商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 新潮社 |
発売年月日 | 2024/04/24 |
JAN | 9784101433226 |
- 書籍
- 文庫
死の貝
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死の貝
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商品レビュー
4.4
13件のお客様レビュー
山梨県の甲府盆地と広島県の片山地方、九州筑後川流域に見られる謎の病。腹に水がたまって膨れ上がり、やがては死に至る。明治以降の近代医学でも治療法はおろか、原因さえもわからない謎の病は、後に日本住血吸虫症と名付けられる。この病と闘った医学者たちを描いたノンフィクションである。 ...
山梨県の甲府盆地と広島県の片山地方、九州筑後川流域に見られる謎の病。腹に水がたまって膨れ上がり、やがては死に至る。明治以降の近代医学でも治療法はおろか、原因さえもわからない謎の病は、後に日本住血吸虫症と名付けられる。この病と闘った医学者たちを描いたノンフィクションである。 この病の原因は寄生虫であり、タイトルの「死の貝」とは、この寄生虫の中間宿主であるミヤイリガイのことを指す。本書には医学用語や科学用語が頻出するが、おおよそは理解できると思う。 本書の中でも紹介されている病の原因究明を願い、死期を悟った女性患者とその家族・親族が提出した「死体解剖御願」に記された悲壮な思いは壮絶なものがある。 そして幾人もの医学者の研究もあって、寄生虫が原因であることが究明された。しかし、副作用の少ない特効薬はなかなか見つからない。されば予防である。農作業などで、ミヤイリガイと接触しないようにする。ミヤイリガイ自体を駆除する等の努力で、感染者は激減することになる。皮肉なことにミヤイリガイは、現在は「絶滅危惧種」となっている。 日本住血吸虫という名前だが、中国の揚子江流域やフィリピンにも生息しており、感染者も多いという。
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さすがにウィキペヂア3大文学。 40~50年前までは地方病はまだまだ恐れられていたけど今では全然聞かないからこういう記録がきちんと残るのは良いことだと思う。
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- ネタバレ
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古くは『甲陽軍鑑』に記述があるらしい。 武田氏滅亡直前の勝頼が府中を捨て岩殿城に向かう途中、ある足軽大将が、腹が水で膨れあがり歩けなくなり殿の供をすることが困難になったと暇乞いをした。勝頼はその足軽大将の姿をみて、その気持ちだけで十分である、と涙を流していたわった、という。 のちに「日本住血吸虫症」と呼ばれる寄生虫により引き起こる病は腹が大きく膨らむ(水腫張満)一方で、手足はやせ細り、衰弱が激しいことが特徴だ。 『腹に水がたまって妊婦のように膨らみ、やがて動けなくなって死に至る――古来より日本各地で発生した「謎の病」。原因も治療法も分からず、発症したらなす術もない。その地に嫁ぐときは「棺桶を背負って行け」といわれるほどだった。』(文庫本裏表紙より引用) 原因究明はなかなか進まなかった。日本で症例がみられるのは山梨の甲府盆地、広島の片山地方、九州の筑後川流域と限られた「地方病」だったためだ。(症例報告があがっていなかっただけで、他の地域でもみられた) しかしこれらの地域での被害は甚大だった。農村部に被害は集中し当初は、井戸水や湧き水、川の水が汚染されていると考えられ、経口感染を防ぐため煮沸して飲むようにしたが被害は収まらない。水腫張満になって衰弱すれば死ぬし、ならないものも、なぜか体の発達が阻害され、痩せて背の低い者が多かった。成人男子で徴兵基準に充たない者が多く、兵役免除されることだけが不幸中の幸いだった。 やがてこの病気は水田や川べりに生息するたった数ミリの小さな巻き貝(ミヤイリ貝)が原因とわかった。貝自体に毒があるわけではなく、貝を中間宿主として成長した寄生虫が、農作業中の人間の手足の皮膚から経皮感染することで発症した。人間だけではなく家畜や野生動物にも感染するので、動物からうつされることもあった。 住血吸虫の名の通り、経皮感染した寄生虫は腸などに住み着き、宿主から栄養分を吸い続ける。そのため感染した者は発育が阻害された。大きな血流にのり脳まで達した場合は脳炎を発症した。 原因はわかった。根絶のためには貝を無くせばよい。しかし、それには途方もない労力と予算が必要だった。 まずは手当り次第に人力で貝を除去した。しかし、貝の繁殖力も強く、イタチごっこの様相を呈した。 次に実験によって殺貝効果が確認された特殊な石灰を撒くことにした。こちらはかなりの効果があったが、大量に広範囲に、計画的かつ継続的に根気よく撒く必要があったため、地域によるムラがあった。 水田や川をコンクリート護岸にすると貝の繁殖が抑えられ、しかも急な流れの場所では繁殖できないこともわかった。 除去、殺貝材の散布、コンクリート化という対策により、様々な困難があったにも関わらず、年々感染者も減っていった。そして皮肉なことに高度成長期になると、洗濯機の普及などにより家庭からの洗剤などの混じった生活排水が川に捨てられるようになり、川は汚れたが貝も死んだ。 治療法も格段良くなった。以前は点滴により体内の寄生虫を殺す手法が取られていたが、これは毒を注入しているようなものだったので、副反応によって亡くなる者も一定数いた。その点滴を個人の体力に合わせて数ヵ月かけて何度も注入することによって退治できるのだが、あまりの苦しさに途中でやめてしまう者も多かった。 1979年になってようやく、バイエル社が経口治療薬を開発したことで劇的に病状の改善がみられこととなり、ついに「日本住血吸虫症」は日本では根絶された。 この感染症は「日本」とついているが、これは発見者が日本人であるためつけられたのであって、日本原種の病気ということではない。世界にはまだこの病気で苦しんでいる地域もある。 かつてこの病に苦しめられた甲府盆地周辺は、いまでは果樹栽培が盛んな日本有数の果樹王国だ。このきっかけとなったのも、罹患の不安を抱いたまま米を作るより、いっそのこと貝の繁殖できない畑に切り替えたほうがいいんじゃないか、という方針転換だったようだ。 そんな歴史的背景があったとは驚きだった。 山梨産の果物を食べるたびに、日本住血吸虫症との戦いの歴史を思い出してしまうかもしれない。
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