由は明確ではないが、岩波が哲学を重視し、将来有望な若者の著作活動による新たな読者層の開拓を期待していた可能性が示唆されている(阿部能成『岩波茂雄伝』より)。 三木はハイデルベルクで石原謙(後の東北大教授)と知り合い、石原は三木を「大変な秀才」「将来京大の教授になる人だ」と評していた。 ハイデルベルク大学の校令に関する記述や、リッカートの講義(認識論、ゲーテ)、演習(「難しい論理学上の問題」)を聴講したこと、ヘリゲルの読書会に参加したことなどが記録されている。しかし、和辻哲郎のように語学力に苦労し、講義内容を十分に理解できなかった留学生もいた一方で、三木はドイツ文を読むことにそれほど不自由はなかったとされる。 マールブルクへも足を運び、ナトルプやイエンス教授に関心を持っていた。 二度目 (フィリピン): 昭和17年(1942年)1月から12月まで、陸軍の徴用によりフィリピンのマニラに滞在。戦地の状況やフィリピン人の生活、文化に触れた経験が、帰国後の三木の思想に影響を与えた可能性が示唆されている(『一橋新聞』の帰国後初のフィリピン報告より)。 フィリピン人の特徴として、おしゃべり好きで政治議論を好む、困っている人を助ける習慣がある、家族制度が強く物乞いが少ないなどが記述されている。 日本軍政下のフィリピンの状況(検問所の設置、経済統制、言語普及の試みなど)や、アメリカ軍との戦闘によるマニラの荒廃についても触れられている。 2. 二度の逮捕と法政大学からの追放: 一度目の逮捕: 昭和5年(1930年)5月、日本共産党に資金を提供した嫌疑で逮捕され、11月上旬まで豊多摩刑務所に拘留された。これにより法政大学の職を辞さざるを得なくなった。 二度目の受難: 昭和20年(1945年)3月、治安維持法容疑者の匿匿に関わったとして逮捕された(記述は途中で終わっている)。 3. 法政大学における活動: 教鞭を執っていた期間(就任3年目まで)には、哲学概論(歴史哲学)、自然哲学の問題(古代中世哲学)、哲学演習(カント『純粋理性批判』)、弁証法の理論(論理学)、倫理学の批判(倫理学概論)などを担当していた。 逮捕後、法政大学を追われた後も、戸坂潤らと共に法政大学の学生のために哲学研究会主催の課外授業を行っていた(昭和7年~9年頃)。 法政大学における社会主義運動の高まりや、学生・教員の逮捕(人民戦線事件など)といった当時の社会情勢も背景として記述されている。三木も共産党への資金提供という形で、こうした社会運動に関わっていたことが示唆される。 4. 思想的遍歴と研究活動: ドイツ留学中には、リッカート、ディルタイ、ジンメルらの著作を読み込み、人間学や生の存在論に関心を抱くようになった。 パスカルの存在論的解釈やスピノザに関する研究にも取り組んでいたことが示唆されている。特にスピノザの『国家論』の研究においては、人間的本性の状態から国家論を導き出すというスピノザの意図を重視していた。 戦時下には「戦時認識の基調」を発表し、太平洋戦争を肯定し協力する姿勢を示した。 5. 周囲の評価: 波多野精一は、三木を体系的思索家というよりむしろ評論家・批評家と評し、「良い意味でのジャーナリストまたは文明批評家」「理解の人」であり「同時に独創の人ではない」と指摘している。 林達夫は、三木が「名声に執着し、野心に燃えていた」と述べている。 三木は、大学の講壇に立つだけで生きた哲学のない学者を嘲笑的に二分し、自ら新たな立場を築く独創的な学者を高く評価していた(西田幾多郎、波多野精一を評価)。 法政大学の同僚であった戸坂潤は、三木の文章について「掴みどころがない」「よくわからない」と評していた。 6. 晩年と死: 昭和20年(1945年)3月に治安維持法容疑で逮捕された後の状況については、本資料では詳細が不明である。しかし、戦後の昭和20~30年頃には三木に関する単行本が少なからず刊行された一方、近年では論著がほとんど見られない状況が指摘されている。 近年、クレイン出版より『三木清研究資料集成』全6巻が刊行され、全集に収録されていない三木の哲学・思想に関する論文、資料、随筆、書簡、翻訳、対談、座談などが収録されていることが紹介されている。
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